その2

『タ・カ・シ・くぅん……』
 あ、あれは、いつも俺に豚を見るような目で接してくる、かなみさんじゃないですか。
 今日はずいぶんと潤んだ瞳で、そんな上目遣いに……一体、どうしたんですか?
『どうしたじゃないわよぉ、タカシ君が遭難したって聞いて、かなみ、すっごく心配したんだからぁ』
 心配って……だって、かなみさん、俺のこと嫌いって……
『そんなの……だって……かなみ、素直じゃないから、あの……もぅ!タカシ君のやぼちん!!』
 あぁ、そっか……かなみさん、本当は俺のこと……。
『タカシ君……ね? かなみを、離さないで? ぎゅぅって、してよぉ……』
 いつの間にか、傍らには派手な天蓋つきのベッドが出現しているが、そんなことは些細なことだ。
 男として、このシチュエーション、退くわけにはいかぬ!
『タカシくぅん……』
 かなみさぁん………………

 ビリビリビリィーーーー!!

「ハッ!!」
 夢か……とお約束の台詞を吐く間もなく、俺はわが身の異変に気付いた。
「な、なんじゃこりゃぁ!」
 着ている退くがズタズタに裂かれていた。上半身はTM.Rev○luti○n並みに露出度が上がり、ジーパン
は裂けるチーズみたいになっている。ちなみに一切伏字になってないという突っ込みはスルーだ!
 辺りを見渡せば、そこはごつごつした岩肌の洞窟だった。
 いや、それはいい。俺は町内会の福引で当たったマカオ旅行で、船から放り出されてこの無人島に流れ
ついたのだ。で、この洞窟の主が……
『ガウッ! ワウゥッ!』
 俺の『元』上着であろう、ボロ布と戯れている、この獣人だ。
 『獣人』と言うより他にない。人型の姿に、猫だか犬だか解らない耳。体のあちこちに、フサフサと生
えた体毛。鋭い爪と牙。
 『猫耳萌え〜』とか言ってるヤツらに告ぐ。あれは、『人間ベースに獣のパーツがついてる』から萌え
るのであって、『獣ベースに人間のパーツがついて』も、何の萌えもない。あるのは、戦略的優位性(タ
クティカル・アドバンテージ)だけだぞ、スネーク。
 さて、それはさておき。
 俺の服に起きた惨劇に、ある疑問が浮かぶ。

 ――もしかして、汚された?

 獣の本能を舐めていたかもしれない。っていうか、俺ってば初体験が獣(?)となんて、イヤ過ぎる。
 慌てて体を調べるが、とくに異変はない。体中擦り傷だらけだが、それは昨日散々野山を駆け回り、その
上洞窟を引きずり回されたせいだ。
 結局のところ、自分は着ていない服に興味を示してる内に、玩具を前にした猫のようにテンションが上が
って……といったところだろうか。つーか、ジーパンって爪で裂けるのね。よくもまぁ、俺の肌が無事だっ
たもんだ。
 体を起こした俺に気が付いたのか、ヤツはこちらに何かを投げてよこした。
 反射的にキャッチすると、それは昨夜俺にくれたのと同じ果物だった。とりあえず、朝飯ということか。
嘆いても服が元通りになるわけじゃなし、俺は果物をかじりつつ、洞窟の入り口から顔を出した。
 外は抜けるような青空だった。日差しは強いが、日本のようにジメジメとしてないのがありがたかった。
目の前には川が流れている。どうやら、飲用にして大丈夫そうだ。
 そんなことを思いながら、一歩踏み出すと、ビリビリになったズボンの裾を掴まれた。コケそうになるの
を堪えて振り向く。
『ガウウゥ……』
 家主様が歯を剥いて、こっちを睨みつけていた。
「なんだよ」
『グルルル……』
「……あのな、ションベンしたいんだけどさ。すぐ戻ってくるから、な?」
 噛まれるかもしれないと思いつつ、その頭を撫でてみる。ライオンに立ち向かったムツゴ○ウさんはこん
な気持ちだったのだろうか。
「よ〜し、よしよしよしよし……いい子ですね〜……」
言っては見るが、声に余裕はない。
 どうにか、頭に突き出た耳の間辺りに手を置く。意外にも、髪の毛はサラサラと手に馴染んだ。この毛を
『髪の毛』と呼んでいいのかは疑問ではあるが。
『クゥン』
 ヤツは俺を上目遣いに見て、それからゆっくりと手を離してくれた。
「よし、すぐ戻ってくるから、な?」
 そう言うと、素直に頷いて、それからまた俺の上着で遊び始めた。
 なんだか、こういうトコは可愛いんだけどなぁ。小動物みたいで。

