西暦1999年12月31日

夢を見ていた。
昨日と同じ夢。
お父さんの膝の上に座って楽しくおしゃべりする夢。
お父さんの笑顔。
私も嬉しくなってくる。
やがて眠たくなって、おやすみなさいをいうのだ。
そして、お父さんの顔を見る。

――あれ? お父さんじゃない――?

そこで目が覚めた。
目に映るのはいつもの天井。
でもいつもよりも視界がぼやけて――

うう……頭が痛い……
完全に二日酔いだ。
重い頭を起こし、ベッドから出る。
カーテンを開き窓を少しだけ開け新鮮な空気を吸い込む。
うん? いつもより日が高いような……?
時計を確認する。

10時20分。

なにぃぃーーーー!!
ち、遅刻ーー!!
やばい、遅刻なんてもんじゃない!
いつも最低でも十分前には着いてる私が……!
ああー、どうしよう……なんていいわけしよう……
――ん?
でも、どうせ誰もいないのか。
言い訳する人がいなきゃ考える必要もない。

ほっ。

でも流石にこのまま欠勤はできないな。
一応行っておくか。
……アイツも来てるかも知れないし。

ピンポーン。
インターホンが鳴る。
誰だろう?
ピンポーン。ピンポーン。
うるさいな。はいはい、今出ますよー、と。
洗った顔を拭いたタオルを手に玄関のドアを開ける。
「はい、どなたで――って、なんでお前が!!」
タカシだった。
「いや、本部に来てないみたいだったので、まだ寝てるのかな、と」
いつものにこにこ顔だ。
コイツには二日酔いは来てないらしい。
「抜け出してきたのか?――って、なんで私のうちをお前が知っているんだ!!?」
タカシは不思議そうな顔をしている。
「だって、昨日私が送ってきたじゃないですか。あ、昨日じゃなくて今日かもしれませんが」
う……そうだったのか?
全然覚えてない……。
眉間に指を当てて思い出そうとしてみるが、記憶が甦る気配はなく頭が痛むばかり。
「あれ? 覚えてないんですか? 大変だったんですよー」
と嬉しそうだ。
「ウィスキーで勝負を始めた辺りまでは覚えているんだが……」
「じゃあ、あの後お酒買い足しにいったのも覚えてないんですね」
何? アレを全部開けたのか……。
我ながら恐ろしい……
「すごかったんですよ、カナミさん。
 店に行っても誰もいないもんだから『持ってくぞ! 金は後払いだー!』とかいって勝手にもってっちゃうし、
 その辺にいたおっさんに『私の酒が飲めんのかー!』とか言ってシャンパンファイト始めちゃうし。
 私も酔っ払ってたんで一緒にやっちゃいましたけどね」
アーアー聞こえなーい。 うぅ……やってしまった……。
私が今まで築いてきたイメージが――
「私はすごく楽しかったんですけど、カナミさんはどうでした?」
うーん、まあ、その時はすごく楽しかった気がするんだけど……
それよりもダメージが――ん?
ハッと顔を上げタカシの顔を見つめる。

「? どうしました?」
首をかしげている。
「お前今、私のことをなんと呼んだ?」
「カナミさんって……ああ! これも覚えてないんですか?」
これって、もしかして記憶障害……?
「カナミさんが言ったんですよ。『様はムズムズするから二人の時は呼び捨てにしろ』って。
 私は流石に悪いから『カナミさん』でいいですか?ってきいたら『それでいい』って」
ああ……なんかかすかに覚えてるかも。
カナミ様って呼ばれて、なんかイライラして――
言ったような、言ってないような……
「とりあえず、勝負は私の勝ちですね」
状況から見てそう判断せざるを得ない。
「……どうやらそのようだな」
私がお酒で負けるなんて久しぶりだ……
噂を聞いて勝負を挑んできたやつはことごとく返り討ちにしてやったというのに。
コイツ酒だけは本当に強い。

