その6
「よっこいしょっと……」
 おっさんのような声を出して、俺は手を挟まないように注意しながら石を降ろした。
 すねの中程くらいの浅瀬で、石を積み上げて堤防を作っているところだ。
 『U』の字形の堤防が、どうにか形になってきたところで、一息入れることにした。
 あとはこの中に魚を追い込んで、『U』の字の上を封鎖してやれば、手づかみ放題というわけだ。
 もう少し俺の手先が器用なら、罠くらいは作れたかもしれないが、少なくとも木の棒を削っただけの
モリで突くよりは、遥かに簡単だ。
 結構しんどいんだけどね。石で川をせき止めるなんて、ちょっとした土木工事だ。もとより、体力に
自信があるわけでもないので、かなりの時間と労力を要した。ネムはどこかに出かけていたが、居ても
多分手伝わねーだろうな、アイツは。
 何にせよ、少し休憩しなけりゃ、魚を追い込むなんて真似、出来るわけがない。
 この島に来て、一週間が過ぎようとしていた。
 物資不足の中、どうにか自活できる目途が立ってきている。毎日、海岸で狼煙を上げることも欠かさ
ない。船の姿が見えなくても、向こうから見つけてもらえるかもしれないからだ。
 もちろん、こうしてやってくのには、ネムの助けも大分あった。ヤツが居なけりゃ、多分初日で死ん
でたし。いや、そもそも、初日にアイツに殺されかけたっけか。まぁ、今となってはいい思い出だ。
 川の水に足を浸すと、作業で上がった体温が溶けるように下がっていく。
 青いペンキのような空を見上げると、塗り残したように雲がポツポツと浮かんでいた。
 茂みがガサガサと鳴る音が背後でする。振り返ると、ネムが姿を現した。
 手には、なにか持っている。
「ん?どうした?」
 近づくと、身体から微かに磯の匂いがした。どうやら、海岸をうろついていたらしい。
 この島に漂着してからこっち、妙に五感が鋭くなっている気がする。身体が島の環境に対応してるん
だろうか。
 それはさておき、ネムは手の中の物を、その場にやや乱暴に落とした。
 ビニールで厳重に梱包された包みだった。この包みからも、潮の香りがする。表面の海水は乾き始め
て、塩の粒が白く光っていた。黒いガムテープで幾重にも巻かれ、空の500mlペットボトルが五本、
浮き輪代わりにくくりつけられている。
 どう見ても、普通のものじゃない。
「これ……砂浜で拾ったのか?」
「ガウ」
 首を縦に振るネム。
 どうしたものかと数秒悩んで、結局ビニールを破ることにした。
 どの道、届ける交番もないし、使えるものなら有難く頂戴しておこう、と軽い考えだったわけだ。
 ガムテープをはずし、ビニールを丁寧に剥がしていく。この島じゃビニールだって貴重品なので、畳
んで置いて横に置いといた。そういえば、俺は昔からプレゼントの包装紙を捨てないタイプだった。
 一回り小さくなると、中身のものの形が見えてきた。三角定規の細長い方みたいな形をしていて、そ
れほど大きくない。
 ビニールの下はさらにもう一枚のシートで包んであった。ネムが遊び半分に、さっきのビニールをビ
リビリにしないよう注意しつつ、最後の包みを解く。
 瞬間、フリーズする俺。
 ものすごく好奇心たっぷりの視線を、俺と俺の手元に交互に注ぐネム。
「…………」
「…………ガウ?」
「…………ギ……」
「ギ?」
「ぎゃああああああああああああああああああああああ!!!」
 絶叫が島にこだました。
 
 包みから覗いているのは、一丁のピストルだった。 

 いや、落ち着け。落ち着くんだ。
 俺は深呼吸して素数を数えたが、21で普通に間違えてやめた。
 何か、何かきっと合理的な説明があるはずだ。
 
・例えば、警察の人が間違って落としたとか
→その割りには梱包が不自然にすぎます。
 
・例えば、モデルガンとか
→あんまり詳しくないけど、全部金属のモデルガンなんてあるのか?
 
