その4

友達を作るために買った下敷きを早く使いたいのか、ちなみは昨日よりもさらに早い時間に部屋へ
やってきて文字通りたたき起こされた。
そして追い立てられるように朝ごはんを食べ、着替えをして家を出た。
上機嫌のちなみは、満面の笑みを浮かべながら繋いだ手を大きく振っている。ここまで喜んでくれて
るなら、それだけでも買ってあげた甲斐があったというもの。
しかし、これで本当に友達ができるのかは分からない。期待しすぎると落とされるという事は他なら
ぬ、ちなみ自身から学んだ教訓だし、少し釘を刺しておく必要がありそうだ。
「ちなみちゃん、楽しみ?」
『むふふ・・・うん・・・たのしみ・・・』
「もしもダメだったら、また一緒に考えような?」
ちなみは不思議そうな顔で、こっちをじーと見詰めてきた。上手く話が伝わらなかったのだろうか?
それならもっとストレートに話したほうが良いか。
「いやほら・・・クラスの子達がさ、下敷きに興味持ってくれないかもしれないだろ?」
『む・・・』
急に忘れ物を思い出したかのようにピタリと止まるり、やや俯くと考え込み始めた。
足で何かを蹴っているような仕草を何度かした後、顔を上げた。
『そしたら・・・にぃにの・・・さくせん・・・しっぱい・・・ざまーみろ・・・なの』
思わず俺のせいかよ!と突っ込みを入れたくなったが、ぐっと堪えた。やっぱり学校に行きたくない
とかグズられるよりはよっぽどましだし、何よりも表情は前向きだったから。
多少の事ではへこたれそうにもない、大丈夫そうだなと思った。
『にぃには・・・だめだめだし・・・だから・・・うまくいく・・・はずないもん』
前言撤回、こいつは一度痛い目を見たほうが良いと思った。
そうは言いつつもやっぱり楽しみなのか、ちなみの足取りは軽い。一方で早く着いてもやる事がない
俺の足取りは重い。結局、ちなみにグイグイと引っ張られる形で学校へ向かう事になった。

教室に入ると、委員長はすでにパタパタと走り回っていた。やっぱり一番最初に来ないと気がすまない
のだろうか?
おはようと挨拶をすると、こちらをチラリと見て軽く頷いた。机に鞄を置いて、周りを見渡す。
ここ2日、委員長の朝の仕事を見ていたので、もう粗方は済んでいるというのが分かった。
あとは黒板を残すのみ、だ。
委員長は黒板消しを片手に、こっちへ向かってきた。そして、まるでプレゼントを渡すかのように
こちらへ差し出した。
『こ、黒板・・・消したかったら・・・その・・・や、やっても良いですよ?』
別に好き好んで消したい訳ではなくて、上の方が届かなくて大変そうだから手伝ってあげようと
思っただけなんだが。
説明しようと思ったが、委員長の遠慮がちな上目遣いに負けて、無言で黒板消しを受け取って
しまった。これで、黒板の掃除はこの先ずっと俺の仕事になるのだろうな。
一日も早く、ちなみに朝一緒に登校するような友達ができる事を祈るばかりだ。

黒板を消し終わり席に戻ると、机の上に小さなピンク色の包みが置かれている事に気がついた。
いまだに二人しか居ない教室、置いた主は委員長しかいないはずだ。
「委員長、これは?」
声を掛けると、ビクリと体を振るわせ、ゆっくりとこちらに向き俺の顔を見る。
そして、俺と目が合うとすぐにもとの体勢に戻ってしまった。
『あ、あの・・・そ、それは・・・ご・・・ご・・・ご褒美です』
最後の方は凄く小さな声で聞き取りづらかったが、たしかにご褒美といったような?
何か褒められるような事でもしたか?と悩んでいると、委員長は再びこっちを向いた。
『い、言っておきますけど、別府君のために作ったわけじゃないですから』
「は?」
包みを開けてみると、小さなクッキーが3枚ほど入っていた。
『女の子同士でお菓子を作って持ってくるのが流行ってて・・・そ、その余りものです』
真っ赤な顔で言い切ると、元の体勢にもどり本の続きを読み始めてしまった。
しかし・・・
「本、逆さに読んでないか?」
慌てて本を元に戻して、こちらをジロリと睨んできた。
いつも冷静な委員長らしからぬ行動。良く解らない事ばっかりだが、こうやって何か物をくれた
という事は、少なくとも嫌われてはいないんだな。
そう結論付けて、授業が始まるまで寝ることにした。

授業が終わると真っ先に教室から出た。何だかんだ言っても、やはりちなみの事が気になる。
もし、いつもの木の下で待っていたら・・・つまりはダメだったという事。逆に、居なかったら
一緒に帰ったりする友達が出来たという事だ。
何故か自分の事のようにドキドキしながら、校庭へ飛び出す。遠く正門の向こうに見える
木の下には・・・誰も居ない。
そのまま駆け寄り、念のために木の裏、そして枝の方まで確認したがちなみは居ない。
「そっか・・・上手くやったんだな」
独り言を呟くと、これまでずっと繋いでいた左手が酷く冷たく感じる。
その手をポケットに突っ込むみ、一人家に帰る事にした。
ちなみの家の前を通りかかった時、二階の窓を眺めてみたが、人の気配は感じられない。
友達と遊びにでもいったのだろうか?これで、俺も日常の生活を取り戻せると思うと、嬉しい反面
何だか少し寂しい気がした。

