ツンデレと海(その9)

 上も、下も、右も、左も。
 方向感覚が分からないまま、私は必死で手足をばたつかせた。
――溺れる
 恐怖感が焦りとなって全身を支配し、私を混乱させた。
――早く、海面に出て、息をしないと
 だけど、その海面はどっちの方向なのか、冷静さを失った私は判断出来なかった。ガボッ、
と息を吐き出してしまう。
――苦しい
 もがけばもがくほど、体が沈んで行く気がする。
――私……死ぬ……の?
 焦りを通り越して、パニックに襲われそうになったその瞬間だった。
――!!!!
 背中から、何かが私を羽交い絞めにした。訳が分からなくなって私は暴れたが、それを
物ともせず、力強く私の体が引っ張られる。と、すぐに私の頭が海面に飛び出した。
「ゲホッ!! ゲホゴホッ!! エーーーーッ!! ゲホッ!! ゲホッ!!」
 呼吸をした瞬間、激しく私はむせ返った。思いっきり息を吸い過ぎたせいか、それとも
少し海水を飲んでしまったのかもしれない。
「おい!! 大丈夫か? しっかりしろって!!」
 耳元で男の人の声がする。それが別府君の声だと分かり、私はようやく安心する事が出来た。
「だ……だいじょ……ゲホッ!!ケホッ!! ………………ケホッ!! ハア……ハア……」
「よし。落ち着いたか?」
 私はコクン、と小さく頷く。それを確認して、別府君はようやく安堵のため息をついた。
「ハア…… びっくりしたぜ。いきなり海に落ちるんだもんよ。だからあれほど足元に気
 をつけろって言ったのに」
「ちゃ、ちゃんと注意してたわよ。その……別府君が、後ろからいろいろ言うから、注意
 が殺がれたんじゃない」 「実際落ちたんだから言い訳の仕様もないだろ? 要はそれって、俺の言葉聞いてなかっ
 た、って事じゃん。素直に従ってれば、こんな事にはならなかったんじゃね?」

 彼の言葉に、私は一言も言い返すことは出来なかった。もともと言いがかりを付けた様
なものだったから仕方が無い。彼の言うとおり、私が文句なんて付けなければ良かったんだから。
「まあ、いいや。起こった事はしょうがないんだし。それよか、どっかぶつけたトコとか
 ないか? 頭とか打ってない?」
 黙りこくってしまった私に、別府君が心配して声を掛けてくれる。彼の言葉に従い、私
は冷静に自分の体の様子をチェックしてみようとした。
 真っ先に気づいたのが、胸の圧迫感だった。私は考える間もなく下を向いた。
「きゃっ!!」
 思わず小さく悲鳴を上げてしまった。胸が締め付けられているのはそれもそのはず。後
ろから、別府君の力強い腕で、ギュッと抱き締められているのだから。
「ちょ、ちょっと!! どうしたんだよ? 暴れんなって」
 急にジタバタし出した私を、別府君がたしなめる。
「だっ……だって、その……胸……!!」
「胸? 胸がどうかしたのかよっ?」
 彼の言葉に、もしかしたら全く意識されてないのだろうかと私は少し悲しげに思いつつ、
言葉を続けた。
「だから、その……腕が……あたっ……」
 私の言葉に、彼が息を呑むのが聞こえた。
「し……仕方ねーだろ…… こうしてないと、しっかり支えられないんだからさ……」
 不満そうな声で彼が答える。本当に不満なのか、それとも照れ隠しなのかは分からなかった。
いずれにしても、こんな非常時にこんな事を言うなんて、私がどうかしている。
――い、言わなきゃ……良かった……かな……
 ただでさえ迷惑を掛けっ放しなのに、更に余計な気遣いをさせてしまった事を後悔する。
しかも、言葉に出した事で、胸に押し付けられている彼の腕が余計に意識されてしまい、
恥ずかしくて恥ずかしくてこのまま海に溶けてしまいたい気分だ。
「と……とにかく、ボートまでは我慢してくれよ。すぐそこだから」
「う……うん……」
 とにかく、今の状況では彼の言う事を聞くしかなく、私は渋々と言った体で頷いた。

