☆出会いの物語☆

私が彼を意識し始めたのは保育園時代にまで遡る。
生まれつき近眼だった私は当時からメガネをかけていた。
今ではクラスに何人も居るが、保育園の頃は片手で数える程。珍しさと私の内気な性格も相まって、男の子
からイジメられる事がしょっちゅう。・・・一番忘れたい思い出。
その日もいつものようにイジメられていた。逃げ出した私は本の沢山ある部屋に追い込まれる。
そして、何度も聞かされた悪口に泣きたくなったその時。
「おまえら、うるさい!どっかいけ!」
振り向くと本を片手に睨み付ける男の子。
あまりの凄みにイジメっ子は退散し、私はその場に座り込んでしまった。
怒られるのとばかり思ったが、男の子は何事もなかったように床に座り本を読み始める。
しばらくして、ぱたっと本を閉じると私に差し出す。
「これ、おもしろいよ。よんでみて」
半ば強引に手渡すと、男の子は次読む本を物色し始める。私は言われるまま本を読み始め、そしてすぐに
本を読む楽しさに目覚めたのであった。

その男の子は、みんなでお遊戯とかするとか以外はずっとその部屋で本を読んでいた。
私もその隣で男の子の読み終わった本を読んでいく。
一緒にいる間はイジメられることも無いので、私はずっと行動を共にするようになった。
守ってくれるという気持ちの方が強かったので、友達というよりはお兄さんみたいな感じ。
お兄さんよりはもっと・・・そう、眩しくて一緒にいるとドキドキさせられる存在。
今なら間違いなく恋をしてると分かるけど、昔の私には恋心なんてわからずにずっと憧れていただけ。
だから読んでいた絵本に描かれていた祈りの象徴とあわせて「天使」だと思っていた。

天使は私の事は気にする様子もなく、ひたすら本を読む。そして、読み疲れれば寝てしまう。
あくびをすればお昼寝の合図。私も本を閉じて一緒に寝る。
保母さんにもらった、二人よりそって寝ている写真は今でも私の宝物。
しかし、楽しい時間は長くは続かない。卒園を迎えてしまった。
結局話らしい話は殆ど出来なかったので、最後の最後で勇気を出して尋ねた。
『なまえ、きいていい?』
「べっぷたかし」
そう言って、舞い散る桜の花びらと共に天使は去ってしまった。

小学校に入ってすぐに別府君を探した。しかし、学区が違ったらしくその姿は見つからなかった。
居ないと分かった日には、すごく泣いた。もう二度と会えないんだなって。
それからの小学校6年間は別府君を忘れないように本を読みまくった。
そして時が流れ、中学校へ入るとようやく運命の再会を果たす事になる。
入学式、生徒の名前を一人一人読み上げる中に別府君の名前があった。
もちろん同姓同名の可能性もあったが、これはまさに奇跡の再会と信じて疑わなかった。
が、残念ながらクラスが違ったせいで姿をチラリとしか見ただけ。
友達に頼んでどんな様子か聞いてもらう事も考えたが、恥ずかしくて聞くこともできない。
結局、事あるごとに別府君のいるクラスの教室を横目で覗いたりする程度だけで2年間を過ごした。

そんなこんなでついに3年生になってしまう。
高校生になってしまえば、本当に二度と会えなくなってしまう最後の年。
その年・・・やっと同じクラスになった。
掲示板に張り出されたクラス替えの結果を前に、一人ガッツポーズ。
私の事、覚えててくれるといいな・・・と淡い期待を胸に新しい学年がスタートした。

そんな淡い期待は、新学期早々に打ちのめされる事になる。
品行方正、成績優秀という私の中の別府君イメージと本人はかなりかけ離れていた。
毎日遅刻ギリギリで来る、休み時間は大抵寝てる、そしてクラスの行事に積極的でない。
成績の方もそこそこ・・・という感じ。
一番気に食わないのは本を読まない事。私を本好きにさせておいて、自分はさっさと辞めてしまった
と思った。
何故だか、私自身が捨てられた・・・そんな感じがした。
怒った私は、クラス委員長という立場もあったので行動については逐一文句をつけた。
文句と言っても、性格ゆえにあんまり強くは言えなかったせいか、あまり効果もなかったけど。
勝手なイメージを作って、そぐわないから文句を言うなんて・・・と毎日のように自己嫌悪に陥る。

