その1

仕事終わりとなる12月29日。午後も3時を過ぎれば、あとは定時までだらだらと過ごすだけ。
計画通りに仕事を進めていれば残務などあるはずもなく、新しい事を始めるには中途半端すぎる時間。
僕もそれに漏れず、仕事をしている振りをしながら時計の針の進むスピードにため息をついていた。
そんな中、隣に座る一つ上の先輩だけは少し違っていた。
普段僕を厳しく教育する先輩だけに、仕事が終わっていないとも思えない。だが、僕や周りがやっている
だろう「仕事をしている振り」とは明らかに違う動き。
一言で言えば・・・落ち着きがない。
「先輩、何かお手伝いしましょうか?」
僕の声に体をビクッと振るわせ、まるで油の切れたロボットのようにぎこちなくこっちを向いた。
『べ、別にキミに手伝ってもらう事なんてないわよ!』
そう一喝すると、またなにやら忙しそうに書類を纏めたりし始めた。理不尽な事この上ないが、先輩は
いつもこんな感じで良く怒る。そして、滅多に褒めたりしてくれない。
要はあんまり居て欲しくないタイプの先輩なのだ。でも・・・僕は知っている。
本当は優しくて、思いやりがあって、それでいて・・・ちょっと寂しがり屋である事を。
先日のクリスマスも、仕事が終わらない僕に遅くまで付き合ってくれた。席を外したかと思えばケーキを
買ってきてくれて、2人きりで小さなパーティをしたのだ。
『どうせ1人で寂しく過ごすつもりだったんでしょ?私とケーキ食べれるなんて、残業して良かったわね』
「先輩は予定なかったんですか?」
『うるさいわね!あったらキミに付き合って仕事なんてしないわよ!それくらい、気が付きなさいよ』
「あはは・・・すいません」
『笑い事じゃないわよ。この鈍感!』
ケーキの甘さ以上に辛辣な文句も言われたけど。そんな事もあり、僕は先輩が嫌いではない。
厳しく言うのも僕の為を思ってだと思えば、ありがたいこと。逆に、そんな先輩から褒められるほどの
立派な社会人になりたいという目標にもなっているし。
でも、そんな目標と思っていた人に・・・いつしか淡い恋心を抱き始めたりもしている。
ずっと一緒に仕事をしているせいもあるのだけど、稀に褒めてくれる時に見せるすさまじく可愛い笑顔に
やられてしまったんだと思う。
回想を吹き払い、再び仕事をする振りに戻ろうとしたとき、先輩から声をかけられた。
『キミさ、年明けの仕事・・・何するか纏めてる?』
「え?」
『え、じゃないわよ。会社にきて、挨拶してから何しようかなって考えるつもりだったの?』
「い、いえ・・・何となくは」
『そんなの休み中に忘れるに決まってるでしょ?ほら、打ち合わせするわよ』
何故か顔を真っ赤にした先輩に促され、2人で打ち合わせブースへと移動した。

『はい、コーヒー』
「ありがとうございます」
先輩の淹れてくれたコーヒーをすすりながら、ノートを開きメモを取る準備。このクセがついたのも、先輩
から言われた事を一つでも忘れると、とんでもない文句が飛んでくるからだ。
だが、意外なことに先輩は僕のノートを閉じてしまった。
『いいのよ、打ち合わせなんて嘘なんだから』
「え・・・?」
『どうせやる事もなく机に座ってたんでしょ?そんなの見てれば分かるわよ』
「はぁ・・・すいません」
『別に・・・最終日だし、こんなもんでしょ』
そう言うとコーヒーを一口すすり、はぁっと深く息をはいた。僕も合わせてコーヒーをすする。
しばらく間、お互い無言でコーヒーを飲むだけの時間が流れた。カップの中身が半分くらいになった頃
先輩が口を開く。
『キミ、年末年始の予定は?』
「え?・・・いえ、特には。家でゴロゴロしてるだけですかね?」
『確か実家に住んでるのよね?』
「はい」
『だっさ・・・男のクセに、まだ親に寄生してんだ』
「・・・すいません」
何か当たり障りのない話かと思いきや、罵声を浴びせかけられるとは思わなかった。職場は実家から
そんなに遠くないので、わざわざ一人暮らしするのもどうかと思っているだけど。
『ま、まぁ・・・いいわ。それより・・・キミ、アルバイトしない?』
「は・・・バイトですか?」
『アルバイトと言っても、支給されるのはお金じゃないけど』
急に黙り込み、俯く先輩。何に対しても勢い良く喋る先輩が黙り込むなんて、よほど悪いことをやらされる
のだろうか?いや、先輩の性格を考えれば、人殺しでも『やってきなさい』の一言で済ませそうだが。
『りょ、旅行とか・・・好きかな?』
ぼんやりしていたら聞き逃しそうな声で、ボソボソと喋る先輩。
「旅行ですか?それほど大好きって訳じゃないですけど・・・まぁまぁ好きといえば好きですね」
『じゃ、じゃぁ・・・わ、私の・・・』

『恋人に・・・なりなさい』

頭の中が真っ白になった。『恋人』という単語の意味が一瞬で頭の中から消え去った。
恋人・・・先輩の恋人って・・・なんだ?
そして次の瞬間、消え去ったものが全て戻ってきた。
「せ、先輩の・・・こ、恋人!?」
『ば、バカ!声がでかいわよ!』
「声も大きくなりますよ!」
『い、言っとくけど、私はキミの事なんて、す、好きとかそんなんじゃないだからね?』
「だって、僕も先輩の事好きだったんですよ?」

