・ツンデレが男と会うのを規制されたら その6

「ん……るさいなぁ……ったく……」
 携帯の音で、あたしは眠りを破られた。うっかり枕元に置いてしまった携帯を取る。
「メール? 友子から? あのアホ……なんだってのよ……」
 携帯を開いて、あたしは友子からのメールを確認した。
[おっはよー(^o^)ノシ 早速だけど、耳寄りな情報があるんよ。今日ねー、奈菜っちとタカ
シ君がデートなんだって。もしかしたら、奈菜っちから知らされて無いんじゃないかって
思ってメールしたんよ。あの子も結構恥ずかしがりやだしさ。気になるでしょでしょ? 何
でも待ち合わせは――]
「あのアホ……」
 最後まで見ずに、あたしはメール画面を閉じた。
「ったく……そんな事、知ってるっつーの……」
 友子め。全く、わざわざ当日の朝にメールして来なくてもいいのに。直前になって知ら
せた方が、何かと面白いとか考えたんだろうか? 確かに、知らずにいきなりこんな事に
なっていたら……気になって、後くらいつけていたかも……
「他人事だもんね……友子にとってはさ……」
 もう一度、ドサッとベッドに体を投げ出す。
「ったく……これじゃあ、何の為に昨日、遅くまで勉強したんだか……」
 あたしはため息をついた。奈菜が出かけるまで寝ていたかったから、睡魔と闘いながら
四時近くまで起きていたのに、これじゃあ無意味だ。さすがに八時じゃまだ奈菜も出掛け
てはいないだろう。
「……寝なおそ……」
 そう思って布団を引っ被る。しかし、こういう時に限って、奈菜の部屋や、階下から聞
こえる物音が気になって眠る事が出来なかった。そして、思考は、否応無しに、奈菜とタ
カシのデートにと向かってしまう。
――奈菜……本当に、告白するんだろうか? 何だかんだで雰囲気に流されやすい子だし
……いっそ、きっかけが無いままに流れちゃえば…… でも、奈菜は本気で言ってたし
…… この機会を逃せば、次は無いって真剣に思ってたからなぁ……
 もんもんとする思考に悩まされ、あたしは観念せざるを得なかった。
「起きるか。他の事してた方が、まだ気が紛れるし」
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 勢いよく、体を起こす。中途半端な睡眠だったせいか、顔が全体的にボワーンとした感
覚に包まれている。
――奈菜に会ったら……どんな顔しようかな……
 複雑な気分である。もちろん、にこやかに送り出す事なんて論外だけど、今更ケンカす
る気にもなれないし。無視を決め込みたいところだが、奈菜が声を掛けてきた場合はそう
もいかないし。
――やめた。
 一、 二分ほどグダグダと悩んでから、あたしは考えない事に決めた。腹芸は苦手だし
なるようになれだ。
――とにかく、朝ごはん食べよっと。多分、お腹が空いてるから良くない事ばっか考える
んだ。奈菜だって、お父さんもお母さんもいる前でケンカなんて吹っかけて来ないだろうしね。
 ベッドから立ち上がると、あたしはうーん、と伸びをして、朝食を貰いに一階へと降り
て行った。
「かなみ……」
「え?」
 あたしの名前が呼ばれ、思わず声のした方に振り返る。すると、ちょうど階段の真下の
廊下に奈菜が立っていて、あたしの方を見上げていた。
――奈菜……
 あたしは、しばし、奈菜の姿を見つめて、呆然としてしまった。
――可愛い……じゃない……
 黒のキャミ付きブラウスに、白いフレアーのミニスカート。オーバーニーのソックス。
こんな格好の奈菜は、今まで見た事がない。
「……おはよう……」
 奈菜の挨拶に、あたしはハッと我に返った。奈菜は、キョトンとした目であたしを見つ
めている。
「……おはよ……」
 慌てて挨拶を返す。今日、デート本番だって言うのに、奈菜はいやに落ち着き払って見
える。なのに、あたしの方が動揺していた。
「……休みなのに……早いのね……?」
3
 ごく普通の言い方だったが、何故かあたしはイラッとした。何だか、今日のデートの事
が気になって起きて来たんじゃないかと勘繰られている気がする。もっとも半分は嘘では
ないが、それだけに余計イライラが募ったのだろう。
「寝直そうと思ったんだけどね。誰かさんが朝っぱらからゴソゴソとやかましく物音立て
てたせいでおちおち眠ってもいられなくてね」
 奈菜の顔が、ちょっと不快そうに歪んだように見えた。責められた事で不機嫌になった
のだろうか? しかし、奈菜は冷静にキッパリと、自分の立場で言い返してきた。
「……私は……かなみが遅くまでゴソゴソ音立ててたから……なかなか寝付けなかったの
よ?」
 むぅ、とあたしは言葉を詰まらせる。昨夜遅くまで、ガタガタと騒いでいたのは事実だ
からである。だけど、それで寝れないのは、やっぱり奈菜はデートを翌日に控えて緊張し
ていたからなんだろうけど。
「勉強してたんだもん。月曜がテストなんだし。仕方ないでしょ?」
 あたしは、自分のしていることは正しいと言わんばかりに自信を持って言った。勉強と
いうのは、いついかなる時でも免罪符にはなる。しかし、てっきり言い返すとばかり思っ
ていた奈菜は、意外そうな声で答えた。
「ふうん……かなみにしては……頑張ってるんだね……」
 しかし、その言い方があたしの癇に障った。
――何よ。その“にしては”って。まるであたしが日頃勉強して無いみたいじゃない。っ
つーかしてないけどさ。だからって言ったってそんな言い方されればムカつくもんはムカ
つくっつーの……
 フッとタカシの顔が脳裏を過ぎる。
――違う違う!! タカシは関係ない!!