晩御飯も近い時間、インターホンのなる音がした。こんな時間に来客とは珍しいな・・・と思っていると
名前を呼ばれる声。下の階へ降りると、玄関にちなみの母親が立っていた。
『あの・・・ちなみは今日一緒じゃなかったんですか?』
背筋に冷たいものが流れる。ちなみは先に帰ってなかったのか。
すぐさま着替え、ちなみの母親に心当たりを探してくると伝えて家を出た。可能性で言えば、友達と
遊んでいて帰りが遅いだけという事も考えられる。しかし、このときは不思議とあの木の下で泣いて
いるちなみの姿が心に強く浮かんだ。
通いなれた道ではあるが、夕闇の中では不思議と知らない道のように感じる。その道を全力で走りぬけ
ようやくあの木が見えた。そして、その木の下でうずくまって泣いているちなみの姿も。
一安心だが、置いて帰ってしまった事をなんと言われるかを考えると少しだけ気が重い。
かと言って、そのままにもしていられないので、近寄って声を掛けた。
「ちなみちゃん」
ゆっくりと顔を上る。声の主が俺だと分かると、まるで幽霊でも見たかのように目を丸くした。
そして、ぱっと立ち上がるとそのまま抱きついて、わんわん泣き始めた
『ちな・・・ちな・・・ふぇぇぇ・・・』
どんな罵声を浴びせかけられるかと思ったが、泣かれるとは思わなかった。軽く頭を撫でてやると
抱きしめる手に力を込め、泣き声と一緒に何だかよく分からない事をあれやこれやと言っている。
とりあえず泣き止むまでは家に帰れそうにもないな。覚悟を決めて、頭を撫で続けてあげることにした。
少し収まったのか、ふっと俺の顔を見上げる。つむじに辺りをクシャクシャと撫でてあげると
ちょっとだけニコッと笑った。笑ったかと思ったら、すぐにむくれた顔。
『ちなに・・・だまって・・・どっかいっちゃ・・・めー・・・だよ?』
「先に帰って悪かったよ」
『ほんとに・・・ほんとに・・・だよ?』
「分かったって」
その言葉を聞いて納得したのか、やっと離れてくれた。安心したのか、ぐーっとお腹の音がなった。
お互いのお腹と顔を見合わせる。
『ち、ちなじゃ・・・ないよ・・・にぃに・・・だよ?』
「俺じゃないよ。ちなみちゃんだろ?」
『ちなじゃないから・・・にぃにに・・・きまり・・・なの!』
ぷいっとそっぽを向いてしまった。確かに晩御飯時だし、腹の虫が騒いでもおかしくないな。
「そうだね、今のは俺だな。お腹すいたから帰ろうか?」
ここで言い争っても不毛なだけ。俺の腹の虫も騒がないうちに帰った方がよさそうだ。
「それじゃ、行こうか?」
手を繋ごうとしたが、ちなみはに払いのけられてしまった。不思議に思ってると、ちなみは
やや俯きながらボソッと答えた
『ち、ちな・・・つかれたから・・・おんぶして・・・なの』
正直、俺もここまで走ってきたので疲れてはいる。とはいっても、ここでまたゴネられても面倒だし
最後の力を振り絞ってお願いを叶えてやるか。
背中を向けて、しゃがみこむ。ちなみは、俺の背中をペシペシと2度3度たたいた。
「こらこら、早く乗りなさいって」
やや間があって、急に重みを感じた。どうやら、飛び乗ってきたようだ。
ふらつきながらも何とか立ち上がると、家の方向へ歩き出した。

帰る途中、下敷きの効果を聞いてみた。
『んとね・・・ともちゃんと・・・ゆかちゃんと・・・さきちゃんと・・・』
色んな名前が次から次へと出てきた。要約すると、下敷きの効果で友達がそれなりに出来たと。
放課後にその子達と少し遊んでて、いつもの場所に来るのが遅かったから入れ違いになったみたいだ。
「それならさ、その子達と朝も帰りも一緒にしたら?」
俺自身が一番そうなって欲しい事を言うと、急に頭をベシベシ叩かれた。
『にぃには・・・ちなのため・・・ひとのために・・・やくにたたなきゃ・・・めー・・・なの』
今度は髪の毛を引っ張ってくる。
『ほんとうは・・・ちな・・・にぃにと・・・いっしょは・・・やー・・・だけど・・・』
「イタタタ、痛いって」
『しょうがなく・・・だから・・・ね?』
「分かったから、やめれって」
顔は見えないが、きっと『しょうがなく』って顔はしていないのだろう。すこしずれ落ちてきたので
背負いなおすと、おでこの辺りをぎゅっと抱きしめられた。
それからは特に会話もなく、ゆっくりと来た道を戻る。ふいに、後ろからすやすやと小さな寝息が
聞こえてきた。いっぱい遊んで、いっぱい泣いて疲れたのだろうな。
「今日も一日良く頑張ったね」
返事の代わりに、小さく『んに・・・』という声が聞こえた。


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