そんなある日、本屋さんでバッタリと別府君と出あった。
別府君は私と同様に何冊も本を重ねてレジに持っていくところ。
『別府君・・・その本は?』
「ん?こういうの好きなんだよ」
『う、嘘・・・だって学校じゃ読まないじゃないですか?』
「誰にも邪魔されたくないんだ。学校だとどうしても周りが騒がしくてさ」
ニッコリ笑う姿に、保育園時代の天使の姿を思い出す。
そっか・・・昔からちっとも変わらないんだ、と思うと胸にじわっと熱い何かがこみ上げる。
天使は再び翼を広げ、私の心の中を大きくそして高く飛ぶ。

☆その1の物語☆

その日もいつもと変わらない朝。そのはずだった。
授業の合間や休み時間に本を読みたい私は、大抵の雑事を朝のうちに済ませてしまうことにしている。
みんなの前でやってもいいのだけど・・・なんとなく『私は委員長だから仕事してあげてる』っていう
感じに見られるんじゃ無いかと思って。だから朝一番、誰も居ない時間にこっそり。
家でも勿論本を読むのだけど、やっぱり・・・私の中では別府君の隣で読むのが好きなんだと思う。
実は、これもまた運命なのか、私の隣の席は別府君が座っている。
あの時に戻ったような気がして、席替え直後はドキドキして授業が手につかなかったもの。
でも・・・別府君は相変わらず寝てばかり。一緒に本読もうよ?って言えたらな・・・。
落ち着いて読書したいのだから、言っても聞いてはくれないだろうけど。
いつものように別府君の事を考えながら教室のドアを開ける。

新しい物語へのドアだとも知らずに。

☆その2の物語☆

ドクン・・・

心臓が飛び上がる。そこには居るはずもない別府君の姿が。
夢かとも思った。けど・・・あまりにもリアルすぎる。半分寝ぼけたような表情の別府君としばし見詰め合う。
体の芯がカッと熱くなってくる・・・だって、こんなに見詰め合えるなんてとっても嬉しくて恥ずかしい。
現実なんだ、と思うと同時に足は別府君の方・・・もとい、自分の席の方へ。
外から聞こえる朝練が凄く遠くに聞こえる。二人きりの教室。二人だけの世界。
あともう少しで別府君とお話できる距離。精一杯の笑顔で『おはようございます』って言おう。
そこから・・・二人の物語は始めるんだ。

『おはようございます』
イメージとはかけ離れた小声。たぶん、顔だってこわばってたかもしれない。
だって・・・近くに行ったらドキドキしすぎて頭が真っ白になっちゃったから。
鞄を置いて、逃げ出すように教室を出てしまった。きっと、変な奴って思われたんだろうな・・。
とっさに持って出た花瓶を手にため息を一つ。急には・・・無理だよ。
でも、まだ終わった訳じゃないはず。手早く仕事を終わらせて、二人きりの時間を満喫しよう。
おしゃべりしたり、宿題見せ合いっこしたりすれば、いくらでも挽回できるはず。
花瓶の中の水のように、決意も新たに教室へ戻る。そして、いつもの仕事へと取り掛かる。
別府君が見てると思うとちょっと緊張するけど・・・けど、それもちょっぴり心地良く感じる。
教壇を拭いたり、出しっぱなしの本を片付けたり。黒板には今日も放課後の名残がビッシリ。
上の方は届かないから、書くなら下だけのほうにして欲しいな・・・と思いつつ、ジャンプして消す。
もう少し、もう少しで別府君とおしゃべりできる・・・いつもより頑張って消していると、着地の感触が
いつもと違う。しまった・・・と思った瞬間、世界がナナメに傾く。
よりによって、別府君の前でなんて・・・カッコ悪すぎ。
ぎゅっと目を閉じて、地面にあたる衝撃に備える。

ぼふっ

予想よりも柔らかな感触。視界には天井ではなく、黒板が見える。そして・・・腹部に回された腕。
あれ・・・?これってどういう状況なんだろう?
転びそうになって・・・誰かに受け止められた・・・のかな?
この教室には私と・・・別府君しかいないはず。ということは、今別府君に抱きとめられてる!?
背中から感じるこのぬくもり・・・保育園の時寄り添って寝たとき以来。
あの時の記憶が蘇り、私の心の中を甘いシロップのようなものが満たしていく。
このままずっと・・・居られれば良いのに。