 例えば……例えば……。
 ダメだ。俺が欲しいのは、『合理的』な説明じゃなくて、『合法的』な説明だ。
 無人島で法もへったくれもないが、トラブルは避けたいのよ。とにかく。
 しっかし、どうしたものか。元通りにして海に流しても、また戻って来そうだし……。
 改めて手に取って見ると、ズシリと重い。見た目的には、バイオハザードなんかで一番最初に拾う
ような銃だ。いわゆるハンドガンってヤツ。握る部分に星のマークが入っていた。
 さっきからネムが目を輝かせているが、流石にこればかりは触らせるわけにはいかない。
「なぁ、ネム」
「ガウ?」
「他に、人は居なかったか? 遠くに船とか」
 このピストルを探してる人間が、この島に上陸とかしてるかも知れない。
 確かに日本に帰りたいし人恋しくもあるが、そんな連中に捕まったらまず帰れないと思う。
 ネムは、ゆっくりと俺を指差した。
「いや……俺じゃなくてな? 俺の他に……」
「ウシ、ロ……」
 ネムの声と共に、地面に影が落ちた。
「わああああああぁっ!!」
「ああああああああああぁぁぁ!」
 咄嗟のことでパニックになり、手に持った銃を振り向きざまに向けると、その人影は悲鳴を上げた。
「○×φ■! ☆※@&▲Ω!!」
 多分中国語だと思うが、全く理解ができないので、とりあえず
「動くな!!」
と日本語で怒鳴ってみる。
 目の前に立って目を白黒させているのは、三十台くらいの大柄な男だった。黒髪で、アジア系の日焼けし
た顔に、白目がギョロギョロとせわしなく動いている。多分、まともに取っ組み合ったら勝てないと思う。
 なんともあっさりご対面したものだと、自分でも半ば呆れながら観察していると、急に男は口を開いた。
「あ、あんた、日本人か?」
 流暢な日本語だ。驚いていると、今度は俺のことをジロジロと観察し始める。
「この島は無人島のはずだが……どうしたんだ?」
「いや、漂着しちゃって……」
「どのくらい?」
「五日くらい……かな?」
 なんで普通に答えてるんだ、俺。
「はぁ……災難だったな」
「あ、どうも」
「とかなんとか和ませてオリャーー!!!」
「うあっ!」
 なんてこった。話しながら少しずつ距離を詰めて、拳銃を奪うなんて!
 相手は、万力のような力で俺の手首を掴んでくる。見た目どおり、ものすごく力が強い。銃口から巧みに身
体を逸らして、俺の指を引き剥がしにかかっていた。まずい、このままでは時間の問題だ!
 こうなったらネム! 助けてくれ!
 救いを求める眼差しを、ネムが居るほうに向ける。なんだかんだで、コイツは俺のことを見捨てたりしない
ヤツだ! きっと、その野生の腕力でこの男をぶっ飛ばし、華麗に俺を助けて――

「フア〜〜〜……ムニャ……」

 うわ、すげぇ眠そう。
 ものすごく退屈そうな顔で、俺たちを見ている。
 あ、寝転んだ。
 男の方も、余りに緊迫感のないネムの様子を見て、拍子抜けしてしまったようだ。手から力抜けていた。
「……座って話そうか」
「……そうですネ」
 向かい合って胡坐をかくと、ますます相手の体格のよさが解る。全体的に丸っこくて、まさに筋肉で覆われ
てるって感じだ。本気になれば、いつでも俺を殴り倒してピストルを奪えると思う。
 それでも、話し合いで解決しようとしてるのは、きっとトラブルを避けたいためなのだろう。
「あのな、俺としては、こいつを返して貰えれば文句ないんだ」
「はぁ……でも、なんていうか、こういうのって良くないんじゃ……」
「良いも悪いもないんだよ!」
 いきなり怒鳴られて、俺は竦んだ。一瞬、男の体が倍くらいに膨れたような迫力を感じる。
 だが、それも一瞬のことだった。
 男は腕を組んで、途端に寒気に耐えるようにして小さくなっていった。いや、実際震えてもいた。
「これがないと……アイツが怒るんだよぉ……恐えぇんだよぉ……」
 特殊部隊所属と言われても信じるようなこの男が、これほど青ざめてまで恐れる『アイツ』って誰だろうか? 
ハートマン軍曹とかか?
「なっ! 頼む! 返してくれたら、アレだ! お前さんを近くの港まで乗せてってもいい!」
「えっ! 船あるんですか!?」
「じゃなきゃ、どうやって俺はここまで来るんだよ……」
 男は苦笑すると、海岸の方を指差した。
「砂浜にな、エンジン付きのゴムボートを乗り上げてある。そこから、俺たちの船で拾って港まで乗っけてやる
よ。もちろん、そこの妹さんも一緒にな」
 妹って……どんな勘違いだ? 俺ってば、島の環境に適応する余り、とうとう獣耳でも生えてきたのか?
 そっと頭をかく振りをして確かめる俺をよそに、男はニヤニヤ笑ってネムの方を見た。
「しっかし、お前さんも結構余裕あるんだな〜」
「なにがです?」
「しらばっくれんなよ、え? 無人島に漂着してんのに、妹にコスプレさせてんだぜ? あの耳はどうした? 
革でもなめしたのか? 五日じゃ無理か、アハハハハハハ!!」
 笑いどころはサッパリ解らないが、勘違いしてる点は解った。
 いや、勘違いするのもどうかと思うのだけど。
 ネムはと言えば、仲間はずれにされて拗ねてるのか、昼寝を決め込んでいた。身体を猫のように丸めて、日向ぼ
っこをしている。その耳や尻尾が動いているのは、彼にも見えているはずなのだが。
「よし! 決まりだ! な、妹さんを起こして、とにかく俺たちの船に行こうぜ? な?」
「え、ちょ……」
「細かいことは抜きだ! な、ほら立てy……」

