こここい、じゅうに!

十拳(とつか)と言う街がある。
そこそこの歴史とそこそこの面積、そしてそこそこの人口。
自然が豊かで、街の中心部から数キロ移動しただけで牧歌的な田園風景を拝む事が出来る。
―要はド田舎なんだがな。
そう心の中で自虐的に呟く俺の肩に、相棒の白猫であるエミュはいなかった。
《色々行きたい所がある》のだそうだ。まあコイツと出会ったのもこの街なのだから彼女にも色々あるのだろう。
それは兎も角。そんな街の片隅に、俺の実家は在った。
「―ここが、貴方の?」
<なんだか、緊張する…。家族の人とかにどう挨拶すればいいかな>
隣に立つ、恐らくは頭に『美』の付けるに相応しい容姿を持つ少女が呟く。
俺の家を見るその眼には、小さいノンフレームのメガネが掛けられていた。所謂お洒落眼鏡。
彼女の名前は草薙 恋。とある巨大複合企業の代表取締役の娘だったりする。
「ああ、そうだ。…貧相でがっかりしたか?」
彼女が住む豪邸に比べれば、大抵の家は貧相に見えるだろう。
それが解っていてからかっているのである。
「そんな事!…ただ」
「ただ?」
「…普通だなぁ、とは思ったけれど」
「普通、ね。まあ確かに」
彼女の言う通り、俺の家の外観は周りの家と殆ど変わらない。
黒い屋根にダークブラウンの外壁。1階が駐車場になっている3階建て構造。
『荒巻』と彫られた表札だけが、他の家屋との決定的な差異と言えた。
そんな、何の変哲も無い平凡な家屋だった。だが、そんな普通な自分の家が割と好きだったりする。
自分がそうでないから。そう。俺こと荒巻 新には特異な力を持っている。
人の考えている事を『声』として聞く事の出来る能力を。

「…凄い目ね。気を悪くした?」
此方を伺う恋。不安げな上目遣いに、心臓の鼓動が早まる。
「なんでそう思う?」
「あら、少し前に『質問に質問で答えるな』と言ったのは誰だったかしらね?」
「…口の減らないヤツだな」
「貴方にだけは言われたく無いわね。じゃあ変わりに答えてあげる。そう言ったのは貴方よ」
大袈裟に肩を竦めやれやれと溜息をついてみせる恋。
…おい、そりゃもしかしなくても俺の真似か?著作権料払え、糞。
「そんな事も覚えてられないなんて、痴呆にでもなったの?貴方」
「誰がボケ老人だ。別に機嫌は悪くない」
たった今悪くなったがな、と鋭い目線を恋に向ける。
「あら、そう。てっきり睨まれたと思ったから。今みたいに」
「この目つきは生まれつきだ。それはお前も知っているだろうに、今更何の嫌味だ?」
「わ、分かっているわ。…でも」
<ちょっぴり…怖かったんだから>
「でも、何だ?」
「大した事じゃないわ…それより。普通とは言っても…悪くは無いわよ?」
<この辺でフォロー入れた方が良いわよね。飴とムチを使い分けるのは大事っていうもの>
…色々とツッコミ所満載の『声』だった。
だがもう何か阿呆らしく「そうか」と短い相槌しか打てない俺。
それでも、何か一言彼女に言えるなら。俺はこう言っていただろう。
『お前の場合は無知と無恥だよ』と。

