・ツンデレが男と会うのを規制されたら その4

 奈菜は、ほんの一瞬立ち止まったが、また、ゆっくりと私に向かって歩き出した。私は、
何も言えず、何も出来ずにその場に立ったままだった。二人の距離が縮まっても、奈菜は
歩みを止めない。そのまま、私と正対する位置に来ると、スッと傘を差し掛けて、歩きな
がら言った。
「……何してるの? 風邪……引きたいの……?」
 放心していた私は、その一言に反応する。パッと、奈菜の方を向いたが、奈菜は無表情
のまま歩き続け、そのままゆっくりと私の横を通り過ぎようとしていた。慌てて、私はそ
の横に並ぶと、同じペースで歩き出した。その私の手を、奈菜が取る。
「……こっち。まずは……その、濡れた体……何とかしないと……」
 そう言って、さっきまで雨宿りしていた軒先に誘導する。
「……はい」
 奈菜が、ビニールの手提げバッグからタオルを取り出す。私はそれを受け取ると、濡れ
た全身を軽く拭いた。軒先から飛び出して、奈菜の姿を見て立ち止まり、また戻ってくる
までの、ほんの少しの時間でも、髪はぐっしょりと濡れ、顔に雫が滴り落ちていたからだ。
「……まさかとは思ったけど……ここまでバカだとは……思わなかった」
 奈菜の辛らつな一言に、私は思わずカッとなって言い返した。
「誰がバカよっ!!」
「……バカでしょ? だって……人の親切を……断っておいて……自分で何とかするのか
と思ったら……結局、何も出来ずに……濡れて帰ってくることしか、出来なかったじゃない」
 奈菜の指摘に、あたしはぐうの音も出なかった。そもそも、そんな事は最初から分かり
切っている。分かっていても、奈菜の世話にはなりたくなかった。奈菜とタカシが仲良く
するきっかけを、自分から与えたくはなかった。だから、今だって、癪でしょうがない。
「……友達に傘借りるとか……一緒に入れて貰うとか……そのくらいの知恵はなかったの?」
 奈菜の問いに、あたしはまたしても答えられなかった。まさか、二人の仲を羨んだり、
傘を借りなかった事を後悔したりとか、そんなくだらない事で思い悩んでいるうちに、人
に頼りそびれたなんて言えるわけない。
 だから、その代わりにあたしの口から出たのは、ほぼ喧嘩を売っているに等しい、憎ま
れ口だった。
2
「……そうよね。あたしはバカ。だけどね。奈菜みたく、ずる賢い知恵が回るよりは、ま
だバカの方がマシよ」
「……ずる賢い? 私が……?」
 ポカン、とした様子で奈菜が聞き返す。あたしは、そんな奈菜の態度に腹が立った。
「そうよ。忘れてないんだからね。奈菜がわざわざあたしに傘なんて貸しに来た理由。親
切なんて言ってるけど、あたしをダシに使おうとしただけじゃない。偉そうに言わないでよ」
 その言葉で、ようやく奈菜は気付いたのだろうか。あたしとそっくりの、だけどほんの
少し細い目が、ハッとした感じで見開かれる。しかし、それは一瞬のことで、すぐにまた、
奈菜はいつもと同じ、感情の読めない顔に戻ってしまう。
「……ああ。その事……」
 いかにもつまらなさそうな、感心のなさそうな声で、奈菜が呟いた。
「その事って……アンタねぇ。そんな簡単に言わないでよね」
「……だって……かなみには……関係ないでしょ……?」
 私は、一瞬呆然とした。
――あたしがいない隙に、タカシにベタベタして、傘に入れて貰いたい為に、あたしを利
用しようとして……
 瞬時に、怒りが湧き上がる。
「関係ないって、アンタね――」
 しかし、奈菜を罵ろうとした言葉は、口の中で霧散して消えた。同時に、私は気付いて
しまったからだ。
――人のいない隙に、勝手にベタベタして……って…… 違う。あたしは、いつだって、
タカシなんて関係ないって……好きじゃないって……だから、違うんだ。そんな事……言
えないんだ……
 反論すべき言葉を見失う。そう。あたしとタカシはただの幼馴染。だから、奈菜がどう
しようと、あたしに非難できる事なんて、何も無い。
 あたしは、口をギュッと結んで、俯く事しか出来なかった。
「そんなことより……もう……いいの?」
「え?」
3
 奈菜の声が聞こえ、あたしは、ハッと顔を上げた。奈菜の表情は、落ち着き払っていて、
普段と何も変わらない。
――そりゃ、そうよね…… 奈菜には分かってるんだわ。あたしが、何も言い返せないこ