 パァン!!

 乾いた破裂音が響いた。
 同時に、ポッと男の傍に砂煙が上がる。
 ネムは一瞬で飛び起きて、臨戦態勢を取っていた。
「フウウウゥゥゥゥ!!」
 毛を逆立て、歯を剥いたネムの視線の先から、人影がゆらりと現れた。

「ずいぶんと楽しそうじゃないか……え?」
 
 発音一つ一つが、面倒くさそうな声だった。だが同時に、刺々しくもある。
 林から、日なたに出てきたのは、意外にも女性だった。歳は二十代前半くらいだろうか。身長は高く、足が長い。
タンクトップから除く腕は、固く引き締まっている。髪の毛は長そうだったが、頭をバンダナで覆っていて全部は
見えなかった。
 顔は……美人なのかもしれない。怒ってなければ。
 ネムが拾ってきたのと同じようなタイプの拳銃を、こちらに向けていた。
 まったく、今日はどうしたんだろう。千来万客にもほどがある。
 男は彼女の姿を認めると、目を見開き、全身を震わせた。顔が青ざめて、冷や汗が目に見えるほど額に噴出して
いる。
 この世の終わりを目にしたような表情で、男は叫んだ。

「かあちゃん!!」

「かあちゃん!!?」
 多分、俺も似たような顔をしてたんだと思う。
「え? ちょ、かあちゃんって……」

 ――パンパンパン!!

 立て続けに三発。同じ数だけ砂埃が舞い、男はステップを踏んだ。俺も思わず後ろへ跳ぶ。
「か、カンベンしてくれよぉ! かあちゃん!!」
「黙れ、クソが。ブチ殺すぞ」
 スス、と近づいてくると、そのまま顔に鉄拳を見舞った。
 顔の次は腹。その次はゲンコツ。また顔。
「ガフッ! いてぇ! いてぇよ!」
「痛くしてるんだ! デコスケが!」
 身長180超の大男が、八つ当たりされる縫いぐるみみたいに蹴っ飛ばされている。
 何が起こってるのサッパリのまま立ち尽くす俺に、ここで初めて女は目線を投げた。目を合わせたら、眼球が切
られそうな、鋭い眼差しだった。
「あんたは?」
「あー……えっと……」
「隠し立てしても無駄だからね」
 どうも、こちらの方も何か面倒な勘違いをしているような気がする。
「一から、全部話しな。トカレフのレプリカなんざ二束三文だってぇのに、こんな島まで出向いて、ご苦労だけどさ」
 うん、ビンゴ。
「えっと……ボクはですね、この島に漂着してですね……」
 もの凄い迫力に押されて、結局俺はまさに言葉のまま、この島に来てからのことを一から話すこととなった。
 いや、そういう意味じゃないのは解ってんだよ?
 解ってんだけど、俺が『一から』話せるようなことなんか、このくらいしかなかったのよ。
 ちなみにネムは、もう昼寝の続きを始めていた。



