さて、入場してからの阿鼻叫喚(主に俺の叫びであり喚きである)ぶりに
ついては、それはもう目を覆いたくなること請け合いだ(俺が)

「うああああ、襟首を引っ張るなっ!」
「早くこっち来なさい馬鹿高志! 蹴り殺すわよ!」

―――と、まあ。

「うああああ、袖を引っ張るなっ!」
「こっちです。こっち。来ないと脳をざっくり抉ります」

引っ張りだこなのか、それとも嫌われているだけなのか。
いずれにせよ、幾つあっても足りない自分の命を守るために、
俺は遊園地を北へ東へと跋扈している。
ああ。夢と幻想なんて、微塵もありゃしない。

「高志高志! あれ見て! すごい!」
「あーすごいすごい。ちょーすげー」
「って、見てないでしょっ。この馬鹿!」

それと、さっきから気になることが一つ。
入場前は二人の姉妹が並んで歩き、
その後ろを俺が下僕のように(我ながら泣けてくる比喩だ)
すごすごと付き歩く、という構図だったのだが、入場して以降、それが変化している。

「別府さん。さっきから何をきょろきょろしてるんですか」
「いや、二人が左右からステレオで話しかけてくるからなんだが」
「ふぅ……。人のせいにしないで下さい」
「俺のせいか!?」

左から香波、俺、知波ちゃんという横並びの図。
両側から姉妹に挟まれているこの状況は、周囲からすればとても羨ましいらしい。
さっきからやたらとチクチクする嫉妬の視線を感じる。
しかし俺に言わせれば、だ。
この図は刑事に連行される重罪人以外の何者でもない。

―――ほれ、キビキビ歩けぇ! さもないと死刑!
―――ひいい! せめて裁判を受けさせて!

「……なんて恐ろしい」
「高志?」
「はい」
「―――またふざけた事考えてる?」
「ごめんなさい」

このように、針山をダイナマイトを背負いながら裸足でかけまわり、
溶岩の温泉に笑顔でダイブするかの如き遊園地行脚であるが、
不思議と『帰りたい』衝動には駆られなかった。

どことなく、この御祭騒ぎのような『暇潰し』を
楽しんでる自分もまた、存在していたから。

「別府さん。楽しいですか?」
「おう。美人姉妹に囲まれてもうウハウハだぞ」
「……馬鹿」
「知波ちゃんは? 楽しい?」
「それなりに」

彼女は事も無げに、淡々と答えた。
そして、意趣返しとばかりに続ける。

「格好良い男の人が隣に居て、それはもう幸せです」
「そか」
「……」
「……」
「嘘ですよ」
「知ってる」
「だったら……黙らないで」

喧騒にかき消されそうな、小さなその呟き。
俯いたその頬は、薄く染まっていた。

香波、俺、知波ちゃん。
ツインテール、絶世の美男子、黒髪の日本人形。
入場以来ずっと保たれてきた横一列の隊形が、崩れた。

「崩れた顔とは酷い! 酷すぎる! なんだよぅ! 
 地の文でくらい、美男子って呼称してもいいじゃないか!」
「誰もあんたの顔が崩れたとは言ってないじゃない!」

―――と、いつもならそこで入る筈の鋭利な突込みがこない。
ここは遊園地名物のギネス記録付きジェットコースターの列。
俺と香波が並んで歩く、その三歩ほど後ろに、その小さな姿があった。
俯き、ひどく躊躇った姿で。