「じゃあ約束は守ってもらいますよ」
にっこり笑う。
「約束? 何のことだ?」
まだ出てくるのか、私の知らないことが……
「そうだろうと思いましたけど。今日一日私とデート、です」
ああ、デートね……
デート。
え……?
えええーーー!?
「な、なんで!? でで、でーと!? なんで私となんか!!?」
もうワケがわかんない。
激しい動悸が胸を襲う。
タカシはにこにこしてるし、
頭は痛いし……
ああ、顔が熱くなってきた。
「私がしたいと思ったからです。……嫌なら無理にとは言いませんが」
少し寂しそうな顔。
――いやかなり寂しそう?
いやいやそうじゃなくて!
デートなんてしたことないし、
デートっていったら恋人同士でするもんじゃないの?
手をつないだりしながら歩いたり、
観覧車乗ったり、き、キスしたりとか……?
それで、あーなって、こーなって――

「カナミさん?」
「はひっ!?」
「か、顔色がなんか、尋常じゃないですよ」
声をかけられてやっとこっちに戻ってこれた。
心配そうな顔が目に映る。
「あ、ああ、す、すまない。大丈夫だ」
「体調悪そうですし、また今度にしましょうか」
と言ってくれた。
まあ二日酔いなのは確かだが――。
「じゃあまた誘いますね。お大事にしてください」
そういって去っていこうとする。
「ま、待って!!」
ああ……三度目だ。四度目か?
私はどうしちゃったんだろう?
「えと、い、行くから! もう少し――えーと、お昼前には準備できるから!
 あの……ほ、ほら、まだ寝巻きだし。シャワーとか浴びたいし――」
自分で言ってやっと気付いたが私は寝巻きでタカシとしゃべっていた。しかもタオル持ってるし。
とたんに恥ずかしさが襲ってくる。
「あ……、しょ、勝負に負けたから仕方なく行くんだからな!? か、勘違い、するなよ?」
対照的にタカシはすごく嬉しそうだ。
目が線になるくらいの満面の笑みを浮かべている。
「そうですか!? じゃあ一時間後にまた、迎えに来ますね!!」
といって今にもスキップしだしそうな足取りで帰っていった。

――不思議だ。
アイツと話しているとすごく暖かくなる。
ドキドキしたり、ハラハラしたり、
腹が立ったり、恥ずかしくなったり。
不快じゃない。
むしろそれが心地いい。
何なんだろう、この気持ち?
……やっぱり、そうなの、かな?

しばらくその場に立ち尽くしていた。
そして、十分ほど経ったとき、
やっと自分のするべきことを思い出して、
慌てた。

   ◆

11時30分。

ピンポーン。
来た。
私はなんとか間に合った。
急いでシャワーを浴びて、髪を整えて、
メイクをして、着替えて――
実際に一番時間がかかったのは着替えかもしれない。
デートって何を着ていったらいいのか分からないし、
服だってたくさん持っているわけじゃない。
あれこれと悩みに悩んだ挙句、結局膝上くらいのタイトスカートとブラウス、
その上に白いコートとマフラーをすることにした。
ピンポーン。
――よし! いくぞ!

私は玄関のドアを開けた。
「あ、お、お待たせ……」
ドアを開けるとタカシが私の姿を見て目を丸くしていた。
凍り付いてるといったほうがいいのか。
――似合ってないのかな。
そうだよね。
普段スーツと戦闘服くらいしか着ないもの。
私だって何を着ていいかわかんないんだもん……
「……か」
――か?
「……かわいい」
「――!!」
ボッという音が出たかもしれない。
それほど私の顔色は急激に変化していただろう。
「そんなお世辞を言っても何もでないぞ」
と言ってごまかしたつもりだが実際はもっとどもっていた気がする。
心臓がバクバクする。
正に破裂しそう、というくらいに。

