・ツンデレが男と会うのを規制されたら その3

 金曜日は、朝は晴れていたのに、午前中から雲が出始め、午後の授業が始まる頃にはパ
ラパラと雨が降り出してきた。空の様子はどんよりとしていて、酷くなる事は間違い無さ
そうだ。
「やば…… 傘、持ってきてないのよね……」
 家に電話したところで、お母さんは午後からパートでいないし。友子は部活だろうから、
帰るまで待って一緒に入れてもらおうなんて思ったら何時になるか分からない。
――こんな時……タカシに頼れたらいいのに……
 脳内にタカシの声が聞こえる。

 「何だよ。お前、傘無いのかよ。しょーがねえな。入れてやろうか?」
 「うっさい!! アンタの傘なんて入りたくないわよ」
 「じゃ、濡れて帰るか?」
 「何でそういう意地の悪い言い方すんのよ。わ……分かったわよ。それも嫌だから……
 しょうがないから、入ってあげるわよ……」

「ハア……」
 こんなやり取りも、今日は出来ない。強くなる雨足と共に、私の気分も憂鬱さを増して
行った。
「かなちゃん。かなちゃん」
「ん?」
 クラスメートの女の子に呼ばれて、あたしは顔をあげた。彼女は、ちょっと不思議そう
な顔であたしを見つめる。
「どったの? 顔赤いよ?」
「へ? あはは…… ちょっと寝過ぎだって」
「五限目、ずーっと寝てたんだ。アハハッ!! まあ、古文じゃ寝るよね。ところでさ。
妹さん、来てるよ」
 彼女は、軽く首を後ろに回して、親指で入り口の方を指した。
「え? 奈菜が?」
 あたしは、驚いて入り口の方を見るが、奈菜の姿は見えなかった。
「うん。あたし、伝言頼まれただけだから。じゃねっ!!」
2
 それだけ言い置いて、彼女はまた、入り口の方へと戻って行った。
――何だろ……? 奈菜の方から用事だなんて。それもあたしに。
 最近、ちょっと奈菜とは冷戦状態だったので、顔を合わせるのは気が進まない。とはい
え、わざわざ教室に来るくらいだから、急ぎの用事でもあるのだろう。
「ハァ……仕方ないな……」
 あたしは、乗り気でない気持ちを抑えて、椅子から立ち上がった。廊下に出て左右に首
を動かすと、物憂げな仕草で壁にもたれかかっている奈菜を見つけた。手には、一本の傘
を持っている。女物の可愛らしい傘だ。
「どうしたのよ。奈菜」
 声を掛けると、奈菜はハッと顔を上げた。それから、壁から背を離すと、あたしの方を
向いて、いきなり傘を差し出した。
「……かなみ……これ……」
「傘? これがどうしたのよ?」
「持って来てないでしょ? だから……貸してあげようと思って……」
 奈菜は、顔を僅かに俯けて言った。私は、ちょっと意外に思った。奈菜の性格から言っ
て、わざわざ傘を届けになんて来てくれるだろうか?
「……それって自分の傘でしょ? いいの?」
 奈菜は、小さくコクンと頷いて答えた。
「平気…… 私は……もう一本……あるから……」
 しかし、私は何故か釈然としないものを感じていた。
「もう一本あるって……これ、アンタのお気に入りの傘じゃない。いいの? あたしに貸
しちゃっても」
 しかし、奈菜はキッパリと、強く首を左右に振った。
「いいの。他の人に貸すのならともかく……かなみに貸すんだから、別にどっかに行っち
ゃう訳じゃないんだし」
 しかし、そのはっきりとした態度が、あたしの心に何かを告げた。
――違う…… いつもの奈菜とは……どこか、違う……
 あたしには、こう思えた。むしろ、奈菜はあたしに傘を貸さなくちゃいけないように行
動していると。でも、何で? そんな一生懸命に貸さなくちゃいけない理由がどこにあると?
3
 どうしても、奈菜の行動に納得が行かなくて、あたしは差し出された傘を受け取れなか
った。すると、ちょっと苛立ったように奈菜が急かす。