とくらい……知ってて……
 奈菜は、私の身体を窺うように見て、言葉を続けた。
「タオル…… もう……身体……拭き終わったの?」
 ハッと私は気付く。手には、奈菜から手渡されたタオルを持ったままだった。身体を拭
くように渡されたもの。すっかり忘れていた。
 あたしは、慌てて自分の状態を確かめる。髪はすぐに拭いたので、濡れているとはいえ、
雫が落ちる事は無い。制服もブラウスもすっかり雨水が染み込んで重くなっているけど、
これ以上は拭いても無意味だろう。
「あ…… う、うん……」
 あたしは、小さく頷いた。
――奈菜は……何でこんな時に、あたしを心配出来るんだろう? 話題逸らし? ううん。
だったら、最初っから、迎えになんて来なければいい。
 苦々しい気分で、私は思った。
――多分……本当に、関係ないんだ。タカシの事と、あたしがこうして雨に濡れているの
を心配する事は。
 割り切れるって、スゴイ、とあたしは思った。あたしなら無理だ。奈菜が憎たらしくて、
きっと放っておいて、そして、そのことを後悔するんだ。
 奈菜は、自分の傘を開くと、歩道に出た。それから、私の方を向いて手を差し出す。
「タオル……貸して…… 拭き終わったのなら……帰るわよ。いつまでもこんな所にいて
……風邪……引きたくないでしょ?」
 奈菜の言う事に、間違いなど一つも無い。あたしは、大人しく頷いた。
「わ、分かったわよ。っと……その……ありがと……」
 タオルを貸してくれたことへのお礼を、小さく言った。奈菜が割り切っているのなら、
あたしも、少なくとも、これくらいは返さないと。
 奈菜にタオルを手渡すと、彼女は持ってきたビニールの手提げバックにタオルを仕舞う。
そして、クルリと反転すると、背中越しに私を見た。
4
「さ。もう……行こ?」
 あたしは、小さく頷く。興奮状態から冷めると、すっかり身体が冷え切っていることに
気付く。早く帰ってシャワーを浴びたかった。
 奈菜の後に付いて、あたしは彼女の背中を見ながら、憂鬱な気分で考えた。
――どうなっているんだろう……奈菜と、タカシの仲って……
 奈菜が積極的にアプローチしているのはもちろん知ってるし、悩みの種だ。けれど、あ
たしは、二人がお昼を一緒に摂っているとか、行き帰りもいつも一緒だとか、そんな事は
知っていても、二人の雰囲気がどうだとかは、実は全く知らなかった。
――不愉快すぎて……考えたくも無かったけど……奈菜の、余裕のある態度といい……も
しかして、もう……あたしが入り込めないほどだったとしたら……
 そこはかとない恐怖感が、あたしを襲った。
――いつも一緒だったから……考えもしなかったけど…… 嫌だ。タカシが、他の女の子
と一緒になるなんて……例え、奈菜だって。ううん。奈菜だからこそ……
 だけど、それは自業自得だった。いつだって、あたしはタカシに対して酷い事ばかり言
って来てて、でもタカシはいつも一緒にいてくれてたから、安心しきっていたけど、タカ
シだって本当は、素直に愛情表現をしてくれる子の方がいいかも知れない。
「奈菜」
 あたしは、咄嗟に奈菜を呼んだ。奈菜が、足を止めて、振り向く。
「……どうしたの……?」
――怖いけど……怖いけど、確かめるしかないかも…… 場合によっては、あたしの本心
をさらけ出すことになっても…… タカシを失うよりは……
 だけど、奈菜の本心が分からない事には、どうしようもない。あたしは、奈菜の横に並
んで歩き出す。
――勇気を出そう。今まで、逃げてばっかりだったけど……
 深呼吸をすると、あたしは、努めて冷静に、奈菜に話しかけた。
「あの……さ…… どうなの……よ?」
 奈菜は、小首を傾げて聞き返した。
「どう……って?」
 あたしは、またちょっと口ごもった。こんな聞き方じゃあ、そりゃ、質問の意図なんて
伝わるわけも無い。土壇場に来て、自分はこんなにも臆病だったのかと気付き、嫌になる。
5
 ギュッと傘を持つ手を強く握り締め、奈菜を見つめた。
――もっと落ち着け。冷静になれ、あたし。相手は妹だもん。変に構えなくたって、自然
に話せばいいだけじゃない。
 自分に言い聞かせて、ようやくあたしは、次の言葉を発する事が出来た。
「その……だから、さ。あたしが声掛けられない間、ずっとタカシと一緒にいる訳でしょ?
