その2

学校へ向かう途中、さて何の話をしようかと考えあぐねていた。
どんな話題を振っても、まともに返ってきそうにもない。
振り返り、後ろをちょこちょこと付いてくるちなみを見る。
目が合うと、気まずそうに顔を背けられた。
ふと、ちなみの黄色い帽子が目に入る。ランドセルには黄色いカバー。
「ちなみちゃん、1年生?」
やっと切り出せた話題。ちなみは、小さく頷いた。
しかし、これ以降話が続かない。同年代にする話はあれど、小学生が好きそうな話って何だろう。
考えていると、ズボンを引っ張られる感じがした。
その方向を見ると、ちなみがじっと見つめている。
こんな長い時間見つめあうのは初めてかもしれない。そう思い始めたとき、意外な質問をされた。
『にぃには・・・そら・・・とべるの?』
言われた直後、何を聞かれたのか理解できなかった。理解したあと、今度は返答に困った。
普通なら飛べるはずもない。けれど、子供相手に普通の答えを言っていいものか。
いっそ、ブーンとか言いながら飛んでる真似でもしようかと思ったが、笑ってくれそうにもないので
止めておいた。
結局、普通に「飛べないよ?」と答えるしかなかった。
ちなみは、また俯いて『そっか・・・』となにやら不満げな様子。
やっぱり冗談の一つでも言っておくべきだったか・・・と思った瞬間、次の質問が来た。
『じゃぁ・・・まほう・・・つかえる?』
これまた答えづらい。手品でも出来れば、これが魔法だよ?って言えるのだろうが、
生憎俺は文字通り「子供騙し」すら事もできない。
俺の表情から読み取ったのか、ちなみは再び俯いた。
『そらも・・・とべない・・・まほうも・・・つかえない・・・そっか・・・そうなんだ・・・』
なにやら一人で納得してくれた様子。
もしかしたら、ちなみも俺と同様に、引越ししたお隣さんは超能力が使えるとかそんな類の
期待をしていたのかもしれない。
何だかんだで、俺とちなみは結構似てるのかもしれないな・・・。
が、次の一言で打ちのめされた。
『にぃに・・・だめだめ・・・なんだ』
今時の小学生相手には、空も飛べないとダメ扱いされるらしい。
『しょーがない・・・いやだけど・・・ちなが・・・めんどう・・・みてあげる・・・』
あまつさえ、完全に下に見られてる始末。
ため息をつくと、小さな手が俺の小指をそっと握ってきた。
『がっこうまで・・・つれていかせて・・・あげるの・・・』
振り向くと、ちなみが真っ赤な顔でぼそっと呟いた。
それからはずっと無言だったが、繋いだ手は楽しそうに大きく振られていた。

久しぶりの小学校。正門付近で顔見知りの教師を見つけた。
「せんせ!久しぶり」
「おぉ、別府か。いつも遅刻ギリギリのお前が珍しいな」
小学校6年の時の担任の先生は、卒業しても変わらない笑顔で迎えてくれた。
「この娘、家の隣に引っ越し来たんだ。今日からここに通うからつれてきた」
前に立たせようと繋いだ手の方見ると、いつの間に居なくなっていた。
ふと見ると、先生の隣で『よろしく・・・おねがい・・します』と挨拶をしていた。
俺が家から連れて行くときとは違う早さだ。
「話は聞いてるよ。一旦職員室に行こうか?」
先生はそういって、ちなみを連れ立って職員室の方へ歩いていった。
少し歩いたところで、ちらりとちなみが振り返った。
軽く手を振ると、恥かしそうな顔ですぐに前を向きなおし、ぱたぱたと小走りで行ってしまった。