「「はぇ〜……」」
 俺の話が終わると、二人は同時にそんな声を漏らした。
 三人で輪になって胡坐をかいている。ネムはまだ眠っていた。
 男は『マー』と名乗り、女は『レイ』と言った。本名ではないらしいが、俺も深く問いただすのはやめた。という
か、『質問は受け付けない』オーラが『かあちゃん』の方から発せられていたのだ。
「いやぁ。俺はてっきり、妹さんだとばっかり思ってたんだけどなぁ」
「んなわけないだろうが!」
 マーがネムの方を見て言うと、レイがまた鉄拳で突っ込んだ。
「尻尾とか耳とか動いてんだろうがよ! どこに目ぇつけてんだ! ボンクラ!」
「だって、かあちゃん、全然何にも言わないからさ」
「わざと無視してたに決まってんだろ!」
 その様子を見ながら、俺はおずおずと切り出した。もっと早くに言うべきだったかもしれない。
「えぇと……それで、あなた達は?」 
「んぁ? 俺たち? えー……」
 マーは横目でレイを見た。目線でお伺いを立て、彼女が頷くのを見てからようやく口を開いた。

「俺たちは……海賊だよ」

「は……?」
 予想外の単語を聞かされて、絶句する俺。
「そんな驚くことでもないさね」
 いつの間にか、レイが細巻きのタバコを口に加え、ジッポーで火をつけた。煙をくゆらせて、大きく吐き出す。
わざとなのか、その動作は焦らすようにゆっくりだった。タバコの先端を一センチほど灰にしてから、彼女はや
っと続きを話した。
「ま、フック船長みたいに大掛かりでもないけどさ。漁船のエンジンを積み替えて、めぼしい船を追い掛け回し
て……たまには、武器の横流しもやるわね。そいつを、このバカが受け渡しミスって、水に流しちゃったわけ」
 言いながら、彼女はもう一度男を叩く。
「それを、探してね。浮くように細工してあったから、海流から多分この島に流れ着いたんだと思ってさ」
 叩かれた部分をポリポリと掻きながら、男はえらくのんびりした口調で言った。
「えっと……二人は、日本人……?」
「一応、戸籍は日本にあるけどね。あたしたちはもともと、傭兵だったのよ」
「はぁ……」
 俺とて、もう大抵のことには驚かない。驚きはしないが、その代わり『夢ならいいのに』と思った。
「あんまり詳しくは話せないけどね。ま、戦争が終われば傭兵なんて用済みだし、んじゃ海賊でも……ってね」
 なんか間がゴッソリ省略されてる気がするが、それは多分聞いてもしょうがないことだろう。
 レイが地面にタバコをこすりつけて、火を消した。それから、あの見たものを刻むような鋭い目線を、俺に投
げかける。
「……で? あんた、どうするのさ」
「え?」
「帰るの? 日本に? あんまりでかい港はダメだけど、乗っけてってもいいよ」
「あ……」
「なんだかんだで、迷惑かけちまったしね。それとも帰りたくないのかい?」
 レイの台詞に、俺は首を抜けんばかりに振った。
 絶句したのは、あまりにあっさりと帰る手段が現れて、頭が混乱してるだけで、本当は飛び上がって喜びたい
くらいだ。
 ネムの方を横目で見る。
 こちらのことは聞こえてないのか、まだ身体をまるめて、気持ちよさそうに昼寝をしていた。
「まぁ、実際は迎えに来るのは明日になるけどね」
「え?」
「こいつを引き渡さないといけなくてね」
 そう言って、『かあちゃん』はネムが拾ったピストルを拾い上げ、腰のベルトに差した。
「流石に、もろに現場に居られても、あたしたちが困るからね。それに……そっちも、いろいろ準備があるだろ」
「あ、はぁ……」
「明日の午前中には、また寄るよ。来なかったら、ヘマして死んだか捕まったかしたと思っとくれ」
 サラッと重たいことを告げると、レイは立ち上がって背中を向けた。
「んじゃ、また明日」
 あくまでも平坦な声で彼女は告げて、林の奥へを消えていった。
 マーは、対照的に、振り向くたびに笑顔でこちらへ手を振っていた。
「はぁ……」
 帰れる……のか。
 まだ実感が湧かない。
 平然と、自分たちを『海賊だ』と言い放つような連中を信頼していいものか、と思う。
 もしかしたら、ア○カ○ダみたいに俺を人質に日本政府を脅そうとか考えてるんじゃないか。俺が居なくなって
から、ネムを売り飛ばそうとするんじゃないか。疑い出せば、キリがない。

 ――ネム。

 そうだ。ネムに告げなければ。
 いつかは来ると思っていたが、そのときになったようだ。
 昼寝をしているはずの、ネムの方を見る。

 ネムは居なかった。
 
 ――地面に、水滴の跡が残っていた。


前へ  / トップへ  / 次へ
inserted by FC2 system