「え!?」
『え!?』

かみ合わない会話の最後の一言にのみお互い反応した。先輩はさっき以上に顔を赤くしながら
言葉にならない言葉を出そうと口をパクパクしている。
僕もきっと顔が真っ赤になっているのだろう。なんたって、告白だと思ってこっちの思いを
打ち明けたら、向こうはこっちの事が好きじゃないとか言い出したんだから。
恥ずかしいを通り越して、いっそ殺してくれという感じ。年明けから仕事に影響しなければいいのだけどと
冷静に考えている自分も居たりするのに驚いているが。
『あ、あのさ・・・ちょ、ちょっと・・・話を整理しても・・・いいかな?』
「はい」
『き、キミ・・・わ、私のこと・・・好きだったの?』
「え!?いえ・・・その・・・」
『ど、どっちなの!はっきりしなさい』
「す、好きです・・・はい」
『そ、そう・・・へぇ〜・・・そ、そうだったんだ・・・さ、最悪ね』
最悪と言われてしまった。これは、振られたという事か。
というか、そもそも先輩が変なことを言ったからこうなった訳なのだし、自分ひとりが何でこんな目に
あっているのだろう、そう考えるとふつふつと怒りすら沸いてくる。
「べ、別に・・・もういいです。先輩みたいな人が、僕を相手にするなんて思ってませんから」
我ながらカッコ悪い捨てゼリフを吐きながら打ち合わせブースから出ようとした。しかし、先輩に腕をつかまれ
引き止められた。
『誰もそこまで言ってないでしょ?最後まで話を聞きなさいよ』
「今、最悪って言ったじゃないですか?」
『そ、それはそうだけど・・・と、とにかく、まだアルバイトの話しをしてないでしょ?』
「もうそんな気分じゃないです」
『あー、もう!男のクセにうじうじしてるんじゃないわよ!』
「振られた方の身にもなってくださいよ」
『じゃ、じゃ・・・チャンスをあげる。アルバイト、上手く出来たら・・・か、考えてあげてもいいわよ』
「結構です。そんな試されるような事されたくないです」
もうメチャクチャ。せっかくチャンスをくれるといってくれるのに、それすらもうフイにしてしまった。
まともに告白なんてした事なっただけに、振られた時の対応の仕方なんて分かるはずもない。
先輩の腕を振り払い、再びブースから出ようとしたとき、後ろから声がした。
『わ、わかった!こ、恋人・・・考えてあげる!』
「別に・・・お情けで付き合ってもらいたくないです」
きっと僕はまだ大人になりきってないのだと思う。まるで子供みたいな言い方に、自分自身が呆れた。
そのまま出ようと一歩踏み出そうとした瞬間、ふわりと柔らかいものに包まれた。
先輩に抱きしめられているのだと分かったのは一呼吸置いた後だった。
『ご、ごめんなさい・・・その・・・さっきの無かった事にして』
「先輩・・・?」
『ビックリしちゃって・・・そんな風に思われてると思ってなかったから。てっきり嫌われてるのかなって』
「・・・」
『あ、あのね?その・・・本気で・・・考えるから。だから・・・も、もう少し待って欲しいの』
さっきまでの怒りに沸いた体が急激に冷めていくのを感じた。その後に残るすさまじい気まずさ。
先輩の手を優しく叩くと、ふっと抱きしめられる力が抜けたので、改めて正面を向き合う。
さっきまでとは打って変わって今にも泣き出しそうな顔。許されるなら、今すぐ抱きしめて上げたいと思う。
やっぱり・・・まだ先輩の事、嫌いになんてなれない。
「その・・・バイト、上手くやったら・・・考えてくれるんですよね?」
『え?・・・そ、そうね・・・うん』
「じゃぁ・・・僕は何をすればいいんですか?」
目に溜まっている涙を拭い、嬉しそうに笑う先輩。そんな顔されると、全部許してあげたくなる。
まったく・・・そんな切り札を持ってるんだからずるいよな。
『さ、さっきも言ったけど・・・こ、恋人になって欲しいの。期間限定でいいから』
「期間限定?」
『私さ、実家に帰るんだけど・・・親に見栄張っちゃってさ、彼氏を連れて行くって言っちゃたのよ』
「で・・・僕に恋人を演じて欲しいという訳ですか?」
『も、もちろん、旅費は私が出すし、泊まる所はウチだけど・・・一応観光とかも連れて行ってあげるから』
「それくらいなら全然良いですけど。というか、先輩」
『何?』
「最初から、そう言ってくださいよ!あー・・・僕は何て事を」
『だ、だから謝ったでしょ!上手くやったら期間延長も考えなくもないから・・・き、決まりでいいわよね?』
「・・・はい」
携帯を取り出し、多分実家に電話を始める先輩。自慢げに『切符2枚よろしく』とはしゃぐ姿を見ると、
先輩も案外子供っぽい所あるんだな・・・と思った。そんな事を考えながら、ぼーっと電話をしてる
先輩を眺めていたら目が合い、恥ずかしそうにそっぽを向かれる。
いつも凛々しく、厳しい先輩が見せる、すごく乙女な姿。そんな姿に、不覚にも僕は惚れ直してしまうのだった。


トップへ  / 次へ
inserted by FC2 system