その9 雨のち照れ

お昼ご飯が済み、読みかけの小説を手にソファーに寝転ぶ。
昼間なのに、曇り空のためか、それとも夏の終わりのせいか、半袖では肌寒い。
ちょっと前まではアイスを食べていたのに、今は温かい紅茶が飲みたい気分。
『バカ兄・・・紅茶・・・淹れろ・・・』
しかし、その声に反応するものはない。・・・そうだった、兄は珍しく朝から出かけていたのだ。
仕方なく立ち上がると、台所へ向かう。紅茶のティーパック、スティックシュガー、牛乳を取り出し
カップは・・・兄のを使おうかな?もちろん洗ってあるけど・・・これも間接キスになるのかな?
牛乳で少しぬるくなった紅茶を飲みつつ、小説を読み進めていく。

天才と言われる魔法使いが、盗賊を倒しお宝を横取りしたところでひと段落。背伸びをして窓の外を
見ると・・・あ!雨降ってる!?
急いで2階へ駆け上り、洗濯物を取り込む。気がついたのが早かったせいか、大事には至ってない。
ほっと一安心、続きを読むべく1階へ戻ろうとすると、自分の部屋から音楽が流れてきた。
この曲は・・・兄からの電話だ。
急いで部屋に行き、携帯をひっ掴まえてディスプレを確認。ちゃんと「お兄ちゃん」の表示。
呼吸を落ち着けてから通話ボタンを押す。
『もしもし・・・』
「あ、ちなみ?お兄ちゃんだけど」
『そんなの・・・分かりきった事・・・さっさと・・・用件を・・・言え』
「あはは、どっかのヒットマンみたいだな」
どっかのヒットマン?なんだか良く分からない単語が出てきた。
「あ、えっとね、駅まで傘持ってきてくれないか?」
『傘くらい・・・いくらバカ兄の・・・給料が少なくても・・・買える』
う〜んと唸る兄。本当は今すぐにでも傘を持って行きたい、そして「ありがとうな?」って
頭を撫でて欲しい。だけど、ついつい憎まれ口を叩いてしまう私。
これで兄が「じゃぁいいよ」なんてなったら・・・悲しいな。
「いくら100均でも売ってるからと言って、家にあるのを買うのも癪だから・・・頼むよ?」
予想とは逆に、食い下がってきた。こ、今度はちゃんと行ってあげるっていわなきゃ。
『ふん・・・しょうがない・・・気が向いたら・・・行ってやる・・・』
言えたけど・・・なんでこういう言い方しか出来ないのかな?はぁ・・・切ない。
「本当か?じゃぁ、あと1時間後に駅で。待ってるからな」
そう言うと、兄はまったく気にして無い様子で電話を切った。ちょっとほっとしたような。
『お兄ちゃん・・・いつも酷い事言っちゃってゴメンね』
電話を切った後でならいくらでも素直な気持ち、言えるのに。携帯電話で本当の気持ちが伝わる機能が
出来ないかな?ってたまに思う。けど、本当に伝わっちゃったらそれはそれで・・・ちょっと困る。
だって・・・やっぱり恥ずかしいもの。
ちょっぴりのおしゃれをして、小さめの傘を1本だけ持ち外へでる。これで相合傘が出来るのだ。
後は、1本だけしか持って来なかった「自然」な理由を考えれば、完璧な作戦。
そう考えつつ、どう考えても早すぎる時間に駅へ向かうのであった。


「お待たせ!」
待つこと数十分、改札からひょっこり兄が出てきた。
『ふん・・・遅い・・・』
「あれ?1時間後って言わなかったっけ?まだ、10分くらい余裕あると思うけど」
『私を・・・待たせた時点で・・・遅刻・・・』
「わ、悪かったよ・・・それで・・・」
そう言うと、私の手元をキョロキョロと見る兄。
「俺の分の傘は?」
『え?あ・・・えっと・・・その・・・』
不思議そうに私の顔を覗き込む兄。ごめんなさい、理由が思い浮かばなかったんです。
『わ、私も・・・出かけてて・・・それで・・・だから・・・こ、これだけしか・・・』
「そうだったのか。それならそうと言ってくれれば・・・買って来たのに」
『こ、これ・・・1本・・・あれば・・・大丈夫だから・・・だから・・・来た』
「えっと・・・つまり?」
マズイ、これだとまるで『相合傘したくてこのまま来ました』って言ってるようなものだ。
恥ずかしくてもう何も考えられない。どうしよう・・・どうしよう・・・。
「まぁ、いいか。んじゃ、帰りますか」
私の心配をよそに、ニッコリ微笑む兄。その笑顔は・・・反則なんだぞ?

