その12 バースデープリンセス 後編

−前回までのあらすじ−
10年前の私の誕生日、兄にお願いして遊園地へ遊びに行く。
夕日に照らされた観覧車の中「恋人さんごっこ」をやる事になり、兄から思い掛けない一言が。

「恋人さんなら・・・キスでもする?」
『ふぇぇ!?ゃ・・・その・・・えっと・・・はぅぅぅ・・・』
「たまに、ほっぺとかおでこにしてるじゃない?何でそんなに驚くのさ?」
『だ、だって・・・こいびとさん・・・の・・・ちゅー・・・く、くちと・・・くち・・・だもん』
「それは本当の恋人さんがやる事だろ?」
『・・・』
「どした?」
『ちなと・・・にぃに・・・いまだけ・・・ほんとうの・・・こいびとさん・・・だよ?』
「それはあくまでも―」
『にぃに・・・ちなの・・・めーれー・・・きけない・・・の?』
「・・・いいのか?」
『・・・うん』
「じゃぁ・・・目を閉じて」
『(どきどき・・・くるしいの・・・でも・・・ふわふわ・・・してて・・・くしゅぐったい・・・)』
「ちなみ」
『(ふぁ・・・にぃにが・・・ちかづいてくるの・・・かんじる・・・も、もうちょっとで・・・)』
「・・・」

ガクン、とまるで停電が起きたように真っ暗な世界になった。
目を閉じたまま、記憶の糸を必死で手繰り寄せる。こんな良いところで思い出せないなんて・・・。
真っ暗な世界を手探りで進んで行くような感覚。何でもいい、取っ掛かりでも見つかれば。
しかし、思いとは裏腹に何も思い出せなかった。
諦めて目を開けると―
『あ・・・』
「お、やっと起きたか」
そこには兄が座っていた。

私はしばらく何も言えないでいた。
―遅く帰ってきた事に対して文句を言うべきか
―それとも10年前の記憶の続きについて尋ねるべきか
その二つが頭の中を飛び交い、何一つ声にする事ができない。
そんな私を不思議そうな顔で見つめる兄。やがて、兄が話し始めた。
「ゴメンな、今日早く帰ってくるって言ったのに・・・遅くなっちまって」
両手を合わせ、目閉じる兄。
いつもなら、憎まれ口の一つでも叩くのだろうけど、今の私は混乱しすぎてそれすら言えなかった。
片目を開けて、様子を伺う兄の顔を見て、ようやく私も喋れるようになった。
『そう思うなら・・・いまから・・・挽回してみせろ・・・』
私の言葉で安心したのか、ぱっと笑顔になる。そして、立ち上がらせるために手を差し出した。
「それではお姫様、パーティ会場に参りましょう?」
お姫様なんて呼ばれて少し恥ずかしくなり、手を払いのけ立ち上がる。
そして、パーティ会場―おそらくは台所だろう―に向かって歩き出した。

予想通り、台所のテーブルの上には所狭しと料理の入ったお皿が並べられている。
兄に促され席に着くと、テーブル中央にあるキャンドルに火をともし、電気が消された。
暗くなった部屋にキャンドルの炎がゆれ、並べられたお皿、グラスに入った飲み物、そして
兄と私が照らされる。それだけで、何とも言えない幻想的な光景にうっとりと見入ってしまう。
グラスを手に取る兄に倣って、私もグラスに手を伸ばす。
「誕生日おめでとう、ちなみ」
そう言って差し出されたグラスに、やや乱暴に自分のグラスを当てる。
ここまでされたら・・・さっきまでの暗い気分や混乱が一気に吹き飛ぶというもの。
『始めるのが・・・遅すぎる・・・ばか』
すっかりいつもの私に戻る事ができた。・・・素直に『ありがとう』と言えない私に。