 用を足して、上半身裸になってみる。シャツはすでにボロボロの包帯みたいになっていて、着てても仕方
なかったからだ。ボロボロと言えばズボンもそうなのだが、さすがにパンツ一丁というのは人としてアレな
気もするので、こっちはどうにか膝上で整えておいた。
 シャツを新しいオモチャとして家主殿へ進呈すると、俺は改めて洞窟の中を観察した。
 魚や動物の骨、果物の種なんかは、こいつの食べ残しだろう。
壁には、先端の尖った一メートル程の棒が立てかけてある。牙や爪で削ったんだと思うが、いまいち用途が
解らない。触ろうとすると睨まれるし。
 だが、そんなものより、はるかに俺の目を引くものがある。
 夕べは暗かったのと疲労で気づかなかったのだが、入り口からやや奥まった部分に、ガラクタが山積みに
なっている。
 麻袋、空きビン、空き缶、新聞紙の束、何かのコード、虫メガネ……。
 恐らくは、俺と同じように浜へ漂着してきたものを、家主殿が好奇心に任せて収集したものだろう。文明
の香りに、俺は懐かしさの余り泣きそうになる。
 何か使えるものはないかと漁っていると、家主殿が俺の上着に飽きたのか、こちらへ擦り寄ってきた。
 『勝手に触るな』ってことかと思ったが、意外にも俺の手つきを、黙って興味深そうに見ている。
 だが、そうやってジロジロ見られては気になるのも当然なわけで。いまいち落ち着かない。
 そこで、フッとある考えが浮かんだ。
 この獣人、一体どの程度の知能があるのだろうか。
 たとえば、言葉とか……。試してみる価値はあるかもしれない。
 なんにせよ、しばらくはコイツと暮らさなければならんのだ。コミュニケーションは取れた方がいい。
 とりあえず、適当に話しかけてみることにする。
「あー……ハロー、ハロー」
『……ガウ?』
 ……駄目か。いや、あきらめるのは早い。
 俺は自分を指差して、できるだけハッキリとした発音で言ってみた。
「タカシ」
『ア……ガ……イ?』
 おぉ、なんか微妙に真似ようとしてる。だけど、それじゃまだ例の茶色のモビルスーツに近いんだな〜。
 首を振って、もう一度、今度は一音ずつ区切ってみる。
「タ・カ・シ!」
『タ…カ、シ』
 おぉ! やれば出来るじゃん! イントネーションとかおかしいけど、贅沢は言うまい。
 じゃぁ、次はコイツの名前を聞かなければ。
「キミの、名前は?」
『グゥ……? ナ・マェ?」
 首を傾げる相手に向けて、俺は指を差す。
「そうそう、名前。ワッツ・ユア・ネーム?」
『ネー……ム…………!!』
 単語を口にした瞬間、何かを閃いたように、その顔が明るく輝いた。
 よし! いいぞ!
『タ・カシ!』
 爪の伸びた指で、まずは俺を指して言う。
「そうだ!」
 大きく頷いて見せると、次にヤツはその指で自分を指差した。
 よし! 来い!
 俺の期待を込めた眼差しを受けて、ヤツは高らかに宣言した。

『ネムーーー!!』
 

         ネムーーー!!
                ネムーーー!!
                       ネムーーー!!

 洞窟の壁にエコーしながら、その声は消えていった。
「えっと……いや、そうじゃなくて」
 首を振って見せると、途端に不機嫌な顔になった。
 マズい。ここで怒らせては、非常に危うい未来しかない。こういうときは、こちらが大人になるべきだ。
「あ〜……そう、そうそう。ネムだ。ネムでいいぞ」
『ガゥ〜、ネム〜』
 幸せそうに、自分の名前(と本人が解ってるかは微妙だが)を連呼してる様子を見ると、こっちもどう
でもよくなってきた。
 