「……どうしたの? 傘、無いんでしょ? せっかく人が親切にしてるんだから……素直
に受け取ったほうがいいと思うけど……」
 いつになく、早口で、まるで、さっさと傘を渡して立ち去りたいように。と、その時、
あたしの脳に、パッと閃いたものがあった。
――そう…… そういう事なんだ……
 全てのピースが繋がった。奈菜が、わざわざお気に入りの傘を貸す理由。そして、それ
を急ぐ理由。
――傘が無ければ……タカシと……相合傘して帰れるものね……
 タカシは、意外とこういう時はしっかりしているから、あたしは何度もお世話になって
いた。急いでるのは、タカシに見られたくないからだろう。
――ホント……ちゃっかりしてるんだから……
 あたしは、悔しさのあまりに、思わず唇を強く噛んだ。
「…………いい……」
 震える声で拒絶すると、奈菜が意外そうに聞き返した。
「え?」
 その仕草が憎たらしくて、あたしは奈菜を睨み付けた。
――何よ。いかにもあたしを心配しているような顔して…… 自分の事だけしか考えてな
いんじゃない……
「いらないって言ってんの。心配してくれるのは有難いけどね。気持ちだけ受け取っとくわ」
 そう。その自分勝手な気持ちだけ、しっかりと刻み付けておこう。
「何で……? これから本降りになるのに……いいの? 明日の朝まで……止まないわよ……」
「平気よ。別に、アンタなんかに頼らなくたって、他に当てはあるもの」
 当てなんてどこにもなかったけど、あたしは強気な口調で答えた。奈菜の傘を借りるく
らいだったら、ずぶ濡れになって帰った方がまだマシだ。
「でも、私が貸すって言ってるんだから……わざわざ他の人に……迷惑掛けなくたって……」
4
 奈菜は、引き下がろうとはしなかった。そんなにも、タカシと仲良く一本の傘で帰りた
いのか。あたしは苛立った挙句に、とうとう本音をぶちまけた。
「そんな事言って。タカシに甘える気なんでしょ?」
 奈菜が、ハッとした表情をした。正しく、あたしの言葉は、図星を付いたのだ。気まず
そうに、奈菜が視線を逸らす。多分、無意識の行動なんだろう。だけど、それだけに、真
実を表している。
「そ……そんな事……かなみにはどうだっていいじゃない…… それより……自分が困る
事考えた方が……いいわよ……」
 奈菜は、あたしの指摘を否定しなかった。それだけで、うんと言ってるのと同じような
ものだ。そして、更にその、説教臭い物言いが気に食わなくて、あたしはもう、奈菜と口
を利くのも嫌になった。
「そんなの、アンタが心配する事じゃないわよ。とにかく、アンタの傘は借りないから。
じゃあねっ!!」
 奈菜に当り散らすと、あたしはパッと身を翻した。教室に入り、奈菜の鼻先でピシャリ
とドアを閉める。
「ハァッ……ハア…………フゥ…………」
 深呼吸をして怒りを何とか静めようとした時、余計な茶々が入った。
「何よ、かなみ。もしかして、姉妹喧嘩とか? 一人の男を取り合ってとか、あっついわ
ねえ。青春してるじゃん」
 友子が興味津々な笑顔で、こっちを見ていた。あたしは、無言で手近にあった黒板消し
を、思いっきり投げつける。友子は、おでこにヒットする直前で、危うくそれを受け止めた。
「ちょっ……ちょっと!! 何すんのよ。危ないじゃない。顔に傷でも付いたらどーする気よっ!!」
「知らないわよそんなの。それよりもアンタは、好奇心猫を殺すって言葉を覚えた方がいいわよ」
 フン、と鼻を鳴らしてそのままつかつかと自分の席に歩いて行き、乱暴に椅子を引いて
座った。同時に、授業開始のチャイムが鳴る。
――フンだ。あの卑怯者。あたしが手を出せない時だけ、ちゃっかり盗み取ろうとするな
んて、許せない。あんな奴の世話になんて、絶対なるもんですかっ!!