ふと視界の端に、廊下を通る人影が見えた。
この状況を見られたら・・・そんなの凄く恥ずかしい。甘いシロップが急にレモン果汁のように感じ、
体中が火照ってくる。
幸いにもこのクラスに用事がなかったようで、そのまま歩き去ってくれた。
こちらから見えなくなってから、やっと離れる事ができた。
どうしよう・・・何て言おう?顔、赤くなってないかな?別府君、嫌じゃなかったかな?
振り返ると、やや困ったような表情を浮かべている。
まずは、お礼を言わないと・・・そして・・・そして・・・ダメ、またドキドキしすぎて・・・。
気がつくと教室を飛び出し、トイレに駆け込んでいた。
洗い場の鏡には、真っ赤な顔で半分ずれたメガネの弱い自分が映っている。
『しっかりしなきゃ・・・最後のチャンスなんだぞ?』
メガネを直し、両頬をピシャリと叩く。・・・思い切り叩いたので、ちょっと痛かった。

教室に戻ると、真っ先に目に入ったのが綺麗なった黒板。
私の代わりにやってくれたんだ・・・迷惑掛けちゃったな。
別府君は何か言いたげな表情でこちらを見ている。まだ、『さっきはありがとう』って言う決心が
付いてないに、そんな顔で見ないで欲しい。・・・また逃げたくなるから。
なるべく顔を見ないように、席に座る。広い教室で、別府君と私だけが肩を並べて座っているんだな
と改めて思うと、嬉しくてどうかなりそう。
でも、その前にちゃんとお礼を言わないと・・・と思う気持ちとは裏腹に言葉がでない。
「委員長」
急に呼ばれてビックリする。何か言われるなんて考えてもなかった。
もしかして、怒ってるのかな?そうだよね、逃げちゃったし、黒板綺麗にしてくれたのに、何も言わないん
だもんね。
恐る恐る見た別府君の顔は予想に反して、済まなそうな表情。
「さっきはゴメン。手伝おうと思ったら、急に倒れ掛かってきて、つい・・・」
何で?何で別府君が謝るの?悪いのは全部私なのに。
慌てて否定の意味で首を振る。相変わらず言葉は出てこないまま。
しっかりするって決めたのに・・・全然ダメだよ。
返答する間を逃した私はうな垂れるしかなかった。

ちゃんと言わなきゃ。とにかく、何でもいいから伝えないと。
時間が掛かったけど、やっと何か言えそうな気がした。口を開けば、思いはそのまま言葉になるはず。
『いきなりなので・・・驚きました』
ようやく搾り出せた言葉に、別府君がこちらに向き直る。
うん、ちゃんと言うんだ・・・さっきはありがとうって。
『わ、私・・・そういうのダメなので・・・近づかないでください』
驚く別府君。そして、私。
今・・・何て言ったの?自分で言った言葉が心の中をこだまする。
多分、『手伝わなくても平気です』と『別府君まで転ばせるところでした』を言いたかったのだと思う。
自分でも何が言いたかったのかハッキリと分からないなんて、まるで今の自分は本当の自分じゃない
みたい。好きな人を前に緊張してるのだとしても、程があるというもの。
今は何を言っても、余計な事を言ってしまいそう。だから、話を終わらすため鞄から単行本を取り出した。
話しかけられなければ、変な事を言ってしまう事もないだろうから。
思うことは・・・さっきやらかした失敗をどう取り繕うか・・・という事ばかり。
本を開くと、まるで知らない国の言葉が書かれているようで、まったく頭に内容がはいらなかった。
授業もまた然り、である。
放課後、友達同士でふざけあう別府君を尻目に、失意のうちに帰宅。
言いたい事が言えないもどかしさと自分の弱さに枕を濡らした。

☆その3の物語☆

翌朝、鏡に映る自分はそれは酷い顔をしていた。
ずっと泣いていたので目は腫れぼったいし、寝不足なのでとても不機嫌そうに見える。
『学校休んじゃおうかな・・・?』
そう呟くと、余計に惨めに思える。
昨日はしっかりしなくちゃって、最後のチャンスだって決意したのに。
鏡の前で百面相してると、弱い気持ちで足に根っこが生えてきそう。まだ出かける時間ではないの
だけれど学校へ行く事にした。