「―そこ。その厭世的な雰囲気すら漂わせる顔。信じて無いわね?」
「いや信じるも何もそんな事俺には正直どうでも」
「言っておくけれど、私はお世辞を言わない主義なのよ」
「人の話を聞けよ」
お前はホントアレなとこばっか父親に似たなぁ。
<社交辞令は言うけど>
「言うのかよ!」
「だから言わないって言っているでしょう!」
「…スマン」
しまった、思わず三村ツッコミを。
『声』に反応したなんて言えず、素直に謝る俺。釈然としない。
「つまりね?私がさっき言った『悪く無い』って言う言葉に嘘偽りは無いわ」
「ふーん、へー、そー」
心底どうでもよかった。例えおざなりな返事でも、無視まではしなかった自分を褒めたい。
「いいえ。それどころか、とても素晴らしい――物置だわ」
「コレが俺の家だ!」
俺は彼女と自分の価値観の差異について多いに見誤っていたようだ。
「どれだけ広くてデカイんだ、お前の家の物置は…ったく」
ぶつくさと呟き、家の前に立ちインターフォンを鳴らす。
無機質な電子音がその場と家の中に鳴り響くと、ドア越しに小さな足音が聞こえた。
直後、インターホンのマイク部分から声が聞こえてくる。
「どちらさまでしょーかー?」
聞き覚えのある、やや舌っ足らずな女の子の声。声の主は、俺の妹の―
「真優(マユ)か。俺だ」
久しぶりの妹の声に微笑を浮かべ。やや柔かい声で応じると。
「…………………………」
ふと視線を感じ隣を見ると、恋が俺に何か言いたそうに此方を見ていた。

<あんな声、出せるんだ…。私には、あんな風に優しく話してくれる事滅多に無いのに…>
羨ましげな『声』。良く見れば、僅かに頬が脹れている。
尤も、注意深く観察しなければ分からない程度だったが。
それも彼女と普段から接する機会の多い人間が、だ。
「どうした?」
「…何でも無いわ」
にべにも無い返事だが、普段彼女に良くしてやれない俺としては何も言いかえせず。
やれやれ、と小さく肩を竦める事しか出来ない。
そんなやり取りの隙間を見計らったかのように、真優からの返事が聞こえてくる。
「わたし、およびウチにはオレとかゆー知り合いはおりませーん」
「…………………………怒るぞ」
声のトーンを抑え、唸る様に言う。すると、途端に慌てた声が返って来た。
「ちょ、冗談だって!相変わらずシャレが通じないんだから。そんなんじゃ女の子にモテないよ」
「余計なお世話だ」
言うと、再び隣の恋から視線。
<私にはモテてるんだけどな…>
不満げに『声』で、恋。頬が緩みそうになる、俺。
「だから、どうした?」
「…何でも無いっ」
再びぶっきらぼうに答える。
「何だって言うのかね、このお嬢様は」
これ見よがしに溜息をつき、俺はドアを開けた。

「おかえりーっ」
と言う声と共に俺を迎え入れる、今年で14歳になる俺の妹。
シャギーの入ったボブカット。
くりくりと丸く大きい、幼さを残す眼。
スタイルの方は残念ながら発展途上で、控えめな凹凸がその存在を主張し始めている程度だ。
それを将来性を期待するに十分だと思うのは、身内贔屓が過ぎるだろうか。
「ああ。ただいま、真優」
「おみやげはっ?おみやげはどこよ兄ちゃん」
「あー。それな…。悪い、買い忘れた」
拝むように片手を顔の前に出す俺。
それは、妹に対してすこし意地悪をしてみたかっただけなのだが―
「…………………………チッ。使えねぇ」
やさぐれた声で、吐き捨てるように呟く。
ご丁寧にペッ、と唾棄するジェスチャーのオマケ付きときた。
…お前の中で俺はお土産を運んでくるだけの人なのか?
一気に冷水を浴びせられたような気分になる俺。
「…真優、少しは本音を表に出さない様にする努力をしろ」
せめて『声』で言って欲しいものである。
「嘘だよ、ちゃんと買ってあ―」
「うわーい、兄ちゃん大好きー!」
「…お前いっぺん寺にでも行って煩悩を祓って貰って来い」
兄ちゃん物欲塗れの分かり安すぎる妹を持って涙が出そうだよ全く。

