こここい、じゅうよん!

夏の日差しが厳しい十拳の街並みを、黙々と歩きながら。
俺はじぃ、とそんな音が聞こえそうな程に剣呑な視線を向けられていた。
視線の元をこっそりと眼で辿れば。まず視界に飛び込んでくる、胸まで伸びた艶やかな黒髪。
そして程なく、フレームが無くレンズの小さいメガネ―所謂お洒落眼鏡―の奥にある黒瞳に行きつき、思わず吸い込まれそうになる。
「何?」
俺の視線に気付いた少女が、低い声音で問いかける。
「何でも無い。偶々眼があっただけだ」
俺は何時もの如く肩を竦め、無難な答えを返す。
穴が空くほど見つめると言う諺があるが、もしそれが言葉の通りなら。
―俺の体は既に穴ぼこだらけだろうな。漫画やアニメに出てくるチーズみたく。
胸の内でそう1人ごち、俺は小さく溜息をついた。隣を歩く少女に気取られない様、細心の注意を払って。
視線の主である少女の名前は草薙 恋。日本有数の工業系コングロマリットである大企業の御令嬢。
それがどんな数奇な運命の悪戯か。そんなやんごとなきお嬢様が今は俺の恋人と言う事になっている。
『と言う事』なんて歯切れの悪い言い方をするのは、色々込み入った事情で付き合っているフリをしているからだ。
その込み入った事情とやらも実はもう既に解決している問題なのだが、これまた色々あって関係を継続するに至っている。
「やっぱり、問題だわ」
<そうよ、問題なのよ>
唐突な恋による声と『声』の発言。
「問題?」
リアクションに困った俺は、胡乱な眼を彼女に向けた。
「何が問題なのか分かっていないって顔ね。まあ解ってれば―」
そもそもこんな風に私が気を揉む事も無いのだけれど、と呆れ顔で言う。
そして彼女は歩きながら人差し指をぴっと立てこうのたまった。
「私と言う彼女が居ながら、他の女と逢引だなんて。…どう考えても問題でしょう?」
聞き慣れない単語に、呆然とする俺の名前は荒巻 新。傍目から見れば一般的な高校生だが―
只1つ、普通の高校生―いや。普通の人間が到底持ち得ない能力(と言うか体質)があった。
俺は、人の考えた事を心の『声』として聞き取る力を持っているのである。

「逢引…って、お前な。ただ会いに行くだけで何を大袈裟な」
呆れの入った顔と声で、俺。それでもまだ何か言いたそうな恋に、さらに俺は言う。
「第一、仮にそうだったとして何の問題がある?本当に付き合っているわけでもないだろう」
その言葉に、恋は口を尖らせ反論して来た。
「それでも、周りの人達にとっては私達は恋人同士なのよ。解る?他人から見ればコレは立派な浮気よ」
神経を疑うわ、と顔を顰める恋に、俺は冷たく言い捨てる。
「他人がどう思おうと知ったことか。俺が他の女と何しようが俺の勝手だ。干渉するな」
「そうだけど…」
<そうだけど、少しくらい意識したって…。それとも、私なんか眼中にないのかなぁ…>
そんな事は無い。女として意識しているのはお前だけだ。
…今に始まった事ではないとはいえ、そう言えないのがもどかしい。
「解ってるのならどうしてついてきた。お前が来ても楽しくはないぞ、きっとな」
「い、一応貴方の『彼女』としては別々に行動するのはおかしいじゃない?そ、それだけよ」
<貴方から初恋の人に会いに行くなんて聞かされて、黙ってられるワケないじゃないのよぉ〜っ>
…成る程。確かに、彼女の言い分にも一理ある。
家族に宣言―こいつが一方的にしたのだが―した手前、1人で恋をさっさと帰らせるのは俺もどうかと思う。
彼女を置いて1人で何処かに行ってしまう事も、だ。
恋の地元である叢雲なら兎も角、ここは彼女にとって見知らぬ土地だ。
彼氏の取る行動としては、余りにも情酷薄。非常識だと言わざるを得ないだろう。
『声』の方で語られる本音については言うまでも無い。
「…そうか。なら好きにしろ」
「言われるまでも無いし、貴方に許しを乞うような事では無いわ」
などと、傍目からすれば刺々しいやり取りの最中。恋のモノではない『声』が聞こえてくる。
《何ともいじましい乙女心だね、新。よっ、この幸せもの♪》
そう、『声』でからかうは俺の肩に乗る白猫。名前はエミュ。
やかましい。それに振り回される身にもなれ、と俺は相棒を睨んだ。