登校中、ずっと別府君の事を考えていた。
今日も早く来るかな?そもそも、いつも遅刻ギリギリなのに、昨日は何で早く来たのだろう?
まさか・・・私に逢いたいから・・・とか?
ありえもしない妄想が膨らむのを寸でで止める。第一、私があの時間に来る事知らないだろうし。
でも、もう知ってるはず。それで・・・今日も早く着たとしたら。
両頬を手で触ると、熱くなっている。うわぁ・・・顔真っ赤になってるよね。
胸の奥がチクチクとする。別府君を思うといつもくる、憎らしくて愛しい痛み。
気が付くともう教室のドアの前。
居て欲しい気持ちと、居て欲しくない気持ちが入り混じる。

また変な事言っちゃったらどうしよう 二人きりで居られるのが嬉しい 嫌われちゃったかも
 きっとまだチャンスはあるよね 昨日のお礼を言わないと 謝るのが先かな

逃げ出したくなる気持ちをぐっと堪えて、扉を開ける。

「お、おはよう、委員長。昨日よりも早いね」
ドアを開けると、黒板を消している別府君の姿が。嬉しい反面、覚悟を決めてない気持ちが
足を引っ張り何も言えなくなってしまった。
結局挨拶すら出来ず、昨日と同じく花瓶を掴むと教室の外へ飛び出してしまった。
花瓶の水を捨て、新しい水で満たしていく。教室に戻りづらいので、いつまでも一杯にならなければ
いいのに・・・と思っていても満杯になり、ふちからあふれ出す。
同時にため息もあふれ出す。
いつまでもこうしていられない、8分くらいになるように水を捨てて花を生ける。
確かこの花の花言葉は・・・そう、「困難に打ち勝つ、ひたむきさ」だったかな?
花を見てると、何だか頑張れそうな気がしてきた。今度は・・・大丈夫なはず。
教室に戻ると、綺麗になった黒板が目に留まる。別府君は席にもどって、こちらの様子を伺っている感じ。
時計をチラリと見ると、昨日よりまだいくぶんか早い時間。今すぐ行って、言わなきゃいけないと
思ったけれど、まずは仕事を片付けてしまおうと逃げてしまった。
早々に挫折しそうな気持ちを別府君を見ることで奮い起こす。逃げてばっかりじゃ、前には進めないもの。
仕事を終えて席に戻ると体は自然と逃げる方向―小説を取り出してしまう。
ダメダメダメ、ちゃんと言うんだ。別に告白しようとか、そういう事じゃない。
ただお礼を言うだけ。それだけ。ありがとう、ありがとう。その5文字を言うだけ。
今度はちゃんという事聞いて、ちゃんと伝えてよね?そう自分自身に言い聞かす。
寝て無いかと、チラリと見る。・・・うん、大丈夫そうだ。
今だ・・・言うんだ。頑張れ、私!

『あ、ありがとう』

言えた・・・ちょっと小声になっちゃったけど・・・ちゃんと言えた。
嬉しさで飛び上がりそうになるのを必死に押さえる。たったこれだけが出来たから喜んでるなんて
バカみたいだし。
何事もなかったように冷静を装い、本を読んでる振りをする。
文字なんてまったく見えない。ただ、恥ずかしくて目も合わせられないのがバレなければいいから。

やっと気持ちを落ち着けると、別府君の方から視線を注がれている事に気が付いた。
私に何か言いたい事でもあるのかな?何か言い出すのを待っていると、照れくさそうにはにかんだ。
「あ、いや・・・委員長はさ、毎日色々と・・・教壇拭いたりとかしてるの?」
意外な質問。私はそのまま小さく頷き、本を読む振りに戻ってしまった。
「毎日やってるんだよね?大変じゃない?」
『べ、別に・・・』
お話するという事は、相手の目を見るという事。お礼を言うのもやっとだった私には、あれ以上の
長い話は体が持たない。話をしている間中別府君の顔を見続けるなんて、ドキドキしすぎて壊れちゃうか、
昨日みたいに変な事を言ってしまうかだ。だからなるべく短く済むように返答した。
ノリの悪い奴、と思われたかもしれないけど、これが今の私の精一杯だから仕方ない。
そんな私の態度を気にせず、一生懸命話かけてくれる別府君。
「委員長、例えば転校して、新しいクラスで友達作りたいとき、なにかいい方法はないかな?」
『ありません』
急に私について以外の質問。ついつい勢いで短く答えてしまった。
どういう意味だろう?まさか、別府君が転校するとか?3年生の秋に転校なんて・・・ないよね?
意図を聞きたいけど、さっきので勇気を使い切ってしまったから残量はゼロ。
今日は無理だよ・・・。
ツンケンな態度に嫌気が差したのか、別府君は机に突っ伏すと寝てしまった。
どうしよう・・・話しかけてくれなくなったら。折角同じクラス、席も隣になったのに、そんな状態に
なったら、残りの中学校生活、私の人生が暗いものになっちゃう。
『田村さん、去年転入してきました。彼女に聞いてみるはどうでしょうか?』
とっさに出た、起死回生の一言。人間、追い込まれると凄い力を発揮すると言われてるけど
私にもこんな事がいえるなんて・・・。
顔を上げた別府君と目があうと恥ずかしさがこみ上げてきたので、すぐに目を逸らす。
目も合わせられないなんて、自分の臆病さに嫌気がさす。
「委員長、ありがとう」
でも、その一言で救われた。こちらこそ、ありがとうございます、天使様。

