その6

今日は待望の土曜日。平日はずっとちなみに振り回されていた感じだったので
こうやってダラダラと惰眠を貪れるのが非常に嬉しい・・・はずだった。
目覚まし時計を見ると、朝学校へ向かう時間。その前に目が覚めたときは、最近いつも
起こされてる時間。
習慣とは恐ろしいもので、学校に行かなくて良い日でも普段と同じように目が覚めてしまう。
ちなみと出逢ってまだ1週間。すでに体がこのリズムに慣れてしまった事が意外に思える。
いや、ひょっとするとちなみが来るんじゃないかと内心期待してるのかもしれない。
こっちは昨日の夜更かしで眠いのに、そんな事お構い無しに部屋にやって来て
『にぃには・・・ちなと・・・あそばなきゃ・・・めーです』
とか言いそうだ。
迷惑極まりない事だが、何故だか楽しんでる自分が居るのも否定できない。
そう思い始めた時には、眠気も吹き飛んでしまった。このまま布団に居るのも何だか時間が勿体無い
気がしたので、とりあえず朝ごはんを食べる事にした。
下の階に降り、この時間に一人で起きてきた事を驚く母親を横目に、トースターへパンを放り込む。

朝ごはんが済むと、小説の続きを読み始める事にした。
冴えないどこにでも居るような高校生に所へ、ある日天使が舞い降りる。そして、一緒に探しものを
して欲しいと頼む。探し物は何かと尋ねると分からない。その良く分からない物を探しながら
主人公は自分には何が出来るかを見つけていく。
今読んでいるのはそんな感じの物語だ。
まだ序盤なので謎だらけな事もあり、ついつい夜更かしまでして読み込んでしまう。
とは言っても、この本に限らず読書で夜更かしはしょっちゅうだが。
ドスッ
突然どこからともなく、何か鈍い音が聞こえた。部屋中見回すが、何もおかしいところは見つからない。
気のせいと思い視線を本に戻そうとした瞬間、視界の端に何かが映った。
窓の外に・・・何か居る!?
曇りガラスなのでハッキリとは見えないが、動く白い影が居るのは確かだ。
さっきの小説のように天使なら大歓迎だが、そんな事があるはずもない。だとすれば、ネコか鳥か?
それにしては大きい。まさか・・・泥棒!?
そう考えた瞬間、心臓の鼓動が早くなる。こんな真昼間に、よりによって家にくるなんて。
人の気配がある家に入ってくるのだから、何か凶器を持っているのだろうか?もしそうなら、部屋に
入られたらタダじゃ済まない。
後で考えれば逃げるという選択肢もあったはずだが、武器になりそうとその時思った英語辞書を片手に
不意打ちを食らわせるべく、勢い良く窓を開けた。

『ふぇ・・・あっ・・・』
目の前には驚いてバランスを崩しかけている女の子。それがちなみだと解ったのは一呼吸置いてから。
慌てて手を伸ばし、ちなみの腕を掴む。そして引き寄せ、辞書を投げ捨て開いた手を使い今度は両手で
脇の下に手を入れて一気に引き上げそのままベットへ放り投げた。
一連の動作が完了した後で、自分が一体何をしたのか把握する。火事場のバカ力というか、無意識で
ここまで出来たのは我ながら凄いと関心した。
ベットの上のちなみもまた放心状態から帰ってきたらしく、俺の方をじっと見詰めている。
「ちなみちゃん、ウチの屋根で何してたのかな?」
あわや大惨事となりかけたのだから、納得いく説明をしてもらわなければ気が済まない。
そんな俺の気持ちが伝わったのか、俯いたままぼそぼそと何か呟いている。
「ちゃんと言ってごらん?怒らないから」
そう言うと、『本当に?』と言わんばかりの目でこちらを見てきたので、頷いて見せた。
『ちな・・・ひまで・・・しょーがないから・・・にぃにに・・・あそばせて・・・あげようかなって』
遊ばせてあげようとは、こんな時でも上から目線で物を言う娘だな。
『に、にぃにが・・・きゅうに・・・まど・・・あけるから・・・びっくりした・・・』
さらにほっぺたをプクッと膨らませて、さも今のは俺が悪いと言っているようだ。
「あのさ・・・何で普通に玄関からこないのさ?」
『べ、べつに・・・そんなの・・・ちなの・・・かってだもん・・・』
「もし落ちたら大怪我するだろ?危ないじゃないか!」
納得がいかない説明についついイライラしてしまい、大人気なく大声を出してしまった。
ちなみの表情が見る見るうちに変わる。体を小刻みに震わせ、下唇を噛み、目には一杯涙が溜まっている。
やばい・・・と思った瞬間、堤防は決壊し轟音と共に大量の水が溢れ出す。
『ふぇぇぇぇん・・・ごめんなさいなの・・・おこっちゃ・・・やー・・・ふぇぇぇん』
泣く子を目の前にすると、どうしてもこっちが悪いように思えるから不思議だ。
「いや、その、大声だして悪かったから。怒ってないから?」
その時、誰かが階段を登る音。もしドアを開けられて、この光景に出くわしたらどう思われるだろう?
―幼女を無理やり部屋に呼び込び、悪戯して泣かせた
新聞の見出しになりそうな文字が浮かぶ。たとえそれが親であっても、見られたらマズイ気がした。
泣いてるちなみを布団の中に押し込み、テレビをつけた。
それと同時にドアが開く。
『何かうるさいけど・・・何してるの?』
明らかに不信な顔つきで母親が部屋に入ってきた。
「え?あ、テレビつけたら・・・音量が大きくてさ。今下げたから」
取ってつけたような言い訳だと自分でも思う。ちらりとベットの方を見ると、声こそしないものの
もそもそと動いているのが明らかだ。
「あ、あのさ・・・お昼!母さんの作ったミートソースでスパゲティが食べたいな」
そう言いつつ、母親の前に立つ。これで部屋の中は見えないはずだ。
母親は、材料あったからしらねぇ?と考えてる仕草で部屋を出て行った。階段を下って台所へ向かうまで
見届けてやっと安堵のため息をつけた。