 ――ていうか、よくよく考えてみれば。
 野生動物に固体を識別する名前なんて、元々あるわけがないはずなのだ。結果的に、俺が名前をつけた
ことになるのだろうか。
『ネム、ネム〜』
 ヤツ(ネムでいいか。いいな、うん)は名前を連呼しながら、洞窟のすぐ前の川で、棒きれを手にして
遊んでいる。洞窟の壁に立てかけてあったヤツだ。
 日も高くなって、いよいよ本格的に気温が上がり始めたが、洞窟の中はひんやりとした冷気が篭ってい
て、快適だった。自分でも動いて少しは周囲を探検してみたかったのだが、遊びながらもネムがこちらを
気にしているので、迂闊に動けないのだ。
 しかし、どうしたものか。
 このまま、ネムに飼い慣らされたままでいるわけにも行くまいし、なにより俺は日本に帰りたい。
 どうにかして救助を求めなくてはなるまいが、どうしたものか。せめて海岸に移動したいんだが。
 自分の行く末について思いを巡らせていると、ネムが川から上がってこちらへ寄ってきた。
『ガウゥ♪』
 俺の鼻先に、手にした棒を突きつける。
 その先端には、体調三十センチほどの魚が、四匹、串刺しにされていた。
 すげぇ、何かと思えばモリだったのか。
 などと感心している間もなく、ネムは魚を俺の顔へグリグリと押し付けてくる。
「おい、ちょ……待て、なまぐさ……ぐぇ」
 新手の嫌がらせか? そう思って抵抗していると、ネムは一匹を引き抜いて、生のままバリバリ齧りだ
した。それから、再び俺に棒に刺さった魚を突き出してくる。
 いや、食えと誘ってくれるのは解るんだが、生は勘弁していただきたい。こちとら文明人なんだぞ。
 とはいえ、魚が食えると言うのは魅力的だ。果物で食い繋ぐのもしんどいし……。
 そのとき、俺の頭にひらめきが奔る。
 大急ぎでガラクタの山をひっくり返す俺を、ネムは魚の骨をしゃぶりながらキョトンと見つめていた。

 ――小一時間経過。
 俺はガラクタの山で見つけた虫眼鏡で日光を集め、火を起こすことに成功していた。幸い、焚き付けは、
麻袋やら俺の服の残骸やらがあって困らなかったし、薪もそこら中にある。最初に火種を起こすときこそ
手間取ったが、今は燃え盛る炎を前に魚が焼けるのを待つばかりだ。
 小枝を串代わりに突き刺し、火の傍に立てておくと、ほどなく香ばしい匂いが立ち上ってきた。
 いや、しかし火が使えるってのはありがたいね。これを使えば、狼煙をあげて救助を呼ぶこともできる
し、一気にこの先の展望が開けたように思える。
 自分の意外なサバイバル能力に、一人で悦に入っていると、すぐ横でうなり声が聞こえた。
『ガウ? グウゥゥ?』
 野生動物は火を怖がるとか言ってたのは誰だ。それとも、単純にこいつが好奇心旺盛なだけだろうか。
焚き火の前で、興味深げに炎の動きを観察している。
 魚の脂が焼ける香りがしだすと、ネムは目に見えて落ち着かなくなっていった。
「……ヨダレ垂らすなよ」
 『なんか美味そう』ってのは理解できるらしい。好奇心よりも食欲か。
 口から垂れる唾液を拭いもせずに、ネムは俺の手元を凝視している。
 それを無視して、表面の焦げを軽く払い、背中側から噛み付く。
 
 ――美味い!!
 
