第三話 「なみだのいろ」

ガシャン!
教室に、けたたましい音が響いた。
それは、千奈美の机の上にあったペンケースが床に落下し、中身を散乱させた音であった。
「あらー。ごめんなさーい」
続くは、明らかに謝罪の気持ちなどないのが明白な、わざとらしい声色の女子の声だった。
「・・・・・・」
千奈美はペンケースを落とした女子を一瞥することすらなく、散乱した中身を拾い集めると、すぐに席に戻った。
忌々しそうな目付きで、それを見つめる女子。
「なにこれ。超感じ悪くない?」
「うんうん。お高く止まってんじゃないわよ」
みるみるうちにクラスの女子数人が千奈美のまわりに集まりだし、本人の目の前にも関わらず罵詈雑言を繰り返す。
・・・・・・おいおい。ねちっこいやり方だな。暴力に訴えずにこういうやり方をするのは、女子特有のものだ。・・・・・・はっきり言って、殴られて痛い思いをするよりも遥かにタチが悪いと思う。
クラスの女子が、千奈美に対していやがらせをしているのは前々から知っていた。
だが、改めてじっくり見てみると、それはもはやイジメの域だ。
今のような些細ないやがらせ、暴言に始まり、とにかく女子特有の陰湿ないじめは毎日のように繰り広げられていた。
しかし、どんなことをされても千奈美は、怒るどころか反応すらしないのだ。

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「ちょっと!なんとか言いなさいよ!」
そんな千奈美にしびれを切らした女子が、遂に手をあげる。
千奈美は読んでいた本をはたかれて、それが床にばさりと落ちた。
・・・・・・俺は、それを見て立ち上がった。
「・・・・・・」
千奈美も、本を拾うために立ち上がる。
「ほい。おまえらもそのへんにしとけよな」
俺が本を拾い、千奈美に渡す。
千奈美は一瞬だけ、驚いたような表情をした。
「・・・・・・」
だが、すぐに目を伏せ、本を受け取ると、帰り支度をしてそのまま教室を出ていってしまった。
はぁ・・・・・・なんか、反応がいじめっ子に対するものと一緒ってのも淋しいものがあるな・・・・・・
「なにあれ。感じわるーい」
「別府君、何であんなん助けるわけー?」
「いや、なんでって言われても・・・・・・」
さすがに、うそとは言え一応彼氏ですから、などとほざくわけにはいかない。
こんな奴らに真実が伝わったら本気でヤバい事態になりかねないしな・・・・・・
「じゃ、そゆことで」
「あ、待ちなさいよ!」
俺は煩い女子共の制止を振り切り、教室から逃げ出した。

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「しかし・・・・・・あいつも変わった奴だよな」
無論、千奈美のことである。
あれだけ理不尽なイジメを受けて文句の一つも言い返さないとは。
文句も言えないほど気が弱いとも思えない。
むしろ千奈美なら、文句など言わずとも無言の目力とプレッシャーのみで小煩いだけの雑魚なんて一蹴してしまいそうな感もあるが。
・・・・・・と、俺が下駄箱に辿り着くと、そこには千奈美の姿があった。
何をするでもなく立ち尽くす千奈美。その瞳には―――
「泣い・・・・・・てんのか?」
「・・・・・・っ!」
俺の声に驚きの表情を見せた千奈美は、カバンから靴を取り出すとすぐに校門へ向かって歩きだした。
・・・・・・て、カバンから靴?疑問が浮かぶも、それはとりあえず置いておき、俺も自分の下駄箱から靴を取り出し千奈美の後ろ姿を追い掛けた。

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「や・・・・・・やっと追い付いた。歩くの早いな、いいんちょは」
「・・・・・・キミが遅いのよ」
ようやく、千奈美が口を開いてくれた。
なんだかそれが妙にうれしかった。自分だけしか知らない宝物を見つけたような、幸福感。
「な、いいんちょ。なんでカバンに靴入れてんの?」
「・・・・・・よく隠されるから」
「な・・・・・・なるほど」
実に利に叶った対処法。カバンの中の靴まではいたずらしようがない。
だけど、すごく後向きなやり方だとも思った。
「なんであいつらに一言言ってやらないんだ?むかついてんだろ?」
「・・・・・・別に。もう慣れた」
「じゃあ、何で泣いてたんだよ・・・・・・」
「・・・・・・泣いてない」
ぷい、と顔を背け、千奈美は言った。
泣いてただろ・・・・・・俺はことばを飲み込んだ。それ以上踏み込んでいいものか、躊躇したからだ。
それからは、まるで葬儀の参列のような帰路。俺も千奈美も一言も喋らず、ただただ革靴がアスファルトを叩く音だけが響いた。
ある程度歩いた後、不意に千奈美が立ち止まる。
「わたし、こっち」
「お、おう」
岐路。俺の家とは逆方向だ。
・・・・・・どうやら、ここでお別れのようだ。
もっと話したいことは沢山あったような気がするんだがなあ・・・・・・

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「・・・・・・ごめん、嘘ついてた」
「へ?」
唐突に、俺に背を向けたまま千奈美が切り出す。
「ほんとは、ちょっと泣いてた」
「やっぱり・・・・・・辛いんだろ?あんなことされて」
「・・・・・・違う」
千奈美が俺の方へ振り返る。その頬が、少しだけ紅潮しているように見えた。
「・・・・・・嫌われたかな、って思ったから・・・・・・」
「へ・・・・・・?」
「・・・・・・お礼も言えなかった」
「あ、ああ」
確かに、せっかく仲裁に入ったのだから「きゃーすてきありがとう大好き」ぐらい言われてもいい(←?)とは思う。
だが、まさか千奈美がそんなことを言うわけはない。想定の範囲内ってやつだ。
「んなことないよ」
「・・・・・・うそつき。無愛想な奴って思ってる」
まあ、確かに思ってはいるが・・・・・・それと好き、嫌いは別の話だ。
「・・・・・・他の人に何をされてもいいの。でも、キミに・・・・・・」
「い、いいんちょ・・・・・・」
千奈美は言い掛けたことばを、飲み込んだように見えた。
「・・・・・・またね」
そして、くるりときびすを返し、歩きだした。
・・・・・・千奈美、少し笑っていたな。
いつもの千奈美からは想像もできない可愛らしい笑顔。
(あんな顔で笑えるんだな・・・・・・)
俺は妙な胸の高鳴りを感じながら千奈美の背中を見送っていた。


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