お昼休み、別府君が田村さんのところへ向かうのが見えた。
私の提案を実行してくれる嬉しさよりも、他の女の子と話す事に・・・ちょっとヤキモチ。
しょうがないよね?誰だって好きな人が他の人と話すなんて、気持ちの良いものじゃないよね?
気持ちを誤魔化すために本を読むけど、気になってチラチラっと見てしまう。
ようやく戻ってきた別府君の顔は満足そう。上手く行ったのかな?
私の無言の問いかけに、バッチリだったというサインをくれた。
良かった、というよりは別府君の私に対する好感度が上がったかな?なんて思ってしまった。
意外と私って、打算的というか・・・ちょっとズルいのかな?目線を本に戻すと、ため息がこぼれた。

何はともあれ、別府君とお話できた。だから今日は良い日だった、うん。
そんな日はお菓子を作ると決めている。良い事があったら、私一人で味わわないで、みんなにお裾分け。
そうすれば、みんなが良い日になる。これも本を読んで、いいなって思って実践してる事なのだけど。
焼きあがったクッキーを近所の人に配り、残りは私と両親の分。
そこでふと思う。そうだ・・・これを別府君にあげよう。
きっと明日もずっと早く来てくれるに違いない、それならもっと仲良くなった方が良いに決まってるし
これをきっかけに、もっとお話できるし。
・・・問題は、私がこれを素直に渡せるか、だけど。
ピンク色の包みに何枚か入れて、リボンをかける。
美味しいって言ってくれるといいなぁ・・・と思いながら、慎重に鞄の中へと忍ばせた。

☆その4の物語☆

朝目が覚めてからずっと一つの事を考えていた。別府君にクッキーをあげる方法、について。
普通の人なら『はい、あげる』で済むのだけど、私にとってはその普通すら怪しい。
散々悩んだ挙句、黒板を消してくれるお礼にあげるという事にした。それ以外思い浮かばなかったから。
そしてクッキーはお礼のために持ってきてる訳ではなくて、クラスの女の子にあげるためで
ちょっと多く持ってきたから、お裾分けという感じで。
我ながら良く考えたと思う。考え付いた瞬間、おもわずニヤけてしまったほど。
はやる気持ちが自然と足を早く進ませたのか、昨日よりもやや早い時間に学校へ到着。仕方ないので
先に仕事を始める事にした。
廊下から足音が聞こえる度にドキドキ・・・別府君かな?違うかな?
もしかしたら、もういつも通りの時間にくるのかもしれない。そしたら、あげれなくなっちゃうな・・・。
暗くなる気持ちを押して仕事を続けているとドアが開く。
「おはよ、委員長」
来てくれた嬉しさでどうかなりそう。いっぺんに色々な思いが溢れて、挨拶が言葉にならない。
結局、軽く頷くだけ。それでも、私にしては頑張った方だと思う。
別府君は机に鞄を置いて、キョロキョロとしている。そして、黒板に目が止まった。
チャンス・・・だよね?掃除してもらって、お礼にどうぞって言わなきゃ。
黒板消しを片手に歩み寄り、一歩前。さぁ、言うぞ。

・・・なんて言うんだっけ?