 なんだこりゃ!? 川魚ってこんなに脂がのってるものなのか!?
 パリッとした皮の下から、溢れ出す旨みに思わず喉が鳴った。
 あぁ、これで醤油があれば言うことないんだが。海水から塩とか作れないかな?
 夢中で貪る俺の様子を、ネムは虚ろな目で見ている。ヨダレが、あごの先から地面に垂れ落ちた。
 でも、お前は自分の分の二匹、生で食っちまったもんな?
 分けてやる義理はないよな? 俺も魚一匹じゃ流石に持たないし。
 なんて思ってる間に、火の傍に置いといたもう一匹が消えていた。
「あ、バカ!」
『ガァウゥゥ♪』
 いつの間に!
「おい! 返せよ!!」
 慌てて取り返そうと手を伸ばすが、あっさりと逃げられる。
『グウゥゥ……』
「このヤロ!」
 威嚇されたが、俺も譲るわけにはいかない。火のついた薪を手に取って、構える。
 こいつめ! 今日という今日は、人間様の恐ろしさを思い知らせてやる!
 ……だが、次の瞬間、その薪は中ほどから切断されていた。
 爪を光らせ、改心の笑みを浮かべるネム。
「……どうぞ、お納めください」
『ガウ♪』
 駄目だ。俺は駄目なヤツだ!! 獣に良いようにあしらわれるなんて、人間としてまるで駄目だ!
 自己嫌悪と敗北感に心が折れそうになるのを、『もともとあの魚はネムが持ってきたんだから』と無
理やり納得させる。
 自分で魚獲ってみようかな、とため息をついたとき。
『キャウンッ!!』
 と悲鳴のような泣き声が聞こえた。
 振り返ると、ネムは魚を放り出して、川へ駆けていくところだった。
 慌てて地面に落ちた魚を拾い上げ、砂を払う。3秒ルールにのっとり、セーフとみなすことにした。
 ヤツはといえば、四つん這いになって、川面に顔を突っ込んでいる。どうやら、水を飲んでいるらしい。
 ……もしかして、猫舌なのか? いや、間違いないだろう。
『ガァ〜ウゥ〜』
 恨めしそうな声が聞こえるが、俺はそちらに背を向けた。いい気味だ、というのもある。
 だが、それ以上に。
 川べりに四つん這いになってると、尻が突き出されて……『丸見え』なもんで。
 どうにかして服を着せなくては、と決意を込めて俺は温くなった魚を齧った。

 その夜。
 葉っぱのベッドで、隣をポンポンと叩くネム。
『タ・カシィ……』
 『言わなくても解るでしょ?』と言ってるかのような仕草だった。妙齢のお姉さまにやられたら、ベ
ッドへ飛び込む軌道上で全裸になれる勢いだが、俺のここでの役割は、ぶっちゃけ『抱き枕』でしかな
い。無論、選択の余地もない。
『グルゥ……』
 服があった昨日と違って、温もりがダイレクトに感じられて、堪ったもんじゃない。いや、溜まって
るけど、堪らない。
 とか、くだらないことでも考えてないと、昨夜に引き続き若い性が暴発しちゃいそうで困る。
 かと言ってこの場で狼藉を働けば、あえなくこの世とお別れなわけで。洞窟に転がる、昼間の魚の骨
が、自分と重なって見えてしまう。もしかして、俺って爆弾を抱えて寝ているようなものかもしれない。
 よし、ここは意識を逸らすため、一つネムについて整理をしてみよう。俺は昔から、難しくものを考
えると眠くなるタチだからな。

○ネム(仮称)に付いて
・半人半獣の姿をしている。言うまでもなく、未知の生物である。
・群れは作らない。この島に、同じ生物がいるかどうかはまったくの謎だが、ネム以外は今のところ見
 かけていない。
・知能はそこそこ。名前を覚えるし、簡単な道具を作って漁もする。
・好奇心旺盛で、コミュニケーション能力も高い……

 ――ん?
 そこまで考えて、ある疑問が浮かんだ。
 会話の中で、時折ネムは頷いたり、首を振ったりしていた。
 どうして、野生の中で暮らしてきたこいつが、頷くのを『肯定』だなんて知ってんだ?
 余りに基本的な部分なので、疑うこともしなかったのだが、考えてみれば不思議だ。
『クゥ……クゥ……』
 安らかな寝息を立てるネムの顔を見て、俺は眉間に皺を寄せた。
 それはつまり、文明の欠片もないこの島で、誰かがこいつに教えたということではないか?
 ってことは、つまり……つまり……
 
 俺以外の人間が、この島にいる……ってことか?
 
 それは、希望と取っていいのだろうか? それとも、違うのだろうか?
 そう考え出すと、ドアも何もないこの洞窟が、ひどく無防備で心細いものに感じられ、落ち着かなくなる。
 いや、喜ぶべきだ。それはきっと、喜んでいいことなんだろう。だが、胸の不吉なざわめきは収まらない。
 と、そのとき。

『グゥ……パァパ……マ、マ……』

「!!!!!」
 飛び起きそうになるのを何とか堪える。
 くそ、聞かなきゃ良かった。
 一体、どうなってんだ? 『パパ』『ママ』ってのは、コイツの親ってことか?
 そいつらは、この島に居るのか? 居ないのか?
 そもそもコイツ、本当はどの程度言葉が解るんだ? 
 
 ポッカリと空いた出入り口から、青白く切れそうな月明かりが差し込んでいた。
 岩肌の陰影から、不安が滲み出てくるようで、俺は結局、その夜は余り眠れなかった。


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