教室に入ると、案の定誰もいない。自分の席に座り、机に突っ伏す。
聞こえてくるのは、部活の朝練の声。そういえば、もう引退してしまったが、少し前までは
あの声の中に、自分の声も入っていたんだよな。
そんな事をぼんやり考えていると、突然ドアが開く音がした。
ビックリして音のした方を見ると、一人の女生徒が立っている。
メガネを掛け、三つ編みの髪型。間違いなく、このクラスのクラス委員長である音無さんだ。
委員長もまた、俺が居る事が予想外だったらしく、こちらの方向を驚きの眼差しで見ていた。
しばらくして、ようやく事態を把握できたのか委員長が教室へ入ってきた。
そして、自分の席−俺のすぐ隣なのだが−に鞄を置くと、小さな声で『おはようございます』と告げ
教室の前の方へパタパタと走っていった。そして、花瓶の水を交換したり、教壇を拭いたりと
せわしなく動き回っている。
特に話す事もないので寝ようかと思ったが、何故か気になって眠れない。
再び委員長を見ると、黒板の上の方の落書きを消そうとピョンピョン跳ねている。
小柄ゆえに1度のジャンプでは殆ど消せず、何度も何度も。さすがに見かねた俺は、手伝おうか?と
声を掛けよう近づいた瞬間、着地でふらついた委員長がもたれかかってきた。
とっさに手を広げて、抱きしめる形で受け止める。手から滑り落ちた黒板消しが地面を跳ねる音が響く。
しばらくそのままの体勢で・・・1分・・・2分と経過。そして、ようやく状況を把握できたのか
委員長は慌てて俺から離れ、胸の辺りに両手を押し当てながらじっとこちらを見ている。
半分ずれたメガネをそのままに、やや荒い息遣い。そして、真っ赤な顔で。
不可抗力とは言え、さすがに不味かったと思った俺は謝ろうとしたが、謝罪の言葉を言う前に
教室から走り去ってしまった。
一人残った俺は、黒板消しを拾い上げ、黒板の残りを消して席に着いた。そして、何て謝ろうかと
考た。
俺としては大した事ではないと思うが、本人としては走り去るほどのショックだったのだろう。
抱きつかれたとか告げ口に行ったのではないだろうか?それとも、家に帰ってしまったとか?
考えが悪い方向悪い方向へと進んでいく。
それからしばらく経って、委員長は戻ってきた。俯きながら、ゆっくりと隣まできて椅子に座る。
次の言葉が言い出しづらい重たい雰囲気。ようやく決心が付き、委員長と呼ぶと体をビクリと震わせ
恐る恐るといった感じでこちらを見た。
「さっきはゴメン。手伝おうと思ったら、急に倒れ掛かってきて、つい・・・」
そう言うと、委員長は軽く頭を横に振った。これは、気にして無いという事なのだろうか?
再び俯き、しばらく間があってから、小声で話し始めた。
『いきなりなので・・・驚きました』
そして、一呼吸置いて続ける。
『わ、私・・・そういうのダメなので・・・近づかないでください』
グサリと胸に刃物を立てられたような感じがした。やはり、ショックだったようだ。
なんと言えば許してくれるのだろうと考えた。が、これ以上何も言葉を見つけることができない。
委員長は鞄から単行本を取り出すと、さも俺が居ないかのように読み始めた。
『もう話しかけないで』といわんばかり。
こうなっては、弁解の余地すらない。だから、もう考えるのを止めて、あとは委員長がそんなに
怒ってなくて、明日になれば忘れてくれているという事を祈るばかり。
それからしばらくして、ようやく一人、また一人とクラスメイトが登校してきた。
俺の姿を見るや否や、口々に「どうした?」だの『え?私、遅刻?他の人は?』等と驚いていた。
最初は早く起きたから、と説明したが、次第に面倒になり、寝てる振りをしてやりすごす事にした。

