その2

あれから二日後の大晦日。僕は2日分の着替えと旅行セットをつめた鞄を持って、待ち合わせの駅前で
先輩が来るのを待っていた。
初めてのデートがいきなり旅行。しかも、両親へのご挨拶もある。いくら恋人の振りだとしても
やはり緊張するというもの。
先輩は僕を連れて行けばそれなりに面子が保てて良いのだろうから、挨拶とかは適当で良いって言うのかも
しれない。しかし、僕にしてみれば将来の義父や義母になる可能性もある訳だから、ちゃんとした挨拶
をするつもりでいる。上手く気に入られれば、強い味方になってくれるかもしれないし。
頭の中で、挨拶のシミュレーションを繰り返していると、不意に後ろから声をかけられた。
『私より前に来るなんて・・・いつものキミらしくないわね。まぁ、社会人としては当然だけど』
「おはようございます。先輩こそいつもは早めの行動なのに今日はギリギリですね」
『うるさい!今日は仕事じゃないし、間に合えばいいのよ』
僕に言った事と矛盾しているが、この際気にしないで置こう。いや、そんな事をどうでも良く思える程
僕の気を向かせる物がある。
先輩の格好が・・・もの凄く可愛い。初めて見る私服姿という事を差し引いても、とても実家に帰るだけ
の人の格好と思えない。もしや、この気合の入った格好のせいで時間をとられてしまったとか?
「先輩」
その事を言おうとした瞬間、ほっぺたをぎゅっと抓られた。抓られただけじゃなく、捻りも加えられて
いるからかなり痛い。嘘だと思うなら、自分自身のほっぺたに試して欲しい。
『今の私は、キミのなんなのかな?』
「こ、恋人です」
正解だったようで開放してくれた。痛みで熱くなっているほっぺたを摩りながら、先輩の顔を見ると
もの凄く不機嫌そうな表情をしていた。
『だったら、先輩なんて言っちゃダメでしょ?そういうところからボロは出るんだからちゃんとしなさいよ』
「でも、まだご両親の前じゃないです」
『親の前だけ上手くやろうとすると失敗するにきまってるでしょ?やるなら、最初から最後まできっちりする』
「はい」
二日前の乙女な先輩はそこにはなく、いつも通り厳しくしつける先輩に戻っていた。けど、僕は会社の後輩
という事実は変えないわけなのだから、もし「先輩」って呼んだって、つい会社での呼び方しちゃいました
って事で済むきがするのだけど。
『だ、大体・・・キミは私のこと好きなんでしょ?な、名前で呼びたいとか・・・そ、そいうの無い訳?』
「まだ正式じゃないですから・・・もうその気になってるとか思われたくないですし」
『バカ!それは二人だけの話しで、対外的には恋人なの!・・・期間限定だけど』
「は、はい・・・分かりました」
『それと、その口調やめなさい』
「え?」
『恋人に対して、そんなよそよそしく喋るはず無いでしょ?』
「わ、分かりました」
『分かってない』
「わ、分かった・・・こうで・・・いいか?」
『ふん、60点ってとこね』
先輩の言う60点は80〜90点くらい。つまり、ほどほど満足という事なのだろう。
時計を見るとそろそろ電車の時間。ちょっと乱暴に先輩の手を握った。
『わっ、ちょ、ちょっと!?』
「恋人ならこの位当然だろ?」
『そ、そうだけど・・・その・・・急にそんな・・・』
「どうした?」
『な、なんでもないわよ!男らしさをアピールしたって、無駄だからね?』
「別にそんなつもりは無いけど。男らしいって思ったんだ?」
『ば、バカ!違うわよ。ほら、行くわよ』
先輩に引っ張られる形で僕らは先輩の実家へと向かう電車に乗り込んだ。

『出会いは・・・まぁ普通に会社の後輩でいいわよね』
「そうだね。問題はいつ付き合い始めたか、とか普段のデートはどこへ言ってるかとかな?」
車中、先輩のご両親に説明する僕たちの恋人生活を考えていた。いつから付き合い始めたの?とかデートは
どこでしてるの?とか、多分聞かれるであろう質問の回答をあらかじめ用意しておくためだ。
きっかけはクリスマスで・・・とかにしようと思った。会社で残業していたとはいえ、二人で過ごしたのは
事実だし。