――なんでここまで胸が高鳴るんだろう。
……一つ思い当たるのは『かわいい』、という響きなんではないだろうか。
キレイ、とか美しい、なんていうお世辞は生まれ柄時々は聞いてきた。
でも、かわいいなんて言ってくれる人は本当に久しぶりなのだ。

……と、ここまで考えて自分に言い訳をしていたことに気付く。
自分にさえ素直になれない自分に苦笑する。

もう答えは出てるじゃない。


私は緩む表情を抑えながら言う。
「おい、どこに行くんだ? さっさと行くぞ!」
目を合わせないようにして。
「あ、は、はい、ええっと、い、いきましょう」
とタカシが答える。
コイツがしどろもどろになっているのなんて初めて見た。
よく見れば顔もなんだか赤いような気がする。
ふふ……コイツもかわいいな。
――よし、今のうちに仕返ししておくか。
「どうした? 顔が赤いぞ? わ、私に見とれているのか?」
うわー、言う方も恥ずかしいよ! これ。
「はい……予想以上にかわいかったもので、つい……」
「うっ……そ、そうか……」
だ、ダメだ。
これ以上は声が裏返りそうだ。
私は熟れたトマトみたいになっているであろう顔を見られないよう、
「行くぞ」
とだけ言って通りのほうへ先に歩き出した。
今はこれが精一杯。

   ◆

電車に乗り、出口に近い席に座る。
そこでタカシは
「この先にあるテーマパークに行きましょう」
と提案した。
電車から下りるとタクシーを捕まえ、二人並んで後部座席に座る。
テーマパークというのはアレだろう。
ネズミやらアヒルやら犬やらが二足歩行をして訪問客を脅して回っているというなんとかランド。
タカシの話では地球征服記念祭ということで、
今日まで全てのアトラクションが無料開放されているらしい。
店の類はやっているかどうかは怪しいが、
アトラクションは全て機械制御なので問題ないという。
「兄ちゃんたちデートかい? うらやましいねえ」
そう運転手がほざく。
そうなんですよ、とだらしなく笑うタカシをとりあえず殴っておいた。

「あ、着きましたよ」
到着したらしい。
石造りの立派な門に『ビターバレー デ○○○ー ランド(BDL)』と書かれている。

――ここはビターバレーではないのだが。

「入り口に人はいないみたいですね」
見ると受付口のようなものがあるのだが全てにカーテンがかかっている。
そのかわり、『入場無料 本日まで』という紙が張られていた。
「とりあえず入りましょう」
促されるまま私は門をくぐった。

門を抜けるとものすごい熱気。
すさまじい人だかりだ。
「あーやっぱり混んでますね」
というタカシは少し苦笑気味だ。
確か騒がしいのは苦手だと言っていたから人ごみが嫌いなんだろう。
「そうだな。とりあえず私はお腹が減ったんだが」
とりあえず落ち着くために店に入りたかっただけだが、お腹が減ったのも事実。
朝から何も食べていないから。
「そうですね。どこかに入りましょうか」
タカシはいつもの笑顔に戻って店を探し始めた。
すぐにレストランらしき建物を見つけたのだが――

「『closed』、だな」
「ですね……」
中には人の気配はない。
「どうしましょう? 探せばきっと露天販売のフランクフルトとかはあると思うんですけどね」
少しあせっているようだ。
悪いことしたかな。
ご飯くらい食べてくればよかった。
――何で開いてないんだ!
商売くらいしろ!
……あれ?
「おい、タカシ」
「え、なんです?」
腕を組んで何か考えていた様子だった。
「鍵が開いてるぞ、ここ」
「あ、ほんとだ」
ノブを回してドアを引くと少しだけ開いた。
――そうだ、もしかしたら。
「入ってみないか?」
「え? でもどうせ人はいませんよ?」
困惑気味の顔だ。
「まあ、いいじゃないか。私は入るぞ」
そういってなるべく目立たないように素早く入る。
「待ってくださいよ〜」
といいながらタカシも続いてくる。