「よし、それじゃあ、落ち着いて全身の力抜いて」
 別府君の指示が聞こえる。私は何とかそれに従おうかと思ったが、考えれば考えるほど、
意識が胸に集中してしまう。
――無理よ……だって、こんな……恥ずかしい状況で……手の平も下の方がちょっと当たっ
   てるし……うう…… し、心臓の音……こんなに激しくて、バレたりしないかな……
 しかし、ともかくも手足をばたつかせるのを止めただけでも効果はあったらしい。別府
君は、私の体から右腕を離すと、左腕一本で抱え直した。
「ひゃ……ひゃうっ!!」
 腕が胸にグリッと押し付けられて、私は小さく悲鳴を上げた。
「わりぃ…… と、とにかくもう少しの我慢だから」
 恥ずかしさを堪えて私は小さく頷いた。
「よし。じゃあ、行くぞ」
 私を抱えたまま、立ち泳ぎで別府君は泳ぎだす。こんな状態のまま泳いで大丈夫なのだ
ろうかと私は不安になった。彼も無理をして疲れて溺れてしまったりしたら、どうしよう。
――でも……もし、別府君と抱き合ったままで死ねるなら……それはそれで……
 頭の中に浮かんだ不謹慎な考えを、私は即座に振り払った。私はそれでもいいかもしれ
ないけど、別府君はそんなの嫌に決まってる。
「着いたぜ」
「え?」
 意外なほどに早く、私達はボートのある場所に辿り着いていた。そのまま、彼は私を
ボートのすぐ傍に引き寄せる。
――そ、そっか…… 考えてみたら、私……ボートのすぐ傍で落ちたのに……
 我ながら馬鹿な想像をしたものだと、私は思った。
「掴まって」
「う……うん」
 両腕をゴムボートの淵に手を掛ける。と、巻き付いた別府君の左腕がスルリと離れた。
「あ……」
 どういうことだろう? 解放感よりも……何ていうか、その……名残惜しいような気持
ちで一杯になってしまったのは。

――もしかして……私……このまま、ずっと……胸を、抱き締めていて欲しかった……? 
   うわうわうわうわ!! ううううう……わ、私ってば……何てこと考えてんだろ……
 あまりの恥ずかしさに、私は額をゴムボートにギュウギュウと押し付けた。
「よし。じゃあ、そのまま待っててくれよ。俺が先にボートに乗って、委員長が乗るのを
 手助けするから」
 私は、顔をボートから離して小さく首を振った。
「い……いいよ。そんなの、自分で出来るから……」
「また落ちられたりしたら大変だからな。ここは俺の指示に従う事。いいな?」
 キッパリとした彼の言葉に、私はただ頷くしかなかった。
 別府君が私から離れると、私の意識はまたもや胸へと舞い戻った。誰が見ている訳でも
ないのに、私は水着を直すフリをしつつ、自分の胸に手を当ててみた。
――つい、さっきまで……ここに……別府君の手が……
 考えるとまた頭に血が上ってクラクラする。
――こんな時なのに……何で、こんな事ばかり、意識しちゃうんだろ……?
 自分で自分が信じられない。そう。信じられないけれど、恥ずかしくはあっても、全く
不快な思いではなかった。むしろ、認めるのは難しかったけど、心の底では嬉しく思って
すらいたのだ。
――今日は、散々別府君に、エッチだのスケベだの言ったけど……本当に、スケベなのは……
   多分、私の方だな……
 恥ずかしながらも、それは認めざるを得ない事実だった。
 そんな事を考えていると、突然ボートが大きく反対側に傾いだ。
「きゃっ!!」
 考え事が破られて現実に立ち返った私は、思わず悲鳴を上げる。次の瞬間、ボスン、と
いう音とともに、ボートは左右に大きく揺れた。
「よいしょっと…… これ、結構乗るの疲れるんだよな」
 ボートの上で体を起こした別府君を睨みつけて、私は文句を言った。
「も、もうちょっと静かに乗ってよね。落ちるかと思ったじゃない!!」
「だからしっかり掴まってろって言ったじゃん。それに、落ちなかったんだし」
「むぅ……」