兄に傘を持たせて、肩を寄せ合って歩き出す。嬉しさと恥ずかしさで、なんだか足元が覚束ない感じ。
「お、おい、真っ直ぐ歩けよ。濡れるぞ」
『う、うるさい・・・傘・・・持って来たやったんだから・・・ちゃんと・・・させ・・・』
口から出る言葉は、気持ちとは逆のもの。あ〜あ、これじゃムードも何もないな。
ふいに、肩を掴まれて引き寄せられる。えっと・・・今私、兄に肩を抱かれてる!?
『な、何を・・・!?』
「いや、こうすれば二人とも傘に収まるしさ。俺は傘さしやすいから」
『だ、だからって・・・こんなの・・・ダメ・・・』
「こんな小さな傘を1本しか持ってこない、ちなみが悪いんだろ?」
『う・・・そ、それを言われると・・・従うしかない・・・バカ兄に・・・強要された・・・』
「何か俺、悪い奴みたいだな」
『悪い奴・・・みたい・・・じゃなくて・・・悪い奴・・・悪党・・・』
「酷いなぁ・・・」
周りを見ると人もまばら、しかも傘と雨のカーテンもあるので、二人きりの世界のように思えた。
それなら・・・と、ちょっと体を預けてみる。触れている部分から暖かさが伝わって心地よい。
ちょっと幸せ。このまま・・・もう少しこのままで居たいな。
「そういえばさ」
ふいに兄が口を開いた。
「お前が・・・保育園だか小学校の1、2年の時だったか、迎えに来てもらった事あったな」
私は覚えてないけど、いつの事だろう?後で、日記を探してみようかな?
『それが・・・どうした?』
「いや、今そこを通り過ぎた子供がさ、大人用の傘を持って走ってたから。何か思い出しちゃって」
『そんな・・・昔・・・覚えてる訳・・・ない・・・』
「あはは、そうだよな」

楽しい時間はあっという間に過ぎるもの。気がつけば、家の前に立っていた。
鍵を開けて中へ入ると「ちなみ、ありがとうな」と軽く頭を撫でてくれた。照れ隠しで睨みつけると
兄はニコッと笑って歩き出す。自室にもどる兄の背中に名残惜しさを感じながら、私も自分の部屋に戻る。
昔の日記を取り出して、兄を迎えに行ったというあの日を探しだす。
目を閉じて、耳を澄ませる―日記に書かれた文字と雨の音を手がかりに、あの日の自分を思い出していく。

プルルル プルルル がちゃ
『はい・・・べっぷ・・・です』
「あ、ちなみか?お兄ちゃんだけど」
『・・・ぞうさんが・・・すきです・・・でも・・・きりんさんのほうが・・・もっと・・・』
「引越し屋のCMはしなくていいから。ちょっとお願いがあるんだけど」
『ぇー・・・にぃにの・・・おねがい・・・どーせ・・・ろくでも・・・ない』
「ん〜・・・まぁ、ろくでもないかもしれないけどさ」
『じゃぁ・・・きかない・・・ばいばい・・・かえってこなくて・・・いいから』
「まってまって、一応話し聞いてってば」
『じゃぁ・・・きくだけ・・・』
「えっとさ、急に雨降ってきたんだよ。だから、駅まで傘持ってきてくれない?」
『・・・』
「ちなみ?聞いてる?」
『きくだけ・・・きいた・・・でも・・・へんじ・・・するとは・・・いってない』
「お前は子供か!・・・すまん、子供だったな」
『む・・・しつれいな・・・ちなは・・・りっぱな・・・おとなの・・・れでぃー・・・です』
「大人なら傘持って駅まで来る位余裕だよな?」
『そんなの・・・あたりまえ・・・』
「じゃ、来てくれるよな?」
『かえりに・・・おかし・・・かえ・・・おとななら・・・ぎぶあんどていく・・・』
「むぐぐ・・・分かったよ。その代り、早く来てくれよな?」
『ちゅーもんの・・・おおい・・・にぃにです・・・』
「来る途中は、車に十分気をつけるんだぞ?」
『いわれるまでも・・・ない・・・にぃにじゃ・・・あるまいし・・・』
「じゃ、頼んだよ?」
ガチャ ツーツーツー
『いそがないと・・・にぃに・・・まってる・・・まま・・・かっぱ・・・だして・・・なの』
『え?カッパ?この雨の中、どこへ行くの?』
『にぃにに・・・かさ・・・とどけるです・・・』
『あら、そう?じゃぁ、お願いね?』