「ちょっと、どうするんです? まあ、休憩くらいには使えるかも……」
店内をきょろきょろしているタカシを無視して、
私は厨房らしきところに入る。
――うーん、まあこのくらいなら……
冷蔵庫は――?
お、これは。
うんうん。
これなら作れそうだ。
「おい、タカシ」
「はい?」
窓際の飾りをいじっていたタカシが返事をする。
「どこかに座っていろ」
そういうとピンときたのか、
「でもまずくないですかね? 勝手にやっちゃって」
と嬉しそうにいう。
あまり止める気はないらしい。
「大丈夫だろう。そもそも鍵を開けとくのが悪い」
言いながら私は料理を始めた。

とは言っても見つかったのはパスタと缶詰、冷凍されていたひき肉、あとは調味料。
これでできるものと言ったら一つしかない。
「十分ほど待っていてくれ」
と言うと
「私に何か手伝えることありますか」
と返ってきた。
「料理はできないんだろう?
 それに手伝えることなんて元々そんなにないぞ。簡単なものだし」
「わかりました。ありがとうございます。楽しみに待ってますね!」

――よし、作るか。
材料は若干足りないがなんとかなるだろう。
鍋に水を張ってパスタをゆで始める。
それと同時に別の鍋にオリーブオイルを敷いて火にかける。
野菜類がないのが痛いがとりあえずテーブルガーリックを加える。
なべが温まったらひき肉を加える。
時間がもったいないので全て強火だ。
そこに粉末のパセリと料理用赤ワインを少量加える。
そしてそのままトマト缶を入れる。
沸騰してきたが仕方がない。
バターを軽く混ぜ、塩とこしょう、ケチャップで味を調える。
……うーん、少し甘いかな?
タバスコがあったな。ちょっと入れてみよう……




――よし、出来た!
ちょっと水っぽいが味は問題ない。

私は完成したミートスパをタカシが座っている席に持っていく。
歓声を上げて喜ぶタカシ。
誰かに料理を作ってあげるって、楽しいかも――
「野菜がなかったからちょっと味気ないかもしれないが」
「そうなんですか? すごくいい匂いがするんですけど……」
いいながらもスパゲティの皿から目が離せないらしい。
コイツからだの割にはよく食うからな……
「じゃあ、いただいていいですか?」
「ああ、私も食べるよ」
私が言い終わるのが早いか、
いただきます、といって食べ始めてしまった。
私も食べよう。
クルクル、パクッ
「こ、これは――!」
タカシも同じようにフォークを止めている。
「なんていうか……うまい、ですね」
「ああ……麺が、な」

そう。
パスタがやたらと美味かった。
何が入ってるのか知らないが、こんなにミートソースに合うパスタは初めてだ。
美味いのは確かなんだが、それがパスタのおかげだからな……
タカシもそれを分かっていて素直に褒められないんだろう。
それでもすごいスピードで食べ続けている。
まあ、おいしいことに変わりはないからなあ……。

「おい、そんなに急がなくてもパスタは逃げないぞ? あ、ほら、頬にソースがとんでる」
指で拭って、それをなめる。
「あ、ありがとうございます……」
あれ? コイツ照れてる?
ま、まさか、また間接キスとかいうんじゃないだろうな――!
今回は違うぞ!……たぶん。

「あの、なんかこれって……恋人同士みたい、ですね」
え?
え?
――と、とりあえず落ち着こう。
ガシャンと音がする。
フォークが落ちる音?
あれ?私の?
ちょっとまってちょっとまって!
こ、恋人って……
そりゃあデートはしてるけども!
「まま、ま、待て待て! これは、その、あれだ、うん。
 お、お前がほっぺにソースをつけてるからだな、んと、だ、だらしないのは、
 あの、その、よ、よくないと、思って――!
 あ!あれだぞ!……えと、ここ、恋人だから、とかじゃなくて――
 えーと、じゃなくって、そう! 上司としてな! うん、そう……」
もう自分でも何を言っているのか分からない。
とにかくまくし立ててその場をごまかそうとしている自分に呆れた。
――ああもう、かっこわるい!
コイツが変なこと言うから……!
私は恥ずかしくて、顔が見えないようにうつむいてスパゲティを食べる。
えへへへへ、という笑いが聞こえてくる。
コイツはわかっててやってるんじゃないだろうか?

