第八話「ゆめのおわり」

それは、些細な偶然が重なって起きた、必然。
俺の目の前には、かなみがいた。
その目は、昨日俺に千奈美のことを話してくれた時のものではない。
明らかな敵意と怒り・・・・・・そして、深い悲しみ。
「わたし、言ったよね・・・・・・お姉ちゃんを悲しませる奴は許さないって・・・・・・」
「・・・・・・」
俺は、かなみに返す言葉もなかった。
―――時は、数時間前に遡る。
俺は商店街を一人でぶらぶらしていた。
今日は、千奈美は委員長の仕事があるらしく一緒には帰れなかったのだ。
「よう、別府」
「山田か」
ばったり会ったのは、悪友の山田だ。
「おまえ最近付き合い悪くね?」
「ああ。最近はいいんちょと遊んでばっか・・・・・・ハッ!?」
俺は、何気なく言った言葉が取り返しのつかない過ちだとすぐに気付く。
「いいんちょ・・・・・・?あぁ、うちのネクラ眼鏡のことか?」
「・・・・・・」
ちっ・・・・・・俺は心の中で舌打ちする。
山田はあの日の罰ゲームの事などすっかり忘れていた様子だ。それなのに俺は・・・・・・
「ああ。そういやおまえ、罰ゲームであいつと付き合ってたんだっけ。何?まだやってたの?」
「・・・・・・ああ。わりぃかよ」
俺は不機嫌そうに答える。

[]

「んだよ、何怒ってんだよ」
「うるせーな。俺はもう行くぜ」
これ以上千奈美の事について山田と話しても、状況が悪化するだけだ。
俺は早々に話を切り上げようとする、が。
「まぁ待てよ。罰ゲームは確か、付き合って気分を盛り上げた上でネタばらし、だったよな?」
「・・・・・・そうだな」
「まぁ、一週間は大幅に過ぎたが・・・・・・そろそろいいんじゃないか?」
「・・・・・・そんな事する気はねぇよ。もう俺といいんちょの事はほっといてくれ」
俺は山田に背を向けようとする。
「・・・・・・何?じゃあおまえ、マジであいつの事好きになったわけ?」
「・・・・・・っ!」
一番痛いところを突かれ、俺は言葉を失う。
「俺は・・・・・・」
「もし本気じゃないなら、こんなことに何の意味があんだ?」
それはまったくの正論だ。好きで付き合ってる訳でもない。罰ゲームを遂行する気もない。
それなら俺は、何故千奈美と一緒にいる?
自問しても答えは出ない。
「・・・・・・と、とにかく。もうこのことは忘れてくれ。な?」
「まぁ、もう罰ゲームもどうでもいいし、眼鏡のこともどうでもいいから構わねぇけど」
「そか。じゃあ・・・・・・なっ・・・・・・!」
俺が振り返った瞬間、信じられないものが目に入る。
かなみ。かなみがそこには立っていた。
聞かれた・・・・・・!俺は一瞬で血の気が引く。
「タカシ・・・・・・ちょっと来い」
かなみが静かに言い放った。

[]

―――
「説明しろ、タカシ」
「・・・・・・」
かなみは、まっすぐに俺の目を見据えて、呟く。
「さっき言ってたこと・・・・・・本当なのか?」
「・・・・・・」
俺はかなみの目を見れない。それは、端から見ればかなみの言葉を肯定していることが明らかだった。
それでもかなみは、何かに縋るように擦れた声で言葉を続けた。
「タカシ、あれは冗談なんだろ?・・・・・・わたしはあんな軽薄そうな男の言葉なんか信じない!否定してよ!一言違うって・・・・・・」
俺は、決意を込めてかなみの目を見た。
これ以上隠し切れはしない。何よりこの上更に嘘を重ねるなんて、耐えられなかった。
「かなみちゃん・・・・・・」
「あの話は・・・・・・」

本当なんだ。

かなみの目に涙がみるみる溜まる。
「じゃあ・・・・・・おねーちゃんに告白したのは、冗談半分だったのか・・・・・・?」
「・・・・・・そうだ」

俺の頬に鈍い痛みが走った。一瞬遅れて、かなみに殴られたのだと気付く。
口の中に鉄臭い味が広がる。
「おねーちゃんに・・・・・・おねーちゃんに二度と近づくなッ!」
かなみが走り去った後も、俺は惚けた表情で立ち尽くしていた。
夢の終わり。それは唐突に訪れた。

[]

