その13

外へ出ると、空は濃い紫色に変わっている。さっきちなみを送っていったときはまだ明るかったのに。
「秋の日はつるべ落としってやつか」
『漢字で書けますか?』
何となく呟いたことわざに対して、下駄箱から靴をとりながらの委員長から鋭いツッコミが入る。
つるべ・・・つるべ・・・鶴辺?釣部?頭の中に色々な候補が浮かんだが、どれもしっくり来ない。
だいたい、つるべって何だ?
答えの出ない俺に、ため息をつく委員長。そして、空に向かって字を書き始めた。
『釣瓶は・・・こう書きます。井戸で水を汲む時に使う、紐のついたバケツですね』
「へぇ〜、そうなんだ」
相槌を打ちつつ、靴を履き終えた委員長と並んで校庭を横切る。
振り返ってみると、今日はやたらと長く感じた。告白騒ぎから始まって、進路の事の話しになって。
そういえば、一旦ちなみを家に送って戻ってきたんだっけ?その後の勉強ですっかり遠い事に思える。
すっかり忘れていたが、明日もちなみを送ってからって事を言わないとな。
「なぁ、いいんちょ―」
声をかけようと横を向くと、委員長はすごく嬉しそうな顔をしていた。そうかと思えば、いきなり
暗い顔になってため息をつく。そして、今度は恥ずかしそうな、それでいて嬉しそうな顔。
一体どうしたんだろう?あまりにも俺の勉強がダメすぎて、絶望のあまり壊れたのか?
大げさなようだが、そう思わせるほどの百面相をしてる。
このまま見ていても良いが、なんだか危なっかしい足取り。前を向いているが、見えてないような気が
する。試しに顔の前で手を振ってみても、緩みっぱなし表情は全く変化がない。
正気に戻した方が良さそうだなと声をかけようとした直後、校門のレールに足をとられてバランスを崩した。
慌てて支えようと手を伸ばし、間一髪で抱きかけるような形で受け止めた。
「委員長、大丈夫か?」
『え・・・?』
自分の状況が理解できないのか、ずっと俺の顔を見詰めたまま動かない。本当にどうしてしまったのだろう?
委員長は二度三度と瞬きをして、そっと目を閉じた。よく漫画とかアニメでみるような・・・そう、キスする
瞬間の表情だ。

164 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2008/03/24(月) 00:32:08.49 ID:+ve273MF0
なーんか素晴らしすぎですよねー

165 名前:となりのてんし その13 2/5[sage] 投稿日:2008/03/24(月) 00:32:23.05 ID:B0PhS2+l0
かすかに香るコロンの匂いと相まって、心臓の鼓動が早くなる。
キスしてって事なのか?でも告白なんてありえないって言ってたよな。どうしよう・・・どうすればいい。
下手に何かして委員長を傷つけるよりは、何もしない方がいいよな。
そう思って離れようとした瞬間、体全体にすごい衝撃が走った。ぐらっと世界が回り、道路へ投げ出される。
何があったのだろうと顔を上げると、自転車のタイヤが目に入った。自転車は子供用小さいもので、補助輪が
付いている。さらに視線を上げると、運転手は・・・ちなみだった。
『にぃに・・・なにしてるですか!』
その一言でどっと力が抜けるのを感じた。

