こここい、じゅうろく!

 この街に来て以来、退屈とか停滞とはとんと無縁な俺こと荒巻 新ではあるが、今朝は珍しく穏やかな朝の一時を過ごしていた。
 今日は何をしたものかと寝ぼけた頭で考えつつ、ベッドの中でまどろむ。カーテンの隙間から陽光が幾条もの帯となり室内に注ぎ込む。
 今日は良い天気だ。そう思うだけで何となく良い事が起こりそうだと、そんな予感を覚え――
「起きなさい」
 ――その声と共に、そんな1日への期待と希望は木っ端微塵に打ち砕かれた。
 顔をしかめ見上げれば、草薙 恋が俺を冷ややかに見下ろしていた。
 その視線はビールもコンマ1秒で飲み頃に出来そうな程。倒錯的な趣味に目覚めたらどうしてくれる。
 左手を腰に、右手でフレームの無いお洒落眼鏡を治す。そんな何でも無い仕草がいちいち様になっている。
 黒のキャミソールに白のミニスカートと言うコーディネートはとても魅力的だが……。
「見えてるぞ」
「何が?それより早く――」
 起きなさい、という言葉を遮る様に俺は端的に補足説明した。
「スカートの中身だ。……黒のレースか。良いモン穿いてるな」
「〜っ!」
 羞恥か怒りか、顔を真っ赤に染めた彼女が俺をベッドから蹴り落とす。痛いがそれだけの価値はあったのでよし。
「まあソレは兎も角。……教えてくれ、俺は後何回お前に安眠を妨げられればいい?」
 身を起こし、眠たい目を擦り。見上げる様に睨めつけ抗議するも、恋はそれを馬耳東風と聞き流す。
「こんな時間まで、だらだらと寝ている貴方が悪いのよ」
「何時まで寝てようが……ん? ちょっと待て、何故お前が此処にいる? いや、それ以前にどうやって此処に入った?」
 眉を顰め胡乱な眼差しを恋に向けるとふう、と小さく溜息をつき。
「貴方は何を言っているの? 玄関から入ったに決まっているでしょう」
 馬鹿を見る目つきだった。かてて加えて、その声からは呆れの色がにじみ出ている。おかしいな、如何して俺が責められているんだ?
「確か鍵をかけていた筈なんだが」
「郵便受けの中が合鍵の隠し場所だなんて、安直過ぎるとは思わない?」
「堂々と不法侵入を宣言するなこの馬鹿野郎!!!!!」
「私は女よ。野郎じゃないわ」
「突っ込む所はそこじゃねぇだろ!?」
 爽やかな朝の空気漂う空に響く俺の声。次の瞬間隣のマンションの住人に怒鳴られた事は言うまでも無い。
 やれやれ。最悪の朝だよ、全く。

 「……さて、弁解を聞こうか?」
 俺は不機嫌デスヨ、と言わんばかりに朝飯代わりのコーンフレークを口の中へ乱暴にかきこむ。
 無論その程度の事を意に介する様な彼女では無いと言うのは解っていたが、こんな子供じみた真似でもしないと俺の気が済まなかった。
 「弁解をするのは貴方の方でしょう? 待ち合わせの時間になっても来なかったのに」
 不満気に反駁し俺の入れたコーヒー(とは言ってもインスタントだが)を啜る恋。だがそんな事を言いつつも、
 <……このカップって、やっぱり新君も使ってるのかな……ってもう、何考えてるのよ私>
 なんて事を考えているのである。何故そんな事が分かるか、それは。
 ――俺は「人の考えた事を『声』として聞く力」を持っているから。
 大抵は、他人の嫌な面ばかりを見せられ厭になるのだが、彼女に関しては別の意味で「止めてくれ」と悲鳴を上げたくなる。
 恋の様な天然純粋乙女(叢雲産)から向けられる真っ直ぐな好意は嬉しいと同時に非常にむず痒く恥ずかしい。
 それでも彼女から離れがたいのは、やはりそんな所もひっくるめて、俺は草薙 恋という少女が好きなのだろう。
 いつかは離れねばならないのだから、尚更だ。なんだかんだで人との繋がりを捨てきれないのは俺の弱さだ。
 結局、俺は根本的な部分は何1つ変わっていないのかもしれない。どうしてこう、俺は――
「聞いてる?新君」
 憂鬱の螺旋に嵌りかけていた俺を、恋の声現実の世界に引っ張り出した。妙な勘ぐりをされても困る俺は、憎まれ口を返す。
「……ん?ああ、悪いな。無理矢理起こされた所為かまだ頭がポーっとしてるようだ。誰かさんの所為でな」
「だから、ソレは貴方が約束をすっぽかそうとしたからじゃない。……まあ、ちょっとだけやり方に問題はあったかもしれないけれど」
 ちょっとじゃないだろう……まあいい。確かにこの件は俺の自業自得と言えなくも無いからだ。
 約束。
 それはこの間、十拳に居た時に『恋とギコ達をさそって皆で何処か遊びに行こうか』と俺が提案したことに端を発する。
 叢雲に戻った翌日。恋はすぐさまギコ達と相談し、今日この日に海に行くと言う計画を立て俺に約束を取り付けた。
 ガラにも無く感傷的になってた所為で、あんな事を言ってしまった事を後悔した俺は、なにか適当な理由を付け、断るつもりだった。
 そう。断るつもりだったのだ。だが……。
 あんな事(前回参照)があって動揺していた筈の彼女の行動の早さは、まさに電光石火としか言い様が無かった。
 混雑して居るから嫌だと言えば、海水浴場の一角と宿泊用のホテルを含む諸々の施設を丸ごと貸切状態にする手配を整え。
 バイトが在るからと言えば、バイト先の店にまで裏から手を回し、休み中店を閉店状態にしてしまった。 
 彼女の家が持つ財力と権力をフル活用するとこうなるのかと、内心舌を巻く思いだった。
 今まで色眼鏡で見られるのが嫌だと、金持ちで在る事をひけらかす事を避けてきた彼女の判断は正解だろう。正直ズルいもん、これ。