暫くの間歩き続け、到着したのは十拳の中心街。
とは言え。関東圏でも指折りの大都市である叢雲に比べれば、どうしても貧相に見えてしまう。
高層ビルや大型のショッピングセンターが存在するものの、その数は疎らで。
古ぼけ薄汚れた外装からは隠しきれない田舎臭さが漂ってくる。
「ここに、会いたい人とやらがいるの?」
<いよいよ、なのかな>
冷静さを装う平坦な声に、緊張と不安を滲ませた『声』。
その温度差に苦笑を浮かべつつも恋に言葉を返す。
「さあ、どうだろうな」
実は目的地は此処ではなく寄る所があっただけなのだが、あえてそれは言わなかった。
やきもきしているコイツを見るのが、どうにも楽しくなってきたからだった。
…元々、嫌われる為に仕方なく冷たくしていたはずなんだが。
「…答えになってないのだけど」
「いいだろ、別に。いずれは分かる事だ。―行くぞ」
尚も問い質そうとする恋を適当にはぐらかし、方向転換。
「あ、ちょっと!待ちなさい!」
納得の行かないしかめっ面のまま、恋が慌てて俺を追いかけてきた。
―俺が足を止めたのは、一軒のフラワーショップだった。
軒先に並ぶ、無数の花・花・花。そして、それらが放つ濃厚な花の芳香が訪れる者を圧倒する。
俺に追いついた恋から、早速『声』が聞こえてくる。
<花屋?相手は此処の看板娘とか!?>
…行き成りツッコミ所満載だった。だが、例の如く『声』が聞こえる事は言えない為、ツッコむにツッコめない。
<そうよ…きっと一輪のバラの花でも買ってその人にこう言うのよ!>
<『これを…貴方に』言われた彼女は頬を赤らめながら『まあ…でも何故?』と白々しく聞き返すの>
<『コレの花言葉は「愛情」…後は、言わずとも解るでしょう?』『ええ…でも貴方から直接、聞きたいわ…』>
…一瞬でこれだけ妄想できる彼女の想像力に驚くべきなのか。それとも、余りに陳腐な内容に呆れるべきなのか。
嗚呼、大爆笑したい。そして恋に向かって「お前はアホか」と言ってやりたい。しかし言えない。畜生。

俺が内心臍をかむ思いをして居ると、ほどなく店の奥から人影が。
「あら、いらっしゃい」
柔和な笑みを浮かべながら此方に来たのは、恐らくは50前後位の中年女性。
ふくよかな体つきの所為で、身に着けている園芸用エプロンが小さく見える。
いくらなんでも、これは自分の妄想が間違いだと恋だって一発で分かるだろう。
ほら、その証拠に恋も驚愕に眼を見開いて―
<…熟女趣味!?>
―我ながら見事な足ズッコケを、俺は2人に披露した。
「大丈夫?」
心配そうな恋にお前の所為だ、と言いたいのを我慢しよろよろと立ち上がる。
そして誤解を解くため俺は仕方なく説明する事にした。
なんでわざわざこんな事をせにゃならんのか、と情けなく思いつつ。
「…足を滑らせただけだ。気にするな。後、一応言っておくがこのおばさんは件の人じゃないからな」
「え゛っ!?…も、勿論そんな事くらい解っているに決まっているわ」
「今思いっきり『え゛っ!?』って言ったよな?」
「あ、貴方があんまりに馬鹿な事言うからよ」
「あー…そうか」
俺は適当に返事をした。なんかもうどうでも良くなったからだ。
「スイマセン、今から言う幾つかの花を花束にして包んでもらえますか?」
俺は気遣わしげに此方を伺い見ていた店員のおばさんに声をかけた。
わかりました、と早くも仕事モードに切り替わるおばさん。
手早く俺が言った花々をチョイスしていき、瞬く間に完成した花束が俺に手渡される。
「花を、買いに来たのね」
「普通、それ以外に何しに花屋に来るんだ?…女に会うのに、手ぶらじゃぁ拙いだろ」
「…私は、貰ってないわ」
<やっぱり…私なんか…>
不満そうに此方を睨みつけてくる。
そういえば、こいつには何もしてやれてないし、何も与えてはやれてなかったな。

