その14 ライバル登場

チッチッチッと時計の音がやけに煩く感じる。時刻は夜の11時を過ぎたところ。
『遅い・・・遅すぎる・・・』
そう呟き、抱いていたクッションを壁に投げつける。ぽふっ、ぽふっと音を立てて床に落ちる。
『なるべく・・・早く帰ってくるって・・・言ったのに・・・嘘つき・・・』
今朝、出かけに兄が言った言葉を思い出す。
「ちなみ、今日飲み会なんだ。だから遅くなる」
『ふん・・・そのまま・・・帰ってこなくて・・・いいよ』
「そういう顔するなよ。なるべく早く帰ってくるからさ?」
『べ、別に・・・寂しくなんかない・・・居ない方が・・・せいせいする・・・』
思わず気持ちが顔に出てしまった私の頭を優しく撫でてくれたっけ・・・。
それを思い出すと、ちょっとだけ嬉しくなって・・・許してあげようかなって思う。
そのとき、インターホンの音が鳴り響いた。
あれ・・・?兄なら鳴らすはずもない。しかし、こんな時間に来客とも思えないし・・・。
疑問に思いつつ、急いでインターホンの受話器を取った。
『はい・・・別府です・・・』
やや間があって、女性の声がした。
『あ、あの・・・私、別府さんの同僚で、直木といいます』
『はぁ・・・』
『そ、それでですね、別府さんが酔いつぶれてしまいまして。お連れしました』
酔いつぶれてって・・・まったく、何考えてるのやら。
ため息をつきつつ、玄関の鍵を外しドアを開ける。

そこに立っていたのは、メガネを掛けた三つ編みの女性。そして、その女性に支えられている
ぐったりとした兄。
『あの・・・すいません。本当にすいません』
そう言って頭を深々と下げる。その動きにあわせて、兄も上下していた。
その情けない姿を見ていると、謝りたいのは私の方ですよ、と言いたくなった。

二人で兄をリビングまで運び、ソファーに寝させる。
『ふぅ・・・』
『本当に・・・手間掛けさせて・・・すいません』
『あはは、気にしなくて良いですよ』
三つ編みの女性―直木さんが、はにかむ。女の私から見ても可愛らしい人だなと思う。
しかし、そんな女性がここに来るまで兄と二人きりだったという事実が、とても恨めしく感じる。
時計をチラリと見ると、すでに日付は変わっていた。
『えっと・・・直木さんでしたっけ?・・・時間は・・・大丈夫ですか?』
早く帰れとばかりに、時間の話題を振る。
本当なら、泊まって行きますか?などと言うのが礼儀なんだろうけど、私だって早く
兄と二人きりになりたいんだもん。
そんな気持ちはいざ知らず、直木さんは時計を見て半笑い。
『あはは・・・終電行っちゃいました』
がっくりとうな垂れる私。

客室に布団を用意してリビングまで戻ると、直木さんは兄の上着を脱がしていた。
『な、何を・・・してる・・・の?』
その声で驚いて振り返り、手をパタパタとしながらしどろもどろに言う。
『あ、あの・・・スーツしわになるといけないから・・・って。ただそれだけですっ』
『それは・・・私がやります・・・向こうの部屋に・・・布団を用意したので・・・お休みください』
そう言うと、直木さんはメガネをクイッと上に戻して真剣な顔になる。
『いえ、こうなったのは私の責任ですから。妹さんこそ、先にお休みください』
この時、口では言えない何かを感じた・・・そう、女の直感。この人・・・もしかして?
『直木さんこそ・・・休んでください・・・バカ兄に・・・そこまで面倒見る必要・・・ないです』
その後しばらく『私が』、『いえ、私が』が数度続いた。
ここまでくれば、間違いない。私は確信に迫る質問をする事にした。
『直木さん・・・もしかして・・・バカ兄の事・・・好きなんですか?』
お酒を飲んだ後のやや赤みの差した顔が、さらに赤くなる。
『わ、私が別府さんの事を?じょ、冗談じゃないですっ!そんな訳・・・』
『違うの・・・ですか?』
そう言うと、黙り込んだ。私はここぞとばかりに追い討ちをかける。
『違うのなら・・・後は・・・私に任せてください・・・』
これ以上、直木さんにここで何かをさせる気はない。
この人は、私の知らない会社での兄を知っている。私はこの人が知らない、家での兄を知っている。
だから、家に居られては私のアドバンテージがなくなってしまう。
『妹さんこそ・・・お兄さんの事好きなんですか?』
勝った・・・と思った瞬間、意外な反撃が。
『そ、そんな事・・・ある訳ない・・・』
『それなら、そこまで私を邪険にしなくてもいいじゃないですか?』
潤んだ瞳でじっと私を見る。
『わ、私は・・・貴女と仲良くしたいの』
『何で?』
『その・・・』
チラッと兄を見る。私達の事など知る由もなく安らかな寝顔。
寝ているのを確認して、今度は私を真剣な顔で見詰める。
『わ、私は・・・別府さんが好きです』
『・・・』
『だ、だから貴女とも仲良くしたい・・・将来・・・姉妹になるかもしれない・・・から』
後半はどこか遠くを見つめるような目で言い切った。
兄が他の女の人と結婚するなんて・・・考えられない。そんなの認めたくない。
『そんなの・・・そんなの・・・バカ兄が決める事・・・私は・・・関係ない』
そう言うのが精一杯。私も直木さんみたいに、好きって言えれば・・・本当の兄妹じゃないから
結婚だってできるんだよ?だから諦めてって言えれば・・・どんなにすっきりするだろう。
『会社でね・・・』
直木さんが静かに話し始めた。
『別府さん、いつも貴女の話しばっかりするの。妹が素直じゃないって、でもそれがまた可愛いんだって』
わ、私の話を?しかも可愛いって!?
その話を聞いて、体の芯が熱くなるのを感じる。うぅ〜・・・顔も赤くなってるかな?
『でね、兄妹で仲がいいんだなって思てた。でも、違うみたい・・・』
『え・・・?』
ちょっと寂しそうに微笑む。
『今日は逢えてよかったです。ライバルがどんな人か確認ができたしたから』
そう言うと、つかつかと玄関へ歩いていった。
私が何かを言う前に、振り返る。そして笑顔で微笑みながら言った。
『タクシーで帰ります。早く二人きりになりたいって顔、ずっとしてましたよ?』
おもわず顔に手を当ててしまう。そ、そんな顔・・・私してたの?
冗談ですよ、という言葉を残してドアが閉じられた。