そうだ、すっかり忘れてた。別府君が自主的にやってくれると思ってたから、こんな展開は考えてなかった。
えっと・・・『黒板、お願いしてもいいですか?』かな?うん、別府君方が背が高いし、昨日もやってくれた
から、頼んだって良いはずだよね?
『こ、黒板・・・消したかったら・・・その・・・や、やっても良いですよ?』
うわぁっ、私ってばとんでもない事言っちゃった。やっぱり、別府君の顔見ながら話すと
とんでもない事言っちゃう。
言われた当人はちょっと困った顔。どうしよう・・・怒るかな?そうだよね、きっと善意でやってくれたのに
こんな言われ方したら面白くないよね?
ひょいっと手の上が軽くなる。無言で黒板消しを手に、教室の前の方へ歩いていってしまった。
はぁ・・・なんで上手くいかなんだろう?
席にすわって、ガックリとうな垂れる。もう、ずっとこんな感じで、好きな人とまともにおしゃべり
できないのかと思うと、気持ちがまた落ち込んでくる。
で、でも、今日はこれで終わったわけじゃない。鞄から命綱とも言うべき包みを取り出し、別府君の机の上に。
直接本人には絶対渡せそうにないから、こうやって置いておく方が良い。
幸い、まだ二人きりだし、誰が置いたかなんて一目瞭然だし。
・・・二人きり!?ダメダメ、そんな事意識しちゃ・・・またドキドキしすぎちゃうから。
落ち着くために本を取り出し読んでみても、一向に収まる気配がない。というか、最近全然この本
読めてない気がするな。
別府君は黒板消しを置いて振り返る。目が合わないように、本を読んでる振り。
だんだんと足音が近づいてきて、隣の席の椅子が引かれる音。
もう置いたの気が付いたよね?迷惑とか思われないかな?ドキドキしながら別府君の言葉を待つ。
「委員長、これは?」
どどどど、どうしよう。えっと、落ち着いて・・・。ずっと頭の中で繰り返してきた理由をちゃんと
言えば良いだけ。もう変な事言うのはなしだからね、私。
『あ、あの・・・そ、それは・・・ご・・・ご・・・ご褒美です』
最後の方は声が小さくなっちゃった。でも、言えたからよしとしなきゃ。
えっと・・・この次は・・・そうだ、持ってきた理由を言わなきゃ。
『い、言っておきますけど、別府君のために作ったわけじゃないですから』
あぁ、言わなくても良い事まで言ってしまった。違う、そうじゃないでしょ、私!
『女の子同士でお菓子を作って持ってくるのが流行ってて・・・そ、その余りものです』
言うだけ言って、本を掴んでまた読む振り。
あぁ・・・早く誰か着て。でなきゃ、私がこの場からいなくなりたい。
「本、逆さに読んでないか?」
別府君の言葉に、慌てて本を見ると確かに逆さ。慌てて戻して、別府君をにらみつけてしまった。
はぁ・・・クッキーで好感度アップのつもりが、逆にマイナス印象になっちゃったかな。
あとはクッキーを食べてくれて、美味しいと思ってくれるのを祈るばかり。

放課後、友達に誘われて寄り道をする。
ため息をついているのが聞かれたらしく、気分転換にどう?という。なんでため息をついていたのかは
聞いてこなかったのがありがたい。
もし聞かれたら・・・なんて言えばいいのかな?恋煩い・・・とか?
そんなの私のキャラじゃないって笑われちゃうよね。
向かった先は、最近できた雑貨屋さん。可愛いものが多い品揃えが受けたらしく、店内はにぎわっている。
友達がレジへ行ってる間、店内をふらふらしていると香水のコーナーで足が止まった。
クラスの女の子は大抵こういうのつけてるだよね。
サンプルを手にとって、すぅ〜っと匂いをかいでみる。ん・・・悪くないかも。
『あれ?委員長もやっとオシャレする気になったの?』
会計を済ませた友達が声をかけてきた。
『え?いえ・・・そんな事』
慌てて戻そうとして、勢い余って他のを床に落としてしまう。
『あはは、委員長、動揺しすぎだよ』
一緒に戻す作業をしながら、こんなのどう?と差し出してくるのかいでみる。こっちもいいかも・・・。
『雑誌でよんだんだけど、男の子ってこういうのに敏感なんだってさ』
男の子、と聞いて真っ先に別府君の顔が浮かぶのを、首を振って追い払う。
でも・・・朝、二人きりでこんな匂いがしたら、どう思うかな?少しは女の子として、恋愛対象として
意識してくれるかな?
『あ、あの・・・こ、これとか・・・良いなって思うんですけど・・・どうでしょう?』

家に帰って、またクッキーを焼く。今日お話できたのはやっぱりクッキーのお陰だ。
だから、明日も・・・さすがに毎日は無理だけど・・・持って行こう。
それで、ちょっとでもいいからお話して・・・新しい私に気が付いてくれたいいな。
今からでも遅くはないよね?ちょっとずつ・・・ちょっとずつ・・・近づいていけば、いつかは恋人に
なれる・・・かな?