それで、その……どうなのかな、って……」
 それだけ、何とか言い切って、あたしは小さく吐息をつく。しかし、心の中は冷静でい
られなかった。奈菜が答えるまでの時間が、とてつもなく長く感じられる。
――すごく上手く行ってる、なんて言われたら……たかしが、あたしといる時より楽しそ
うだとかだったら……
 不安で不安で、息苦しくてしょうがなかった。
「……楽しい……わよ?」
 奈菜の言葉が、唐突にあたしの胸を貫いた。
――やっ……ぱり……
 酷く、胸が痛い。なのにあたしは、突き返す術を何も持たない。
「本当に? アイツ、失礼な奴だからさ。結構余計な事とか言うし、頭に来る事とかないの?」
 痛みをごまかして、平気な顔を取り繕って、必死であたしは、平静を装って聞いた。少
しでも、奈菜がタカシの事を不快に思うような事を言ってくれれば、それだけであたしの
痛みは軽くなるのだ。
 だけど、返って来た言葉は、残酷だった。
「……全然……そんな事無い。たっくんはいつも優しい……よ…… 私のこと……気遣っ
てくれて…… かなみがいつも言ってるように……エッチでもないし……酷い事も言わな
いし……」
「そ、そうなんだ。優しいんだ、アイツ」
 平静さを装って答えたものの、あたしの心は穏やかでは無かった。
――何よ……タカシの奴……あたしと随分態度が違うみたいじゃない。そりゃ、奈菜は……
まあ、容姿はあたしと同じようなものだから置いといても、素直で性格可愛くて、捻くれ
た事とか言わないけど……
6
 心の中が、不安でざわついた。
――タカシも……素直で、優しくて……可愛い子の方がいいのかな? 幼馴染だから、あ
たしと一緒にいただけで……
「気になるの……?」
 奈菜の言葉に、あたしは、ハッと奈菜の方を向いた。奈菜が、あどけない表情で私を見
つめている。無意識のうちに、あたしはいつものように、取り繕う言葉を探した。
「ま、まーね。そりゃ、血の繋がった妹の事だし……あたしの前じゃ、タカシってば、デ
リカシーの欠片も見せないからさ。だから、その……アンタが嫌な想いとかしてないかな、
とか……」
 すると、奈菜の眉が、不快そうに寄った。あたしから顔をプイッと逸らすと、憮然とし
た口調で言い返す。
「嫌な思いなんて……する訳ないもの……」
 それから、もう一度、睨みつけるような目付きであたしを見つめると、キッパリとした
口調で言い切った。
「好きな人の……傍に、いられるのよ? 何で……嫌な思いなんて……するの?」
 ズン、と、奈菜の言葉が、あたしの心を押し潰した。薄々――いや、それよりはもっと、
確信に近いような思いはあったとはいえ、奈菜の口からはっきりと告げられた衝撃に、あ
たしは想像以上のショックを受けた。


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