まったく、とばっちりもいい所だ。朝早く起きなきゃいけない、小学生にバカにされる、
委員長には近づかないでとか言われるし散々。
授業でも、分からない問題に限って答えさせられるし。弁当も、大好物のミニハンバーグを
うっかり落としてしまうし。普段ではありえないほどのツイてなさだ。
これもちなみが来た事による「特別」なのだろうか?そういえば、ちなみは上手くやれてるのかな?
こんな中途半端な時期に転校してきても、すでに出来上がったグループの輪に入っていくのは
難しいだろうな。引っ込み思案っぽいから、尚更だ。
午後の授業、眠い目を擦りながらずっとそんな事を考えていた。
放課後になり、クラスの何人かとひとしきり遊んだあとに教室を出た。
窓の外はすっかり暗くなっている。もう秋も終わろうとしているんだな・・・と改めて実感した。
やがて冬になれば、いよいよ受験勉強も本腰を入れてやらなくてはいけなくなるだろう。
下駄箱で靴に履き替え、校庭を横切っている最中、正門の向こうに見える木の近くに人が立っている
のが見えた。黄色い帽子とランドセル、どうやら小学生らしい。
そこまで遅い時間では無いが、すでに暗くなっているので、早く帰ればいいのに・・・と思いながら
横を通り過ぎようとした時、不意に声が掛かる。
『にぃに・・・おそいです!』
驚いて振り返ると、いきなり抱きつかれた。慌てて顔を確認すると、ちなみだった。
うっすらと涙を浮かべて、怒ってるような喜んでるような、どっちとも付かない表情。
そして、俺の腹のあたりに顔を埋めるとすりついてきた。
しばらくして、ピタリと動きが止まると、クルリと背を向けた。
『にぃにが・・・おそいから・・・だもん・・・だから・・・しょうがなく・・・だもん』
モジモジとしながら、ぼそぼそと言った。
俺からしてみれば、遅いもなにも待ち合わせをした覚えはない。そもそも、母親は迎えに来なかった
のだろうか?
「ちなみちゃん、どうして待ってたの?」
問いただすと、俯きながら振り返る。髪の毛の先っぽをクルクルと指に巻きつけては離してを繰り返す。
たっぷりと間を置いたあと、俺を睨むように顔を上げた。
『かえりみち・・・わからないから・・・だめにぃにが・・・ちゃんと・・・おしえないから・・・』
言い切ると、ほっぺを膨らませて怒っていますとアピール。
さほど難しい道順でもないので、覚え切れない訳はないと思うのだが。相手は小学生だし、もしかしたら
そういうのが苦手なのかもしれない。
俺はゴメンと謝り帰るように促すと、行きと同様に小指を掴んできた。いや、今度は薬指も掴まれてる。
ちょっとは距離が縮まった・・・という事なのだろうか?

帰り道、相変わらず話もないので学校の事を聞いてみた。案の定、何も言わずに俯くだけ。
でも、ずっと不登校みたいな感じだったわけだし、学校へ行っただけでも褒めてあげるべきなのだろう。
名前を呼んで立ち止まらせると、帽子を取り頭を撫でてあげた。
「今日一日、よく頑張ったね。偉いぞ」
最初は戸惑っていたが、顔に赤みが差し、頬が緩んでいる。どうやら、喜んでもらえてるのかな?
『ふ〜ん・・・このくらい・・・なんともないもん・・・ふつうだもん・・・』
そうは言いつつも、今までで一番の笑顔。笑うとこんなにも可愛いんだな。

ちなみの家の前に着くと、ちなみの母親が小走りで出てきた。
『今日は一日すいませんでした』
何度も頭を下げるのを見ていると、何故だがこちらが申し訳ない気持ちになる。
ちなみを先に家へ入らせた後に話しを聞くと、迎えに行ったが、一人で帰れるからとちなみが先に帰って
と言ったらしい。母親は、本人の好きにさせてやろうとそのまま帰って来たと。
『もしかしたら、別府さんのお兄さんと一緒に帰りたかったのかも・・・』
それならそうと言えばいいのに。まったく素直じゃないな、とため息をついて、ちなみの部屋を見上げた。
窓からこちらを見ていたちなみは、俺の視線に気がつくと、サッと引っ込んでしまった。


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