☆その5の物語☆

制服に着替えて、髪形をチェック。うん、大丈夫。
そして、昨日買ったコロンを軽くつける。
『昨日までの私じゃない・・・今日からは好きな人にもちゃんと気持ちを伝えられる私になるんだ』
鏡の中の自分に言い聞かす。
登校中はずっと別府君の事ばかり考えていた。
コロン、気がついてくれるかな?いい匂いだねって、もっと近くに行っていいかな?って言われて。
思わず抱きしめたくなったとか・・・二人きりだから、ちゅーしちゃおうか・・・とか・・・。
妄想の中の私は、積極的な別府君にされるがまま。
『が、学校なんだから・・・だめですよ?』
思わず口からこぼれた言葉に通りすがりの人が不審な目で見る。うわわ、やっちゃった。
頬が緩みっぱなしなのが自分でもわかるし明らかに変な人だよね、今の私は。

高鳴る胸を押さえながら教室のドアをあける。
誰も居ない教室に、ほっと胸をなでおろす。妄想覚めやらぬまま別府君の顔を見たら、また変な事
言っちゃいそうだし。
いつもの仕事を終えて、席について別府君を待ち構える。
まずは、笑顔で挨拶。そして、黒板お願いしてもいいですか?って。
優しい別府君の事、快く了解してくれるんだよね。そしたら、そっと机にクッキーを置いて。
「あれ?これは?」
『今日も余ったのでお裾分けです』
そんな会話になって・・・それで・・・それで・・・
「あれ?委員長、いい匂いだね」
『気がつきました?実は・・・えへへ』
「もっと近くに行っていいかな?」
で、さっき考えてた展開になって・・・あ、学校ではダメですよ?そういうのは、お家で。
いえ、お家ならって事じゃなくて、もっとムードとか・・・もう、別府君ったら・・・。
ここまで妄想が進んだところで、ふと時計が目に入る。
もうとっくに来てもおかしくない時間。それどころか遅ぎて、他の人が来ちゃいそうな・・・。
暴走気味の心に急ブレーキ。どうしよう、これじゃ計画通りに進まない。
こんな時とばかりに、早く進む秒針にあせる。
嫌だよ・・・もう二人きりになれないの?それなら、早くなんて来て欲しくなかった。
散々期待させて・・・別府君のバカバカ!
泣きそうな気持ちを落ち着かせるために、小説を取り出す。大好きなシリーズなのに、なぜか酷く
味気ない文章に思えて仕方ない。それでも泣いてしまうよりはマシだ、と読み進めていくと
不意にドアが開く。
「おはよ〜」
やっと来てくれた。嬉しい気持ちと、さっきまでの悲しい気持ちで涙が出そう。
色々言いたい事がある。だけど、黒板を消してくれる姿を見てると、何故だか全部許して
あげたくなった。
まだ振り向かないうちに、鞄からそっとクッキーを取り出すと、机の上においておいた。

