こここい、じゅうさん!

―気付けば、屋上に居た。
直ぐに自分が夢を見ているのだと解った。
これが幾度となく見続けているお決まりの悪夢だから。
いや、『悪』夢ではない。
コレはただ、過去の記憶を垣間見ているだけに過ぎない。
それに悪も何もない。
昔起こった事を、見せつけられるというだけ。
自分の所為で起こった、単純で絶対的な事実を。
―俺は、大勢の人間に囲まれていた。
彼らは、俺と同じ年頃の少年少女だった。
彼らは、かつて友人でありクラスメイトだった。
自分と同じ時間を過ごし、同じ喜びと悲しみを分かちあった仲だった。
俺はそんな彼らを、結果的に騙し、裏切った。
だから、彼らが自分に向ける表情は怒りと失望しかなく。
いつか見た笑顔は、遠く手の届かないモノに成り果てた。
だが、それでも。
俺の隣には、1人の少女が居た。
居て、しまった。
それは、俺にとって誰よりも大切だった少女。
もう会えない、過去になってしまった少女。

彼らは俺を責めたてる。
それについて、文句は無かった。
非は俺に在るのだから、言える筋合いではない。
だがあえて、あえて言わせて貰えるのなら―
ただ、悲しかった。彼らを傷つけた事が。
自分達との間に、超える事の出来ない断絶が生まれた事が。
懸命に俺を弁護しようとする少女だったが、その小さな弁護人の言葉は彼らの耳に届かない。
例え彼女が、老若男女問わず数多くの人に慕われていたとしても。
それ程、俺の罪は重かった。
俺を責める間にエキサイトして来たのか、彼らの中の1人に乱暴に小突かれ俺はたたらを踏んだ。
―そこから全ては、不幸な偶然の積み重ねだった。
もしかしたら、それは。起こるべくして起こった必然なのかもしれない。
それでも。誰かが望んで、そうなるように仕向けたワケじゃあ無い。
だから、偶然。神様の、余りにも気まぐれで残酷な悪戯。
よろけながら後退したその先に、空き缶が落ちている。
俺はそれを踏んでバランスを崩し、後ろに倒れこむ。
更に運の悪い事に、屋上の手摺が老朽化していた。
咄嗟に掴まり寄り掛かった瞬間、音を立てて壊れ折れ、俺は空中に投げ出された。
俺は自業自得だ、と諦めた。この結果は自分への報いとして相応しいと。だが―
瞳を閉じ、死を待つ俺を誰かが抱きしめた。
まるで、護る様に。まるで、庇うように。
それが。先程まで自分の隣に居た少女だと気付いたその瞬間。
鈍い音と共に意識がブラックアウトした。
目を覚ますと、周囲が騒がしかった。そう時間は経っていない様だった。
暖かい、ぬるりとした感触。体は、ピクリとも動かない。
目に入って来るのは、鮮烈な、紅。
そして、その色に彩られたかつて少女だったモノ―

「――ッ!!!!!」
今度こそ本当に目が覚め、声にならない悲鳴を上げる。
冷房が効いている筈なのに、全身汗だくだった。息も荒い。
《大丈夫?アラタ》
『声』と共に柔かい感触。
額に、誰かの手が当てられていた。目に映るその手の主は、
(…夢?)
馬鹿な。何故、どうして―
《どうしたのさ、ボクが分からないの?新》
再び『声』。
すると、ぼやけていた視界の中で見えていた、彼女の姿がかき消える。
後に残るは、俺の額に手(と言うか前足)を当て顔を覗きこむ白猫が一匹。
「―エミュ」
相棒の名を口にする。…どうして見間違えたんだ、俺は。
「用事は済んだのか?」
《うん、まあね。それより、酷くうなされていたけど…またあの夢?》
心配そうに聞くエミュ。余程俺が苦しそうに見えたのだろう。
「ああ。…何度見ても慣れないな、こいつは」
結構立ち直った気で居たんだが、なぁ…。
心に刻まれた傷というものは、そうそう簡単に癒えるモノでは無いらしい。
《元気出して、新。…こんな事しか言えないのがちょっと、悔しいな》
「んや、十分だ。気を遣わせてスマンな」
《気にするなよ。『ぱあとなぁ』だろ、新?》
「そうだな」
おどけた口調の相棒に微笑を浮かべていると。
「う…ん…」
そんな可愛らしい声を上げ、1人の少女が身を起こす。

