その5

「これで……よしっと」
「ガウゥ……」
 背中で結び目を作ってやると、ネムは不服そうに眉を寄せて唸った。
 俺のTシャツだったボロ布を、より合わせたり結んだりして形にした服である。
 まぁ、服と言っても胸は殆どサラシを巻いてるようなもんだし、下半身にいたってはフンドシっぽい。物資の少
なさと、俺の不器用さが織り成した絶妙なフォルム。いいよいいよ、とりあえず隠れれば。
「いいか、これは、お互いのためなんだからな?」
「ガルゥ……」
「用を足すときは外すんだぞ?」
「ウゥ……」
「よし! じゃぁ、行くか!」
 思いっきり不服そうな視線をあえて無視して、わざと明るい声を上げる。
 今日は、ネムの案内でこの島を探検することになっていた。
 それだけのことを提案するのに、結構な時間がかかったりもしたが、今は省略する。



 まずは、寝床の洞窟を出て五分ほど歩いた辺りの林へ向かう。
 足元には膝くらいまで草が伸びていたが、ここにも獣道ができており、歩きやすかった。
 時折、茂みから飛び出す鳥にビビるというお約束をやらかしていると、ふいに、前を歩いていたネムが上を指
差した。
 指先を追うと、そこには見慣れた果物が、鈴なりに実っている。
 本日の第一目的地は、この名前も知らない果物の木だ。いつもネムが取ってきてくれるのだが、そろそろ自分
で場所を把握しておきたかったので、頼んだわけだ。
 白っぽく、のっぺりとした幹に、幅広の葉が生い茂っていた。周りを見ると、同じような木がいくつかある。
ネムは俺を尻目にスルスルと幹を登っていった。手の届く枝に実がなっていないので、俺もあとに続く。木登り
なんて、ガキのとき以来だ。次からは、棒か何か用意しておこう。
 一番下の枝に飛びつき、懸垂の要領でよじ登る。
 それだけで結構手こずってる俺を置いて、ネムはもう三つほど上の枝で、果物を齧っていた。
「はえぇよ……野生児」
 と、ぼやいて次の枝へ手をかけると、いきなり顔に果物を投げられた。
「おぅわっ!!」
 あっさりとバランスを崩し、落下する俺。
「クシシシ……」
 葉の間から、笑い声が聞こえる。
「おのれげっぶぅ!!」
 身体を起こして文句を言おうとした腹の上に、今度はネム自身が飛び乗ってきた。
「お、降りろ……、バカ!」
 ネムはニヤニヤ笑いを浮かべながら、両手の人差し指を立てた。それをゆっくりと俺の胸の辺りへ降ろしてい
く。鋭い爪が怪しく光ると、背中から冷や汗が噴き出した。
 最近のシリアス気味な展開で忘れていた恐怖が、まざまざと蘇ってくる。
「え? ちょ……もしかして、怒りました? ヤだな〜。そんな、冗談じゃないッスか」
 恥も外聞もなくヘタれる俺には構わず、ネムは爪を俺の胸へ当てた。
 
 ――正確には、上半身裸の乳首に。

「あの……ネムさん?」
「クシシ……」
 『ねぇ、ビックリした? ビックリしたでしょ?』みたいな優越感が露骨に出た顔で、ネムは笑ってみせる。
その状況が、ネムと初遭遇したときと逆なことに俺はようやく気が付いた。
 いきなり襲われて押し倒され、パニックになった俺は、ネムの剥き出しだった乳首を指で押すという暴挙に
出たのだ。何で乳首だったのかは、今でも解らない。永遠に解らないままにしておきたい。
「あー……その節は、お見苦しいところをお見せしました」
「ガル?……セツ?」
「いや、人としての矜持というヤツだ。気にするな」
「キョー……?」
 首を傾げるネムの布で覆われた胸を見て、「余計なことしたかも」とか思ったのは内緒だ。

 

 昼食を果物と朝のうちに焼いておいた魚で済ませて、俺らは次の目的地へ向かった。
 果物の林を抜けると、川に突き当たる。鬱蒼と木が生い茂り、岩場にはコケが生えている。そこを、足を滑ら
せないように気をつけながら進んでいく。
 ネムは慣れた足取りでホイホイ進んでいくが、俺に手を貸すことはしない。
 確かに頼りきりなのもどうかと思うが、数メートル先でニヤニヤしながら振り向かれると、流石にカチンとく
るわけで。しかも、そんなときに限ってすっ転んで水に漬かってたりするから、やりきれない。
「いっ……てー」
 川の水は想像以上に冷たく、この辺りは日も差ないので、放っておくと風邪を引きそうだ。
 五メートルほど先で、ネムはこちらをニヤニヤしながら見ている。おのれ。
 憮然として、立ち上がろうと手近の岩に手をかけた。
 と、突然、ネムの顔から笑みが消える。
 野生動物の機敏な動作で、足元から石を拾うと、そのまま見事なフォームでこちらへ投げつけてきた。
「うおっ!」
 咄嗟に身をよじってかわすと、その礫(つぶて)は、立ち上がるために手を着いた岩に当たり、鋭い音を立て
た。
「おまっ、何すんd……」
 睨み付けて抗議しようと腰を浮かしかけた、そのときだ。
 
 シャアアアアァァァァ!!