別府君が席に着く。どうしよう・・・またドキドキしてきた。
とにかく、何か話さないと。クッキーの事も言わないと。今日遅れた事も聞かないと。
頭の中に言いたい事、聞きたい事が洪水のように流れる。
ダメダメ、こんなんじゃ。まずは・・・そう、できれば毎日早めに来て欲しいって言おう。
来るか来ないかドキドキしてたんじゃ、身が持たない。
『今日は早く来ないと思いました』
出来るだけ冷静を装って話しかける。が、振り向いた別府君の顔を見て、頭の中が真っ白になった。
『早く来るなら毎日続けてください。そうでないと、こちらにも都合がありますから』
しまった・・・またとんでもない事を言ってる。
あれだけ気をつけようと思ったのに、どうしてそんな言い方しちゃうのかな、私は。
言われた本人は難しい顔をしている。そうだよね、別にたまたま早く来てるだけなのに
こっちの都合なんて知った事じゃないもんね。
弁解の言葉を言う前に謝られしまった。・・・別府君は全然悪くないのに。
あまりの居心地の悪さに、せっかく気がついてくれたクッキーにも何も言えなかった。
ただ、顔を背けるために本を読む。情けないよね・・・。
落ち込む私に予想外の声が掛かる。
「昨日のクッキー、すごく美味しかったよ。ありがとう」
その言葉で、体の芯が火照る。美味しかったって・・・ありがとうって・・・こんなにも言われて
嬉しい言葉なんだっけ?
ゆっくりと別府君へ向き直る。怒ってるんじゃなくて、優しく微笑んでくれてる。
そんな顔で見られたら・・・嬉しくてニヤけちゃう。
『そ、それは・・・どうも。きょ、今日のも・・・余りもので・・・す、捨てるの勿体無いからだから』
お礼の言葉のお返しを、どうしても素直に言えない。
でも・・・なんとなくだけど、これでもいい気がした。別府君だって、分かってくれるって。
甘えかもしれないけど、私の事もちゃんと分かって欲しい。
大切な気持ちは素直に言う。だから・・・普段の会話では多めに見て欲しいな。
「あんなに美味しいものなら、今後も余らせて欲しいよ」
『そ、それって・・・別府君のために作ってるのと同じじゃないですか?そんなの、ありえないです』
「あはは・・・そうだね」
心の支えが取れたのか、それなりの会話になってる。まだ自分で言いたい事が上手く伝えられないけど
何よりも別府君とお話できてるのが嬉しくてしょうがない。
そして調子乗った私は、とんでもないミスを犯す。
『お菓子作りはキッチリ分量を計って作るんです。余る事ないですから』
笑っていた別府君の顔が曇る。あれ・・・私、変な事言った?
自分で言った言葉の意味を考え、それまで話した内容をまた考えて・・・・あぁ!?
「えっと―」
『ち、違います!その・・・あ、あ、余りものですよ?その・・・も、もう分量は間違えないって意味で』
慌てて訂正したけど、自分でもわかるくらい苦しい言い訳。
また体が熱くなる。逃げなきゃ・・・この場から。落ち着いてから、上手い言い訳考えないと。
頭の中に浮かんだ言葉を実行すべく、急いで立ち上がると足がもつれた。
そしてゆっくりと世界が傾く。

閉じていた目を開けると、天使に抱かれていた。
ずっと願い望んでいた事。制服越しに伝わるぬくもりに胸が再び高鳴る。
コロン気がついてくれたかな?もっと強く抱いて欲しい。顔をあげたら何を言ってくれるかな?
迷惑じゃなきゃいいな。女の子としてみてくれるかな?ずっとこのままで居たいな。
そんな考えを打ち消すように、急に教室のドアが開いた。
「おはよ・・・」
背筋が凍りついた。
別府君と私の姿を見て慌てたクラスメイトはすぐにドアをしてめて逃げ出してしまった。
見られた、という気持ちがまず浮かんだ。そして、その後どうなるのだろう、と。
きっと、お前達そういう仲だったんだ、なんて。それが噂になったら・・・恥ずかしいな。
でも、それがきっかけで・・・私と付き合う事を考えてくれて・・・それで本気に好きになってくれたら。
あぁ、また私は自分の事ばかり考えてる。別府君にとっては、迷惑だって事をまず考えなきゃ。
ずっとこうして居たい、という気持ちを振り切って立ち上がる。
『絶対噂されちゃいます・・・嫌だな。別府君とだなんて・・・ありえないです・・・』
また変な事を言ってしまった。別府君と私だなんてありえないですよね?って言おうと思ったのに、
言葉足らずだ。
ふと別府君を見ると、何とも言えない表情をしていた。私の言葉に何か言いたいのかな?
それとも・・・うぅん、期待しちゃダメ。別府君も残念がってるなんて・・・そんな都合の良い事ないよ。
絶対に・・・多分・・・きっと・・・。で、でも・・・ちょっとくらいは思って欲しいな。
その後、恐る恐る入ってきたクラスメイトへは別府君から説明してくれた。
その言葉に頷くだけだったけど、内心では別の事を考えていた。
噂・・・してくれてもいいよ・・・って。

その日の夜は全然寝付けなかった。
あの抱擁を、別府君を思い浮かべる度に、胸の奥が熱く締め付けられる。
私をこんなにしちゃうなんて・・・酷いよ。
嬉しくて、申し訳なくて、話したくて、そっとしてほしくて、抱いて欲しくて、距離を置きたくて。
心と体、右と左、全部ちぐはぐ、もう訳が分からない。

やめて・・・やめて・・・壊れちゃうよ・・・

でも・・・好き・・・大好きです


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