その4

『ほら!さっさと入りなさいよ!』
「車来てるって」
『この距離なら入れるでしょ!あー、もう!このノロマ!』
晩御飯に豪華すぎる年越し蕎麦を食べたあと、義父さんの進めで僕達は車で15分くらいの所にある
温泉へと行く事になった。義父さんの車を借りて二人だけで。
粋な計らいだなと思いつつ、普段なら絶対乗る事ができない高級車のハンドルをワクワクして握った。
・・・までは良かった。
発車してすぐ、道案内役の先輩から激が飛ぶ。やれスピードが遅いだの、前の車との車間距離が開きす
ぎだのと。簡単に言えば、黄色信号を止まろうとする僕に対して、アクセルを踏み込ませたい先輩という感じ。
しかし、走ってすぐわかったのだがこの地域全体的に先輩タイプのドライバーが多い。ちょっとでも
車間距離を開けようものならガンガン割り込んでくる。黄色信号で止まった僕に後ろからクラクションを
鳴らしてきたり。
「所変わればというか・・・走ってて疲れるね、この辺」
『そう?普通じゃない?』
「僕の住んでる地域なら、間違いなくマナーの悪いドライバーだよ」
『郷に入っては郷に従うよ。はい、そっちの車線に入って』
「いや・・・無理だって」
『無理じゃない!あー、距離詰められた!ったく・・・このバカ』
そんな感じで、ようやく温泉に到着した。
そこは趣のある宿のような概観。もしかしたら宿泊する場所もあるのかもしれない。
ロビーには大晦日にも関わらず、沢山の人がくつろいでいた。結構地元では人気がある場所なのだろう。
『それじゃ・・・30分後にここ集合ね』
「えっと・・・なんだっけ?神田川?」
『貴方はもう、忘れたかしら?ってやつ?』
先輩はニコニコしながら僕の肩を掴み、思いっきり握り締めた。
「痛たたた」
『言っとくけど、私を待たせたら・・・死刑?』
「ここ暖房効いてるから、寒くないじゃない?」
『う・る・さ・い。えい!』
僕の更なる叫びに、くつろいでいるお客さん全員の視線を集めてしまった。

先輩と別れ、一人になるとすぐさま行動開始。あの先輩の性格なら、死刑はあながち冗談じゃない気がする。
殺されないまでも、そうとうひどい目にあわせる気だ。
30分後に集合と言いつつ、すぐに出てくる事態も想定しないといけないだろう。
ゆっくりと湯船に浸かりたいが、体を暖める程度に止め、さっさと頭と体を洗い始める。
別にこの後何がある訳でもないのだが、万が一があるかもしれないので、体は特に念入りに。
大急ぎでロビーに戻り、先輩の姿がない事に一安心。マッサージチェアにドカッと腰掛、先輩が来るのを
待ち構えた。
そして30分後、先輩は戻ってきた。僕は一体なんのために急いだのだろう?少し悲しくなった。
『ん?そんな顔をしてどうしたの?』
「別に・・・」
『そう?変なの』
小首をかしげる先輩。どうせ言っても『キミが早く出すぎたの悪い』の一言で終わりそうなので、この事に
ついては黙っている事にした。
『あ、牛乳飲もう。キミはコーヒー牛乳派?フルーツ牛乳派?』
「僕はただの牛乳」
『うわ・・・邪道』
「えー、何で?そもそも牛乳に何か混ぜる方が邪道でしょ?」
『キミはね、コーヒー牛乳の美味しさが分からないのよ。ちょっと待ってなさい』
そう言うと、ツカツカとカウンターへ向かい、コーヒー牛乳を2つ買って戻って来た。
僕の目の前に2つとも置き、目で『蓋を開けなさい』と命令する。それに従い、渋々蓋を開け
1つを先輩の前に。お互い立ち上がり、腰に手をあてコーヒー牛乳を一気飲み。
『ぷはぁ、やっぱりこれよね、これ!どう?』
「まぁ・・・悪くないけど」
『今日からキミもコーヒー牛乳派の仲間入り。ただの牛乳を飲んだら承知しないわよ?』
何だか良く分からないうちに、変な派閥に入れられてしまった。美味しそうにコーヒー牛乳を飲む先輩を
見ていたら、それも悪くないかと思い始めてくるから不思議なものだ。

