・ お嬢様な妹がメイドに挑戦してみたら その15
・ 買い物編 その2

『ご主人様』
 カーラジオから流れるFMを聞きながら軽快に車を運転する兄を睨み、私は言った。
『ご主人様!!』
 返事が無いのでさらに大声を出すと、兄はチラリと私の方を見た。
「聞こえてるよ。何だ」
『このやかましいラジオはどうにかなりませんの? そもそもカーナビどころかCDすら
付いてないではありませんの』
「別に必要ねーしな。ラジオだって気分で流してるだけだし、そもそも俺が運転したくて
買った車だ。誰にも文句言われる筋合いねーよ」
『人を乗せるんですのよ。それも女性を。もう少し気を使ってもよろしくなくて?』
「理奈はメイドだろ? なら別に気ぃ使う必要ねーだろ。それとも何か? 例えば瑛子乗
せるにしても、最新型のBMWでもてなすべきなのか?」
『瑛子ごときにそんな事する必要ありませんわ。あの子にはリヤカー程度でも十分過ぎる
ほどです』
「そういう事だ。まあ、メイドだからってないがしろにする気はないが、俺の楽しみを我
慢する程気を使う必要はないって事だ。分かったな」
『う……』
 上手に言いくるめられてしまい、私は言葉を失った。しかし、心の中では無論納得など
していない。
――こんなはずでは無かったのに……
 私とお兄様との初ドライブは、高級な外車で、ムードの良い音楽が流れながら海岸線を
夕陽に向かって走っていくような、そんなロマンチック溢れるものを想像していたという
のに、現実は外車とはいえ、こんな音ばかりやかましい古い車で、街中を始終渋滞に掴ま
りつつ走っている。
――全く、お兄様も……わたくしとドライブなのだから、もう少し気を利かせて下さって
もよろしいのに……
 そう思いながら不満気に兄を見つめていたが、煙草を咥えながら運転をしている兄を見
ていると、次第に頭がボーッとなっていく。

 ええ。これはこれで……カッコいい……かも……
「何ジーッと俺の事見てるんだ? 顔に何か付いてるか?」
 兄が私の方を見て聞いた。その途端、見とれていた私はハッと我に返る。
『なっ……ななななな、何でもありませんわ!! いちいち気になさらないで下さい』
 私は慌てて兄と反対方向を向いた。顔を両手で覆う。カアッと火照ってしまってエアコ
ンからの温風が熱く感じられた。
『ところでおに……ご主人様。煙草なんてお吸いでしたの?』
 話題を逸らすついでに少し気になって私は聞いた。よくよく思えば、家で兄が煙草を吸
う所など見たことが無い。
「ん? ああ。これか。まあ、この車に乗る時と、酒の席だけは吸うんだよ。ま、気分的
なもんで、別に特に好きってもんでもないが」
『わたくしは嫌いですわ。傍にいるだけで肺が汚れますもの。はっきり言えば迷惑ですわね』
 もっとも、兄が吐き出した息ならどんな空気だって構わないが、出来れば綺麗に越した
ことは無い。と、私は気付いた。この密閉空間なら、二人の吐いた息で満ち満ちているに
違いない。
 静かに、音を立てずに私は息を吸い込む。
――お兄様と……私だけの……空気……
 存分に味わってから、静かに吐き出した。ちらり、と兄を見てからそそくさと前を見る。
私は確信した。豪華なリムジンに一人、或いは他の誰かと乗っているよりも、このボロの
車に兄と二人きりで乗っている方が私にとっては何倍も幸せなのだと。
 と、その時兄が吸殻を灰皿に捨てた。てっきり新しいタバコを取り出すかと思ったが、
それはせず、窓を少しだけ開ける。
『あら? もうお吸いにならないの?』
 私が聞くと、兄はぶっきらぼうに前を向いたままで答える。
「ちょっと喉がいがらっぽくなってきたからな。今日は止めだ」
 そんな事を言っているが、ひょっとしたら、私を気遣っての事ではないか、と私は期待
した。ううん。きっとそうだ。窓を少しだけ開けたのも換気の為だろう。口では一言の反
論も許さないくせに、こういう所がすごく優しいな、と思い、私は嬉しくなった。

「ところでお前、何嬉しそうにニヤついてんだ? おかしな奴だな」
『へっ!?』
 私はびっくりして咄嗟に両手で頬を覆った。どうやら、知らないうちに想いが顔に出て
いたらしい。
『べっ……別におに……ご主人様には関係ないことですわ。というか、いつまでも人の顔
を見つめ続けないで下さいません事? 脇見運転は事故の元ですし、はっきり言って気持
ち悪いですわ』
 動揺のあまり、ついいらぬ事まで口走ってしまった。兄の顔がみるみる曇るのを見て、
私は後悔したがもう遅い。
「そうか。そりゃあ悪かったな」
 それだけ言うと、兄はそれきり黙ってしまった。気まずい沈黙になってしまったな、と思う。
――ハァ……どうしてわたくしは、いつも一言も二言も多いのだろう。わたくしのこうい
う性格さえなければ、兄妹、もう少し仲良く出来たかもしれませんのに……
 しかし、ここで私は気を持ち直した。
――いいえ。二人きりの今がチャンスですもの。何としてもメイドとして相応しく振舞っ
て、お兄様の覚えを目出度く致しますわ。
 グッと心の中で誓いを新たにした時だった。
 交差点を曲がり、広い幹線道路に入った途端、兄がグイッとスピードを上げた。
『きゃあっ!!』
 びっくりした私は思わず、ギアを握っていた兄の左腕にしがみ付いた。
「ちょっ!? 理奈、離せって。あぶねーだろ」
 兄に注意されて私はハッと気が付いて腕から離れる。しかし、両手だけはしっかり、兄
の服の袖を掴んで離さなかった。
『ご主人様が悪いんですわ。急に乱暴な運転をなさるから』
「スピード上げただけだろうが。このくらいでビビッてたら、俺の運転には乗れんぞ」
 そうは言っても、普段乗っている高級車なら音も静かで乗り心地もいいからともかく、
この車だと、エンジン音は唸るし、ちょっとした段差でも揺れる為によりスピード感を感じる。