――でも、なんか、
嬉しいな。

   ◆

食事が終わると私たちは食器を適当に片付けて、
レジにお金を置いて出てきた。
「別にいらないんじゃないですか? 自分で作ったんだし」
とタカシは言っていたが、材料費くらいは置いておかないと悪い気がした。
「さて、お腹も膨れたことだし何か乗るか」
私は少しワクワクしながら言った。
何を隠そう、私はこういうアトラクション、特に絶叫系が大好きだ。
小さい頃にお父さんに連れて行ってもらっては一日中乗っていた。
家に帰ってからお父さんはぐったりしていたが。
流石にこの歳になって一人で遊びに来ることは出来なかったが、
心のどこかでこの刺激を求めていた。
「ふふふ……どれに乗ろうか……」
私は案内板を見て胸をときめかせていたが、
タカシの様子がどことなくおかしい。
諦めとも覚悟とも落胆とも取れるような奇妙な表情をしている。
「の、乗りますよね。やっぱ……」
「もしかして、ダメなのか? こういうの」
は、はは、とひきつった笑い声を上げている。
じゃあなんで私をこんなところに連れてきたのか。
まあそこのところはこの際どうでもいいか。
「よし、まずはアレに乗るぞ! 私をここに連れてきたことを後悔するがいい!」
そういって若干放心状態のタカシの手を引き、
一番近くのビッグなんとかマウンなんとかの列に並ぶことにした。

ここは超音速戦闘機での戦闘をイメージした、いわゆるジェットコースターらしい。
――結構並んでるな。
時間かかりそうだな。
そんな不安を一瞬で吹き飛ばすアナウンスが流れる。
「――毎度ご利用ありがとうございます。
このビッグなんとかマウンなんとかの定員は750名、乗車時間は約三分となっております。
また、乗車中大変Gがかかりますので、小さなお子様をお連れのお客様は、御覚悟の上、ご搭乗ください。
まもなく、先発部隊が到着いたします。
それでは、めくるめくマッハの世界をお楽しみくださいませ――」
「よかったな! すぐ乗れるみたいだぞ!」
一応声をかけてはみたが、返事はない。
顔は蒼白を通り越して土気色だ。
目はうつろで、
「……俺はやれば出来る子……やれば出来る子……」
とぶつぶつ呟いている。
――まあいいか。
言っている間に先発部隊が到着した。
救護班らしき人たちが近寄ってきて、
泡を吹いている先発隊員を十人ほどテキパキと担架で運んでいった。
「目が……目があっ!」
と叫んでいる人が印象的だった。

「さあ乗るぞ!」
タカシはうへへへ……と不気味な笑いを浮かべていた。
搭乗口から乗り込み前から三番目の二人がけの席に座り、ベルトを締める。
タカシは相変わらずだったのでコイツのベルトも締めてやった。
ピコーンピコーン。
警戒音のようなものが鳴り響き、
アナウンスとともに機体が動き出す。

「――それでは、いってらっしゃいませ! Good Luck!」

   ◆

そんなこんなで三時間は遊びまわった。
途中から抜け殻になっていたタカシの手を引きながら
休みなしで十二、三個は周っただろうか。
流石に疲れてきたので閉まっている喫茶の前にあったベンチに座って一息入れる。
近くの自動販売機でコーヒーを二つ買ってきて、
精神喪失状態にあるタカシに一つ渡す。
「ほら。しっかりしろ」
あたたかい缶を受け取ったタカシは幾分か魂が戻ってきたようだ。
「すいません……。ご迷惑を」
「いや、気にするな。私は楽しかったからな」
これは本当だ。
久しぶりに味わった爽快感は私の心に十分な潤いを与えてくれた。
「今のうちに休んでおけ。次はそうだな……。観覧車にでものるか!
 ちょっと景色も楽しんでおきたいしな。このくらいなら大丈夫だろう?」
「まあ、それくらいならなんとか……」
情けない笑みを浮かべる。
呆れたやつだ。