車に戻り、来た道を戻ろうとすると、先輩より違う道を指示された。言われるまま右へ左へと進んでいると
いつしかずっと上り坂。どんどん山の中に入っている感じ。
「家ってこっちだっけ?」
『寄り道。ちょっとくらい良いでしょ?』
「二人きりの時間を延ばすんですね、分かります」
『ち、違うわよ!あと、口調!』
「いや、今のはこういう言い回しの・・・決め台詞みたいなものだよ」
『紛らわしいのよ!あっ、そこで止めて』
急いでブレーキを踏み、車を止める。そこは山道のカーブ手前の場所。先輩は外へと出て、ガードレール
の場所から向こう側を見ている。僕もそれに倣い、車を降りる。風呂上りという事もあり、より一層寒く感じる。
「風邪引くよ」
すると、先輩は無言で指差を差す。その方向は綺麗な夜景が広がっていた。しばらくその光景を無言で
見ていると、先輩が口を開いた。
『ここね、夜景の綺麗な穴場スポットなの』
「本当に綺麗だね」
『ちょ、ちょっとした・・・ジンクスがあってさ』
「ジンクス?」
『恋人同士でここにくると・・・ずっと一緒にいれるって』
「それって・・・」
『バカ!そんなんじゃないわよ!ただ・・・昔から行ってみたいと思ってただけ。相手がキミなのは
 気に入らないけど』
「でもさ、事実僕と一緒に来た訳でしょ?」
『う、うるさいわね・・・しょうがないでしょ!他に相手がいないんだから』
「僕は一緒にこれて、すごく嬉しいよ」
『うぅ・・・ぁ・・・さ、寒い!キミは彼氏なんだから、何とかしなさい』
照れ隠しのつもりか、無茶な事を言い出した。いや、これはもう少し僕に近づいて来ていいという
先輩なりの合図なのかもしれない。
僕は先輩の背後に回り、ぎゅっと抱きしめた。そして、耳元でそっと囁く。
「好きだよ」
『ば、ばか・・・急に・・・な、何を言い出すのよ』
「急にも何も、ずっと思ってた事だよ?それに、恋人なら当然言うセリフでしょ」
『その・・・そんな事言われたら、我慢できなっちゃう』
「我慢?何を?」
『え!?そ、それは・・・き、キスとか・・・』
「やっぱりキスしたいんだ?」
『あ、相手がキミみたいなダメ男でも、恋人にムードたっぷりな場所で言われたらそういう雰囲気
 になるって意味よ!』
腕の中で体を反転させ、向き合う格好に。先輩は、うるうるとした瞳で切なそうに僕を見上げている。
普段は厳しい年上の女性なのに、今は甘えん坊の年下の女の子のように思える。そのギャップはズル過ぎ。
僕はさらに腕に力を入れて抱きしめる。それに合わせ、先輩も僕を抱きしめる力を強めた。
身も心も温かい。初めて先輩と気持ちが通じ合えた・・・そんな気がした。

それからしばらくして、別のカップルがやってきたので僕達は退散する事にした。
泊まる部屋に入るなり、先輩はさっき引き離した布団をもとあったようにくっつけた。
『お母さんに見られたら不自然に思われるじゃない?』
「まぁ・・・そうだね」
『あ、あと・・・そう、私ってば、結構冷え性なの。だから、キミの足とか手を湯たんぽ代わりに使うわ』
「なんか、取って付けた様な言い訳っぽく聞こえる」
『何よ、文句でもあるの?』
「いや、無い。さ、寝ようか」
電気を消し、布団に入るなり、先輩が僕の布団に入り込んできた。
最初はさっき言ったとおり、自分の足を僕の足に当てたりしていたが、段々と僕に接地する場所が増えていき
最終的には僕が抱きしめる格好になっていた。
今は腕の中で小さく寝息を立てている先輩。色々堪えるのが大変だったが、旅の疲れもあり、僕も眠りに落ちた。
こんな事、他の人に話したら「ヘタレ」だの「男じゃない」とか言われるだろうな・・・と思ったりしながら。


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