『そんなの・・・まるで私が焦って作ったみたいじゃない。ダメ、却下』
けれど先輩は気に入らなかったらしい。
それなら僕が入社した直後では?というと、何も知らない子供に手を出したみたいだと言われまた却下。
良く分からないが、乙女心は思った以上に複雑らしい。
「じゃ、8月くらいでって事でどう?早すぎず、遅すぎずで」
『まぁ・・・いいわ。じゃ、キミから告白したって事で』
「ぼ、僕から!?」
『何よ、女から告白させるのって、男としてどうかと思うわよ?』
「わ、分かった」
『じゃ、告白してみて』
「え?」
『え、じゃないわよ。何て告白したのって聞かれた時に考え始めたら遅いでしょ?』
「ま、まぁ・・・そりゃそうだけど」
『はい、告白して』
僕はふと周りの視線に気が付いた。通路を挟んで向こう側の人とか、前後に座る人たちがチラチラとこっち
を見ている。
シーンとした車内に、僕の告白のセリフが響き渡るかと思うと恥ずかしくて言えたものじゃない。
「い、いや・・・周りに人居るし」
『誰も感情込めて言えとか言ってないでしょ?さらっと言えばいいのよ、さらっと』
「そ、それなら・・・その・・・す、好きです、付き合ってください」
『嫌』
返事は2文字だが、『はい』ではなく『嫌』だった。
「イジメですか?」
『こら!また口調が戻ってる!』
「あ・・・その・・・何で断るの?」
『あっさりOKしたら、私が誰でも良かったと思われるじゃない』
「どうしろと?」
『そうね・・・あっ、名案!キミがこう・・・私が居ないとダメとか、すごいダメ男っぽく言うの』
「はい?」
『でね?そこに優しい私は母性をくすぐられて・・・仕方なくOKするの』
何か俺を置き去りに、自分の世界にどっぷりと浸かっているような様子。これから挨拶に行く両親の前では
僕はダメ男を演じないといけないのか。それ以上に、彼氏がダメ男というのは何でOKなのかが不思議で
しょうがない。やっぱり乙女心は複雑だ。
『んじゃ、はりきって告白してみよう』
「嫌だ。ダメ男なんて・・・僕は演じれない」
『は?何言ってるの、キミは普段からダメ男そのものだから演じる必要なんて無いわよ』
「えぇ!?僕は・・・そんなにダメなの!?」
『当たり前でしょ?アルバイトの話しの時もダメ男そのものだったじゃない』
「その話は思い出させないで下さい!」
『もう・・・何度言えば分かるの?次口調が普段に戻ったら、家でご飯抜きだからね?』
「むぐっ・・・わ、分かった」
『はぁ・・・しょうがない、ほら立ちなさい』
先輩に促され、扉一枚向こうの出入り口のあるスペースへ。トイレに行く人とたまにすれ違うが、それ以外
では人気の無い場所だ。
『ほら、ここならいいでしょ?告白してみて』
窓から差し込む日差しのせいだろうか?先輩はすごく輝いて見えた。人気の無さがより一層告白の
ドキドキ感を増長させるのか、これがはじめての告白のような錯覚を覚える。
「その・・・先輩、好きです。僕は先輩なしでは生きていけません・・・だから、付き合ってください」
お望みどおりのダメ男っぽく告白してみた。半分は演技だが、半分は本気。こんなに感情を込めて言うつもり
は無かったが、無意識のうちに気持ちが入ってしまったようだ。
下げた頭を上げると、先輩は嬉しそうに携帯電話を掴んで僕に向けていた。
『あは、告白シーンゲット』
「な、何を・・・?」
『え?んふふ・・・何かこんな滅多に見れないシーン、勿体無いなって思ってさ』
「と、撮ったんですか?今の?ちょ、ちょっと」
慌てて先輩の携帯の画面を覗くと「動画モード」と表示されていた。しかも高画質という文字も。
「け、消してください!」
『嫌よ。せっかくアングルもバッチリだったんだから』
「何言ってるんですか!こんなの盗撮ですよ!犯罪です」
『口調・・・気をつけてって言ったよね?』
「か、関係ないです!あんなの他の人に見られたら・・・」
『大丈夫、見せないわよ。ったく、こんな事で取り乱すなんて、まだまだ未熟ね』
「先輩!」
『先輩?』