「・・・・・・あ」
「・・・・・・」
校門前には、いつものように千奈美が待っていた。
だが俺は、目も合わせず、早足で通り過ぎた。
「・・・・・・え?」
千奈美は、一瞬訳がわからない、といった表情をしたが、すぐに俺の後をついてくる。
「・・・・・・昨日、一緒に帰れなくて・・・・・・ごめん」
「・・・・・・」
俺は、千奈美に言葉を返さない。どうやらかなみは、まだ昨日の事を千奈美に話していないようだ。
「・・・・・・キミと一緒に帰れないの、淋しかった・・・・・・」
「・・・・・・」
千奈美は珍しく、いつもよりも沢山喋る。
「・・・・・・ねえ、今からまた、あの喫茶店行かない?」
「・・・・・・」
俺は一言も口を聞かずに、いつもの別れ道に辿り着く。
俺は別れの言葉も言わず、自分の帰路へ足を踏み出す。
「・・・・・・・・・・・・」
千奈美は、まるで捨てられた子犬のような目で、いつまでも俺の背中を見つめていた。
俺は拳を握り締める。
これで・・・・・・いいんだ。
真実が知れてしまった以上・・・・・・いや、例えそうでなくとも、これ以上半端な気持ちで千奈美と付き合う訳にはいかない。
いかないんだ・・・・・・

[]

『具合が悪かったのかな?無理して誘ってごめん』
千奈美からメールが届いた。もちろん、返信はしなかった・・・・・・

「ね・・・・・・ねえ、別府君・・・・・・」
千奈美が・・・・・・あの千奈美が、何と学校で話し掛けて来る。
俺は、無視して立ち上がる。

「・・・・・・」
「・・・・・・」
千奈美は、何も言わずに通り過ぎる俺を目で追った。
「待ってよ・・・・・・」
「・・・・・・」
「待ってよッ!!」
「・・・・・・!」
聞いたことのないような、千奈美の絶叫に近い声。
思わず俺は立ち止まった。
「なんで・・・・・・なんで何も言ってくれないの?何でよっ!」
「・・・・・・っ」
千奈美の声は、既に涙混じりだった。
「わたし・・・・・・わたしがいけないの?学校で無視したりするから・・・・・・」
「わたし・・・・・・わたし・・・・・・頑張って学校でも話せるようにするから・・・・・・だから・・・・・・嫌いにならないで!」
静けさが訪れる。一陣の風が通り抜け、千奈美の濡れた頬を撫でた。
「・・・・・・ごめん」
俺は、それ以上何も言えず・・・・・・その場を走り去った。
―――背中に、千奈美の泣き声が突き刺さった。

[]

『おねーちゃんはあいつに騙されてたんだよっ!』

かなみの言葉は、にわかには信じ難いものだったけど、信じる他なかった。
・・・・・・タカシは、わたしの事なんか好きではなかったのだ。ただの冗談半分で、わたしに告白した。そしてその延長で、わたしと付き合っていた。
ただ、それだけ。それだけだったんだ・・・・・・
「・・・・・・わたし、バカみたい・・・・・・」
頬を伝う涙は、枯れることすらしない。
「一人で盛り上がって・・・・・・一人で・・・・・・キミをどんどん好きになって・・・・・・」
わたしは夜の公園を歩いていた。ぽつぽつと、雨が降りてくる。だけどわたしは、傘もささずに歩き続けた。
「よう、彼女」
わたしは、声がした方を振り向いた。
数人のガラの悪そうな男達が、わたしに近づいてくる。
「何やってんの?こんなとこで」
「・・・・・・」
「俺達と遊ばない?」
男の一人が、わたしの手を掴んだ。
「・・・・・・離してください」
わたしはそれを振りほどこうとするが、男の力は強く、びくともしない。
「そんなつれなくしないで・・・・・・さあッ!」
「・・・・・・!」
男が、わたしの制服を力任せに引っ張る。ブラウスのボタンが、何個かちぎれ飛んで、濡れた地面に落ちた。
「いいことしようぜぇ」
ばしゃん、と水溜まりの雨水が撥ねる。わたしの身体は湿った土の上に押し倒されていた。ああ、そうか。ようやく何が起きているか理解する。
抵抗しようとしたけど、力は入らなかった。そして、雨の夜の公園に、他に人影はない。もうどうにもならないと、わたしは瞬時に理解していた。
「もう、いいや・・・・・・」
わたしは、卑劣な笑みを浮かべる男達の顔ごしに、真っ暗い空を見上げた。
黒い雨が、とても冷たい―――


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