「ところでさぁ」
靴を脱ぎ、家に上がろうとする俺に。妹が一言、
「―この人、誰?」
恋を指差し、そう問いかける。
彼女は平坦な声で『お邪魔します』と言いつつ敷居を跨ぐ所だった。
「人様を指差すな、失礼だろうが」
「そうだけど!そうじゃなくて!」
「どっちだ」
「だから、この人誰なの?兄ちゃんのナニ?」
「ああ。こいつは恋。俺の―」
クラスメイトだ、と言おうとしたその刹那。俺の言葉に割り込む形で。
「―恋人です」
爆弾発言を投下する恋。
「待て!別に俺と恋は―はぐぁ!?」
俺は慌てて否定しようとしたが、言い終える事が出来ずに苦悶の声を上げさせられる。
恋が俺の肋骨と肋骨の間に抜き手を打ち込んだからだ。
痛い、死ぬ程痛い。一瞬意識が飛びかけた。
「兄ちゃんマジで!?彼女!?こんな綺麗な人と!?凄いじゃん兄ちゃん!」
喝采の声を上げる真優。
「綺麗だなんて…そんな事。付き合ってはいるけど…ね、新君?」
と微笑を浮かべ謙遜し。俺の方を向き同意を求める。
『声』を聞かずともその目が雄弁に物語っていた。
『余計な事を言ったりしたら殺ス』と。
仕方なく俺は首をカクカクと縦に振った。
どの道声など出なかったのだが。

「悪いな」
夕食が終り、恋を座敷に連れて行く(泊める部屋がそこしかなかったのである)道中、俺は恋に詫びた。
「驚いたわ。貴方が自発的に謝罪の言葉を口にするなんて」
「行き成りどういう風の吹き回し?明日は雪でも降るのかしら」
「茶化すな。コレでも真面目に言ってるんだよ」
軽く睨むと、以外にも直ぐに彼女は謝った。
「ごめんなさい。でも、何時もと違って、貴方に謝られる様な事はされて無いわよ?」
「まるで、何時も俺がお前に酷い事をしている様な言い方だな」
「自覚が無いって一番タチが悪いと思わない?」
「その科白、そっくりそのまま返してやる…と言いたい所だがな。まあ、それは後だ」
「悪いなってのは、家族の事だ。相手して疲れただろう?」
俺が言うとそんな事ないわ、と恋は苦笑した。
「とても、楽しませて貰ったもの」
『声』は聞こえなかった。どうも、本心からの言葉のようだった。
だがこの場合『楽しかった』と言うのが褒め言葉になるのかどうかは甚だ疑問で。
俺は複雑な気分になりつつも、
「ならいいんだがね」
とだけ言って、夕食時の家族の事を思い返した。
「こんなんでいいの!?考え直すのなら今の内よ!?」
片手で俺を指差し、もう片手で恋の肩を掴みガクガクと揺さぶりながら、母。
「息子を宜しくお願いします…」
と行き成り恋に向かって土下座した父。
「お姉ちゃん私○○○(恐らくはブランド名だろうが俺には良く分からなかった)欲しいなー!」
と恋の腕に抱きつき早速媚びを売りつつおねだりモードに突入する我が妹。
…初対面の息子(或いは兄)の恋人に対して、随分エキセントリックな接し方じゃあないだろうか。

「身内の恥、晒しちまったかな…」
頭に手を付き、天を仰ぐと。
「もう。そんな事無いって言っているでしょう?良いご家族だと思うわよ」
「いや、分かっているんだがな…」
「少なくとも、私は何時もと違う貴方のそんな顔が見れて、とても楽しいけど?」
クスクスと笑う恋。その可愛らしい笑顔にモヤモヤとした気分も晴れていく。
「やかましい」
悪態をつきつつも、俺の口の端は笑みの形に少し歪んでいた。
「さて、と。今日お前には此処に泊まってもらうワケだが―」
そうこう言っている間に座敷に辿り着いた俺は、言いつつドアを開け―
「…ッ!?」
―目の前に広がった光景に、顔を思い切り引き攣らせた。
座敷には布団が敷かれていた。
ただし、2人分。その上枕がくっついていた。
慌てて自分の部屋が会った場所に向かうと、鍵がかけられていた。念の入った事だ。
「あ〜い〜つ〜ら〜っ!」
怒りに体が震える。
通りで夕食にスタミナが付きそうなオカズばかりが並んでいると思った。
「…何も、しないでよ?」
<や、優しくしてくれると、いいな…>
釘を刺すような言葉とは裏腹にその潤んだ瞳と『声』は期待に満ちていた。
「絶ッッ!対にッ!な・に・も・しねえッ!!!!!」
俺は近所迷惑になる事も顧みず、腹の底から叫んだ。
今夜の俺の安眠は、無くなったも同然だった。


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