時は遡り、つまりそれは開戦前夜の土曜日。
俺は二枚のチケットを前にしていた。

「…これは、新手の嫌がらせか?」

送り主は異なる二人。
向かいの橘さんちの姉妹から、一枚ずつである。

姉の橘 香波(たちばな かなみ)からは登校時に。

―――これ、一枚あまってるからあげる。
     どうせ相手居ないんでしょうけどね。使えば?

妹の橘 知波(たちばな ちなみ)からは下校時に。

―――余りものですが……良かったらどうぞ。
     デートにでも使えばいいと思います。使えばいいじゃないですか。

あんたら外見似てないけど紛れもなく姉妹だよ、と
突っ込みを入れたくなる程のシンクロぶり。
しかもチケットの場所まで同じときたもんだ。
『ユニバーサルスタジオジャパン』
どう考えても男一人で物見遊山とばかりに行く場所ではない。

「一枚ずつ渡されてもなぁ…。行く相手もいないし」

哀しいことに、だ。
よって、この二枚のUSJ行きのチケットは現時点では只の紙切れ。
俺にしかるべき相手が出来るまで机の引き出しで封印される定めだ。

「悲しいね、モテない男ってのは…」

ため息を吐き、チケットを仕舞うべく手をかけた瞬間だった。
聞きなれた野暮ったい電子メロディ。携帯の着信を示すその音を手探りで追う。
手にした携帯のディスプレイには意外な文字が躍っていた。

「―――香波? 用事があるなら直接来ればいいのに」

毒づきながら通話ボタンを押すと、いつもの高慢ちきな彼女の声とは違う
遠慮した声が響いた。

「もしもし……高志?」
「おう、お向かいの別府さんちの高志君だぞ」
「香波ですけど」
「知ってる。橘さんちの香波ちゃんね」

いつものような軽口を交しても、彼女の声に快活さは戻らない。
どこか遠慮したような、様子を伺うような声色。

「…今日渡したチケットだけど」
「ああ、サンキュな。一人でスパイダーマンというスパイダーマンを満喫できそうだ」

自らのプライド(そんなものあったかという声は捨て置く)を切り売りしてまで
放つ俺の渾身のギャグにも反応は無い。……滑ったか?

「アタシの方にも一枚余りがあってさ…」
「へ?」
「よかったら……明日」
「明日?」
「一緒に、行ってあげてもいいよ?」

「はぁ?」
「だから! 明日! 遊園地に! 暇だから! 一緒に行ってやってもいい!」
「……珍しいな、お前からそんな誘い。非常に稀有だ」
「うるさいぃ! じゃあいいわよっ!」

そこまで言って、ようやくいつもの快活な香波に戻る。
快活といえば聞こえはいいが、要するに喧しい。

「折ぇっ角チケット上げたのに!
 どうせ使い道のない可哀想な高志にあたしが救いの手を〜、と思ったのに!
 この甲斐性なし! 剣呑! 朴念仁!」

ああ、これだ。
理不尽で、言語体系崩壊ギリギリの罵倒こそが、香波の本領。
エクスクラメーションマーク三倍当社比と言ったような喧しさが耳に悪い。
しかし、最近一日一回はこれを聞かないと
どこか体調の悪くなってきている俺はマゾではない。念のため。

「誰が行かないって言ったよ」
「え?」
「……いいよ。明日どうせ暇だし。ご察しの通り予定も無い。暇つぶしなら付き合うよ」
「え? なにそれ? OKってこと?」
「OK」
「ふ、ふぅん……」

そうして一瞬沈黙する香波。
突如として意図の読めない思索に陥ることがあるのもこいつの特徴だ。
時折、まるで女の子のように頬を染めていたり、幸せそうに微笑んでいるので気味が悪い。

「なんですって!?」
「ななななにもいってないよぅ!」

お前はエスパーか。

「絶っ対、失礼な想像をしてたっ! あたしを妄想で汚したっ!」
「理不尽すぎる! つーか汚してない!」

生憎、そこまでの蛮勇は持ち合わせてない。

「いいっ!? 明日、午前十時丁度に駅前の噴水前! 一秒でも遅れたら噴水の中で一日正座!」
「殺す気だな」
「遅れるなってこと! アンタのために無駄な時間を待つなんてまっぴらなんだから! いいわね!?」
「海パンと水中ゴーグルを用意しておこう」
「……水に顔を浸けて土下座三時間も追加ね」

どうやら酸素ボンベも要りそうだ。

「お・く・れ・る・な! はい復唱」
「あ・い・し・て・る」
「アホかぁっ! 死ねっ!」

ドガシャン、ツーツーツー、と。
携帯の通話を切ったにしては有り得ない筈の破壊音を最後に、電話は切れた。
まぁ、いつもの首筋に回し蹴りで意識ブラックアウトという会話の強制終了よりは幾分もマシだろう。
……考えれば考えるほどアイツは俺を殺そうとしている気がする。