威圧的な口調に、非難する勢いが一気に衰える。この辺は普段の上下関係が大きく影響するところであり
反射的に謝りたくなる気持ちをぐっと抑えたものの、次の攻撃には移れなくなった。
「むぐっ・・・ず、ずるいぞ」
『ま、この動画1回で今の口調と先輩呼ばわりをなしにしてあげるわ』
やはり先輩に口論では勝てないようで、結局はこうやって丸め込まれてしまう。はぁ・・・とため息をついて
座席に戻ろうとすると、ぽんと肩をたたかれた。振り返ると、先輩の顔が間近に迫っている。
つやつやの唇に思わず目を奪われていると、いつの間にか二人の距離は鼻先が当たるほどに。
『まったくダメダメね、キミは。仕方ない、私が面倒みてあげよう』
こんな言葉を囁かれた。そしてキス・・・すると思いきや、ぱっと離れる先輩。
「え!?あ・・・その・・・」
『キミのどうしようもない告白に対して、私はこう返事したって事にしよう』
呆然と立ち尽くす僕に、悪戯っぽく笑う先輩。どうやら、またしても僕の純情は踏みにじられてしまった
らしい。
『ん?そんな顔してどうしたのかな?』
何も知らない純粋無垢な少女のような顔で質問してきた。僕の心情を察しているクセ、あえて質問するなんて
意地悪な事この上ない。
「な、なんでもないよ!」
結局僕は子供のように拗ねるだけ。年上の人(先輩とはたった一つ差だけど)と付き合うと、こうやって手の
ひらで転がされるように遊ばれてしまうのか・・・と、この先の事を考えて少し絶望感を感じた。
ドアを閉め、座席に向かおうとすると引っ張られる感じ。見ると、上着がドアに引っかかっていた。
まったく、ダメな時は何をやっても上手く行かないのか・・・と思い、引っかかった部分を外そう振り返ると
ガラス越しにへたり込む先輩が見えた。
『はぁぅぅ・・・あたしのばかぁ。せっかくちゅーするチャンスだったのにぃ』
幻聴だろうか?こんな声・・・子供が玩具を買ってもらえなくて、いじけて出す時のような声・・・それで
僕とのキスが出来なかったのを悔やんでるようなセリフ。あの先輩が!?
何か聞いてはいけない物を聞いてしまった気がした。本来なら、そこを追求して、多少なりとも先ほどの
仕返しをしたいところだ。けれど、僕は何も無かったように座席に座り、外の景色を眺める事にした。
先輩は先輩としてのプライドというものがある。だから、僕にあんな態度とったりするのも、実のところは
そのプライドが邪魔して素直になれないだけなのかもしれない。
いくら見栄を張りたいからって、好きじゃない奴を親に会わせたいりはしないだろう。そう考えれば、先輩の
言動に説明が付く。・・・いや、本当はそうであって欲しいという僕の願望なんだけど。
何事もなかったかの様に先輩は席に戻ってきた。さっきまで感じていた絶望感はどこかに消え、代わりに
この素直じゃない先輩を愛しいと思う気持ちで胸が一杯だ。
「おかえり」
『ただい・・・ま』
予想と違っていたのか、僕の自然な笑顔に驚く先輩。横目でチラリと見ながら、席に座りコーヒーを一口
啜る。
「デート、どこに行ったことにしようか?定番なところだと映画とかかな?」
『何よ急にノリノリじゃない?気持ち悪いわね』
「だって、旅行が終わったらそのままデートプランとして使えるでしょ?」
『はぁ?ま、まだ期間延長するなんて決めてないでしょ?』
先ほどまでと違い、気持ちにも余裕が出てきた。だから、ちょっと意地悪な事も言ってみようかな
なんて思ったりした。
「ふーん・・・。まぁ、ダメならダメで、他の人とのときに使えるからいいや」
『ほ、他の人って・・・何よ!もう私を諦めちゃった訳?』
「あれ?という事は、思ったより期間延長の可能性が大きい?」
『お、大きくなんて無いわよ!もう、ミジンコみたいな確率なんだからね?』
「じゃぁ、別に僕が次を考えても良いんじゃないの?」
『だ、ダメに決まってるでしょ!キミはね、いまは私の恋人なの』
「でも、よく仕事では次の事も考えて行動しろって言われてたような・・・」
『だ、だからって、目の前の事もおろそかにしちゃダメ!私の恋人を全力でやるの!』
「じゃぁ・・・こうしても良いよね?」