 あたしは、タカシのイメージを振り払おうとしたが、タカシは全然、あたしの脳内から
去ってはくれなかった。
――違う……関係、無い訳じゃないけど……だけど……タカシがどうこうって言うんじゃ
なくて……あたし自身の問題をクリアする為の……その、最初のステップだから……だから……
「……自分の為だもん……」
4
 あたしは、言葉少なに、奈菜に答えた。そう。これはもう、単にタカシとおしゃべりが
出来ないからとかそんな問題だけじゃない。奈菜とタカシと、あたしの関係をスッキリす
るためにも……制約は、取り払わなくちゃ先には進めないんだから。
「でも……勉強してたにしては……起きるの、早すぎじゃない? ただでさえかなみは……
寝起きが悪いのに……」
 奈菜から二度目の突っ込みが入る。
――ったく……よく気が付く奴よね……
 まあ、別に隠しておく事でもないし、と、あたしはここは正直に話した。
「友子のバカが、こんな朝早くからメールしてきたのよ。わざわざ知らせなくても、奈菜
の事くらいあたしの方が知ってるっつーのに」
 奈菜が、ハッとしたような顔をした。あたしが何を言ってるのか、即座に気付いたよう
だ。
「友子……もしかして、今日……私とたっくんとのデートのこと……」
 呆れた気持ちで肩を竦めて、あたしは頷いた。
「当然知ってるって事でしょ? 全く、あのバカは……他人の噂話しか興味が無いのかっ
つーの」
 双子の姉妹で幼馴染を取り合い、なんてのは、友子にとってみればワクワクするニュー
スソースでしか無いのかも知れない。にしても、それをわざわざ当事者に知らせて気持ち
をかき乱す事に対する罪悪感はないのかと思う。
――普段は……いい奴なんだけどなぁ……
 もしかしたら、ここまで情報を掴んでいるって事は、今頃は今日のデートを尾行する準
備に余念がないのかも知れない。
――十分にあり得るわよね。奴の事だから……
 そんな事を考えていたら、奈菜が不意にこんな事を言ってきた。
「かなみ……一応言っておくけど、友子と一緒になって……デートを尾行したりとか、し
ないでよ? いくらたっくんが気になるからって言っても……それだけはダメだからね?」
「なっ……!?」
 驚きで、あたしは思わず声を上げた。そして、次の瞬間、あたしの心に怒りの火が灯る。
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「そっ……そんなバカな事する訳ないでしょ? 何心配してんのよ。何であたしが……ア
ンタ達の後を付けたりしなきゃなんないのよ」
 奈菜を思いっきり睨み付けてあたしは文句を言った。友子の行動に関しての考えは全く
同じだったけど、どうしてあたしまでがそれに乗ると考えたんだろう。
――あたしが……今日のデートをぶち壊したいとか思ってるなんて……考えたんだろうか?
 だとしたら、検討違いもいい所だ。付けて回ったところで、タカシに馴れ馴れしく近寄
る奈菜の姿を見て苛立つだけだ。それに、いい雰囲気の二人の所に飛び出したって、何て
弁解すればいいんだろう。あたしからタカシを奪うなとでも言えばいいのだろうか?
