こここい、よん!

有体に言えば、大ピンチだった。
八方塞がりである。万事休すである。四面楚歌なのである。
…最後のは違うか。いや、ある意味合ってるか。
まあ俺に向けられているのは敵意や悪意の類ではなく寧ろその逆なのであるが―
だからこそ、俺は途方に暮れていた。
その理由については今更語る必要は無いので割愛するが、俺は周囲の人間に嫌われようとしているからだ。
だと言うのに。周囲のクラスメイトから生暖かい視線と『声』が俺に注がれているのが分かる。
達観した『声』、得心した様な『声』、揶揄するような、それでいて親しみの篭った『声』。
人によって様々だったが1つ共通している事があった。
それは、俺に対して少なからず肯定的・好意的な感情や印象を抱いていると言う事。
先日、恋に思い切り横っ面を叩かれてまで周囲に悪印象を植え付けさせたのに。何故こんな事になったか…
それを説明するには少しだけ時間を遡らねばなるまい。なに、ほんの20〜30分程だ。
朝。俺が学校に向かおうとバスに乗ると見知った顔が―いや。”イヤでも見知らされた”顔が其処にあった。
「おろ?シンじゃん。おっは〜」と。人懐っこい笑みを浮かべ片手をひらひらと振り。
そいつは死語どころかゾンビになって新人警官にハンドガンで撃たれそうな言葉で挨拶をしてきた。
俺の通う県立叢雲高校2年A組のムードメーカー的存在にして重度のお節介焼き。橘 銀弧だ。
彼の隣、前の座席の影になっている所。そこから控えめに顔を出し携帯を俺に見せる少女。
緩やかにウェーブの掛かった髪を頭の両側で縛った彼女もまた、俺のクラスメイトである。
名を萩原 椎奈。携帯の液晶画面には【おはよう】と表示されていた。この2人はいつも一緒だな。
彼女は軽度の対人恐怖症と失語症の為、携帯のメモ機能を使って意思疎通するのだ。
「俺の名前はシンじゃない。新だ。荒巻 新」顔を顰め取り合えず訂正する。
「別に良いじゃん」<その方がカッコ良いし>格好良ければ良いって物でもないだろう。

「言ってろ。お前らがどう呼ぼうと知った事か」吐き捨てる様に言い、極力離れた席に座ろうとバスの中を見渡す。が。
見事に空いている席が無い。立って手摺や吊革、座席の角にある取っ手等に捕まる人も居た。その乗客のほぼ9割がウチの生徒だった。
「何でウチの生徒ばっかこんなに多く…?」唖然とする俺。
車内は見事にここの制服(ブレザー)の色である黒一色に染め上げられていた。
「ああ、それはな?ここいらは叢雲でも最大の住宅街でさ―」そんな俺の様子を見た銀弧が説明を始める。
彼の話を要約すると。叢雲高校に通う生徒の多くは此処にある自宅に住んでいるか部屋を借りるなりしているのだそうだ。
当然、このバスに乗る乗客の大多数は叢雲高校の生徒で占められ、かつ同じバスに集中する結果混雑するというわけで。
俺がそれに気付かなかったのはここがこの地域では最後に停車するバス停だからと言う事だった。
昨日は学校で色々やる事が(手続きやら何やら)あったからこの時間より一本早いバスに乗ったな。だから分からなかったのだろう。
「ま、そう言うワケだ。それより…早く座らないとバスが発車しちゃうぜ?」説明を終え満足げな銀弧は俺にそう告げる。
【そうそう早く早く】銀弧に続くように、椎奈。そして言い終えて直ぐに、『声』が聞こえて来る。
<そうしないと計画が台無しになっちまうからな><新君が座らないと、何にもならないよー>
…どう言う事だ?疑問に思い再び視線を巡らす。するとある事に気付く。というか何故今まで気付かなかったのか。
2人の後ろの座席だけぽっかりと誰も座る事無く空席となっていた。「此処に座れ」と言わんばかりに。
耳を澄まして見れば周囲の乗客―無論ウチの生徒だ―も銀弧達と同じ様な事を『声』で言っていた。
あからさまに何らかの意図が見える状況。それに釈然としないものを感じつつも何か出来るわけでもなく。
「…ふん」と俺は不愉快そうに鼻を鳴らし座席に座った。そして後はバスの発車を待つだけとなったその時。
車外からパタパタと走ってくる足音と共に。誰かが息を切らしバスに乗り込んできた。
腰まで伸びた黒髪。フレームレスの小さいお洒落眼鏡をかけた綺麗な顔立ち。草薙 恋だった。
<うう…また目覚まし時計をセットするの忘れちゃった…私のバカ>『声』で愚痴る恋。
慌ててドアステップを駆け上がろうとして―段差となっているそれに脛をぶつけた。あ、プルプル震えてる。しかも涙目だ。
最初に会った日も転んでたが…もしかしてコイツ、かなりどんくさいのだろうか。だからどうと言うわけでは無いが。
「おーいレン、こっちこっち」そんな彼女に呼びかけ手招きする銀弧。それに気付いた恋が此方に向かって歩きだし。
<ああ新君!?な、なんで!?>そして俺の存在に気付いたことで硬直し、頬を紅潮させる。
だが固まっていたのも束の間。すぐに平静を取り戻しこちらに向かって来た。
…同じ側の手足が一緒に出ていたが。