兄の作ったご馳走を口にしながら、遅くなった理由を問いただす。
「俺の分の仕事は早めに終わらせたんだよ。だけど、同じグループの人が手間取ってさ」
『そんなの・・・放っておけば・・・いい』
「う〜ん、そうなんだけど。やっぱり、そういうのも仕事だから」
『私と・・・仕事・・・どっちが・・・大切?』
「あはは、なんか恋人みたいな言い方だな」
『だ、誰が・・・バカ兄と・・・恋人なものか・・・気持ち悪い・・・いい加減な事・・・言うな』
恋人だなんて言われて、思わず悪口を言ってしまった。
確かに恋人ではなけいど・・・恋人と同じ、うぅん、恋人よりもっと大切な存在・・・でしょ?
少なくとも、私はそう思ってる。
でも・・・兄は私の事をただのワガママな妹としか思ってくれてないのかな?
「でもさ」
笑いを堪えたような顔で続きを話し始めた。
「いつかの誕生日、お前から恋人さんやりたいとか言われたんだけど・・・覚えてるか?」
そ、それって・・・さっきの日記の話!?とりあえず、覚えてない振りして
なんとかさっきの続きを聞きださないと・・・。
『お、覚えてるわけない・・・そんな昔の事・・・』
「ふ〜ん・・・」
急に意味深な顔をする兄。何だか見透かされているようで、ちょっと怖い。
『何・・・その顔・・・生意気』
「いや、なんでもないよ」
『その・・・覚えてないから・・・話せ』
「俺は構わないけど・・・でも、結構恥ずかしい話だけどいいのか?」
う・・・確かに、お化け屋敷の話とか観覧車の話とかは恥ずかし過ぎる。
でも・・・それでも、あの後の話が聞きたい。でないと、気になってどうかなっちゃいそう。
『か、過去は過去・・・別に・・・今更・・・何とも思わないから・・・いい』
「分かったよ」

さっき浸った思い出の話が兄視点で語られる。・・・確かに、もの凄く恥ずかしい。
そして、最後のクライマックス。観覧車のシーンに話が進んだ。
「で、お前が・・・テレビで見た恋人さんやりたいって言い出してさ」
『・・・』
「聞いてる?」
『き、聞いてる・・・その・・・ば、バカな事・・・言ってるなって・・・思って・・・』
「いや、お前・・・他人事みたいに言うけどな、昔の自分が言った事だぞ?」
『うるさい・・・今の私には・・・関係ない・・・いつまでも・・・覚えている方が・・・おかしい』
「そうかよ。じゃ、この話はおしまいな」
そう言って兄は、グラスを傾けグイッと飲み干す。
ここで終わられたら、余計に気になる。兄が忘れてしまったなら諦めも付くが、覚えているなら
是非にでも聞き出さないと。
『ダメ・・・続き・・・話して』
「嫌だよ。覚えてる方がおかしいんだろ?それなら話さないほうがマシだ」
ありゃりゃ、すっかりへそ曲げられてしまった。しょうがない、最後の手段。
『命令・・・話せ』
苦笑いしながら、お手上げと言わんばかりに手を上げる。
「はいはい、仰せのままに」
ちょっと罪悪感を感じないでもないけど・・・でも、ここはしょうがない。
内心で謝りつつ、続きに耳を傾ける。
「何やるのかって聞いたら、観覧車の一番上にいくまで抱きしめて欲しいって言われて」
・・・一気に体が火照って、体温が上がるのが分かる。
きっと顔は真っ赤になってると思うけど・・・キャンドルで隠してくれてるよね?
「で、抱きしめてあげて・・・ついでにキスするかって聞いたらさ」
『・・・うん』
「口にして欲しいって言われて・・・」
『そ、それで・・・』
いよいよ一番重要なシーン。私が覚えていない何かがあったはずだ。
「そしたら・・・」
そこまで言うと、兄はため息をついた。
しばらく間があった後、兄がついに真相を明らかにした。
「キスしようとしたらさ・・・あまりに恥ずかしかったのか、気を失ったんだよ」 
『え・・・?』
「急にパタッと。そして、次の日まで起きなかったんだよ」
『えっと・・・つまり・・・キスは?』
「してないよ。つか、そんな状態でするわけないだろ?」
・・・どうりで急に真っ暗になって、思い出せなかった訳だ。
「大変だったんだぞ?あの後、医務室に駆け込んでさ。とりあえず大丈夫そうって言われたから帰ったけど」
謎が解けて、もやもやが晴れた反面、納得行かない気分。内心、すでにファーストキスの相手は
兄だと思って疑っていなかったのに・・・。