――そんな事が出来たら……今頃、こんな気苦労なんてしてないわよ。
「でも……気にはなるんでしょう? 正直に言って」
 奈菜は追及の手を緩めなかった。どうやら、奈菜は奈菜で気になるらしい。その声の内
に篭る厳しさに、あたしはふと、ある事に気付いた。
――そっか……奈菜も、普通じゃないんだ。そうだよね。初めての……好きな人とのデー
トなんだし……
 もう一度、奈菜の格好を見る。普段はしないオシャレをして気合を入れているのも、そ
れだけ本気で、だから些細な事でも不安に思えるんだろう。
 とはいえ、奈菜の気持ちを理解するのと、自分の心に正直に向き合うのは訳が違う。か
といって、今の奈菜に嘘は通用しそうにない。
 渋々ながら、あたしは答えた。
「ま、まあその……気にならないって言ったら嘘になるけど…… で、でも、言っとくけ
ど、そこまで悪趣味な事しないわよ。友子と違って」
 あたしの答えに、奈菜の表情が少し緩んだ。
「それなら……いいけど……」
 どうやら、納得はしてくれたらしい。その隙に、あたしは早々に話題を変える事にした。
このまま自分が受け手に回っているんじゃ分が悪い。
――何でもいいから……何か他の事を……
 咄嗟に出た言葉が、これだった。
「そんな事より、随分とオシャレしてんのね。昨日一日いないと思ってたら、服なんて買
いに行ってたんだ」
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 口に出してから、果たしてこんな事を言って良かったんだろうかと悩む。これじゃあ、
話を変えたようで、ちっとも変わってなくないかと。
 案の定、奈菜からは聞きたくも無い答えが返って来た。
「……好きな人との初デートだもん……私だって……気合入れて、オシャレくらいするわ
よ…… 言ったでしょ? 本気だって……」
 穏やかに微笑んで見せたりしているが、目は本気だった。あたしは思わず、奈菜の本気
さに呑まれそうになる。
――うぐ……や、やっぱり…… だ、だけど、ここで気後れなんてしてたら、奈菜との勝
負になんて勝てる訳ないわよ。
 心の中に、危機感と焦りが広がった。今日で決着が付いてしまったら、もうあたしには
手も足も出せなくなる。自由になってから何を言っても負け犬の遠吠えだ。何としても、
ほんの少しでも、奈菜の自信を揺るがさないと。
 あたしの中に意地の悪い思いが芽生える。
――違う。邪魔する訳じゃないもの。ほんの少しだけ、タカシと一緒にいる時に奈菜が気
後れして……今日のデートで決着が付かないようにするだけだから……
 罪悪感を封じ込めて、あたしは敢えて嫌な響きを含めて言った。
「アンタねえ。本気だ本気だって言ってるけど、そんな大胆な格好でタカシに擦り寄った
りして、危ない目にあっても知らないわよ」
 しかし、奈菜は珍しく鈍感な様子で首を傾げる。
「……何の……事?」
 聞き返されて、あたしは少し慌てた。
「何の事って……」
 先を続けようとしても、言葉が出ない。いかにも自分が下世話な人間に思える。顔を逸
らしつつ、奈菜をチラチラと見る。
――ううう……そんなあどけない顔で人を見るな。つか、あたしと似た顔だってのに、何
でそんな無垢っぽい表情が出来るんだ。あああ……何かこんなんじゃ、友子と同レベルじ
ゃないのよ……
 自己嫌悪に陥りつつも、口に出したからには言葉を引っ込める訳にもいかない。だけど、
一度弱気になってしまうと、もう、オブラートに包んだような表現しか出来なかった。
7
「だっ……だからっ!! その……タカシだって男なんだし……可愛い格好で気を引こう
とするのもいいけど……気をつけないと……」
「襲われちゃう……かもっ……て?」
 あたしが言うべき核心の部分を、奈菜はあっさりとひっ攫って言った。思わず言葉を失
って、あたしは奈菜を見つめた。大胆な事を言っているのに、表情は相変わらずだ。
――何……? 何で、こんなに余裕なの? あたしの言いたい事、分かってるくせに……
 動揺しながら、あたしは、用意した言葉を続けた。
「そっ……そうよっ!! 奈菜ってば、押しに弱いし、流されやすいところがあるから…
…勢いに飲まれて、断りきれなくなっちゃったりとかして、後悔することになっても――」
「そんな事には……ならないわよ……」
 もはや、最初の一言目からは遥かに空虚になってしまった忠告の言葉は、奈菜の自信を
持った一言に、簡単に粉砕された。そして、すぐに、二言目が、むき出しのあたしの胸に
突き刺さった。
「だって……たっくんになら……何されたって……構わないもの……」
「奈菜!?」
 本気で驚いて、あたしは奈菜の名を呼んだ。奈菜は、コクリと小さく頷くと、さすがに