「痛てて・・・」
学校の塀にもたれかかって、地面とぶつかった所の確認をすると青痣ができていた。
頭は打たなかったが、肩から結構な勢いでぶつかったのでかなり痛い。
『ふん・・・いいきみなのです』
『まったくです。き、キスしようとするなんて・・・最低です』
そんな俺に対して、容赦の無い視線と言葉を投げかける二人の女性。
さっきから再三にわたって事情を説明しているが、まったく聞き入れてくれない。
『にぃにが・・・いいんちょに・・・ちゅーしようとしてた・・・あぶないあぶない・・・』
『ちなみちゃんがいなかったら、今頃どうなっていたか・・・』
そんな感じで、すっかり悪者に仕立てられてしまった。もう説明するのにも疲れてきたので
そのまま聞き流して帰る事にした。
痛む体に鞭打って立ち上がり、二人の間を抜けて帰り道である方向へ歩き出す。
『む・・・まつです』
『ま、待ってください』
そんな声が後ろからしたが、無視することにした。大人気ないのは分かっているが、あそこまで
言われたら腹の虫が収まらない。
早歩きで道を急ぐと、自転車の音がどんどん近づいてくる。嫌な予感がしたので振り返ると
今度は俺の少し前で急ブレーキをかけて止まってくれた。
むすっとした表情のちなみとしばし睨みあう。その間に、息を弾ませて委員長が小走りで
走り寄ってきた。

166 名前:となりのてんし その13 3/5[sage] 投稿日:2008/03/24(月) 00:32:50.87 ID:B0PhS2+l0
「まだ俺を悪者にして何か言いたいのか?」
二人揃ったところでそう言うと、ちなみと委員長は互いの顔を見合わせた。
そして、こっちへ向き直ると、さっきと違って何か申し訳なさそうな表情。さすがに言い過ぎたと
思ってくれたのだろうか。
『ちなを・・・おいてっちゃ・・・めーだよぉ』
ちなみは自転車から降りて、ぽふっと抱きついてきた。まったく、調子の良い事だな。
委員長の方を見ると、俯いて何か言いたげな仕草。しかし、何も言い出せない様子。
良く考えればこれからずっと勉強を見て貰わないといけないのだし、ここはこっちから折れてあげる
べきだな。
「委員長、ごめん。いくら助けるためとはいえ、あんな事になっちゃって」
やや間があって、委員長は顔上げた。
『わ、私のほうこそ・・・その・・・ご、ごめんなさい・・・』
『ちなも・・・ちなも・・・ごめんなの』
ついでちなみからも謝罪の声。まったく、二人の天使は妙なところが似てるな。
なんていうか、素直じゃないっていうか何と言うのか。
「そういえば委員長さ、下駄箱から出てからどうしたの?考え事でも?」
その質問で委員長の顔が赤くなった。
『べ、別に・・・なにもやましい事なんて考えてませんからね?ただ、今後の勉強の進め方を―』
「すっごくニヤニヤしてたけど、そんなに楽しい勉強方法を思いついたんだ」
う・・・と言葉に詰まる。どうやら自分がどんな表情をしていたかまでは、分からなかったらしい。
俯いて両手の人差し指同士を合わせながら、ちらちらと様子を伺うような感じの視線を送ってくる。
『その・・・テストで1問間違えるごとに・・・な、何か罰ゲームをって』
「へぇ・・・。で、どんな面白い罰ゲームを思いついたの?」
『そ、そんなの・・・内緒です』
ぷいっとそっぽを向いてしまった。罰ゲームとか、委員長は真面目に勉強を教えてくれる気が
あるのかと不安になってきた。とはいえ、そんな委員長が今は命綱な訳だけど。
『ばつげーむ・・・ちなに・・・おかしかってなの』
一方で、まったく緊張感のないちなみは、こっちの状況はお構い無しで自分のやってほしい事を
要求してくる。