――でも、やっぱり気になる。
「何故ここに来たんだ? デ、デートするのなら他にも場所があっただろう?」
当然の疑問だ。
自分が苦手な場所に何故わざわざきたのか?
普通もっと自分が主導権を握れるような、そんな場所を選ぶのではないだろうか?
「そ、それは……え、えーと」
言葉を濁す。
――なんだ?
言いにくい事情でもあるのか?
「答えろ。命令だ」
私は上司の特権を行使して問い詰める。
タカシはしばらくうーん、と悩んでいたが、
やがて諦めたのか、口を開いた。
「私、知ってたんです。カナミさんがこういうの好きなこと」
「えっ?」
予想外の答え。
私はここ一万年以上遊園地のようなところへは行ったことがないし、
こんな話を誰かにしたこともない。
どこからそんな話が伝わってきたのだろう。
そんな疑問を見透かしたのかタカシは続ける。
「私はカナミさんの下で働くようになる前は別の部署にいたんです」
それは知っている。
60年前の大人事異動のときにコイツは
当時少佐に昇格したばかりの私のところに流れてきたのだ。
頭はかなり切れるが戦闘は新卒と何の変わりもない。
それがその時の印象。
「それで、その前の部署と言うのが――第二軍事部先鋭戦略統括部門、なんです」
そ、それは――!

「まさか……」
「そうです」
ふー、と息をついて言う。
「私はシンイチロー椎水大将の部下でした」
驚きのあまり言葉を失う。
そんな私を尻目にタカシは淡々と続ける。
「入隊してしばらくは防衛本部の方にいたんですが、
 そこでシンイチロー様に目を付けていただいたんです。
 それからはずっと二軍戦統部に所属していました」
語るタカシの目は遠い故郷を想うような光を湛えていた。
私はその顔から目が放せずにいた。
「私は順調に昇格していき、一つの部署を任せられるようになりました。
 そして、会議に参加できるようになってから、シンイチロー様とは懇意にしていただくようになりました」
――一つの部署!?
てことは階級は私と同じか、それ以上ってこと?
じゃあなんで私の部下に……
まあそれは後で聞くとして――
「シンイチロー様はお酒が大好きで……。私もよく付き合って朝まで飲んでいました。
 飲み仲間ってやつですね。その席でシンイチロー様は色々なことを話してくださいました。
 仕事のことや将来の展望、それに、娘さんの話を――」
「……」

「カナミさんの話をしている時のシンイチロー様はとても幸せそうでした。
 自分に似なければきっとすごい美人になる、とか自分に似れば酒飲みになるとか、  ジェットコースターが好きなのは誰に似たんだ、とかね。
 私は物心ついたときには孤児院にいましたから、そんな家族の話を羨ましく聞いていたものです」
お父さんとタカシは歳は離れた友人だったと言うわけか。
「シンイチロー様が殉職なさったと聞いた時には信じられませんでした。
 私と違って腕も立つお方でしたから。
 ……シンイチロー様の殉教後、仕事が全く手につかなくなった自分に気付きました。
 そして、自分の中でどれほどシンイチロー様が大きかったかを知りました。
 私は今思えばシンイチロー様に忠誠を誓っていたのです。
 その後しばらくは惰性で仕事をする日々が続きました。
 いつやめさせられても構わないと――。
 そんな折、シンイチロー様の娘さんが入隊すると言う噂を耳にしました。
 私は二軍戦統部の人事責任者でしたから面接官として参加しました」