「―お早う」<わわ、新君の隣だなんて…緊張しちゃうな…でも…嬉しい…かな>
相も変わらずギャップのありすぎる声と『声』でのたまいつつ俺の横にちょこん、と座る恋。
それを見た銀弧と椎奈から<うし、計画通り!><やったね!>と喝采の『声』。…成る程、コレが『計画』か。
<ふう。俺の人脈をフル動員した甲斐があったぜ>感慨深げな銀弧の『声』。恐らくは恋の気持ちを察しての事だろうが、お節介な奴だ。
て事は周囲の生徒全て銀弧の息がかかった連中なのか。恐れ入るが、コイツならそれが余り不自然に感じないのが不思議だ。
にしても、たかが俺と恋を同じ座席に座らせる為だけになんとまあ大袈裟な。呆れ半分感心半分な俺をよそにバスはゆっくりと動き出す。
走り出して暫くたってから、不意に視線を感じる。視線の主は言うまでもない、恋だ。
<何か話したほうが良いかな…でもお喋りでウザい女だって思われるのもイヤだし…>俺をチラチラと見つつ『声』で、恋。
…正直話しかけられても困るんだがな。いや悪い気はしないが。
「さっきからこっちをじろじろと…なんか用か?」その視線に黙ってられなくなった俺は胡乱な目で恋に問いかけた。
聞き耳を立てている前の2人の『声』でやいのやいのと何やら言っているが無視無視。
「…外の景色を見ていただけよ。自意識過剰じゃないかしら?」<そんな事言いたい訳じゃないのに…でも認めるわけにもいかないし…>
「ああそうかよ。なら場所変わるか?何なら立って吊革にでも掴まってるぞ俺は」
「そ、其処までしなくてもいいわ。走ってる途中に動くのは危ないし」<折角隣に座ってるのにそれは…困るよ>
「そんなの知るか。どうしても危ないってんなら次の停留所で停まってから動くさ」
恋の方を向かず目を窓の外に向けたまま。頬杖をつきいかにも機嫌悪そうに言う俺。
<うう…あんな事いうから怒っちゃったじゃない…私のバカ>しょぼくれる恋。そしてそれっきり俺達の会話は途切れる。
「ま、まあまあシンそんなに怒るなって」重たいふいんき(何故か変換出来ない)を察した銀弧が振り返り言う。
【そうそう、それに恋ちゃんも少し言い方がマズかったんじゃないかな】銀弧に続く様にして、椎奈。
「怒ってないさ。ただ隣の奴がどうしても景色が見たいようでな。それにはどうも俺が邪魔らしい。だから動く、それだけだ」
「どうしても、なんて言ってないわ。大きなお世話よ」
「それにしぃ。私は言いたい事を言いたい様に言っただけだから。言い方も何もないわ」
ああツッコみたい。「嘘つけぇ!!!!!」と思いっきりツッコみたい。
「兎に角―」俺は恋から顔を背け彼女を指差し。
「私は―」恋は俺から顔を背け俺を指差し。
「「こんな奴の事なんかどうでも良い」」話を打ち切りたい俺の言葉と照れ隠しの恋の言葉が見事にハモった。