167 名前:となりのてんし その13 4/5[sage] 投稿日:2008/03/24(月) 00:33:16.33 ID:B0PhS2+l0
「はぁ・・・何だか分からないけど、1問も間違えないように頑張るよ」
『『だめです』』
二人からダメと言われた。俺は何か間違った事言ったのか?
勉強する以上は、テストで満点を取るつもりで臨むのは当たり前だと思うんだけど。
『ちなの・・・おかし・・・いっこは・・・かって・・・なの』
「誰も罰ゲームでお菓子買うなんて言ってないだろ?」
むぅ・・・とふて腐れるちなみ。そんな罰ゲームがあったら、お金がいくらあっても足りないだろう。
逆に満点とったら買ってあげるとかの方がまだ現実味がある。
いや・・・俺が頑張ってちなみが得をするというのも変な話か。
「委員長は何でダメなのさ?まさか、俺にお菓子買わす気じゃないだろうね?」
『ち、違います!ちなみちゃんと一緒にしないで下さい』
「じゃぁ・・・どんな罰ゲームか教えてよ」
『そ、それは・・・』
そんな問答をしていると、遠くで5時を知らせる鐘の音が鳴り響く。空を見上げると、そこまで
夜の闇が迫っていた。
『今日は遅いので、帰りましょう?ね?』
『にぃに・・・ちな・・・おなかへったおー』
二人に促されて帰る事になった。何の罰ゲームをやるつもりかは、いずれ分かるだろう。
これからずっと満点を取り続けるなんて、さすがにないだろうから。

委員長と途中の道で別れ、ちなみと2度目の帰り道。学校での報告が続く。
休み時間にかくれんぼをやったらしいのだが・・・。
『それでね・・・ちなは・・・いっかいもみつからなかったんだよ?』
「へぇ、そりゃすごいな。天才じゃないか?」
『むふふ・・・そうかもです・・・おりんぴっくで・・・きんめだる・・・とれるかな?』
「あぁ、そうかもな。まずは日本大会で優勝して、代表に選ばれないと」
次のオリンピックに正式種目でかくれんぼが採用される事を祈るばかりだ。
その前に、世界的なスポーツなのかという疑問はあるが。

168 名前:となりのてんし その13 5/5[sage] 投稿日:2008/03/24(月) 00:33:42.57 ID:B0PhS2+l0
『じゃぁ・・・めだるとれたら・・・にぃにに・・・やきにく・・・おごってあげよう』
「お、気前いいな。是非頼むよ」
すっかり金メダリストに輝いたつもりのちなみ。子供は夢を見なくちゃいけないよな、やっぱり。
そういえば、昔の俺はどんな夢を見ていたんだろう。もう、すっかり忘れてしまったな。
これから叶えたい夢は何だろうな。ただ日がな一日、心行くまで本が読めれば何でもいいかなとか
思うあたり、すでに若者としてどうなんだろうという気がする。
でも、まずは隣の高校に行く事が第一だ。その後の事は、その時考えよう。
『かるび〜・・・たんしお〜・・・みの〜・・・ねぎま〜』
何か焼肉のメニューにないのが混ざってるみたいだが、あえて突っ込まないようにしよう。
『あ・・・おかいけいは・・・にぃにね』
「奢りじゃないのかよ」
『えへへ・・・』
思わず突っ込んでしまった。ちなみはプロのかくれんぼプレイヤーより、漫才師の方が
向いてるんじゃないだろうか。
そうこうしている間に、ちなみの家の前に到着。
「じゃぁ、また明日な」
『あ・・・まってなの』
そう言うと自転車を降り、サドルをぽんぽんと叩く。俺に乗れという事なのか?
とはいえ、子供用なのですごく小さくて乗りにくそうだ。
『はーやーくー・・・のってなの』
あんまりにせがむので、仕方なく乗ってあげる事にした。案の定、漕ぐ事もままならないほどの大きさ。
これで何しろというんだろう?と思いつつちなみを見ると、ちょっと切なそうな顔をしていた。
「ちなみ?」
『このじてんしゃ・・・もうあえない・・・にぃにのなの』
亡き兄の自転車に、俺が乗る・・・何か思う事がいっぱいあるんだろうな。
立ち上がろうとしたらバランスを崩してどてっと転げてしまった。どうやらさっきのダメージが
意外なところで出たみたい。それを見たちなみはくすくすっと笑っている。
妹はちゃんと笑えるようになったよ、と空を見上げて会った事もないちなみの兄にそっと報告すると
それに答えるかのように、月が眩しい位に輝いていた。


前へ  / トップへ  / 次へ
inserted by FC2 system