 小さく唸って私は黙り込んだ。そもそも理不尽なのは私の方なのは良く分かっているか
ら、反論しようにも出来ない訳で。それは、今だけじゃなくて今日一日、ずっとそうだった。
 別府君が私の方に体をにじり寄せると、両手を差し出した。
「ほら。文句言ってないで上げるぞ。合図するから、委員長も腕に力込めろよ」
「わ、わかったわ」
 私は頷くのを確かめると、彼は両手を、私の脇の下に差し入れた。
「ひゃっ!!」
 驚いて私は小さく悲鳴を上げる。
「ちょっとだけだから我慢してくれよ。ほら、行くぞ。せーのっ!!」
 反論の間を与えず、別府君が合図をする。私は慌てて、両腕に力を込めて、海から体を
引き出そうとした。ボートが私の方へと斜めに傾ぐ。別府君の手に力がこもり、強い力で
私は彼の方へと引き寄せられた。
「きゃあっ!!」
 悲鳴を上げて、私は別府君に圧し掛かる。そして二人一緒に並んで、ボートへと横倒し
に倒れた。
「いたたた……」
「大丈夫か、委員長」
 別府君の声が、すぐ傍で聞こえる。
「う、うん…… 大丈夫……」
 返事をして目を開いた。その視界一杯に、別府君の顔が飛び込んでくる。
「ひゃっ!!」
 私は出かかった悲鳴を思わず飲み込んだ。
――べ、別府君の顔が……こんな近くに……どうしよう……
 私の顔のすぐ上に別府君の顔があって、心配そうに覗き込んでいる。少し大きく呼吸を
すれば、それこそ息が掛かるくらい近い距離だ。私は凍りついたように全身をカチコチに
固まらせ、それでも目だけは大きく見開いたまま、まっすぐに彼を見つめていた。
「どうかした?」
 別府君の問いが、私の体に掛けられた呪縛を解き放った。

「な、何でもないから!! き、気にしないで」
 とにかく、この向かい合ったまま寝そべっている姿勢は恥ずかしすぎるので、私はさっ
さと体を起こそうとした。しかし――
 上半身を起こしかけたところで、頭がふらついてしまい、私は自然に別府君の方に向かって
倒れ込んだ。

「お、おい。大丈夫かよ」
 別府君が私の両肩を持って支え、心配そうに声を掛けてくれる。
「あれ……? おかしいな。ううん。大丈夫だから……心配しないで」
「そんなにふらついてて、大丈夫って事はないだろ? ちょっと待ってろ」
 もう一度私を横にさせると、別府君は体を起こしてボートの淵に腰掛ける。
「顔……少し、赤いよね?」
「え? そ、そんな事無いわよ。気のせいだから……」
 もう一度、私は起きようと試みたが、それは別府君に手で押しとどめられてしまう。
「無理すんなって。どれ」
「きゃっ……」
 別府君の手が私の額に当てられ、私は小さく悲鳴を上げた。
「いきなり何するの。止めてよ」
「うん。やっぱ少し熱いな。軽い熱射病かも知れない。まあ、あんな日の当たる所で寝て
 たらなっても不思議じゃないけどな」
 彼は、私の抗議などまるで聞かずに、自分で勝手に判断して納得してしまった。
「だ、大丈夫だって、私が言ってるのに……」
 確かに、日に長いこと当たっていたのも事実だが、私の体が熱いのはそのせいだけでは
ない。こんな風に別府君が密着しているからなのに。もっとも気づかれたら嫌なので、諦
めて私はこれ以上抗議するのを止めた。
「で、でも……どうするの? 私が寝そべったままじゃ、ボートが漕げないんじゃない?」
 ゴムボートは中型の物で、申し訳程度にオールが付いている。私たちくらいだと、座っ
た状態で3人乗ればもう満杯であり、私一人が長々と横になっていたら、別府君が漕ぐス
ペースがなくなってしまう。
 けれど、別府君は私の言葉に、何故かちょっと照れ臭そうな表情を浮かべて横を向いた。
「えーとさ。ちょっと考えがあるんだけど……大人しく従ってくれるか?」
「……何? その考えって……」
 私の質問に、少し彼は答えるのを躊躇った。それから、心を決めたように、パッと私の方を向く。
「ま、とりあえずやってみるか。説明するよりそっちのが早いし。委員長さ。ちょっと体
を下の方にずらしてくれる?」

