その10

「ガウ……」
 ネムは今難しい顔で寝そべり、本を読んでいる。こういうときに迂闊に声をかけると当り散らされるので、
ドントタッチゴッド(触らぬ神)の精神でこっちもビデオを見ている。予約録画で取りためたアニメを見る
のだ、フヒヒ。
『アイマイ3センチ? そりゃぷにってコトかい? ちょ!』
 はぁ、えぇなぁ。何回見ても飛ばす気にならないオープニングって、素晴らしいと思うんだ。まぁ、これ
はどっちかというと中毒に近いが。
『らっぴんぐが制服……だあぁ不利ってことない! ぷ!」
 ふと見ると、ネムの尻尾がオープニングにあわせて左右に揺れていた。無意識なんだろうけど、結構リズ
ム感はいい。しかし、相変わらず視線は本のまま。BGM程度にしか聞いてないんだろう。
『がんばっちゃ♪やっちゃっちゃ そんときゃーっち&Release――』
「タカシ」
「はいはい」
 本を読んでるときに話しかけると怒られるが、向こうからの呼びかけには迅速に応じなければならない。
これは獣人と平穏な日々を送るための豆知識だ。奴隷根性とか言うな。
「コレ……ナンテ、ヨム?」
「ん?あぁ、『S』だな。アルファベットっつって、外国の文字だ」
 日本語にこなれてきたとはいえ、流石にまだまだ英語は読めないようだ。そういうとこはホント子供み
たいで可愛い。俺意外と保父さんとか天職かも知れない。知識が増えていくのを楽しんでるネムを見てる
と、こっちまで嬉しくなってくる。
「エス……コレハ? ナンダ?」
「『M』だな。エム……」
 何の気なしに、次に指された文字を答える。あぁ、そろそろ爪も切ってやらなくちゃな、ネムの爪は人
間と違って、尖って伸びるから危なくて仕方がないんだ……
 そんなことを考えていると、ネムが二文字を繋げて読んだ。

「エス・エム……」

『Darlin' darlin' F R E E Z E!!』
 後ろからビデオが何か言ってる。
 うん、フリーズね。してるよ?
「…………」
「…………」
「……………どしたの? この本」
「ヒロッタ」
「どこで?」
「ベッドノシタ」
 拾ってNEEEEEEEE!!!!
 てか気付けよ俺! あんまりナチュラルに読んでるからスルーしちまったじゃないか!!
「タカシ、ナンデ、オンナ、ハダカ? シバッテ――」
「コレは見ちゃダメエェェェェ!!!」
 慌てて本を取り上げると、膨れっ面をされた。
「ガル……トチュウ、ダ!」
「いや、コレばっかりはダメだ!」
「……フン!」
 大声を出しても、ネムは動じずにプイ! と向こうを向くと、いきなり本を投げつけてきた。
「うわ!」
「カエシテ、コイ!」
「ば、バカ! 投げんな! 借り物なんだぞ!」
 図書館の本を必死にキャッチする。
「ヒマダ!」
「ヒマなのは解るが、だからって部屋漁るなよ!」
「ガウ……!!」
 ネムは歯を剥いてこちらを威嚇すると、ベッドに倒れこんでフテ寝を始めた。

 このときのやりとりが、よもやあんな騒動の元になるとは、俺は微塵も思って居なかったのだった……

 
 
 ☆一日目
 考えてみれば。
 俺が仕事に行ってる間、ネムは当然あの部屋に一人なわけで。
 テレビとか本とかゲームとかは一通りあるが、流石に一日中時間潰すのは面倒だろうし、それも毎日
では飽きるはずだ。そうなれば、何か面白いものはないかと部屋を漁るのは簡単に予想できることだし、
心理としても解る。
 見通しが甘かったのは反省しよう。
 だが、今日の俺は少し違う。
 あれからネムが寝ている間に、こっそり新しい隠し場所に秘蔵コレクションを隠しておいたのだ。ヤツ
は大体、一度眠れば朝まで大抵目を覚ますことないから、十分に場所は吟味できた。
 後は同じく夜にでもこっそり取り出して楽しめば――

