ツンデレと海 その1
・ ツンデレが男に海に行こうぜって誘われたら

高校時代最後の夏休みと言えば、みんなは何かと思い出作りに勤しむのかもしれない。
けれど、特に作る思い出のない私に取っては、集中して受験勉強に励む期間に他ならなかった。
――本当は……私だって……誰かと高校生活最後の思い出を……
 ハア……とため息をついて、ぼんやりとノートを眺める。と、もやもやと頭の中に一人
の男の子の顔が……
 ブンブンブンブン!!!!
 目の前にちらついた妄想を頭から振り払う。
 きっと、彼の事だから受験勉強なんかより、夏の思い出作りの方が忙しいのかな、と思
い、私はクスリと笑みを漏らした。
 パカッ、と携帯を開き、画像一覧から彼の写真を選択する。こっそりと、一枚だけ入れ
た彼の写真。恥ずかしくて待ち受けになんて出来ないから、こうして時々見るだけにして
るけど、私にはそれで十分。だって、誰かに見られたら困っちゃうし。
 ピルルルルル…… ピルルルルルル……
 いきなり、携帯が鳴り出して私はビックリして携帯を取り落としそうになった。
――び、びっくりしたあ…… いきなり鳴り出すんだもん……
 開いたままの液晶画面を見て、私はもう一度、今度は心臓が止まりそうになるくらい驚いた。
――べべべ……別府君……!? 何で? いきなり、どうして?
 別府君の画像を開いている時に、当の本人から電話が掛かって来るなんて。有り得ない
偶然に、何か特別な力が働いているような気がする。
――って、バカ……そんな事……ある訳、ないじゃない……
 自分で自分にツッコミを入れて、私は携帯を見た。
――は、早く出ないと……
 着信ボタンを押すだけ。ただ、それだけなのに……私の親指は、硬直してしまってピク
リとも動かなかった。

――動け……私の指…… もしかしたら……これが……大切な人生の分かれ目になるのか
も知れないのに……
 だけど、考えれば考えるほど、私の指はますます固まってしまう。
 ピルルルルル…… ピルルルル…… ピルルプッ!!
「あ…………」
 結局、ボタンを押す事も出来ないまま、電話は切れてしまった。
「ハア……」
 ため息をついて、携帯を机の上に置く。
――ダメだな、私って…… 何で、たかが電話に出る事さえ出来ないんだろ。また、2学期
から顔を合わせるのに、こんなんで、まともにおしゃべり出来るのかな……
 自分の気の小ささを悔やみつつ、机に突っ伏すと、再び携帯が鳴り出した。
 プルル、プルル…… プルル、プルル……
 慌てて携帯を開くが、今度は考える間もなく着信音は途絶えた。
「そっか。メールか」
 メール受信有りの画面を眺めて私はホッとため息をつく。しかし、なんて言うか、自分
は古いタイプの人間だなと思う。未だに携帯の着信音くらいでドキドキするくらいなんだから。
「って、誰からだろ? もしかして……」
 期待に胸を膨らませて、メールBOXを開く。
「や、やっぱり……別府君だ……」
 さっき電話に出れなかったのでもしや、と思ったので、今度はさっきほどの驚きはない。
内容が気になって、急いでメールを開いた。

題:海に行こう!!
[お久しぶり。実は今週の金曜なんだけど、みんなで海に行く事になって。千佳がもう少し
で泳げなくなっちゃうし、どうしても行きたい、って喚くので。まー、そんな訳で、委員
長もよかったらどうかなと思って。メンバーは千佳と山田、フミちゃんとあと俺の兄貴が
一緒に来ます。とりあえず返事下さい。
あと、宿題終わった? 多分委員長の事だから完璧だとは思うけどさ。俺はとりあえず、
始業式の3日前までは忘れるつもりw。高校生活最後の夏休みだし、極限まで遊ばないと
ね。じゃあ、返事待ってまーす]

