西暦1999年12月29日

年が暮れようとする頃、魔界は大きく沸いていた。
デーモン小暮閣下率いる地上部隊が地球征服を完了したからだ。
十万年にも渡る戦いに終止符が打たれた。
そのことは瞬く間に魔界中に広まり、今やどこもかしこもお祭り騒ぎだ。
オフィスビルの屋上から花火が打ち上げられ、
首都を走る環状線の真ん中でキャンプファイヤーが焚かれる始末。

そんな中、一人憂鬱な表情をした女性が悪魔教教会防衛本部の椅子に座っていた。
「私は何をやっているのだろう……」
彼女の名前はカナミ椎水。
地獄の皇太子ダミアン浜田殿下の親戚筋に当たる由緒正しい生まれの悪魔だ。

私は何がしたいのだろう。
何のためにこの仕事を続けているのか。

今回の件で、幼い頃よく面倒を見てもらっていたルークも英雄扱いだ。
子供の頃に一緒に遊んだゾッドもジェイルも、みんな。
――それに引き換え、私は……

「浮かない顔してますね、カナミ様」
突然声をかけられ、はっと顔を上げる。
そこには穏やかな表情の青年がいた。
「ふん、貴様か……。何のようだ?」
部下のタカシ別府准尉。頭はいいが、腕はからっきし。
理解の早さや他人に物事を教える要領のよさは見習うべき点ではあるが、
この馴れ馴れしさはどうも苦手だ。
こんなヤツが部屋に入ってくるのも分からないほど私は落ち込んでいるのか。
「いえ、特に用事は。当てもなく歩いていたらカナミ様の部屋から声が聞こえたものですから」
「――っ! き、貴様! 私の独り言を聞いていたのか!?」
「いえ、聞いてませんよ? 声が聴こえただけですから」
「……ならばよいが」
こんなことが部下の耳に入れば部隊の士気に関わる。
閣下は平等に扱ってくださるが、そういう人ばかりではない。
ただでさえ女ということで馬鹿にしてかかる人もいるのに、
弱音を部下に聞かれたとなったら何を言われるか……。

「貴様は閣下のステージを見にはいかんのか?」
ここで働く他の悪魔たちはみな閣下の凱旋ステージ(黒ミサ)を見に出て行った。
もぬけのから、というやつだ。
「私は騒がしいのが苦手でして……。嬉しいのはみんなと一緒ですが」
変わったやつ。
そもそもコイツは何をしに来たんだ?
暇だからといってわざわざ上司に会いに来るやつがいるか。
「それに、楽しいんです。カナミ様と話すのが」
「なっ……! 何を――!」
「カナミ様の声を聞いてると落ち着くんです。不思議ですね」
と、目を細めて笑った。
「ふん、私は貴様などと話していても全く楽しくないぞ」
「まあまあそんな酷いことを言わずに……」
突然何を言うのかと思えば……
コイツと話していると調子が乱れる。
一介の部下でありながら遠慮というものがない。
言葉面だけは丁寧だが、本心ではどう思っているやら。
私は部下にもなめられているんだろうか……。
そう思うと、また憂鬱になってくる。

そんな気持ちを知ってか知らずかコイツは一人で勝手にしゃべっている。
昨日のテレビがどうだったとか、最近の音楽シーンは腐ってるだとか、他愛のない話を。
殺風景な部屋に異様なほど明るい声が響いている。
「――というわけで、著作権というものはですね……、聞いてます?」
悪意のない顔で覗き込む。
「貴様、本当に何をしに来たんだ?」
私はわずかに怒りを含ませて言う。
それでもこの男はひるむそぶりも見せず、
「だからカナミ様とおしゃべりしにきたんです。やっぱり迷惑でしたか?」
と悪戯っぽく笑っている。
「私は話すことなどない」
「それでも黙って聞いていてくれたじゃないですか。邪魔なら追い出せばいいだけなのに」
「そ、それは……貴様が勝手にしゃべりだしてとまらないからタイミングがつかめなかったのだ!」
「そうなんですか? 申し訳ありません。でもカナミ様はやっぱり優しいですね」
といってまたにっこりと笑った。

