第九話 「千奈美」

「へへへ。女子高生か」
「・・・・・・」
男達は、何を考えているのか丸分かりの表情で、わたしを見ている。
わたしは、感情の籠もらない目で暗い空を見ていた。
結局、わたしのやってきたことの結末はこれだったんだ。
かなみを守るため、絶対に誰も信用しないと心に決めた。
学校でも、一度も友達が出来たことなどなかった・・・・・・というより、自分から全てを遠ざけていた。
そんなことをしているうちに、かなみは既にわたしがいなくても・・・・・・一人でも大丈夫なぐらい、大きくなっていた。
それに比べて、わたしの時間は、お父さんとお母さんが死んだあの日から、止まったままだ。
―――止まった時計が、ゆっくりと動きだした気がした。あの日、タカシに告白された時から。
わたしも、変わっていける。
かなみ以外の人間は誰も信用しない・・・・・・それはとても淋しいことだった。
だから、変わりたい。変わりたかったんだ・・・・・・
「それにしても、まったく抵抗しねーな、コイツ」
「これはこれでつまんねーなー」
こんな事になってみて、わたしは初めて判った気がした。
・・・・・・わたしは、傷つくのが恐かっただけなのかもしれない。
かなみを守るという大義名分の元、わたしは自分の殻に籠もり続けていただけなんじゃないだろうか。
・・・・・・だから、これは罰なんだ。そのつけが、今になってようやく回ってきたんだ・・・・・・
わたしは、ゆっくりと目を閉じた。



「・・・・・・」
俺は、ベッドに寝転び、天井の染みを見つめていた。
何もする気が起こらない。元々無気力人間だったのは確かだが、それを通り越して寝たきり老人のようになっている。
・・・・・・千奈美。
ずっと頭の中を占領し続けている、千奈美の幻影。
少しはにかんだ控えめな笑顔。
甘いモノを頬張っている時の、恍惚とした表情。
・・・・・・傷つけて、泣かせてしまった時の、胸をきりきりと締め付けるあの泣き顔。
どうして俺は、こんなにも千奈美に想いを馳せている?
これ以上傷つけないように、彼女から遠ざかったのではないのか?
・・・・・・いや、違うな。俺は、ただ恐かっただけだ。
千奈美を傷つけるのも、自分が千奈美に嫌われて、傷つくのも。
だから、いい加減な気持ちで人を傷つけた事を詫びるでもなく、彼女を最後まで騙しきるでもなく・・・・・・ただ、逃げた。
「あーッ、くそッ!」
俺はベッドの下に転がっていたジャケットを羽織ると、乱暴に部屋のドアを蹴り開けた。

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「・・・・・・ちっ。雨降ってるじゃねーか」
俺は玄関を出てから舌打ちする。だが、傘は持たずに歩きだした。
「・・・・・・」
どこへ行こうか。というか俺は、何をしようとしてるんだ?
「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・」
しばらく呆然と歩いてると、反対側から誰かの息遣いが聞こえてくる。
「・・・・・・かなみ、ちゃん・・・・・・」
「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・た、タカシ・・・・・・」
かなみは、俺と同じように傘もささずに走り寄ってきた。
「タカシ・・・・・・タカシ・・・・・・うわぁぁん!」
「・・・・・・!どうしたの、かなみちゃん」
ただならぬ雰囲気のかなみに、俺は何か嫌な胸騒ぎがする。
「おねーちゃんが・・・・・・帰ってこないのよっ!」
「な・・・・・・」
今は、もう日付が変わろうという時間帯だ。こんな時間まで帰らないというのは、何かあったと思っても不自然じゃない。
「アンタしか・・・・・・アンタしか頼れない・・・・・・他におねーちゃんと親しい人なんていないし・・・・・・家族だっていないし・・・・・・」
「かなみちゃん・・・・・・」
「お願いよ・・・・・・おねーちゃんを・・・・・・おねーちゃんを・・・・・・」
「だ・・・・・・たけど・・・・・・今さら俺が・・・・・・」
パシン、と。俺の頬に鋭い痛みが走った。

[]