「はあ……海、か……」
 海なんて、子供の時家族で行って以来だ。
――別府君から……友田さんでもフミちゃんでもなく、別府君から誘いがあるなんて……
 エヘヘ、と頬を緩ませて、私は自分の思いの中に沈んでしまう。
――きっと、カッコいいんだろうなあ。別府君の水着姿。それに比べると、私は……
 ハアーッ……、と深いため息をついて自分の体を見下ろす。
 色気のない、細い体つき。薄い胸。肉付きの無い腰周り。
――こんな体じゃあ、別府君、却って幻滅するかも……それに……そもそも、私、水着
持ってないしな……
 自分の持っている唯一の水着といえば、授業用のスクール水着くらいしかない。そんな
ものを着て海に行くわけにもいかない。かと言って、水着を買いに行くのも……
 一瞬、自分が派手なビキニの水着を着て、別府君がそれに見とれてくれている妄想が浮
かぶ。しかし、それはほんの一瞬で雲散霧消した。
――ないないないない。大体そんなの……私のキャラじゃないし……
「断っちゃおうかな……」
 せっかく、別府君に誘われたのに。この夏、彼と近づける唯一のチャンスなのに。
「けど、どうせ友田さん辺りにメールしろ、って言われたんだろうしなあ……」
 何だか良く分からないけれど、おせっかいな彼女の顔を思い浮かべる。すると、何だか
その光景がありありと浮かんで来た。
「だよね。別府君が私を自分の意思で誘うなんて、有り得ないし……」
 のろのろと、一度机の上に置いた携帯を再び開き、別府君からのメールを見る。
「う……」
 もったいない、と言う思いが心に満ちる。神様がくれたせっかくのチャンスを自分から
潰すなんて。だけど、行く、なんて返事もとても出せない。
 返信ボタンを押して、書き出そうとしては止め、書き出そうとしては止めつつ私は一時
間くらい悶々としながら、ようやく返事を書いた。
[ごめんなさい。その日はちょっと…… せっかく誘ってくれたのに、申し訳ないです。
友田さんとかにも宜しく言っておいて下さい。それじゃあまた……登校日、かな? あと、
宿題、頑張ってね。それではまた]
 ためらったら、返信出来なくなると思った私は、書きあがった勢いで、そのまま返信した。

「断っちゃった……」
 苦い思いが湧き上がって来る。ああ。これはきっと後悔の味だ。この選択を、私はきっ
と後々まで悔やむんだろう。けれど、今の私にはこうとしか返事出来ないから……
 寝よう、と私は思った。そうすれば、今のこの嫌な気分も少しは払拭出来るだろうから。
 私はベッドにゴロンと横になると、そのまま目を瞑った。考えるのはよそう。だっても
う、済んでしまった事だから仕方ない。もう、済んでしまったんだもの……

 ……ルルル……ピルルルルル……ピルルルルルル……
 電子音がけたたましく鳴って、私の浅い眠りに割って入る。
――おかしいな……目覚ましなんて……掛けた覚えないのに……
 目覚まし時計に手を伸ばしてボタンを押す。
 パシ……パシ、パシ!!
――止まらない…… 何で?
 時計を引き寄せてみると、ようやく目覚ましが鳴っているのではない事に気づく。じゃあ、 何が――?
 そこで私は、ハッと気づいた。
「そうだ、携帯!」
 ガバ、と体を起こすと床にほったらかしておいたままの携帯に手を伸ばし、着信ボタン
を押して電話に出た。
「もしもし。あの……水無月です」
『あ。委員長。やっほー、久し振り』
 電話の向こうの相手は友田千佳だった。一瞬、しまった、という思いが頭を過ぎる。こ
のタイミングで彼女からの電話と言う事は、用件はあの事に決まっている。
「あ……あの…… 久し振り」
『元気ー? 家の中でクーラーに当たり過ぎて夏バテになったりとかしてない?』
「う、うん。まあ。ていうか、別に家の中で引きこもってばかりいる訳じゃないし」
『そなの? 何か委員長ってお家で勉強したり読書したりしてるイメージしか思い浮かば
 ないんだけど。あたしの偏見だったか。それじゃあ夏休み、どっか行ったの?』
「えーと、そのう……図書館とか、お母さんのお使いで駅前のスーパーとか……」

『何だ。それじゃあ当たらずともいえ遠からずじゃない』
「い、一応ちゃんと、その……日には当たってるし……」
『はいはい。でもさー、高校生活最後の夏休みをそんなんで終えちゃっていいの? もっ
 と思い出作りしないとさー』
「べ、別にそんな…… 夏は来年も来るんだし……」
『ダメダメ、そんなこと言ってちゃ。高校生活ってのは、人生でも一度しかないんだよ? 
 その最後の年なんだよ? 分かる?』
「う、うん……確かにそれはそうだけど、その……」
『だったらさあ。もっと楽しまないと。本読んだり、お母さんの手伝いしてたり、それこ
 そいつだって出来ることじゃん』
「た、確かにそうだけど、でも……」
『だったらさあ。もっと、こう、イベントには積極的に参加しないと』
「え、えーとそれはその……どういう……」
 私はわざとはぐらかしてみた。話が徐々に確信に近づいてきて、私は不安な思いに駆ら
れて身を硬くする。
『あのさ。タカシからメール来たでしょ?』
――来たっ!!
 私はギュッ、と目を瞑った。ドキッ、と心臓が小さく脈打つ。左手を心臓の位置に当て
て拳を握り締める。
「……あ……う、うん……」
『断っちゃったんだって?』
「う、うん……」
『何でー? 何で何で何でーっ? その日はちょっと、だけじゃ分かんないって』
 うう……これは困った。正直、その日は何の予定も無い訳で、だからこそ言葉を濁した
返事しか書けなかったのに、厳しく突付かれると何とも答えようが無くなってしまう。
『用事あんの? 予備校の模試とか?』
「う、ううん。模試は無いけど……」
『じゃあ、他の友達と約束してるとか?』
「…………ううん」
『……お家でどっか出掛けるとか、誰かお客さんが来るとか?』