ベットに戻り布団をめくると、いまだ泣き止まないちなみがぐずついている。
「もう怒ってないからさ・・・ね?」
髪をすくように撫でてあげるとようやく落ち着いたのか、むっくりと起き上がった。
『ぐすっ・・・ほんとに・・・おこってない?』
「あぁ、本当に本当」
これで泣き止んでくれる・・・と思いきや、また表情を崩す。
『ひっく・・・にぃに・・・にぃに・・・ふぇぇぇん』
泣きながら俺に抱きついてきた。今度は何が悲しいと言うのだろうか・・・。
とりあえず一緒に布団に入り、頭まで掛け布団をかけた。そして、ぎゅっと強めに抱きしめる。
こうすれば、少しは声が外に漏れないだろう。
頭を撫でながら、面白い事も無いが平穏だった先週までの事を思い出す。
何故かもう戻れない、二度と来ない・・・そんな遠い日の事に思えた。

胸元がもぞもぞするのを感じて目を覚ました。
昨日の夜更かしが祟ったのか、それとも安心して気が抜けたのか、寝てしまっていたらしい。
薄目を開けると、ちなみが赤い顔でこっちをじっと見詰めている。
強く抱きしめて苦しかったのかな?そう思って、腕に込めている力を抜くが一向に離れようとしない。
それどころか、開いた隙間を埋めようとちなみの方から抱きしめてくる。
「ちなみ・・・ちゃん?」
声を掛けられたちなみがビクリと体を震わす。
『に、にぃに・・・おきて・・・るの?』
驚いたように目を見開き、何か言いたげに口をパクパクさせている。
俺が頷くと、急いで布団から這い出した。
『えっと・・・その・・・えっち!』
起き上がる同時に飛んできたマンガ本を慌てて避ける。
ちなみはぷいっとそっぽを向いてしまった。
「あれはさ・・・その・・・親に見られると俺もちなみも怒られちゃうだろ?しょうがないんだってば」
いや、多分怒られるのは俺だけだろうけど。こうでも言わなきゃなんとなくカッコつかない気がした。
だって・・・一応女の子だし。成り行きとはいえ、布団で抱き合ったなんて・・・ちょっとなぁ。
『そ、それなら・・・んと・・・ゆるして・・・あげなくもない・・・けど』
とりあえずお許しが出て一安心。ここでまた騒がれたら堪ったものではない。
やっとこちらに振り向いてくれたが、顔はまだ赤いまま。そして上目遣いで俺を見ながら
指で髪の毛をクルクルしては離すを繰り返している。
『そのかわり・・・きょうは・・・ちなと・・・あ、あそぼ?』
元から来るんじゃ無いかと多少は覚悟していたし、こっちも予定はないので断る理由もない。
いや、それ以上にその仕草でしてやられた。だって・・・もの凄く可愛いと思ったから。
そんな俺は、大きなため息をつきながら「はい」と言うしかできなかった。

今からでは時間的に中途半端なので、お昼ご飯が済んでからという事にした。
ちなみは服の乱れを整えて、窓に腰掛ける。
改めて見ると、白いワンピースに白い靴下。その服装に先ほど読んだ小説を思い出す。
いきなりやってきては、やりたい放題。まさに、ワガママ天使そのものだ。
『んと・・・ここにきたのは・・・ぱぱと・・・ままには・・・ないしょだよ?』
口元に人差し指を当てて、しーというジェスチャー。こちらとしても、下手に話されれば
警察沙汰にもなりそうなのでありがたい。
『あと・・・まどは・・・かぎ・・・かけちゃ・・・めー・・・だよ?』
「また来るつもりか?」
『もちろん・・・にぃには・・・ちなの・・・やくにたたなきゃ・・・めー・・・だからね?』
何かとんでもない爆弾を抱えたような気がしてならない。そうは思っても、心のどこかでは
とても楽しんでいる。だって、マンガやアニメとかでよく見るような事が自分に起きてる訳だし。
・・・相手がかなり年下の子供という事を除けば、だが。
『とーう』
間の抜けた気合の声と共に、ちなみは窓から屋根に飛び乗った。
そして屋根と屋根の間・・・そこには確か、物置があったはず・・・そこの屋根を経由して、自分の家の
屋根に飛び移る。開けっ放しの窓に手を掛けて、芋虫がはいずるように頭から部屋に入っていった。
「・・・クマさんか」
相手がいくら小さな子供と言えども、スカートの中に自然と目が行くのは悲しい男の宿命だと思う。
部屋に入る直前に見えたバックプリントのクマがこちらに微笑んでいた。


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