「えっ?」
――コイツがあの中にいたの?
十数人のお偉方に囲まれてそれはもう緊張、というか萎縮しまくっていた覚えがある。
「覚えてないのは無理もないと思います。私は最年少でしたし、末席に座っていましたから。
 私もかなり緊張しましたよ」
と、懐かしそうに語る。
「顔を真っ赤にして一生懸命しゃべっているカナミさんをそれはもうハラハラして見ていました。
 あなたは二軍戦統部が所属希望でしたね。
 私はもちろん採用するつもりでしたし、私の推薦がなくても
 筆記、実技試験共に優秀だったカナミさんは希望するところはどこへでも入れたでしょう」
そこまで言うと突然タカシからいつもの柔和な気配が消えるのを感じた。

「……でもね、あなたの志望理由を聞いた時、私は怖くなりました。
 カナミさん、なんと言ったか覚えていますか?」
私の目を真っ直ぐに見据えて訊ねる。
タカシの変化に驚きつつも考えを巡らせる。
――志望理由?
なんだったかな……
えーと――

「――『父上のように立派になること』だった、かな」
記憶の糸を手繰りながら言った。
タカシは首を横に振って答える。
「惜しいですが、違います。カナミさんはこう言いました。
 ――『父上のように立派に戦って、死ぬこと』」
そういうタカシの目が鋭く私を射抜く。

――そうだ。
私はそう言った。
父を慕っていた私は自分の最期までも、
父と同じ道を歩みたいと思っていた。
口からの言葉ではなく、心からそう言った。
「他の面接官の方々はその言葉がいたく気に入った様子でした。
『父親と同様に二軍戦統部でとってやったらどうだ?』とも言われました。
 ですが、私はそれを断りました。
『死にに来るようなやつはいらない』とね」
タカシの言葉に胸が締め付けられる。
愚かだったと思う。
そんな言葉を吐いても決してお父さんが喜ばないのは、今は分かる。
でも……

――二軍戦統部で働くのが私の夢だった。
それだけが人生の目標だったといってもいい。
お父さんのように誰からも尊敬されて、頼りにされる、
そんな悪魔になりたかったのに。
だからこそ所属の願いが叶わなかったときは相当に落ち込んだ。
それなら入隊する意味もないんじゃないかとも思った。
それでも今まで頑張ってきたのは
いつか二軍戦統部の目に留まるんじゃないかという淡い期待からだった。
……確かにそんな言葉を口にしたのは自分。
浅はかな想いで父を踏みにじったのも自分。
タカシはそれを見透かした上でそう判断したのだろう。
でも、でも……
頭の中をぐるぐる巡る。
後悔と怒りと悲しみが支配する。

コイツは言うならば私の夢を奪った張本人なんだ!

「結局防衛本部に配属されることになったカナミさんが
 順調に出世していくのを人づてに聞くようになりました。
 私は自分のしたことが正しいのか分からなくなっていました。
 ……それと同時に自分の仕事に対する興味もなくなっていきました。
 そして先の大戦での大量の戦死者が出て大異動が起こった際に
 どさくさにまぎれて自分の降格と異動を決定しておいたのです。
 ――あとは知っての通りです」
タカシは深くため息をついて黙った。
その顔から感情を読み取ることは出来ない。
だが、少しの沈黙は私の闇を暗く膨らますのに十分だった。
「……つまり貴様は私の夢を壊し、その上でそこから逃げ出し
 おめおめと私の元で働いていると言うわけだな?」
「……その通りです。自分の臆病さに嫌気がさします」
表情を変えずにうつむいて缶コーヒーをすする。
次から次へと感情が沸きあがる。
得体の知れない黒い感情。
「そして、部下として私を持ち上げつつ遊園地に誘ってご機嫌取りか?
 そんな安っぽい同情吐き気がするわ!
 父親気取りで私の感情をもてあそんで、さぞ気分がいいだろうな!!」