 結局、答えてくれなかったので、私は彼が何をしたいのか良く分からなかったが、どう
も従うしかないようである。
「ずらすって……どのくらい?」
「頭が、真ん中辺りに来るくらいまでかな」
 私は言われたとおりに体を少し起こすとそこまで体を動かした。足を真っ直ぐにしよう
と思うと、ちょうど脛の部分の所でボートの淵に引っ掛かってしまうが、そこは我慢する
しかない。けれど、この位置だと、ちょうど別府君が本来座らなければならない場所に私
の頭があるのだが、どうするのだろう?
「……これでいいの?」
 ちょっと疑問に思いつつも、私は彼に確認した。
「うん。それで、ちょっと頭上げてくれる?」
「え? な……何で?」
 不思議に思って私は振り向いて問い質そうとしたが、それは別府君に制せられた。
「いいから。つか、やっぱ頭上げて待ってなくていいや。合図したら上げてくれれば」
 私は不満に思って口を尖らせたが、仕方なくもう一度顔を空に向けてボートに横になった。
――どうするんだろ……?
 少しくらい教えてくれたっていいのに、とも思う。しかし、同時に何をされるのか分からぬままにただじっと待つと言う
のも、不思議と悪い気持ちではなかった。
――あれ……? 私……どうしたんだろう…… 怖く……ない……
 そう。何をされるか分からないというのに、不安は全くなかった。でも、理由は分かっ
ている。それは、そう。きっと――
――彼を……別府君を……信頼してるから……
 その時、私の体の両側に何かがズリッ、と入り込んでくるのが感じられた。
――え? 何これ? 足……?
「ほい。じゃあ体起こすよ」
 何が何だか良く分からないままに、私は両脇を掴まれた。

「よいせっと」
 後ろから、上半身を持ち上げられる。そして、その空いた隙間――ボートと私の体の間
に、別府君が腰をずらして体を入れてくると、ゆっくりと私の体を下ろした。今度は頭は
ボートの底まで付かず、すぐに弾力のある何かに当たる。
――こ、これって……この状態って……
 私の体は別府君の開いた両脚に挟まれた形になっている。そして、背中の、ちょうど肩
甲骨の間から上はボートと私の間に何かがあって、この何かって言うのは――
「ええええええっっっっっっ!!!!!!」
「おわっ!? 何だっ!? どうした?」
 今の状況を完全に理解した瞬間、私は堪えきれずに叫び声を上げた。
「こここここ……こんな……その、あのっ!!」
 もはや頭が混乱して、まともに言葉を発することが出来ない。私は脚をバタバタと動か
し、体を起こそうともがいた。その私の肩を、別府君が押さえつける。
「落ち着けって。どうしたんだよ?」
「だだだ、だって、その……わ、私、べべ、別府君を、ま、枕に……」
 そう。私の頭の下にあるのは別府君のちょうど下腹部のあたりだったのだ。
――この姿勢は、はっ……恥ずかし過ぎる……
 私の体は、一気にヒートアップする。本当なら、体の熱を下げないといけないのに。
「しゃーねーだろ? この姿勢じゃないと、委員長を寝かせたままでオール漕げないんだし」
 確かにそれはその通りなのだが、そんな事、冷静に考えられるような状況じゃあない。
むしろ、何で別府君はそんなに落ち着いていられるのか不思議でしょうがないくらいだ。
「ほら。暴れるからまた体が熱くなってきた」
 ようやく少し冷静さを取り戻して私は脚をバタつかせるのを止めた。とはいえ、そのせ
いか余計に彼の体を感じれるようになってしまい、私の心臓は高速で激しく脈打ち、脳み
そは沸騰しそうである。だから、私の体が熱いのは暴れたからではない。私は視線を上に
向けると別府君を見つめた。そして、ほんのすぐ近くで、優しく見下ろす彼の顔に気づい
て、堪えきれずにすぐに視線を横に逸らしてしまった。
「……違うわよ……」
 私はボソッと小さく呟いた。