「ガウ……エム、ジ……?」

「ぎゃああぁぁぁぁぁぁ!!!」
 会社から返ってきた俺を出迎えたのは、手元の雑誌の真似をして床でM字開脚してる獣人の姿だった。
しかもこんな日に限って、ぴっちりしたスパッツなんか履いてやがる。それがどれだけ危険なことなのか
解ってんのか!?
「ア……オカエリ」
「たっだいまあああぁぁぁぁぁ!!!」
 絶叫しながらスライディングしコレクションを回収!
 すぐにキョトンとしてるネムへ、詰め寄る。
 だが、言いたいことが山ほどありすぎて言葉に出来ない。
「おまっ! こっ! どどど、どうして!?」
 傍から見たらアホみたいだ。パニくってる俺に侮蔑の視線を投げかけ、ネムは口をへの字にして言った。
「ソノホン、マダ、トチュウ……」
「なっ、なんで場所が解った?」
「……フゥ」
 やっとこさ一番言いたい疑問を口にした瞬間、呆れたようなため息をつかれる。外人ような、手の平を
上に向ける仕草付きで。
 『あれで隠したつもりか?』と言いたいらしい。
 お、おのれ……獣人と思って侮っていた俺の敗北か……



 ☆二日目
 一晩考えた。
 やはり、『本棚の裏』というのはどう考えても見つかるとしか思えない。
 なんで昨日はあんなに自身満々だったんだろう。バカじゃないか。
 だが、今日は違うぜ? 今日はお菓子の空き箱に入れて、タンスの上に置いてある。
 そして、我が家のタンスは実家から持ってきた無駄にデカい代物で、俺が背伸びしてやっと届くくらい
の大きさ。
 ネムでは絶対に届かない。
 ふぅ、これでやっと安心してコレクションを楽しめるってもんだ。
 よかったよかtt――

「ガウ……カラマル」

「ぎゃああああぁぁぁぁぁ!!!」
 帰宅した俺を出迎えたのは、手元のページと同じようにしようとしたのか、雑誌を捨てるときのビニー
ルロープで自分をぐるぐる巻きにしてる獣人だった。
「ア……オカエリ」
「たっだいまああぁぁぁぁぁぁ!!!!」
 昨日と全く同じフォームでスライディング。起き上がると同時に思わず怒鳴りつける。
「だから、これは駄目だって言ってるだろうが!!」
「ガルッ!!」
 いきなり頭ごなしに怒鳴られたのが気に障ったのか、ネムは歯を剥いて威嚇の表情を見せた。
 一瞬たじろぐが、こればかりは譲るわけにはいかない。ネムに男の生理現象を説いても解らないだろうし、
漢のこだわりを言っても始まるまい。
 余計な知識をつけられて、かなみさんに披露しちまった日には、俺の身が危ないし。
 だが、多少の疑問もある。
 俺はまだ不機嫌そうな顔をしているネムをひとまず置いといて、
「大体、どうやって取ったんだよ、これ……」
とタンスを見上げた。
 そのタンスは、上部と天井との隙間が30センチほどしかない。
 踏み台でも使ったのかと思い部屋を見るが、なりそうなものは食事に使ってるちゃぶ台くらいのものだ。
 首を傾げていると、ネムが得意気に
「フフン……」
と笑った。
 次の瞬間、その姿が消える。
 慌てて目で追うと、タン、と軽く壁を蹴ってタンスへ跳躍しているところだった。三角跳びなんか、映画
でしか見たことねぇ。
 だが、その角度と勢いだと間違いなく天井へ激突する。声を上げようと口を開いた瞬間、そのシルエット
がピタリと止まった。
 天井と壁の交差する角に、両足と片手の三点だけでへばりついている。尻尾がバランスと取るように、ピ
ンと張っていたが、本人はいたって余裕の表情で
「クシシシシシ……」
と笑い、タンスの上を残った右手でポンポンと叩いて見せた。
 スパイダーマンそのままの姿に、俺はポカンと口を開けて呆気に取られるよりない。
 つか、壁見上げてこんなの貼り付いてたらまんまホラーだろ……。
「解った、俺の負けだ」
 もはやお手上げである。
 ヤツの身体能力を甘く見てた俺が悪い。
 今日の敗北も甘んじて受けよう。だが……
「この本は見ちゃ駄目なの! 見つけても、絶対に読むなよ! いいか、絶対だ!」
この点だけはしっかりと言い聞かせなくてはならない。
 だが、ネムは天井に貼り付いたまま、首を傾げる。
「……フリ、カ?」
「どこで覚えてくるんだ、そんなの……とにかく降りてk――」
 あんまり解ってもらえてないのに遺憾の意を表明した俺の目に迫ったのは、尻尾の生えた尻と太ももだっ
た。
 天井から飛びついてきたと理解するのに一秒。
 俺の顔面を挟み込んで、前後逆の肩車になってると気付くのにさらに一秒。
 バランスを崩してすっ転ぶのには十分な時間だった。
「クシシシ……」
「ちょ、お前、苦し……モガ……!」
「ガル……?」
 呼吸困難でもがく俺を見て、ネムはなぜか眉を寄せ、それから手をポンと叩いた。
 どうやら碌でもないことを思いついt――