すらりと通った鼻梁、ふっくらとした紅い唇。
黒曜石をはめ込んだ様な、透明感のある黒瞳が納まる目はややツリ目気味。
それらのパーツで構成された、整ったかんばせ。
艶やかな長い黒髪は、起きぬけである所為か盛大に乱れていた。
そんな少女の名は草薙 恋。こんな姿からは想像できないが、実は大企業の社長令嬢だったりする。
彼女は学校のクラスメイトであり、今は表向き俺の恋人と言う事になっている。
表向き、と言うのはちょっとした事情があって付き合っているフリをしているからである。
閑話休題。俺はそんな恋を見て、
「…よかった」
と。彼女に聞こえない様、小さな声で呟いた。
ほぅ、と安堵の溜息をつく。
恋より先に起きる事が出来たから。
彼女に、うなされている自分を見られないで済んだから。
いや、見られる事自体は構わない。だがそれを見た恋が胸を痛めるのはいただけない。
「…んーみゅ」
寝ボケ眼で枕元をまさぐる。
<メガネ、メガネはどこ…?>
眼鏡を探しているらしい。コレで額に眼鏡が乗っていれば…惜しい。
どうやら、寝起きはお世辞にも良い方ではない様だ。
低血圧なのだろうか?いやアレは俗説だったな。
「ん〜…」
<どこ〜?>
『声』と共に不機嫌そうな呻き声。彼女のこんな姿を見られるとは。
ひょっとしたら、俺はとても貴重な瞬間を目の当たりにしているのかも知れん。

このまま観察を続けたい気もするが、流石にコイツに悪い。
俺は恋の布団の近くに在ったメガネケースを掴んだ。
「ほらよ」
それを彼女に手渡す。
「あ、有難う…」
恋はケースを受け取ると、その中からノンフレームの眼鏡を取り出した。
レンズは小さく、デザイン重視なのが伺える。お洒落眼鏡というやつだ。
「んしょ…ってなんで新君が此処にっ!!?」
目を見開き驚く恋。何を言ってるんだコイツは。
「…此処は俺の実家だからに決まっているだろう」
「あ…」
<そういえば…新君が此処に泊めてくれたんだっけ…>
「寝ボケすぎだ。さっさと目を覚ませ。お前に此処に来た経緯をいちいち説明したくないんでな」
何時もの様に肩を竦め、シニカルな口調。その言葉に恋は口を尖らせる。
「ね、寝ボケてなんていないわ。ただ…ちょっと起きたばかりで頭がうまく回らなかっただけで」
頬をポリポリと掻き、決まり悪げに後半の言葉を付け足す。
「それは世間一般に寝ボケたって言わないか?」
「煩いわね。前々から思って居たけれど、揚げ足を取るのは良くないわ」
「確かにそれは反省して然るべきだとは思うが、少なくとも今のだけは揚げ足じゃねえよ…」
「自己弁護なんて、見苦しいと思わない?」
「鏡見て来い、阿呆。…まあそれならそれでいいがな。俺もお前の恥部を語らないで済んだワケだし」
「恥部言うな。ちょっとした、微笑ましい失敗談でしょう?」
「本州を横断出来る距離の乗り間違えを『ちょっとした』で済ませるお前の神経には感服するよ」
その図太さにな。
「もう、ああ言えばこう言う…」
「それはお互い様だ」
ふと、こんな問答も何度目だろうなと思う。既に回数など忘れる程幾度となく交わされたやり取り。
それを俺は心地良いと、思う。恋も、そう思っている。
それが分かる事が嬉しくもあり、そうだと良いなと願う事が出来ないのが寂しくもあった。