「え? 何が違うって?」
 すぐに別府君が聞き返してくる。私はちょっと答えを躊躇った。何となく、想いが自然
に口をついて出てしまったからで、聞き返されることを想像していなかったからだ。しか
し、もう頭がボーッとしている私は、どう切り返そうかよくよく考えることも出来ず、つ
い思ったことをそのまま口に出してしまった。
「……暴れたからじゃないわよ……体が……熱くなったのは……」
「そうかあ? あんなにバタバタしてたら、体温が上がっても仕方ないと思うけどな。
 じゃあ委員長はどうしてだと思うんだ? 否定するなら、それなりに根拠があんだろ?」
 その問いに、私はさらに、よく吟味しないまま思いつきで返事をしてしまった。
「…………別府君の、せい…………」
「ちょ、ちょっと待てよ。それまではともかく、今は別に俺のせいじゃないだろ」
「……ううん。全部……別府君が悪いの。最初から、全部」
 何だろう。不思議と、何故か心の中が少しすっきりした気がする。そう。それは多分、
私の言った事が真実だったからなのだろう。
そう。全部別府君が悪いのだ。と、私は心の中で呟いた。
――私の体が恥ずかしさで焼ける程に熱いのも、緊張で胸が痛いくらいにドキドキするの
   も、それでいて何故か、胸の裡に彼の優しさが染み渡って、嬉しくて嬉しくて仕方ないの
   も……全部、別府君のせいだもの。
「むう……」
 別府君が、困ったように唸る。
「何か、今日の委員長、駄々っ子みたいだな」
「な!?」
 彼の言葉に、驚いて私は声を上げた。
「何でよ? べ、別にそんな……駄々なんてこねてないじゃない……」
 彼の言い分が不満で、私は文句を言った。正直、我儘だと思われるのは心外だ。けれど、
彼は即座に反論してくる。
「だってさ。何の根拠も無く、自分が不利になる度に俺のせい俺のせいって。どう思うよ?」
――うう……た、確かに……そう言われればそうかもしれないけど……
 私は言葉を失った。確かに、彼からしてみれば私の言葉や行動は我儘に見えるだろう。
だけど、やっぱり私の中では、確かに、別府君のせいなのだから。

――だって……別府君が……私の傍に来て……いっぱいしゃべったり、からかったり、ド
   キッとさせるような行動を取って……手を握られたり、抱き締められたり、枕にしちゃっ
   たり……だから、だもの。
 けれど、こんな事、彼に言える訳も無い。だから、私の行動は理不尽なのだ。そして、
彼の質問に、私はこう答えるしかなかった。
「……だって……別府君のせい、だもの…… 自分では気づかないでしょうけど……」
「何だそりゃ? つか、何か俺に悪いところがあったら言ってくれていいんだぜ? でな
 いと、また同じ事やっちゃうかも――」
「いいの。別に、そんな……責めてるとか、そういうんじゃないから……」
――そう。別府君は、気にする必要なんてない。私がこうなったのは、確かに別府君のせ
   いなんだけど、彼が悪い訳じゃないんだから。これは……私の問題。私が……自分で解決
   しなきゃ行けない問題なのだから……
 ピチャッ!!
「ひゃあっ!?」
 いきなり、おでこに冷たいものが掛かり、私は悲鳴を上げた。さらにまた一回。冷たい
水が私に掛けられる。
「な……何するのよ……?」
 私はまた、別府君が面白がって水を掛けたのかと思って文句を言った。
「体……時々、冷やした方がいいかと思って」
 せっせと私に水を掛けつつ、彼が答えた。
「ひゃっ!!」
 今度は胸元に水が掛かり、私はまた小さく悲鳴を上げる。
「熱射病だったら……冷やさないとマズイし。本当はタオルかなんかを濡らして当てた方
 がいいんだろうけど、何にもないから、せめてこのくらい、と思って」
 私が上に乗っているから、体の自由が利かないだろうに、一生懸命手を海面に伸ばして
は、水を掛けてくれる。またイタズラされたのかと勘違いした事を、私は素直に反省した。
「……ごめんなさい」
 意外とすんなりと、謝罪の言葉が口に出た。うん。自分としては良く出来た方だと思う、
と私は密かに自己満足に浸った。
 だと言うのに、別府君には全く意味が伝わらなかったらしい。