ちょっと恥ずかしそうに、しかし断固とした口調で、言葉を続けた。
「ううん……構わないんじゃない……たっくんが……望んでくれるなら……何をあげたっ
ていいもの…… むしろ……私の体を望んでくれるなら……そこまで私に夢中になってく
れるなら……喜んで……全部……たっくんにあげたい……」
 あたしは、半ば放心状態で、口をポカンと半開きにしたまま、奈菜から視線を外せなかった。
――本気だ…… 奈菜ってば……ここまで本気で……
 強がりなんかじゃない、とあたしは確信した。今の奈菜は、タカシが望めば――そして、
それがタカシの為になると思ったのなら、何でも与えるだろう。恐らくは……命だって。
 他人の事なのに、凄く胸がドキドキした。
「かなみは……想った事、ないの?」
 奈菜が、顔を近づけて、あたしの顔を窺う。あたしは、息を呑んで顔を逸らした。
「あ……あたしは……そんな事……」
8
――止めて……そんな目で……あたしを見ないで。あたしの気持ちを……覗き込まないで……
 何も言えないのに、奈菜にはあたしの気持ちが全部バレているような気がした。
――あたしはタカシの事が好き……だけど、その先に何があるかとかなんて、漠然としか
考えて無くって……考え足りずに奈菜を脅すような事を言ったけど……奈菜の方がよっぽ
ど真剣に考えてて……それでも、タカシを求めてる……
 あたしは、酷く自分が情けなくなった。
――奈菜は……凄い。正直に、自分の気持ちと向かい合って……全部、それを認めて、し
かも、曝け出してる。好きな人の前でも恥ずかしげも無く……ううん。奈菜だって、恥ず
かしいに決まってるのに……それに比べて、あたしは……
 自分の事を顧みてみる。タカシが好きだっていう想いを誰にも知られたくなくて、逃げ
てばかりいた。タカシがいつも傍にいてくれてたから、きっとあたしの事が好きなんだろ
う、いつか告白だってしてくれるだろうって甘えてた。
――こんなんじゃ……取られたって、仕方ないよ……
 思えばあたしは、ずっと奈菜に残酷な事をして来たんだろう。付き合ってしまえば、い
っそ奈菜も諦めが付いたのだろうに、ずっと、生殺しみたいな状態で……
 不意に、奈菜の呪縛が解けた。奈菜が、あたしから目を外したのだ。
「そろそろ……支度しなきゃ……」
 奈菜が、あたしの横をすり抜けて階段を上り始めた。
「奈菜っ!!」
 咄嗟にあたしは、奈菜を呼んだ。奈菜が無言であたしを見る。視線と、想いが絡み合っ
た。
 最後に、何か一言言ってやらなきゃ。そう思った瞬間、自然に言葉が出た。
「せっ……せいぜい、頑張んなさいよ。あたしは……応援なんてしないからねっ!!」
 奈菜の目が、ほんの少し驚きで見開かれたような気がした。
――もう……覚悟を決めた。奈菜は奈菜で、好きにやればいいのよ。あたしには、それに
とやかく言う権利なんてないんだし……それに、それと結果は、別問題だからね……
 最後の思いは、強く自分に言い聞かせた。今まで自分がタカシにして来た事。奈菜がこ
れまでタカシにして来た事。それに対するタカシからの答えなのだから。
「……どう転ぶか分からないけど……結果……楽しみにしてて……」
9
 奈菜も同じような気持ちだったのだろうか。心なしか、微笑んでいるように見えた。何
だか妙に気恥ずかしい気持ちになって、あたしは視線を逸らす。
「知らないわよ。バーカ」
 それだけ言うと、あたしは逃げるようにその場から離れた。もう、奈菜と話す事なんて
ない。全ては……終わってからだ……
 飛び込むようにキッチンに入ると、あたしは急いでドアを閉めた。
「あら? おはよう、かなみ。今朝は早いのね」
 お茶の支度をしていたらしいお母さんが、少し驚いた口調で言った。
「……あたしだって、たまには早起きしたい気分の時だってあるのよ」
 そう言ってお母さんの質問をかわす。お母さんは、それ以上は聞かず、ニッコリと笑っ
て言った。
「そう。朝ごはん、食べる?」
 目の前にあるのは、小さな日常。休日をのんびりと過ごすお父さんとお母さんの姿。
「……食べる……」
 あたしは、小さく頷いたのだった。


 朝ごはんを食べている間に、玄関の方から物音が聞こえた。行って来ますの小さな声。
「奈菜ってば、お友達と遊びに行くって言ってたけど、その割には随分とオシャレしてる
のよね。かなみ、何か聞いてる?」
 あたし用の、食後のお茶を用意しながらお母さんが聞いてきた。
「知らないわよ。奈菜の行動なんて、いちいち把握してないもの」
 ぶっきらぼうにそう言うと、あたしは、茶碗に残ったご飯を掻き込んだのだった。


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