「そうか。それなら」
俺は再び店員のおばさんに向き直る。
「この花を一輪、彼女に」
俺は色とりどりの花の中から、ある花を指差しながらそう告げた。
直ぐにその花が丁寧に包装され、恋に手渡される。
まさかこうなるとは思って居なかったのだろう。呆然としている恋を余所に、俺は会計を済ませた。
俺達2人がフラワーショップを後にし、今度こそ目的地に向かう途中。
歩きながら何か言いたげに「あー」だの「うー」だの唸る恋だったが。
それでもついに言う気になったか、おずおずと俺に話しかけてきた。
「あ、新君。その…さっきは言いそびれたけれど。花………有難う」
僅かに頬を赤らめながら、上目遣いに言う恋。何時もと違う控えめな声と口調が何とも可愛らしい。
そんな彼女の顔を見れただけでも、プレゼントした甲斐があると言うものである。
「と、とは言っても『彼氏』だったらコレくらい当然よ。あまり自惚れないことね」
「そうかよ。……そんな事さえ言わなけりゃあ、俺だってもうちょっと素直にサーヴィス出来るんだがね」
照れ隠しに言った恋の言葉に、不機嫌そうな声で返すと。
<あわわ…また、怒らせちゃった…。どうして私ってこうかなぁ…>
そんな、落ち込んだ『声』が聞こえてくる。やり過ぎた自分に心の中で舌打ちし、俺はフォローの言葉を口にする。
「確かに、気の利かない面があったのは認めるさ。だから、この辺で勘弁してくれ」
「…そう。花を貰ったの自体は嬉しいから、まあいいわ」
<よかったぁ…もう怒ってないみたい…>
聞こえてくる安堵の『声』に心の中でやれやれ、と1人ごちる。
全く、難儀なお嬢様だ。…だからこそハマりこんでいるワケだが。
「新君、ところでコレは何て花かしら?」
嬉しそうに花を見つめながら問う恋。彼女の手にあるのは少々風変わりな花だった。
小さな3つの白い花を、ともすれば花弁と間違えてしまいそうな紫色の葉―包葉と言う―が取り巻いている。
俗に魂の花とも呼ばれている、オシロイバナの仲間であるその花の名前は―
「ブーゲンビリア、だ」

「ブーゲンビリア、か。…良い花ね」
「勝手に付いて来たとは言え『彼女』を連れまわすだけで何にもなし、ってのは流石に気が引けてな」
「まあ、俺の気持ちだ。受け取っておけ」
今度は俺が照れ隠しをする番だった。頭をポリポリと掻きながら、あえて素っ気無い口調で言う。
《うっわ、キザだねぇ…》
またも『声』で揶揄するエミュ。無視無視。
「解ったわ。改めて、有難う」
恋は微笑み、そして何かを思い出したかの様にこう言った。
「そう言えば、この花の花言葉は?わざわざ選んだからには知っているんでしょう?」
<私は、バラとかの有名所しか知らないから…>
「さあね。適当に選んだだけだ。…興味があるなら、自分で調べるんだな」
無論知っているに決まっているが、俺はとぼけた。そんな事、照れ臭くて言えるものか。
「そう。それなら別に良いわ」
恋がそう微笑むと同時に、俺は再び歩みを止めた。
「…ここ?」
恋が疑わしげに聞いて来る。なぜなら此処は―
<ここって…墓地じゃないの>
そう。眼前に広がるは無数に立ち並ぶ墓石だった。
「ここだ。墓参りに来たんだから、墓地に来るのは当り前だろう?」
「というか…俺が買った花を見て、てっきり気付いたと思っていたんだがな」
俺が買った花は小菊、ヒャクニチソウ、キンセンカ、ストック、キンギョソウ等だ。
要は、仏花である。
「でも、好きな人に会いに行くって…」
「そうだ。言っておくが、初恋の人に会いに来たのは本当だ。そして墓参りに来たのも、本当だ」
「え?ど、どう言う事?」
未だに事態が飲み込めない恋。俺は肩を竦めながらシニカルな口調で、彼女に答えを告げた。
「初恋の人が…今も生きているだなんて、誰が言った?」


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