 ともあれ。其処までされては、俺のせめてもの抵抗の手段は約束をすっぽかし自室に引きこもるくらいだったと言うわけだ。
 約束を破るような奴など付き合う気も失せるだろう、そんな計算も含んだものだったが、まさかこんな手段をとって来るとは。
「解ったよ。俺が悪かった。全面的に俺に非が在ります。……これでいいか?」
 これ以上水掛け論をして居る気力の無い俺は早々に折れた。力無く両手を上げる。全面降伏と言う奴だ。
「何かひっかかるな言い方だけど……まあいいわ。御互い様って事にしておくから」
 だから不法侵入しといてなぜ其処まで上から目線でモノを言えるのか。そう思ったが言うのは止めた。何度も言うがそんな気力は無い。
「そいつはどうも」
 磨り減った心を癒そうと煙草を一本取り出し、咥える。火を点け、深々と煙を吸い込み肺に満たす。
 美味くも何ともない筈なのに、吸うと気分が落ち着くのが分かる。少しずつ俺の体をニコチンが蝕んでいる証拠だ。
 雨宮先生の事をとやかく言える筋合いではないな、これは。
 少々自虐気味に考えつつ煙を吐き出す。たちまち室内に充満していく煙に恋は顔を顰めた。
「前々から思っていたのだけど、その趣味はどうかと思うわ」
「趣味と言うよりは習慣なんだがな……。なんだ、今更未成年の喫煙は云々なんて言うつもりか?」
「煙草の煙が嫌いなだけよ。せめて客が居る時くらいは慎んだら?」
「客?さて客なんぞとんと見ないがなぁ……不法侵入者なら居るが」
 わざとらしい俺の嫌味。恋の形の良い柳眉が片方、ピクリと跳ね上がる。
「案外根に持つタイプなのね。人に好かれないわよ?」
「ことさら誰かに好かれようと思ってるワケじゃない。最低限の付き合いさえ出来れば十分だね」
「もう……ああ言えばこう言う」
 ふくれっ面の恋にそれこそ御互い様だ、と俺はそっけなく言い捨てた。

「まあいいけれどね。好きな人とキスでもする時に煙草くさい、なんて嫌がられても知らないわよ?」
「余計な御世話だ。それに――」
「それに?」
「今の所お前以外の人間とキスをする予定は無い」
「な、ななっ……!?」
 顔を真っ赤にし、目を泳がせる恋。
<そ、それって私としかキスしたく無いって事……?いやそうじゃないかもしれないしというかああもうこんな事で嬉しくなって舞い上が
ってる自分が悔しいっ!>
 動揺しきりの恋を見て居る内に、ついつい悪戯心が湧いてくる。
「ついでに言えばそんなに煙草の匂いなんぞ気にならないもんだぞ?……試してみるか?」
 口の端を笑みの形に歪め恋を抱き寄せる。漂う彼女の化粧と香水の混じった甘い香り。伝わってくる体の柔らかさと暖かさ。
 直接触れている服は手触りからして上質で。余程気合を入れてコーディネートしてきたのだろう。
 ああくそ。仕掛けた俺がドキドキしてどうする。
「ば、馬鹿!……もう私が捨てるから寄越しなさい!」
 俺を乱暴に押しのけ煙草を俺の口からひったくろうとして……ジュッ。彼女の指先が火の付いた煙草の先にダイレクトタッチ。
「NOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!」
 余りの事に何故か英語で悲鳴を上げ床の上をのたうち回る。……そういえばデフォルトでドジッ子属性を持っていたな。
 すっかり捨て設定になってたから忘れてた。それでも、
<……うう。ちょっと残念だった、かも>
 などと内心残念がる恋にああやはりこいつはこいつなんだなぁ、と妙に感慨深げになったりするのだった。