「…………しゃー?」
 こんな無人島に、例の赤くて三倍速い人がいるわけもなく。
 目を転じると、いかにも[オイラに噛まれちゃヤケドじゃすまないぜ!]みたいな色をしたヘビがスルスルと
茂みへ退散していくところだった。
「クシシシ……」
 再び、頭上から得意げな笑い声。
「……ありがとうよ」
 チラチラこっちを見てたのは、結局なんだかんだで、気にしててくれたということだろう。
 やっぱりこの島では、こいつに頭が上がらないようだ。
 そんなこんなで、本日第二の目的地の一つに到着。
 目的地はズバリ、「水源ポイント」。洞窟前の川でもいいんだけど、知っといて損はないと思うし。
 岩の割れ目から湧き出している水が、いったん泉に溜まって、そこから川へ流れ込んでいた。
 この他にも、いくつか支流があると見ていいだろう。
 ひとまず、手ですくって飲んでみる。
 水の味なんて毛頭わからないが、ここまで歩き通しだったので、素直に美味いと思った。
「ガウ……」
「ほれ」
 隣で物欲しそうに見ている命の恩人にも、水をすくって差し出す。
「ガウ……ペロ……ピチャ……ピチャ」
 ネムは、目を細めて美味そうに水を飲んだ。手の平に舌が当たってこそばゆい。
 さて、お約束なので、一応言っておこう。
「なぁ……」
「ガウ?」
 俺の手に顔を埋めたまま、上目遣いに答えるネムに、俺は告げる。
「これって、間接キスだよな?」
「?????」
 うん、そんなオチだと思ってた。そもそも、間接キスかどうか微妙だし。
 悔しいから、手近にあった赤い花を摘んで、ピンと立ってる耳の横に差してやった。
「ガウ?」
「さっきのヘビの礼だ」
「ガルゥ!」
 そう言うと、『子供扱いするな』と言わんばかりの態度で先へ進み始めてしまった。
 
 ――でも、尻尾は正直に揺れてるんだよな。


 
 ネムが手を振るのに応じて、俺は足場の悪い岩場を苦労しながら進む。
 足元で砕けた波が、飛沫を上げた。
 ここは島の(太陽を見る限り、多分)北西に位置する海岸で、小さな入り江のようになっている。潮溜まりに
なっており、カニやらが動いていた。昼間のうちに上がった気温も落ち着き、穏やかな潮風が肌に心地よかった。
 ここは、俺が行きたいと頼んだ場所ではない。
 数箇所の水源を巡った後に、ネムが俺の手を引いて、やや強引に連れてこられただけだ。
 もうすぐ日も暮れるというのに、何なんだか。とりあえず、カニが食えるのかってだけが気になった。
 ネムはさっさと、突き出すように海の方へ伸びている岩へと進み、腰掛けていた。上は平らで、すわり心地は
悪くなさそうではある。所詮は岩だから、あんまり良さそうでもないけど。
「おい……」
 近づくと、隣を寝るときと同じようにポンポンと叩かれた。
 なんだかヤな予感がするが、従うことにする。そう、座りやすいように、胡坐をかいて。
 案の定、待ってましたとばかりに足の上に乗っかってくるネムさん。尻尾が胸とかに擦れて、少しくすぐったい。
「ガル……」
 そのまま、ネムは遠く水平線を指差した。
 真っ赤な夕日が、辺りを橙に染め上げながら、まさに沈もうとしているところだった。
 たなびく雲も海も焼け付くような光を放ち、一日の終わりを告げている。カラスの鳴き声を連想させる日本の
夕焼けとは違って、いかにも南国風の、エキゾチックな空気に満ちた夕焼けだった。
「……きれいだな」
「キレ、イ? タイヨウ……?」
「そうだな。太陽だな。パパに教わったのか?」
「クゥ……」
 喉を鳴らし頷いて、ネムは頭に差したままの花に触れた。寂しそうな横顔を、夕日が照らす。
 磯の匂いに混じって、髪に差した花の香りが漂ってきた。
 俺は黙って、その頭を撫でる。
「クシシ……」
 特徴的な笑い声も、慣れれば可愛く聞こえるから不思議だ。 
「タカシ……」
「うん?」
「ココ、トクベツ」
「……そうか」
「……ネル。スコシ」
「あぁ、お休み」
 急に口数が増えたと思ったら、ネムはそのまま目を閉じて、すぐに寝息を立て始めた。 
 この場所はきっと、ネムにとってお気に入りの場所なんだろう。そう思うと、ようやく認めてもらえたような
不思議な嬉しさが込み上げてくる。
 それにしても、きれいな夕日というのは、どうにも「無人島探検」の締めとしては違和感を感じる。もうちょ
っとこう、カップル同士のムードを盛り上げるにはピッタリなんだろうけど……。
 
 ――あれ? これってもしかしてデートだったのか?
 
 ネムは、もしかしてそのつもりだったのかもしれない。いや、デートって何か知ってるかは怪しいけど。
 まぁ、問いただしても、きっと爪で威嚇されるだけなんだろうな。
 俺はそう思い直すと、ゆっくりと藍色へとグラデーションしていく空を見上げた。


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