「えと……その……」
『何か歯切れが悪いなあ。まさか、男の子に水着姿見られるの恥ずかしいとか、そもそも
 水着持ってないからとかで何となく気が乗らないとか、そんな理由じゃないよね?』
「……………………」
 彼女の鋭い指摘に、私は言葉を詰まらせた。どうやら、友田さんの方が私よりも数百
倍は脳の回転が速いらしい。
『まさか……マジでそうとか?』
「え? えーっと、そ、そんな事は……ない……ですけど……」
『じゃあ、理由教えてくれる? あと、受験生だし、勉強しないとって言うのは無しで』
「あ、その、それは……」
 何か上手い言い訳を考えようにも、先手を打たれて友田さんに思いつく大抵の理由は言
われてしまった上に、その時ロクに返事をしなかったせいで、今更言っても信憑性の欠片
も無くなってしまっている。
『やっぱ、そうなんだ。何か、タカシからはっきりとした理由が書いてないって聞いた時、
 もしかしたら、って思ったんだけど……』
「……………………」
『まあ、どうしても行きたくないってんなら、誘わないけどさ』
「ど、どうしてもとかそういう訳じゃ…… ただ……」
『ただ、何よ?』
「えと、その……水着……無いし……お小遣いも無いし……」
『いざとなったらスク水でも良いんじゃない? 山田とか喜ぶかもよ。アイツ、マニアック
 そうだし』
「えっ!? や、やだ、それは……絶対いやっ!」
『冗談よ、冗談。でもさ、お金くらい親と交渉してみたら? ダメって言われたらあたし
が貸してあげてもいいし』
「い、いいよ。そこまでしなくても」
『だって、あたし的には委員長に来て欲しいんだもん。そうしたら人数も男女ピッタリになるし』
「か、数合わせだったら何も、私じゃなくたって……」
『いいの? 他の彼氏いない女の子誘って、その子がタカシと仲良くなっちゃったりしても』

 ズキリと私の肺腑を抉るようなコトを、平気な声で彼女は言ってくる。だけど、私のひ
ねくれた心は、胸の痛みにも負けずに言葉を絞り出した。
「べ……別に、その……関係ないし…… べ、別府君が誰とその……つ、付き合おうが……」
『またまた。顔にイヤだって書いてあるって』
「ほえっ!?」
 一瞬、反射的に顔を触ってしまう。
「み……見える訳ないでしょ!! 適当な事言わないでよ」
『あはははは。委員長、かわいー』
 むー、と私は黙り込んでしまった。同性にからかわれたくらいで動揺してしまう自分が情けない。
『とにかくさー、おいでよ。あたしはその方が楽しいし、タカシだって絶対喜ぶと思うよ』
「え……? そそそ、そんな事、な、無いって。だってその……別府君は別にその……」
『だって、あたしに連絡してきた時、残念そうな声だったもの』
――えええええ!! べ、別府君がそんな…… ううん。そんなことある訳無い。それは
多分、友田さんの罠だ。
 そう思ってみても、胸のドキドキを抑えることは出来なかった。
『という訳で、明日、一緒に水着買いにいこ。あたしは一着持ってるけど、もし、いいの
あったら買おうかなって。そろそろ安くなってる時期だし』
「そ、そんな強引に……」
『タカシにアピール出来るラストチャンスだぞ?』
「だから、別府君は関係ないって…… 何でそうなるのよ……」
『またまたまた。そうやってるから、いつまで経っても前に進んで行かないんだって。
 じゃ、明日、13時に駅前ね。待ってるからちゃんと来なきゃダメよー』
「だから、勝手に決めないでって――あ……」
 プツッ……ツー、ツー、ツー、
「強引に決めさせられてしまった……どうしよう…… 別府君の前で水着姿なんて……
 あううううう……」
 身悶えしつつ、私は期待と後悔に苛まれてベッドで転げ回るのだった。


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