5
 しかし、授業が終わる頃には、雨はすっかり本降りになっていた。昇降口からは、次々
と傘の花が開いていく。
「はあ……」
 思わず、ため息が出てしまう。
「傘……借りれば良かったかなあ……」
 奈菜の態度にムカついて突っ撥ねてしまったものの、いざ、こうして帰る段になると、
傘が無いのは痛い。
「いやいやいや。あんな奴にだけは……借りるものですか」
 廊下から教室に戻ってみるが、ほとんど誰も残っていない。当然タカシも、教室にはい
なかった。
「そういや……最近、すっかり避けられちゃってるな……」
 事情は知っているのだろうから、多分気を遣ってくれているのだろうけど、寂しくて仕
方が無い。
――今頃……奈菜と二人っきりで……
 そう考えると、ムラムラと怒りが湧き上がってくる。いやいや。やっぱりタカシも悪いんだ。
――あたしって存在があるっていうのに、奈菜なんかと……
 しかし、そこで、ふと気付く。
――あたしの存在? あたしって、タカシにとってどんな存在なんだろう……? 幼馴染
で、ずっと友達で一緒にいて……でも、それだけ…… だって、あたしは一度だってタカ
シから好きだなんて言われた事はない。あたしはもちろんだ。だから……でも、それだっ
たら、奈菜だって……
 あたしは、ハッと気付いた。
――あたしと奈菜って……別に、何も違いはないんだ…… だから、タカシや奈菜に文句
言える権利なんて……
 こんな事になる前に。もっとはっきりしておくべきだったんだろうかとあたしは思う。
――だけど……はっきりするなんて、どうやって…… だって、その……あたしとタカシ
の関係は…… 違う。タカシがどうとかじゃない。あたしのタカシに対する気持ちは……
もう、ずっとはっきりしているのに……
 甘えていたんだと思う。失う事はないんだと、たかをくくって。
6
――こんな事にならないと気付かないなんて……バカみたい……
 もう、誰もいなくなった教室で、あたしは一人、自分の席で頭を抱えていた。

 しばらく、一人で自己嫌悪に陥っていたが、いつまでもこうしている訳にはいかなかった。
「そろそろ……帰らなくちゃ……」
 幸いにして、雨はちょっと小降りになったような気がする。全力で家まで走って、すぐ
にシャワーを浴びれば、何とかなるかもしれない。それに、今から誰かを頼ろうにも、部
活や委員会活動をしていない人たちはみんな帰ってしまったし。
 グズグズしている暇はない。あたしは、迷うことなくカバンを持つと、教室を飛び出した。

 しかし、どうやらその考えは甘かったようである。ほんのちょっと、小雨になった空模
様はブラフで、校門を出て五分と経たないうちに雨は激しさを増してきて、とうとうあた
しは走るのを諦め、コインランドリーの軒先に駆け込んだ。
「うわ……ビショビショだ……」
 髪の毛も制服も、すっかり雨に濡れて重たくなってしまった。ハンカチを取り出し、形
だけでも雫を払う。
「クシュンッ!!」
 濡れた身体が寒さで凍える。早いところ、家に帰って熱いシャワーを浴びたかったが、
雨は激しく道路を叩いていて、軒先にいても、濡れてしまいそうだ。
「どうしよう…… 奈菜……今なら、もう家に帰ってるだろうな……」
 電話して、傘を持ってきて貰って…… そんな事を考えつつ、携帯を取り出す。しかし、
途中で思い直して、あたしは、携帯を再び胸ポケットにしまった。
「何で、あんな奴に頼らなくちゃいけないのよ。馬鹿馬鹿しい……クシュッ!!」
 もう一度、あたしはくしゃみをしてしまった。濡れた身体に、夏服は薄すぎて困る。
「とにかく……少しだけでも勢いが治まったら、コンビニまで走ろ。最悪、そこで傘買え
ばいいし……」
7
 覚悟を決めると、あたしは辛抱強く待った。寒さに耐えようと、小刻みに身体を震わせ
ながら。そして、ようやく、雨の粒が少し小さくなったように思えた。地面を叩く音も、
さっきのようにバラバラという激しい音ではなくなっている。
「よし。行くか……」
 カバンを頭上に掲げ、あたしは軒先を飛び出した。その時、前から誰か歩いて来るのが
見えた。可愛らしい、ピンクの傘と、手にもう一本、赤い傘を持っている。その姿に、見
覚えがあって、あたしは足を止めた。
「奈菜……」
 降りしきる雨の中、私たちは立ち止まったまま、向かい合っていた。


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