「はぁ・・・ちなみ、ちゃんと来れるかな?やっぱり母さんに頼んだ方が良かったかな?」
『にぃに〜・・・きたですよ〜・・・どこですか〜・・・』
「わっ!ちなみ、大声だすなよ。子供に迎えに来てもらったなんて、恥ずかしいだろ?」
『む・・・せっかく・・・きたのに・・・なんていいぐさ・・・ひどいです』
「わ、悪かったよ。ありがとうな?」
なでなで
『えへへ・・・』
「じゃ、帰ろうか?」
『そのまえに・・・おかし・・・かうです』
「覚えてたか・・・ちぇー」

『あめあめ・・・ふれふれ・・・ちなみんが・・・じゃのめで・・・おむかえ・・・うれしいな・・・』
「ぴちぴち」
『ちゃぷ・・・ちゃぷ・・・』
「『ランランラン』」
「随分ノリノリだな。何か良い事でもあったのか?」
『べ、べつに・・・にぃにを・・・おむかえ・・・うれしい・・・わけじゃない・・・からね?』
「俺はちなみとこうやって帰れるの楽しいけど?」
『ふ、ふん・・・かってに・・・たのしんでれば・・・いいです・・・ちな・・・いいめいわく・・・』
「帰ったらさ、温かい紅茶淹れてあげるから。さっき買ったお菓子食べようぜ?」
『これは・・・ちなの・・・です・・・』
「一人で全部食べるの?」
『ぜんぶ・・・たべると・・・ばんごはん・・・たべれなくなる・・・だから・・・はんぶん・・・あげる』
「さすが、ちなみ。偉いな?」
『ふ〜ん・・・あたりまえ・・・だもん・・・』

「ちなみ」
いきなり声を掛けられて、目を開ける。ふと見ると、ドア口に兄が立っていた。
『い、いきなり・・・声を掛けるな・・・』
「いや、何度かノックしたんだけど?寝てたの?」
『考え事・・・してただけ・・・』
「そっか」
まさか、昔の自分を思い出してた、何て言えるわけ無い。引き出しに日記を仕舞って鍵を掛けると
兄に向き直る。
『それで・・・何の用?』
「あぁ、雨の中歩いて体が冷えたからさ。紅茶を淹れたんだけど、一緒にどうかと思って」
兄の方から、ほんのりと紅茶の匂いがする。昔と同じように、兄の淹れてくれた紅茶が飲めるなんて
まるで、あの日の続きみたいに思える。
『とうぜん・・・お菓子は・・・あるでしょ?』
「あぁ、勿論だ。抜かりはないよ」
そう言って部屋を出て行く兄の後を追う。

『これ・・・』
「あぁ、よくちなみが食べてたなって思ってさ。駅の売店で売ってたんだけど、懐かしくて買ったんだよ」
『・・・』
「じゃ、ティータイムといきますか?」
一口お菓子を食べると・・・ふとあの日の続きが蘇る。

「どうだ?美味いか?」
『ちなが・・・えらんだ・・・おかし・・・おいしいの・・・あたりまえ・・・』
「紅茶の方は?」
『こんなに・・・あついの・・・のめるわけ・・・ない・・・』
「じゃぁ、牛乳いれて冷まそうか?」

そういえば、この頃からずっとだな。紅茶に冷たい牛乳を入れて飲むようになったのは。
お菓子の横に準備してあった牛乳を手に取り、カップに流し込む。
シエナ色に変わった水面に映った二人の顔は、10年前も今も変わらない笑顔だった。


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