――何を言ってるんだ、私は。
感謝してもいいはずでしょ?
でもこの気持ちも本当だ。
沸きあがる闇に侵される私。
もうわけがわからない。
「それは――」
「黙れっっ!!」
タカシの言葉を遮る。
私は感情の奔流に流されていた。
「もういい。貴様の茶番にはうんざりだ!! 二度と気安く声をかけるな。
 ……それと上には貴様の人事について話しておく。
 おそらく二軍戦統部に本来の階級で戻れるだろう。
 よかったな! もう私の顔色を窺う必要もないぞ、部長殿」
そう吐き捨てて気付けば足早にその場を立ち去ろうとしていた。
タカシが何かいっている気がするが、
もう私の耳には届かなかった。

   ◆

押しつぶされるような喧騒の中、
私は孤独だった。
誰もが私を非難している。
黒い霧がまとわりついてくる。
その圧力から逃げ出したくて、人の波をかき分けながら出口に向かう。
ぐにゃりと視界がゆがみ、霞む。
私は走った。
誰かがあざ笑うのが聞こえる。
人の好意を素直に受け取れない私を。
指を刺して笑っている。
信じることさえ出来ない、
愚かな私を。

電車乗ってビターバレーに戻る。
自分に呪われた私の世界はもはや色を失っていた。
足が向くのは本部。
相変わらずひっそりとしているビル内に足音が響く。
やがて自分の部屋の前で立ち止まる。
もういいんだ。
もう、疲れた。

ドアを開けて部屋へ入る。
テーブルの上には片付けられていないお盆と湯飲み。
私はそれを見ないようにしながらデスクに座る。
そして、二通の手紙をしたためた。
一つは休暇願い。
しばらく休もう。これを機に辞めてしまうのもいい。
私の夢はもう完全に断たれたのだから。

もう一つは嘆願書。
昨日までの自分を切り離す道具。

――そう、これでいい。

書き終えると本部長の部屋へ向かう。
誰もいないだろうと思ったのだがジャギ古川本部長がいた。
「お、おおこんな時にまで仕事か? 相変わらずだなキミは」
これから閣下のラストステージを見に行くとかで、
ここには忘れ物を取りに来たらしい。
「本部長。これを受け取っていただけませんか」
私はかすれる声で言った。
本部長はんん〜?といって眼鏡を外して二通の書類に目を通す。
顔が険しく曇る。
「キミの休暇は了解したよ、うん。
 働きづめなのだから一ヶ月くらいは休んで羽を伸ばしたまえ。しかし……」
予想通りの返答。
「彼――タカシ別府君ね。うん……私も聞いたことがあるんだよ。
 最年少で大佐まで駆け上がった二軍戦統部きっての秀才。
 同姓同名の別人だと思っていたんだが――」
疑ってはいなかったがやはり本当だったようだ。
「うん、地球征服は完了したとはいえ、今はどこも優秀な人材を欲しがっとる。
 おそらくすぐに処遇は決定するだろう。古巣の二軍戦統部が有力だが、どうなるかはわからん。
 しかし、ここにはなるまい。佐官も将官も間に合っているしな、うん」
そう、ここには本部長であるジャギ古川中将、ガンダーラ金子大佐と私、カナミ椎水少佐がいる。

――もちろんわかっていた。
こうすれば離れられることを。
離れられざるを得ないことを。
ありがとうございます、とだけ言って私は退室し、
足早に本部を後にした。


黄昏に沈む街。
いまだ冷めやらぬ驚喜の渦。
この幸せを歌う詩人。
無邪気にはしゃぎまわる子供。
私はそれには無縁だった。
――早く全てが終わってしまえばいい。

家についた私は頭から布団をかぶっていた。

この三日間、
手に入れたのは虚しさ。
湧き上がるのは悲しみ。
漏れ出るのは嗚咽。
溢れるのは涙。

――いつしか私は眠ってしまっていた。


夢を見ることは、なかった。


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