「……十時か」

家から駅前には約10分。
八時起きで十分に間に合う距離だ。
ちなみに遊園地まではそこから電車で30分程度。

「しかし、アイツと遊園地ねぇ……」

ミスマッチとしか形容出来ないその組み合わせが不可解極まりない。
どちらかと言えば『道場で瓦割り100枚するから付き合って。100枚目はアンタの頭蓋骨ね』とか
『マグロ漁行くから付き合って。手掴みだから水着用意しておきなさい』とか
『熊鍋するから材料を捕まえに行くわよ。素手で』等の
誘いのほうがまだ現実的だが、勿論それを口にはしない。
―――死ぬからな。

「まぁ、たまには無意味な暇潰しもいいか」

そう。アイツの言葉をそのまま受け取れば、結論はそうなる。
アイツも暇。俺も暇。
だから二人で暇潰し。
ただそれだけ。
理由のなく歩き回るのも、休日の過ごし方としては
決して間違っちゃいないだろう。
と、いうわけで明日の予定は香波と遊園地。それで決定。
風呂入ってさっさと寝ることにしよう

「遅れたら溺死だからな……」

呟き、階下の風呂場へ向かおうとしたその時だった。
再び鳴り響く電子音。

―――香波が言い忘れでもあったのか?

しかし、ディスプレイの文字は、最初の一文字だけ同じの、別の名だった。

「もしもし、知波ちゃん?」
「知波です。こんばんわ」
「高志です。こんばんわ」
「……知ってます。そんなこと」

相変わらずキツかった。

姉の香波よりも暴力的ではないが、鋭利なナイフのような切れ味をもつ突込みが
いつも俺を悦ばせる。いや、だから、マゾじゃないぞ?

「どうした、高志お兄ちゃんにおやすみの電話(ラブコール)か?」
「殺しますよ」

……ここの姉妹は、俺を殺すために送り込まれた刺客じゃないだろうか、と思うことがある。
俺は恨まれるようなことなんて何もしてないぞ。たぶん。

「殺す前に別府さんに伝言が」

ちなみにそれを人は冥土の土産という。

「……明日の昼間、私と一緒に遊園地に付き合っていただけませんか」
「へ?」

思いもよらない提案。
知波ちゃんからデートのお誘い(というとまた『殺しますよ』とか言われそうだが)が
まず珍しく、ましてや遊園地なんて有得ない。
おかしい。
間違っている。
狂気の沙汰だ。

「……とても失礼なことを考えています」
「ななななにも考えてないよぅ!」

だからお前らエスパーか。

「チケット、よくよく探すともう一枚余っていまして。
 そして生憎、偶然偶々稀有なことに明日に限って私も予定がありません。
 ものは試しといいますし、どうせお暇なようですから、
 よければエスコートをお願いしたくないこともありません」
「USJ?」
「はい」

回りくどい提案だったが、飲み込めた。
つまり暇なので付き合ってほしいと、そういうこと。
要は先程の香波と同じだった。
……本当によく似た姉妹だ。

目的が同じ、場所も同じ。
なら暇なもの同士、固まって暇潰しといこうじゃないか。

「OK、いいよ。一緒に行こう」
「……別に、デートじゃありませんよ」
「知ってる」

デートは一対一と相場が決まっている。
それに女の子が「待ったぁ?☆」などと言いながら小走りで駆けて来るものだ。
間違っても一秒の遅刻で命を失うものであってはならない。

「じゃ、明日十時に駅前の噴水前集合でいいか?」
「はい」
「オーケー。あ、一秒でも遅れたら殺されるから注意な」
「……姉さんみたいなことを言いますね」
「水着用意しとけよ」
「……セクハラですか」
「なんなら、『何も着ない』『Tシャツ+ノーブラ』などの選択肢も用意しておくが」
「……死ねばいいと思います」

あ、切れた。
……ひょっとして橘家では「死ね」は別れ際にする挨拶なのか?
罵りざまに電話を切れと躾けた親の顔が視てみたい。
いや、毎日視てるけどさ。向かいだし。

「ま、これで明日は三人で遊園地か」

改めて口にすると、まったくもって不思議な状況だ。
普段散々俺を罵っている姉妹が揃って『暇潰し』のお誘いだ。
しかも遊園地。

「……なんか、おかしい」

何だろう。
俺は致命的な勘違いをしている気がする。

考えても、理由は判らない。
しかし、夕立の前の胸騒ぎのような、圧迫感。
窓を開け放つ。
闇夜には満天の星。
明日の晴天が約束された星空。
なのに―――

「嵐の予感がする」

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「開戦日和」 

―――"開戦前夜" 了


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