兄の元へ戻り、そっと呟く。
『お兄ちゃん・・・私・・・負けないからね?』
ふふっと笑う兄のほっぺにそっと口付けすると、アルコールとタバコがほんのりと香ってくる。
兄はタバコが苦手なはず・・・飲み会はやっぱり仕事なんだなと改めて思う。
客間から持ってきた毛布をかけ、電気を消しリビングを後にした。

部屋に戻り、日記を綴り始める。
ライバルが登場した事、そして、負けないという決意。
書きあがって仕舞おうとすると、昔の日記が目に付く。そういえば、まだ今日の分は読んでなかったっけ。
パラパラっとページをめくる。

[にぃにをまもった きょうもへいわでした]

守った?どんな事があったのだろう?
目を閉じて、日記の文章を思い浮かべる。気が付くと、あの日の光景が広がっていた。

「ちなみ、今日はお客さんが来るから大人しくしてるんだぞ?」
『ちな・・・おとなだもん・・・いわれるまでもない・・・』
「本当かよ?」
ピーンポーン
「お、来た。それじゃ、頼むからな?」
ガチャ
『お邪魔します』
『ふぇ・・・おんなのひと・・・です』
「あ、これ妹ね」
『初めまして』
「お兄ちゃん、今からこの人と勉強するから。ちなみはゲームでもして遊んでてな?」
『む・・・まつです』
『え?』
『にぃに・・・わるいひと・・・おんなのひとと・・・ふたりきり・・・きけんなのです』
「ち、ちなみ、何を言い出すんだよ?」
『ほんとう・・・だもん・・・もう・・・はんざいしゃ・・・です』
『べ、別府君?』
「こら!言っていい事と悪い事があるだろ?」
『ちなとは・・・あそびだったの・・・?』
「どこでそんな言葉覚えてきたんだよ」
『はだかに・・・されて・・・ちな・・・はずかしかった・・・ぐすっ・・・』
『え?えぇ!?』
「ち、違うから!それは、風邪引いたときに着替えを手伝ったってだけで」
『わるいこと・・・いわない・・・はやく・・・ひきかえしたほうが・・・みのため・・・です』
『あ、私急用思い出しちゃった。ゴメンね?』
「ちょ、ちょっと!」
『じゃ、じゃぁまた学校でね?ばいばい』
タタタタ ガチャ バタン
『ふっ・・・あくは・・・さった・・・せかいに・・・へいわが・・・おとずれた・・・です』
「何が平和が訪れた、だよ!お兄ちゃん、誤解されたじゃないか」
『ごかい・・・にぃに・・・ここ・・・いっかい・・・です』
「変な人って思われたって事だよ」
『あれ?・・・にぃに・・・へんなひと・・・でしょ?』
「ちなみ!」
『にぃには・・・ほかの・・・おんなのひとと・・・なかよく・・・しちゃ・・・めー・・・なの』
「何で?」
『にぃには・・・めいわく・・・いっぱい・・・かける・・・だから・・・めー・・・です』
「ちなみには関係ないじゃない?」
『あるもん・・・ちな・・・にぃにの・・・いもーと・・・だから・・・』
「もしかして、ヤキモチ焼いてるの?」
『ち、ちがう・・・やきもち・・・ちがうもん・・・ただ・・・ほかのひと・・・あぶない・・・から』
「危なくないって。何もしないよ」
『にぃには・・・ちなだけじゃ・・・だめなの?』
「え?」
『ちなが・・・いっしょに・・・いたげる・・・だから・・・ほかのひと・・・いらない・・・よね?』
「・・・分かったよ。まったく、ワガママお姫様だな」
『ふん・・・にぃにを・・・はんざいしゃに・・・しないため・・・ちな・・・たいへんなの』
「はいはい、ありがとうな」
なでなで
『えへへ・・・』

どうやら昔から、私はこの家にくる女性を追い返していたようで。
でも・・・ヤキモチ焼きって思われても、気に入らないものは気に入らないもん。
大好きな兄の側に居ていいのは私だけ。今までも、これからもずっと・・・。

翌日、二日酔いの兄にちょっとだけ優しく接してあげる事ができました。
これは・・・ライバルのお陰・・・かな?


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