「…何?」<うぅ…こんな筈じゃ…>
「…なんだよ」表面上は険悪に睨みあう俺達。
<こいつら結構お似合い…><実はかなり気が合うと思うよー…>俺達を見て、揃って額に一筋の汗を浮かばせ『声』で呟く銀弧と椎奈。
それでも何とか空気を軽くしようと尚も銀弧は1人喋る。
「ど、どうでも良いって事は無いだろ?昨日の事だって、どうでも良ければあんな事しないだろ?な、シン」
「あんな事?」彼の妙に含みのある言い方に嫌な予感を覚えつつ聞き返す。
「お前昨日襲われたレンを命がけで助けたじゃん。その事」
「んな…」なんでその事を。俺は驚愕に何も言えなくなる。
「いや〜俺はさ、やると思ってたぜ?あん時言ったじゃん。お前は良い奴だって」<やっぱ俺の人を見る目に狂いはなかったぜ♪> 「だからよ、皆にもきっちり説明しといた。安心してくれよな」…説明ですと?嫌な予感がさらに増大していく。と言うか最早確信だ。
【メール一括送信して説明したの私だよー!】と抗議文を打った携帯を銀弧に突きつける椎奈。
「悪い悪い悪かった。でまあしぃにメールこう書いて送ってもらったんだよ、クラスの全員に」
「『新のアレは照れ隠し。その証拠に今日恋を身を挺して護った』ってな」
「な…な…何て事を…」それがクラス全体に?今までの行動が全部無駄になるだろうが!
「あ、礼ならいらないぜ。当然の事をしたまでだからな」ニッ、と笑ってみせる銀弧。
「感謝なんぞするか!…まて。その話誰に聞いた?いや聞かんでも分かる。…お前か」恋を見据え、言う俺。
「そうだけど、それが何か?」しれっとした顔で、恋。
「余計な事しないで欲しいんだがな…」
「私は何があったのか聞かれたから、ありのままを答えただけ。新君に非難されるような事はしてないつもりよ」
「だからってそんなペラペラと…」
「勝手にしろって言ったくせに今更文句なんて、虫が良すぎるんじゃないかしら?」
「く…」返す言葉がなく、呻く様な声しか上げられないのが悔しい。
「それに…」<新君が誤解されて嫌われたままなんて、嫌だもん>
この時ばかりはコイツの純情さと言うかいじらしさと言うかそう言うものが憎らしくて堪らなかった。

「それに…何だ?」
「何でもないわ。大した事じゃないもの」<恥ずかしくて言えるわけないじゃないの…察してよ…もう>
「そうかい。それにしても意外だな。クサナギのお姫様ともあろうものがバス通学なんて」
「専属の運転手にベンツ辺りで送り迎えされてるとでも思った?なら聞くけど貴方はそうしてもらいたい?毎日」
「…そいつは勘弁だ」道草もロクに出来ず、登下校の度に周囲からは好奇の視線に晒される…想像しただけで気が滅入る。
「ならつまらない事を聞かないで。…あと、お姫様は止めて頂戴。特別扱いされるのは嫌なの」
「それはそれは悪い事をしてどうもスミマセンでしたね。…ん。だが」
「?」
「お姫様って言葉が不自然じゃない位には、お前は綺麗だと思うぞ」あえて彼女を真っ直ぐ見据え、真顔で言う。
「!!!!!?」<い、行き成り何言ってるの!?…でも、綺麗…綺麗って…えへ、えへへへへぇ>
変わらぬ表情のまま、真っ赤になる顔。際限なく緩んでいく『声』。俺はそんな純な反応をする彼女を見て素直に可愛いと思った。が。
「冗談だ。まさか本気にしたのか?」皮肉めいた笑みを浮かべ、俺。本気だが本気にされると困るんでな。
「そんな訳無いでしょう。本気の言葉と社交辞令の区別位つくもの」<そっ…かぁ…じょう…だん…なん…だぁ…はは、は…>
急転直下とはまさにこの事。相変わらずのクールフェイスからは考えられない程露骨に凹んだ『声』で呟く恋。
<…照れ隠しだな><照れ隠しだよー>俺達を微笑ましげな生ぬるい視線で見つつ、銀弧&椎奈。正直、図星だった。
そして気まずくは無いが、かといって居心地が良いと言うわけでもない微妙な空気を引き摺ったままバスは走り続ける。
結局、次の停留所に差し掛かっても俺は座席を移る事は無かった。
恋はこっそり胸を撫で下ろし。銀弧達は『分かってたぜ』とでも言いたげな目をしていた事を付け加えておく。
そんなこんなで、バスは叢雲高校へと到着した。
「と、シン!そっちじゃないんだな〜今日は」教室に向かおうとする俺の肩を、銀弧は掴み強引に方向転換させる。
「…?」
「ついてくりゃ分かるって」ニヤリと笑い歩いていく。恋と椎奈もそれに続くのを見て俺もそれに倣った。
しばし歩くと、上のプレートに『第二多目的教室』と書かれたドアの前に辿り着いた。中に入ると、クラスメイトが全員揃っていた。
室内はそこそこ綺麗に飾り付けられており、テーブルクロスが敷かれた幾つものテーブルが。
その上には食指をそそるお菓子や軽食が盛り付けられ、それを囲む様にして人数分のコップがあった。