『つまり・・・』
食事を終えた後、兄に切り出す。
『小さい頃の・・・私の・・・言った事・・・聞いてくれてなかった・・・って事?』
「え?」
言われた意味が理解できないのか、兄は不思議そうな顔をしていた。
『誕生日は・・・その人の言う事を・・・何でも聞く・・・約束だよね?』
「そうだね」
『キス・・・してって・・・私が言ったのに・・・してくれなかったんだ』
う・・・と言葉に詰まる兄。そして、色々と言い訳をし始めた。
その兄を見ながら、ありったけの勇気を集めて続けて言う。
『汚名返上・・・させてあげようか?』
今度は驚いた表情。さすがに鈍感な兄でも、私の言いたい事が分かったのだろう。
しかし、今度は私のほうが言い訳をする番になっていた。
『べ、別に・・・バカ兄とキスしたい訳じゃない・・・・ただ・・・過去の清算・・・というか・・・』
言っておきながら急に恥ずかしくなった。今すぐ自分の部屋に逃げ帰りたい気持ちになったが
不思議と足が動かない。
気が付くと兄はもう目の前に立っていた。
「また気絶するんじゃないだろうな?」
『私だって・・・もう大人・・・そんな訳・・・ない・・・』
そうは言いつつも、心臓はドキドキ、頭はクラクラ。ついでに視界には靄がかかったよう。
兄は私の両肩に手を置き・・・引き寄せる。
「じゃぁ・・・目を閉じて」
あの時と同じように目を瞑らせ、名前を囁く。
私の気持ちもあの時と同じ・・・胸が苦しい・・・けれど・・・ふわふわする感じ。
兄の息遣いが感じられる距離・・・そして、唇に暖かい感触。続いて、全身に電気を流されたような
痺れにも似た感覚に襲われた。
その痺れはやがて、快感とも幸せ感とも違う、けれど全てが当てはまるような不思議な感覚になる。
昔の私ができなかった事・・・ついに10年越しで達成できた瞬間だった。

あの後・・・キスの後、私は全身の力が抜けて床にへたり込んでしまった。
『キスが気持ちよすぎて力が入らなくなった』なんて恥ずかしくて言えないので
部屋に戻るのが面倒だから連れて行けと命令すると、兄はクスリと笑った。
『何が・・・おかしい・・・笑うな・・・ばか・・・変態・・・痴漢・・・』
恥ずかしさのあまり罵倒してしまうが、気に掛ける様子もない。
それどころか、嬉しそうに私をお姫様抱っこすると、部屋の方へ歩き出した。
『お、お姫様抱っこは・・・ダメ・・・やめろ・・・』
「赤くなった顔を見られたくないから?」
図星を付かれ、余計に気まずく思える。こ、これだと・・・私が兄の事を好きなのバレちゃう。
・・・もしかしたら、とっくにバレているのかもしれない。
暴れる私に対して苦笑いしつつ、着実に私の部屋に歩き続ける。
部屋に入り私をベットに置くと、おやすみと言って電気を消して部屋を出て行った。
寝る時間にはまだ早いけど・・・でも、これ以上は何もしようと思えない。
今はただ・・・さっきのキスを思い出しては、愛しくもあり、楽しくもある胸の痛みに
耐えるだけだった。


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