「ねえ、新君。…なにか悪い夢でも、見た?」
「…っ。何だ、行き成り」
何故、と問う言葉を喉元で押し止め。素っ気無く答える。
「酷く汗を書いているし、顔色は真っ白。何かあったと思うのが普通よ。…例えば、悪い夢でもみてうなされたとか」
「そうか。あまり夢見が宜しくなかったのは事実だが、お前が気にする事じゃない」
そう答えると、恋が何かに驚いたように目を丸くした。
「なにか可笑しい事を言ったのか?俺は」
「貴方が私の質問に最初から素直に答えるなんて珍しくて」
「捻くれ者で悪かったな。まあ、そう言うこともあるさ」
「…そうなの」
<やっぱり、何時もと様子が違う…。どうしちゃったんだろ>
「良かったら相談にのってあげてもいいわよ?…別に心配とかじゃなくて、色々貴方には借りがあるから」
「気持ちは有難いが、余計なお世話だ」
「あらそう」
<もうちょっと言い方ってものがあるじゃないのよ>
不満げな恋を余所に、俺は尚も話を続ける。
「あんまり人に話したい事じゃないんだ。悪いが、聞かないでくれ」
角が立たないよう、愛想笑いを浮かべる俺。恋は渋面でそんな俺の顔を見ていたが、やがて諦めた様に溜息をついた。
「…解ったわよ。それなら、これ以上聞かない」
もっと粘られるかと思ったらこの反応。予想外の反応に少し、戸惑う。
「今日は嫌に素直だな。俺としてもその方が有難いが」
「詮索されるのは嫌いだって公言してるのに、人にそれをするのもどうかと思っただけ。それに―」
<そんな今にも泣きそうな顔で言われたら、それ以上聞けないわよ…>
泣きそうな顔…って。そんな酷い面だったのか、俺は。
「それに?」
呆然としつつも、何とか彼女に台詞の続きを促す。
「…何でも無いわ。気にしないで頂戴―っとと」
不意に、携帯の着信音。

「こんな朝早くに…誰かしら?」
眼鏡と同じ様に枕元に置いていた携帯を拾い、液晶画面を覗き見る恋。
「誰だ?」
俺が尋ねると恋は苦笑いを浮かべた。
「父よ」
…まあ、そろそろ来る頃だとは思って居たが。
というか、親からの電話に苦笑いってのはどうなんだ?いや、あの父親を持てばそうしたくなるのも解るが。
恋が小さく、そして暖かいものの混じった溜息をほぅ、と1回。そして通話ボタンを押した瞬間。
「恋ーーーーーーーーーー!!!!!!!」
携帯のスピーカーが壊れるのではないかと思える程の大音量。
少し離れた俺にすらハッキリ聞こえる時点で相当である。耳を押さえ苦悶の表情を浮かべる恋。
そんな彼女の事などお構いなしに、電話の主である彼女の父、草薙 刃は機関銃のようにまくし立てる。
「一体どうしたんだ昨夜凛から『此方に来ていないがどうしたのか』と連絡が来たんだまあ声からして大事はなかった用で何よりだ父さん
心配で心配で昨日は8時間しか眠れなかったんだよまあそんな事はどうでもいいかそれより何かトラブルでもあったのかい今何処にいるん
だい今どういう状況に置かれているんだい恋どうした返事が無いようだがもしかして具合が悪いのかい大変だ今直ぐ医者を呼ぶから居場所
だけでも私に―」
ブツッ。
恋は壊れんばかりに力を籠め、携帯のHLDボタンを押し込んだ。
…朝から全開だな、刃さん。会話に句読点を挟む暇すら惜しいらしい。
耳を押さえたまま荒い息をつく彼女には同情を禁じえない。
再び着信音。恋は深い深い溜息とそれより尚深い諦念と共に電話に出た。
「どうした恋!」
「返事が聞きたいんだったら一旦黙ってお父さん!!!!!」
悲鳴のような―と言うか悲鳴そのものだが―恋の叫び。
「済まない、少し気が動転していたみたいだ」
「あれは少しとは言わないと思うわ…」
そんなやり取りを聞いて「つくづく、こいつら親子だな」と再確認する俺だった。