「アーン、キモチイー……イッチャウー」

 やっぱりなああぁぁぁぁぁぁ!!! 碌でもねぇなああぁぁぁぁぁぁぁ!!
 腰を振りながら、ものすごい棒読みでエロ本の台詞を言う獣人。明らかに本の影響だろうが、意味は解っ
てないっぽい。
 ネムは俺を圧殺しようとしてるのか、腰で撲殺しようとしてるのか解らんような、色気と無縁の腰を振り
方をしている。後頭部が床にぶつかり、口と鼻は塞がれ、耳には悪夢のような棒読みが入ってくる。
 
 そして意識も薄れかけた頃、転んだときの物音で苦情を言いに来たかなみさんの手によって、俺は止めを
刺されたのだった。



 ☆三日目
「ったく……信じられない!!」
 朝からかなみさんに小突き回されて、俺は駅への道を辿る。
 まぁ、批難はごもっとも。
 なにせ、部屋に飛び込んだかなみさんが見た光景といえば、俺の顔にまたがり奇声をあげるネム。傍らに
はエロ本ですもの。
「本なんか捨てりゃいいでしょうが!」
 言いながらまたはたかれる。
「いや、それは漢の敗北なのです! こればかりは譲れないんです!」
「寝惚けるな!!」
 今度は蹴られた。
 しかし、俺だって傷がないわけじゃない。ネムが来てから、鑑賞する暇はないだろうとDVDの類は実際
に捨てたのだ。また本の中でも、悩みに悩んで選りすぐったコレクションがアレなわけで……
 いや、そんなことを朝の往来で、しかもこの人相手に主張する気は全くないけどさ。
 かなみさんはしばらくそうやって俺を怒鳴ったり殴ったりしてたが、ふいに手を振りかぶったままの半端
な姿勢で動きを止めた。それから、眉を寄せて渋い顔を作り、
「それに……あの子、アンタが思ってるほど子供じゃないわよ」
と、聞き取れるか聞き取れないほどの早口で言った。
「え?」
 俺が頭を庇おうとした手を止めると、彼女はそのまま、能面のような顔で
「じゃ」
と言い捨てて、自分の仕事場へと去っていった。
 梅雨も明けて蒸し暑さが増してきたのに、なぜか少しだけ背筋がゾクッっとした。

「ハァ……」
 会社でデスクに肘をつき、ため息を漏らすと横から即座に突込みが入った。
「景気の悪い顔をしないで下さい。こちらの気分まで悪くなりますわ」
 神野さんが書類を突き出しながら言う。俺がお目付け係ということもあり、彼女の机は俺の隣だった。
「あぁ……ごめん」
 ぼんやりとした返事を返しつつ、紙の束を受け取りチェックに移る。
 だが、いまいち身が入らない。そんな俺の様子を見て、流石に神野さんが不思議そうにした。
「どうかなさいました?」
「あぁ、いや……ちょっと……ね」
 まさか中学生じゃあるまいし、エロ本の隠し場所で悩んでいるなんて言える訳がない。
 適当に言葉を濁すと、顔をしかめられた。
「ま、別にどうでもいいですが、お仕事に響かせないで下さいね」
 どうでもよさそうに言いながら、長くカールした髪をかき上げると自分のモニタへ向き直る。鼻先を、
いつものシトラス系の香りが掠めた。
 その瞬間、脳裏に光が走る。
「そうか……」
「え?」
「コレだ!」
 思わず大声を上げると、俺は神野さんに顔を寄せて香水の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「な、なんですの!? や、やめっ……」
 その香りは、まさに明るい未来への福音を俺に与えてくれr――