『べ、別にちょっとびっくりしただけで、怖がっているわけではありませんわ』
 そう強がりを言いつつも、私は外の景色を見る気分にはなれず、兄の方ばかりを見つめていた。
「なら、もうちょっとスピード出すか」
『へっ!? ちょ、ちょっとお待ちなさい。別にそんな急がなくても……』
「よっと」
 私の制止も聞かず、兄はグッとアクセルを踏んだ。エンジンが唸り、スピードメーター
が一気に100kmを超える。
『ひっ!!』
 悲鳴を必死に押し殺す。怖がっていないと言った手前、悲鳴を上げることは許されなかった。
「どうだ。楽しいだろ?」
 兄のいたずらっぽそうな子供っぽい顔を見て私は確信した。
――お兄様……知っていて、わざとスピード上げてらっしゃいますのね。い、意地が悪過
ぎですわ……
 ガタン、と車体が揺れ、たまらず兄の腕に頭を押し付ける。しかし、せっかく兄にピッ
タリとくっ付いているというのに、私は全くその事を意識することすら出来ないのだった。

「理奈」
『な、何ですのやかましい。キチンと運転に集中なさって下さい!! 事故でも起こした
らどう責任を取るおつもりなんですか?』
「それなんだけどな、理奈」
『ご主人様はいつもそうですわ。集中力が無くて、そのくせ危ないことばかりなさって。
もう少し、危険に対する自覚をして頂かないと』
「集中しすぎて周りに目が全く行かないのも問題だと思うがな」
『何をおっしゃいますの。御自分の事は棚に上げられて、人の事を責めるのはお門違いですわ』
「だったら周りを良く見てみろ」
『周り? いいですわよ』
 兄に言われ、私は兄の腕からようやく頭を引き剥がし、周りを見た。

『――え?』
 既に周囲の景色は止まっていた。右にも左にも車が止まっている。
「とっくに着いているんだがな。いつ気付くか待ってたけど、ちっとも気付きやがらねぇ。
これでよく人の事が集中力無いとか言えたもんだな」
 呆れたように、ため息混じりに兄が言った。
『そ、それはですね、その……ご主人様の運転があまりにも乱暴ですから、少々気持ちが
悪くなっただけですわ。それでそっちに意識が集中しすぎて、その……き、気付かなかっ
ただけですわ』
「その割には随分ハキハキとしゃべっていたよな?」
 私の無理のある言い訳に、兄はきっちりとツッコミを入れた。
『もう治まりましたもの。ただ、その……一時期ちょっと辛かったから、気付かなかった
だけですわ。大体、ご主人様の運転のせいで気持ち悪くなったというのに、そういう言い
方は失礼ではありませんの?』
 兄はチラリと私を一瞥したが、それについては何も触れなかった。もう少し優しさを見
せてくれるかと思ったが、それは期待外れだったようだ。
「降りろ。行くぞ」
 それだけ言うと、兄はドアを開けて外に出た。
『あ、ちょ、ちょっとお待ち下さい』
 私も慌てて外に出る。意外と狭い野外の駐車場。それに三角屋根の中程度の広さのお店
があった。
『ここは……どこですの?』
 私が聞くと、兄はつまらなさそうに建物を指差して言った。
「見てわかんねーか? ここが菓子屋にでも見えるのか?」
 そう言われてしっかりお店を見ると、店の外にまで上着が並べられたり、窓ガラスに良
く見るジーンズのメーカーのロゴが貼ってあったりする。
『そ、そんな事くらいわたくしにだって分かりますわ!! どのブランドショップかと聞
いているのです』
 慌てて言い直す。まさか今になってカジュアルウェアのショップに来たと気付いたなど
と悟られるわけにはいかない。

「いや。別に普通の店だけど。まあ、ジーンズならエドウィンだろうがボブソンだろうが
リーバイスだろうが一般的なブランドは何でもあるぞ」
『ご主人様!!』
 私は兄を睨み付けた。
「な、何だよ、理奈。怒った顔してどうしたんだ?」
『どうしたんだ?ではありません。別府家の嫡男ともあろう方が、こんな庶民の来るよう
な店で買い物など、とんでもありませんわ』
 すると兄は不機嫌そうに眉根を寄せた。
「別にそんなの関係ねーだろ。別府家だろうが山田家だろうがなんだろうが、買いたい物
がある店に来るだけだって」
『いいえ。このような庶民の店、ご主人様には相応しくありません。別府家の嫡男たるも
の、それ相応のお店にって、聞いておりますのっ!!』
 しかし、私がしゃべっている間に、兄は私に背を向けると、さっさと店内に入って行っ
てしまった。
『ちょ、ちょっと!! お待ちなさい!! お待ちなさいってば!!』
 慌てて私も、仕方なしに兄を追いかけて店内へと入って行くのだった。


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