それから暫く、恋はコレまでの経緯を話して居たのだが。
「はい、新君」
唐突に俺に携帯を差し出してきた。
「替われ、と?」
「替われ、と」
訊く俺に恋は頷いた。仕方なく携帯を受け取り、なんとなく嫌な予感を覚えつつ電話に出ると、
「やあ、荒巻君。1つ訊きたい事があるんだが」
先程とはうって変わった猫なで声。まるで被害者を追い詰めた殺人鬼の様な、そんな声。
「聞きたい事、ですか」
「そう。とてもシンプルな2択の、ね」
芝居がかった言い方で、必要以上に勿体をつけた後。
―こう、問うた。
「Dead or Die?」
「何だその絶望的な2択は!?」
というかシンプルどころか2択じゃねえ!
「ああ、済まない済まない。訂正しよう」
「そうして下さい。はぁ…」
「ダーイ(死ね)」
「喧嘩売ってんだなそうなんだな!?」
「だってだって羨ましいじゃないか!恋と2人っきりと旅行だなんて!私だってそんな事してないのに!」
「もういいキモいから黙れ!」
「ふむ…まあ冗談はこの辺にしておこう」
コホン、と小さく咳払いが聞こえた後。声のトーンを抑えた、シリアスな口調に変わる。
「君の事は信用している。恋を―頼むよ。もし娘の身に何かあったら、それこそ先程の2択を君に迫る事になる」
その物言いに分かっていますよ、と苦笑する俺。
「いやホント頼むよ!?嗚呼心配だ!恋が●●●な事や×××××な事になったら私はもう―」
「アンタ実は全く信用してないだろ!?」

ひとしきり刃さんと話し終えた俺は恋に携帯を返した。
受け取った恋の顔は心底嫌そうに歪んでいた。すまん刃さん、フォローの言葉が思いつかない。
そして再び幾つかのやり取りの後、電話を切った。
「お疲れさんだな、全く」
「お互いにね」
俺達は顔を見合わせて笑った。
「さて、恋。今日はお前、どうする積もりなんだ?電車は出てるからもう帰れるが」
「折角だし、少し位は観光でもして行こうかと思ってるわ」
「そうか。まあ田舎だし、対して見る所もないかもしれんが、精々楽しんでくれ」
「待ちなさい。そう言う時は『俺が案内するよ』って社交辞令でも良いから言うのがマナーってものでしょ?」
立ち上がろうとした俺にそんな風に気を回せないから貴方はダメなのよ、と言う恋。
「面倒だ。それに俺は行く所があるからな」
「…何処に行くの?」
「まずは洗面所に行って身だしなみを整えるとするかな。お前もそうしとけ、髪とか酷いぞ」
「言われなくても!…ってそうじゃなくて!何処で何をするのかって訊いてるの!」
<今日は2人っきりで色々したい事、あったのに…>
それはとても魅力的な思い付きだったが俺にはそれに頷けない。何故なら―
「人に会いに行く。大切な、人なんでな」
「え?」
<たた大切な人って…!?す、好きな人とかじゃないわよね!?>
「そ、そう。貴方がそんなわざわざ誰かに行くなんて、どんな人なのかしらね」
「うん?ああ、所謂初恋の人って、奴だな。俺が生まれて初めて、好きになった人だよ」
「だから今日は―って、恋?」
怪訝に思った俺が声をかけるも時既に遅し。ショックの余り恋が石化していた。
彼女が石化から開放されるのと、俺に付いて行くと宣言するのは、ほぼ同時だった。


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