「これは一体なんなんだ?」訝しげな顔で、俺。
「おいおい、昨日言ったろ?お前の歓迎会するってさ」と、肩を竦め銀弧。
「ああ…」そう言えばそんな事も言っていたな。すると昨日3人で街に出ていたのはこの為の買出しといった所、か。
「さて、と…それじゃ…」言い、勿体付ける様に息を深く吸う銀弧。開会の挨拶でもするのだろうか?
「お前ら、もう良いぜ」そう彼が宣言―そう、宣言と言う言葉が最も相応しいだろう―したその刹那。
其処に居た銀弧と椎奈を除くクラスメイト全員が俺と恋目掛けて殺到してきた。
彼・彼女らの口から紡ぎ出されるは。言い方こそ違えども昨日何があったのか、それを問う言葉。
とうやら質問に答えるまではこの包囲網から脱出出来る事は無いであろう、と悟り。
かてて加えて、どうせ俺が答えずとも恋が全て言ってしまうだろうと言う言い訳じみた考えが浮かんだ事もあって。
嗚呼、諦念ってこう言う気分の事を言うんだったな、とぼんやりと思いながら俺は昨日あった事の詳細を洗いざらいぶちまけた。
それに気を良くしたか…いや。調子に乗ったと言う方が適切だろう。
この時この瞬間分かった事だが、このクラスの連中はやたらと厚かましい。気の良い奴らではあるのだが。
兎に角。まるで漫画の様にベタな話を聞いた”こやつら”は次に俺に対して怒涛の質問攻めを開始した。
本来ならば転校生が初日にお見舞いされるアレだ。もう半ば捨て鉢な気分だった俺は答えられる限りの質問に答えた。
そろそろクラスの人間全員が荒巻 新と言う人間のエンサイクロペディアを作れそうな領域に指しかかった頃。
「はいはい質問タイムは一旦中断!そろそろ開会の挨拶に移らせてもらうぜ!」
何時の間にかマイクを持っていた銀弧が芝居がかった仰々しい口調で言う。それにしてもこの野郎、ノリノリである。
「それではコレより、俺達の新しい仲間となった荒巻 新君の歓迎会を始めたいと思いますッ!」直後、湧きあがる歓声。
「さてそれじゃあ今日の主役である新君から一言挨拶してもらいましょうッ!どうぞ!」言った後俺にマイクを手渡す銀弧。
この思い込みの激しくてお節介で。でも良い奴でもある馬鹿野郎に言いたい事は山ほどあったが取り合えず、俺はこう言う事にした。
「地獄へ落ちろ、『ギコ』」
かくして歓迎会は始まり。冒頭で述べたような状況に陥ったと言うワケなのである。
この後は、再び質問攻めに遭ったり、調子に乗った銀弧を叩きのめしたりする位で大した事はなかったので割愛する。
だがまあ…退屈はしなかったと、それだけは言っておこうか。


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