『え・・・?』
先輩の手をとり立ち上がる。僕の行動の真意を測りかねているのか、呆然とする先輩をそのまま
さっき告白させられた場所へと連れて行く。
『な、何よ?またこんな所に・・・きゃっ』
何か言い出される前に、僕は先輩を抱きしめた。
まず感じたのは一杯に広がるふんわりとした甘い匂い。次に腕や体で感じる先輩の柔らかさ。
抱きしめて気が付いたのだけど、先輩は思ってたより小柄だった。僕より頭一つ小さいくらいの身長。
いつも威厳たっぷり、偉そうにしていたせいか、もっと大きな人だと錯覚していたようだ。
『こ、こら・・・こんなとこまでしていいなんて・・・い、言ってないわよ?』
そう言いつつも、先輩はまったく抵抗しない。むしろ、先輩も僕の腰に手を回して軽く抱きしめ
胸のあたりに顔を押し付けてきた。
「これが僕なりの、全力を出した結果だよ」
そういいながら頭を撫でてあげると、顔を上げて目と目が合った。うるうるとした瞳で、嬉しそう
というよりは、幸せそうな顔をしている。
『これで全力か・・・ま、70点くらいかな?』
えへへと笑う先輩。今までの中で一番の高得点、つまりは満点だ。
「・・・良い?」
この言葉で先輩がぱっと目を見開いた。どうやら、僕が先輩とキスしたいという気持ちが伝わったらしい。
ちょっとだけ切ない顔をして、また僕の胸に顔を預けた。
『き、キスは・・・ダメ』
「どうして?」
『・・・どうしても』
「さっきはする気だったでしょ?」
『そ、そんな事無いわよ。あれはキミをからかおうと』
「独り言、聞こえちゃった」
『独り言って・・・あっ!?』
「ゴメン。でも・・・だからこういう行動に出れたんだ」
『何よ・・・減点よ減点。褒めるんじゃなかった。急に変わったから、おかしいと思ったのよ』
急に背中に痛みが走った。先輩が僕の背中を抓っているようだ。流石に抓り返す事はできないので
僕は代わりに、頭を胸により押し付けるように頭を撫でた。
「それで・・・なんでダメなの?」
『さ、さっきは勢いでしようかなって思ったけど・・・でも、良く考えたら、ダメだなって』
「勢いだから?」
『そうじゃなくて・・・その・・・キスは期間延長した後でかなって』
「じゃ、もう期間延長して?」
『ダメ。物事をちゃんと最後までやり遂げない人は嫌いだぞ?』
「そう・・・だね。ゴメン、先走りすぎた」
『分かればよろしい』
先輩は顔を再びあげ、背伸びをして僕の頬に口付けをした。
『今は・・・これでガマンして?』
口付けのあとの先輩の顔を見ると、少し物足りなさそうに唇をキュッした。本来なら・・・今すぐにでも
口と口でキスしたいって思っているに違いない。
けれど、自分で敷いたルールは守らないといけない。破ってしまうのは簡単だけど先輩は自分自身にも
厳しいので、一度決めた事は破ろうとしない。そして、そんな先輩だからこそ、僕は好きになったんだと思う。
だから、僕もそのルールは破らない。
ふいに車内放送が流れた。僕達が降りる駅が近づいているらしい。
『もうすぐ・・・降りる駅に着いちゃう』
「何か、もう少しこうしてたいけど」
そっと先輩がさっき口付けをした方と反対側の頬を撫でた。かと思った瞬間、急激な痛みが走る。
待ち合わせの駅でされた頬っぺた抓りだ。
「痛い痛い」
『いつまでもこうさせてあげてると思ったら大間違いよ!さっさと離れなさい』
「そんな・・・」
『言っとくけど、今のはアルバイトの前払いだからね?もうこれ以降は、こんな事無いから』
今更になって恥ずかしくなったのか、先輩はふんと鼻を慣らして座席の方へと戻って行ってしまった。
その背中を見送りながら僕は呟いた。
「素直じゃないな・・・まったく」
それから次の駅に着くまで、お互いずっと無言ですごした。僕はこれからの事・・・とりわけ先輩の
ご両親への挨拶をどうしたものだろうと思いを巡らせる。その間、先輩は横目でチラチラとこっちを
見たようだけど。


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