「え? ごめんなさいって……何が?」
 ハア、と私はため息をついた。そして、それからフッと気づいておかしくなった。別に、
私が誤解したのは考えてみれば口にだした訳じゃないんだから、謝る必要なんてないし、
むしろ言うとすれば、ありがとう、の方が適切だっただろう。
 けれど、もう一度その言葉を言い直すのは、さすがに躊躇われた。
「なあ? 何か、委員長が謝らなきゃなんないことって、あったか?」
 彼の追及に、私はこう答えるしかなかった。
「……別に、もういいわ。気づかなかったのなら、それでいいから。忘れて」
「何か、今日の委員長って、本当に訳わかんねーな。熱のせいか?」
「ううん。別府君のせい」
 もう一度、私はそう言ってやった。それは本当の事なのだし、嘘は言ってない。
「プッ!!」
 その答えが何故かおかしかったらしい。私の頭を震わせるほどお腹を揺らして、彼は吹
き出した。
「な……何がおかしいのよ?」
 私は不満気に問い質す。別に不満だった訳ではないが、ただ、何となく彼の反応に自分
の言った事が恥ずかしくなったから、照れ隠しにそういう風な口調になっただけだけど。
「いやいや。何かさ、こういう委員長も……何だ。その……可愛いなって……思ったから」
――あ…………また……か……可愛いって…………
 みるみるうちに体が熱くなってくる。といっても、そもそもにして体は熱くてしょうが
ないのだが、まだ熱くなれる事が不思議でしょうがない。
 その時、別府君が私の額に濡れた手をピシャッと当てた。
「また、熱くなってるけど大丈夫か?」
「…………う…………うん…………」
 これも別府君のせいじゃない、と私は言いそうになったけど、それだと可愛いって言わ
れて照れた事を肯定することになってしまうので、それを口に出す事はとても出来なかった。
「さすがにそろそろ戻った方がいいな。早く冷たい物を飲んで体冷やした方がいいけど、
 時々は水を掛けた方がいいから、もし熱いようだったら、遠慮なく言ってくれよ」
「…………」

 私は無言で小さく頷く。風があるので、正直そんなに辛くは無いけれど。というか、も
ともと別府君にこんなに密着していなければ、もっと体の熱は冷めるのかも知れないけど、
だからと言って、体を起こす気にはなれなかった。
――だったら、いっそ、もっと甘えてしまえば……
 フッと心にこんな想いが芽生える。ドキッとして私はそれを否定しようとして……出来
なかった。
――どうせ、もうここまで身を任せちゃっているんだし……だったら……このまま甘えさ
   せてもらってもいいはず…… だって、もう、多分、というか恐らく……こんな機会、無
   いんだから…… 
 誘惑に負けて、私は力を抜いた。ほんの僅か、より深く頭が沈む。別府君の体がピクン、
と反応するのが感じられた。
 けれど、彼はそれについては何も触れず、もう一度、私の額を優しく撫でて、顔に掛かった
髪を取り払い、それから一言だけ、こう言った。
「じゃ、戻るぞ」
 グッとゴムボートが動き出すのが感じられる。私の頭の下には、ちょうど彼の下腹があ
る。私の体の両側で、足が踏ん張るのも感じられる。
――幸せだな……
 こんなにも、別府君の事を感じていられるなんて。だからもう、今は、他の事はどうで
も良かった。誰かに恋人同士と見られようが、友田さんや千佳ちゃんに見つかってからか
われようが構わない。
 二人だけの空間で……彼に包まれて、過ごしていけるこの瞬間。世界で最高に幸せな時
間。この先、どんな事があっても、忘れない。忘れる訳無い。だから、この思い出は、心
の奥に深く、深く、大切に仕舞っておこう。
 私は、心の底から、そう誓ったのだった。


 ちなみに、私の症状は本当に軽くて、海の家で冷たいものを飲みつつ扇風機に当たって
寝そべっていたらすぐに回復した。
 だからやっぱり体の熱は大部分が別府君のせいだという事だ、と明らかになった。
 あと、ボートでの事は見られなかったとはいえ、友田さんには二人っきりで過ごした事
を散々からかわれたが、私は完全無視した。下手に否定する事で、あの思い出を壊したく
なかったから。
 そう。青臭い言い方だけど、これは、紛れもなく、私の青春の1ページだったのだから。

ツンデレと海 〜終わり〜


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