二回目だ。かなみに殴られたのは。
俺は、張ったその手を上げたまま、俺を睨んでいるかなみを見つめた。
「いつまでうじうじしてんのよ、このバカッ!」
「・・・・・・!」
「あんた・・・・・・おねーちゃんが好きなんでしょ!?だったらなんで・・・・・・好きな人が大変なことになるかもしれないのに・・・・・・」
「・・・・・・す、き・・・・・・?」
「そうよ、大バカっ!好きでもないのに、いくら罰ゲームだからって付き合ったりするかっ!いい加減気付きなさいよ鈍感男!」
「・・・・・・・・・・・・!」
早口に、かなみは俺をまくしたてる。
俺は、雷に打たれたような衝撃を受けた気がした。
「・・・・・・昨日だって・・・・・・一言、『今はちゃんとおねーちゃんが好き』って言ってくれたら、あんなことには・・・・・・」
「・・・・・・」
「お願いよ・・・・・・タカシ・・・・・・お願い・・・・・・」
俺は、濡れたかなみの頭をぽんぽんと叩いた。
「かなみちゃんは・・・・・・家に帰ってな」
「・・・・・・え、でも」
「・・・・・・大丈夫だ」
俺は、かなみに背を向けた。
もう、俺の目に迷いはない。
「どうしてもっと早く、気付かなかったんだろうな」
「タカシ・・・・・・」
「君のおねーちゃんは・・・・・・俺が必ず見つける・・・・・・っ!」

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情けねぇ。
情けねぇ情けねぇ情けねぇっ!
俺は何やってたんだ・・・・・・っ!
千奈美が、好き。
そんな単純な事に気付くのに、どれだけの犠牲を払った?
好きな人を傷つけて、その人の大切な人まで泣かせて・・・・・・
その上、自分よりいくつも年下の女の子に頬を張られて、ようやく目が醒めたってか?
馬鹿め・・・・・・っ。究極の大馬鹿め!
「でさぁ、別府の奴、うちのクラスのネクラ眼鏡とさあ・・・・・・」
「やーまーだーあああっ!!」
「・・・・・・は?・・・・・・ぐわっ」
俺は、コンビニにたむろしていた山田を見つけ、背後からラリアートで薙ぎ倒す。
そして、乗っていた原付を奪う。
「これ借りるぞ!」
「べ・・・・・・別府?」
俺はぽかんとしたまま地べたにへたりこんでいる山田とその一味を無視し、アクセルを全開にした。

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ぴしゃん。
何かが水溜まりに落ちる音がして、わたしは目を開ける。
―――それは、小さなピンクのペンギンのキーホルダーだった。
「・・・・・・あ」
わたしとタカシで、初めて寄り道したゲームセンターで取った景品・・・・・・
元々、二つで一つのキーホルダー。
それを一つずつ、カップルで持っていれば、ずっと仲良しでいられるって・・・・・・他愛もない、おまじない。
結局、何の意味もない迷信だったって、自分で証明することになるなんて・・・・・・思いもしなかった、な。
「へへへ・・・・・・」
男たちの一人が、わたしに近づく。
落ちたキーホルダーには気付かず、それを踏み付けようとしていた。
「・・・・・・だめっ!」
わたしは、無意識のうちに飛び起きていた。
そして、男の足元のキーホルダーを拾い上げる。
「ああ・・・・・・?急に元気になったな」
あれ・・・・・・?あれ・・・・・・?
わたし、何やってんだろ・・・・・・
今更こんなものを守って何になるの?
もうわたしは、何一つ持ってないのに・・・・・・何を守ろうとしているの?
まだ、信じているの?タカシの事を・・・・・・裏切られても、まだ・・・・・・

[]

『信じてほしいなら、信じなさい。愛してほしいなら、愛しなさい』
それは、死んじゃったお母さんがよく言っていた言葉だった。
わたしは誰も信じようとしなかった。
きっとタカシの事も心のどこかで遠ざけていたんだ。だから、こんな事になったんだ。だから・・・・・・
・・・・・・まだ、まだ間に合うだろうか。
都合のいい考えかもしれない。でもわたしは・・・・・・
わたしは、タカシが好きなんだ!
「助けて・・・・・・別府君・・・・・・」
「あぁ?今更それかよ。叫んだって誰もこねーぞ」
わたしは、男たちの言葉を無視し、叫んだ。

「タカシーーーーっっっ!!!」

―――それは、夜の静かな公園にはあまりに不釣り合いなシーンだった。
まるで、映画のワンシーン。高く飛んだオートバイは、着地した瞬間雨水で横滑りして木にぶつかり、乗車していた人は吹き飛んだ。
「な・・・・・・なんだ?」
「・・・・・・死んだんじゃねーか?」
男たちが、突然の事態にぽかんとする。
しばらくして、倒れていた『彼』がよろよろと立ち上がる。
「・・・・・・別府・・・・・・君・・・・・・?」
わたしが、待っていた彼。誰よりも、誰よりも待ち焦がれた・・・・・・
「・・・・・・お待たせ。いいんちょ」
「馬鹿・・・・・・遅い、よ・・・・・・」
擦れた声でわたしは呟き、手の中のペンギンを、ぎゅっ、と握り締めた。


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