 ――うん、怒られた。いろんな人に。

 会社で軽くセクハラをしてしまったが、そんなことはどうでもいい。よくないけど。
 課長に怒られ、神野さんに真っ赤な顔で
「あなたのような人から、はした金程度の慰謝料を奪っても何にもなりませんから、今回は見逃します!
次はないですからね!」
とか言われたら、流石にへこみますよ。しかも原因はエロ本の隠し場所。死ねばいいのに、俺。
 自己嫌悪に塗れながら、帰り道で適当な香水を買い込む。ここでも店員の目が痛い。
『何コイツ、なんで香水とか買ってんの? 彼女とか絶対居ないでしょ?』
とか目線で言ってる。絶対言ってる。
 そんな鬱々した気分で帰宅。
 ネムは相変わらず床に本を広げていた。近くには、コレクションが散乱している。
 だが、見てるのはそれらの本ではなかった。
「ガウ……コレ、タカシ……カ?」
 指差されたのは、高校時代の俺だ。校則にのっとったカッチリした髪型に、制服をしっかり着た姿。
この頃は獣人と生活するなんて考えてなかったなぁ。
「あぁ、そうだよ。かれこれ、6、7年くらい前だな」
 今日の隠し場所は『本のケースに一緒に入れる』という試みで、まぁ新世界の神を目指したあの人
も使った手段だ。正直、あのスパイダーマンを見せられてから、真面目に考えるのがバカバカしくな
ってたところなのだ。
 だが、ネムがエロ本より卒業アルバムに興味を示したというのは、喜ばしい兆候だ。
「ガッコウ?」
「あぁ、高校だな」
「……ガッコウ」
 鸚鵡返しに、ネムは繰り返す。俺はその寂しげな横顔に、少しだけ切なくなる。
「学校、行きたいか?」
 よせばいいのに尋ねてみれば、やはり頷かれた。
 だが、それはどうやっても出来ない相談だ。
「ごめんな……」
 頭を撫でると、ネムは喉を
「クゥ……」
と鳴らして目を細めた。
 いつものやり取り。
 ネムが人間ではない故の不便を、俺が頭を撫でて繕う。たったそれだけで不満を飲み込んでしまうネムが、
とてもありがたくて、羨ましかった。この町は、自分の縄張りではないことをわきまえているのだろう。け
れども、やっぱりやり切れないものが、俺の胸には薄く、少しずつ、埃みたいに積もっていた。
 もっと自由に生活させてやりたいのは山々だが、それを考えると究極的にはあの無人島に戻るしかない。
それでは、何の意味もなくなってしまう。
 俺の覚悟も、ネムの覚悟も、関わってくれた色んな人たちの覚悟も、すべてが意味を失う。
 だから、今日も俺はネムの頭を撫でながら、胸に薄い埃のようなものを積もらせてるのだ。

 ――でも、それとコレとは別問題。

 晩飯の後で香水の瓶を袋から取り出すと、俺はエロ本に素早く振りかけて、箱を密閉した。
 ネムは部屋の反対側の壁にくっついて、鼻を摘んでいる。大嫌いな化粧品の臭いに、顔をしかめていた。
「開けたら臭いからな〜? もう見るんじゃないぞ〜?」
「グルゥ! ヒキョウモノ!」
「何とでも言うが良いわ! フハハハハハハ!」
 悪役笑いをすると、俺は勝ち鬨を上げた。
 箱はさらに袋に包んで臭いが漏れないようにし、押入れの中へ。僅かな臭いも嗅ぎ取るネムへの、せめても
の配慮だ。
 当の本人は、その一連の流れを恨めしそうな目で見ていた。
 獣人ごときが我がコレクションに興味を持つのは十年早いわ! 
 ハーッハッハッハッハッハッハッハ!
 
 ――かくして、獣人の知的好奇心が引き金となった『エロ本闘争』はここに決着を見ることになったのだった。



 しかし、問題が一つ……
 なんかさ。
 香水の香りを嗅ぎながらエロ本見るのって、落ち着かないんだよね。
 試合に勝って、勝負で負けたっつーの? そんな気分。
 あれほど執着してたコレクションを前にして捨てようか悩んでる俺の横で、ネムは臭いを吸わないように窓際
で大きくあくびをしてから、
「イーーー!!」
と『ざまみろ』と言わんばかりに歯を剥いて見せた。


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