「……知波ちゃん?」
「い、いえ……。なんでも」

その顔は恐ろしく青褪めていた。よく見れば、指先も震えている。

「だ、大丈夫か?」

熱でもあるのか?
その体調を推し量るべく、額に当てようと手を伸ばす。
しかし、その手の平は届くことなく、彼女によって払い除けられた。

「ぁ……いえ、ごめんなさい。ちょっとびっくりしました」
「ん。それはいいけど、大丈夫か?」
「平気、です……」

そう言ってまた俺の隣に並ぶ知波ちゃん。
香波に視線で問いただすが、彼女もまた、困ったように首を横に振る。

「大丈夫、知波?」
「姉さん……」
「もし駄目そうなら、そこのベンチで」
「乗ります」

休んでれば―――という香波の言葉を、
知波ちゃんにしては強い口調で遮る。

「ジェットコースター、乗ります」
「ち、知波……?」

そうして搭乗の列に並んでる間、知波ちゃんは一言も喋らなかった。
俯き、時折『大丈夫……」という、誰に向けたのか判らない呟きだけを発しながら。

「はい、お次の方、何名様ですか?」
「三名……でいいよな?」
「う、うん……」
「三名です。それはもう、余すことなく三名……です」

依然、知波ちゃんの体調は回復の兆しが無い。
何度も休憩を薦める俺たちの言葉を、
彼女は頑なに拒絶しながら、ついに順番が廻ってきてしまった。

「そちらのお連れ様、大丈夫ですか?」
「……大丈夫です」
「は、はいぃ……」

知波ちゃん、頼むから係員を眼で脅さないでくれ。

「で、では三名様こちらへ……」

半泣きの係員に案内され、よりによって俺たちは
最前列の三人がけシートに通される。
前方のよく見える、ジェットコースターとしてはVIP席の、
俺のような臆病者にとっては死刑台の位置だ。

「高志、ビビって情けない声出さないでよ?」
「ふ、ふん。お前もな、香波」
「へ、平気よっ……」

そういう香波の声も少し震えている。
ただ、お互いに弱みを見せまいとする意地だけが先行していた。

「……大丈夫。……大丈夫です。わたし、大丈夫……」

香波ちゃんの呟きはより勢いを増していく。
眼は据わり、歯がガチガチと音を立てているのが、
隣に座る俺だけには聞こえていた。

「知波ちゃん、もしかして、君……」

そこで、ようやく気付くことが出来た。
彼女がさっきからおかしい理由。
しかし、俺のその疑問をぶつける事は叶わない。
既に安全装置は下ろされ、ガタンという不気味な音を立てて、
ジェットコースターは発進した。

「高志」
「なんだよ」
「……勘違いしないでよ」

何を―――という答えよりも先に、左手に温かい感触。
香波が俺の手を握っていた。

「若干、怖いからよ」

そんな事をいう癖に、振り向いた香波の顔は笑顔だ。

「ふん、弱虫め」
「うるさい……」

そして俺は。
先程までの疑問と、反対側から聞こえた呟きを
すっかり忘れて。

「別府さん……嫌いです」

―――気絶するような落下のスピードに身を任せていた。


―――きゃああああああ(20行略)あああああああああああ

さて、これは誰の叫び声か。

「……一生分叫びました……」

答え:橘 知波

加速後一秒で発せられた悲痛な叫び声は、
その後ジェットコースターが完全に停止するその時まで続いた。
安全装置が解除された時に漏れた、後悔の一言。
呟いた彼女は生ける屍のような、幽鬼のような白い顔をしていた。

「知波ちゃん、大丈夫かよ……」
「…………」

乗り場から少し離れた人通りの控えめなスペース。
香波は冷たいジュースを買いに行っている。
売店の混雑を見る限り、大分かかりそうなので、
ここで少し休憩ということになっていた。
当の知波ちゃんは、未だにフラフラで、立つのがやっとという様子だ。

「もう、無理すんなって。そうなるなら休んでても良かったし、
 三人で別の乗り物に乗っても良かったのに」
「…………」

彼女は植え込み横のフェンスに寄りかかりながら、
俺のお説教にも反応せずただじっと立っている。

「心配したんだからな?」
「……」

俯くその表情は、長い黒髪に隠されて判らない。

「……苦手なのか? ジェットコースター」
「…………」
「知波ちゃん?」
「…………」
「おい、大丈夫か?」

あまりの反応の無さに不審を覚え、近寄ろうとした瞬間だった。

「ちな―――」

ゆらりと、小さな身体が傾いた。
電池が切れたかのように、突然に、そして静かに。

頑なに『大丈夫』と主張していた気丈な彼女は、
その言葉を全身で否定するかのようにして―――

―――崩れ落ちた。


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