 場所は変わり、今日止まる予定であるホテルの一室にて。
「で? お前らの痴話喧嘩の所為で俺達はこのクソ暑い最中立ちっぱで待たされたと」
【うう……辛かったよー】
 と、口々にギコこと橘 銀弧としぃこと萩原 椎奈が不満の声(椎奈は携帯の画面だが)を俺と恋にぶつける。
 どうも俺と恋が奴の言う所の痴話喧嘩をしている際中、マンションの入り口でずっと待っていたらしい。
 今日の気温は35℃を超える酷暑だ。そんな中待ちぼうけと言うのは確かに辛かろう。
「お前らも入ってくれば良いだろうが。同じ不法侵入なら1人だろうと3人だろうとかわらんね」
「んな野暮な事出来るか、バーカ。それにもしその……あれだ。えっちぃ事とかしてたr」
「朝からそんな元気はないしそもそもそんな事をする仲でもない。それ以前にそんな唐突にそんな展開になるかど阿呆」
 何処のAVだ。
「なんだよ、つまんねぇ」
<うまく行かないもんだな……。まあ仲良くやれてるようだし、いいか。これで……>
 銀弧の『声』に余計な御世話だと内心で毒つく。まあ自己満足でないだけマシか。
「さて、いつまでもダベってるワケにもいかないし、とりあえず荷物置いて借りに行くか」
「なにをだ?」
「水着だよ。場所が場所だから、ここはそう言うサービスもやってるんだよ」
<水着が無いから行けない、なんて言われる可能性もあったしな>
 その手があったか。しかし、そこまで考えるか、普通。
「そう言う事よ。……それでなんだけど。水着、選ぶの手伝ってくれる?」
 さり気無い口調で俺に問いかける。だが。
<やっぱり、新君好みの水着にしたいもの、ね>
 ……抱きしめて良いかなぁ。そんな思いとは裏腹に、俺は3人に背を向けドアに手をかけ、言った。
「断る。なんで俺がそんな事を」
「いいじゃねえかよそれ位。色んな水着姿見れて役得だろ?」
【やっぱり第三者の意見とか重要だもん、ねー】

「それならお前達が見てやればいいだろ」
「いや、俺達は俺達で選んでるし」
【そうそう。そこまで見きれないよー】
「しつこいな……恋の水着なんぞ知るか! なに着たって大して変わらねえよ!」
「ちょっと! どう言う意味よ!」
 3方向からのサラウンド攻撃にいい加減苛立っていた俺は勢いのまま吐き捨てる様に言い放つ。
「そのままの意味だ! 美人はなに着せても似合うだろうが! いちいち見るまでもないんだよ!」
 いきり立っていた俺は周囲がシン、と静まり返っていたのに気付かなかった。
 ドアノブを捻る音が随分大きく聞こえる事に違和感を感じ、3人の方を振り返ると。
「うお!?」
 思いっ切り3人に見つめられていた。
<こいつ……言う時は言うんだな……>
<甘いよー甘すぎるよー>
<きゅ、急にそんな事言われても……いやすっごく嬉しいけど!>
 遅れて聞こえてきた『声』に俺は我に帰った。
 もしかして俺、勢いに任せてとんでもない事言ってしまったんじゃないか?
「あ、いや、これはだな」
「これいじょう言わなくていいって。痒くて死んじまう」
【口から砂糖がでちゃいそうだよー】
「そ、そう言う事なら! は、張り切って選ぶから!」
 口々にそう言って部屋を出ていく3人を俺は慌てて追いかけながら、
「待て! 今のはなんて言うかちょっとした手違いっつうか言葉のあや的ななにかでな!? というか待ちやがれ! 水着なんぞ幾らでも
選んでやるから今の言葉を撤回させてくれェーッ!!!」
 悲鳴じみた叫び声で空しく訴え続けた。


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