優しい?
私が?
自慢ではないが私は部下に相当厳しく当たってきた自信がある。
もちろん自分にも厳しくはしてきたつもりだが、だからといって私が優しい……?
「……私がどう言われているのか知らないらしいな」
「知ってますよ。『鋼鉄の女』でしょ? 他部署の奴らが言ってるだけです。私たちの中でそんなこと本気で思ってるやつなんて一人もいませんよ」
そうなんだろうか。
目の上のこぶくらいに思われているのだろうと思っていた。
私に気軽に話しかけてくる部下なんていないし。
コイツを除いては。
「もしよかったらカナミ様も何か話してくれませんか? 私だけしゃべっているのも悪いですし」
少し考える。
さっさと追い出すのが一番だな。
コイツの相手をしていては調子が狂ってかなわない。
「……一つ話したら帰るか?」
「ええ、あまりご迷惑はかけられませんから」
私は当たり障りのないくだらない話をし始めた。

   ◆

本当に一つだけ話して早く帰らせるつもりだった。
だが気付けば二時間以上もしゃべっている。
最近の仕事や苦労話、家族のことや悩みなど色々としゃべっていた。
コイツは私の話を真剣な顔で、相槌を打ったり、意見を言ってくれたり、
時には冗談を言ったりしながら聞いていてくれた。
聞き上手というやつなんだろうな。
話せば話すほど次々話したいことがでてくる。
こんなことは初めてだった。

ふう、と一息ついて時計に眼をやる。
「すまなかったな。時間を取らせてしまって。今日話したことは忘れてくれ」
我に返ってみると少し不安になった。
何か話してはいけないようなことを話したかもしれない。
弱音のようなものは言わなかったと思うが……。
「いえ、こちらこそ付き合っていただいてありがとうございました。
私は嬉しかったですよ。カナミ様の声がたくさん聞けて」
「なっ……! まだそんな戯言を――!」
「あはは、照れなくてもいいじゃないですか。
……けど、それよりも本当はカナミ様がたくさん話してくれたこと自体が嬉しいんです」
「えっ?」
「カナミ様はいつも何か悩み事がありそうな時は一人考え込んでますよね。
 みんな心配してたんですよ。あーまた難しい顔してるぞって」
意外だった。
みんな私のことを気にかけてくれているんだ。
独りぼっち、ってわけじゃないんだな。
そう思うとなんだか心が安らぐのを感じた。
「カナミ様ってそんな顔で笑うんですね。初めて見ました」
「えっ……? あっ!」
どうやら私はにやけていたらしい。
言われると無性に恥ずかしくなってきた。
「き、貴様! おちょくるのもいい加減にしろっ!!」
「すいません。性分なものですから」
といってまたあはは、と朗らかに笑う。
――憎めないやつだ。
「では長い間時間を取ってもらってありがとうございました。楽しかったです」
そういうと失礼しました、といって部屋を出て行こうとする。
「おい」
おいおい。
「あの……」
何を言う気なんだ私は。
タカシは振り返って不思議そうな顔でこっちを見ている。

「よかったら、その……また話しに来てもいいぞ?
 あっ、いやっ、別に何がどうというわけではなくてだな……
 どうせしばらくは仕事はないだろうし……えと……」
タカシはきょとんとしていたが、ええ、必ず行きます、と微笑んだ。
私はつられて顔がにやけてしまうのを感じた。
でも止められなかった。
「最後に一つ言ってもいいですか? 怒らないでくださいね?」
ドアを開きかけながら言う。
「笑った顔、かわいいですよ」
今度は頭に血が上ってくるのを感じた。
「ばっ、バカモノ!! 早く消えろ!!!」
あははは、と首をすくめながらタカシは出て行った。

タカシが出て行った後、ぼーっとデスクに座って考えていた。
今日私が話したことやアイツが話していたこと。
かわいい、なんて久しぶりに言われたな……
子供の時以来かな……
なんか気分は少し晴れたかも……
お礼言ったほうがいいかな……

終業時間までそんなことをずっと考えていた。
その間ずっとにやにやしていたと思う。
他の人がみればさぞ気味が悪かっただろう。
……とにかく今日はよく眠れそうだ。
私は軽い足取りで帰路についた。


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