・ お嬢様な妹がメイドに挑戦してみたら その16
・ 買い物編 その3

『いらっしゃいませぇ』
 兄の後について店に入ると、チャラチャラした感じの若い女の店員が出迎える。
「よぉ。そろそろ春物とかで何かいいの入った?」
 兄はいかにも慣れた感じで店員に話し掛けた。店員も顔馴染みと言った感じで親しげに
応対している。ちょっとその会話にはさすがに立ち入れず、私は仕方なく一歩下がって大
人しくしているしかなかった。
――お兄様ったら……こんな野暮ったらしい店のどこに魅力を感じるのかしら……
 店員を見ても客層を見ても、いかにもそこらの若い一般人である。正直、兄には似つか
わしくないと私は雰囲気だけで決め付けた。おまけに、私の傍を通り過ぎる客がちらちら
と私の方を物珍しげに見つめるので、私は恥ずかしくてしょうがなかった。
――全く、瑛子ときたらいい加減な事を言って。帰ったらおしおきですわ。
 メイド服のままで全然大丈夫だと朗らかに言っていた瑛子の顔が思い浮かぶ。
「理奈」
 その時、兄が呼ぶ声がした。
「何ボーッとしてる。行くぞ」
『あ、はい』
 仕方無しに私は、兄に付いて店内を回る。
――人の買い物ってつまらないですわ。
 ただひたすら、兄の後を付いて歩きながら私は心の中でぼやいた。自分が見たい物なら
ば、一日中ウィンドウショッピングをしても全然退屈しないのだが。兄は時折ハンガーや
棚から服を取り出しては鏡の前に行って当ててみたりするが、大抵のものは元の場所に戻
してしまう。
 と、兄が突然一着のシャツを私に渡した。
『何ですの?』
 意味が分からず聞くと、兄はさも当然のように言い返した。
「ああ。それ、買うから持っててくれ」
『私に荷物持ちをさせるんですの!?』
 驚いて聞き返した私に、兄は一瞬驚いた顔をして見つめ、それから呆れたようにため息
をついた。

「当たり前だろ。お前、自分が何だと思ってるんだ?」
『何だとって……あ……』
 私は今更ながらに自分の立場を思い出す。というか、メイドであるという事と荷物持ち
をしなければならない事が繋がっていなかったのだ。
「そういう事だ。自分から言い出したんだからな。しっかり努めは果たせよ」
 さすがに反論は出来なかったが、内心ではまだ私は不満だった。大の男が女性を荷物持
ちにするなんてどこか間違っている。
 ぶすったれた表情をした私とは対照的に、兄は楽しそうにショッピングを続けていく。
「お、これカッコいいな。ちょっと履いてみるか。サイズ、ある?」
 そう言って兄が店員にサイズを伝えると、棚の中から店員がそのサイズのジーンズを取
り出してくる。
『どうぞ。試着室はお分かりですよね?』
「ああ。理奈。ちょっとそれ貸せ」
 それと言われてもどれだか分からないので、とりあえず手に持つ服全てを差し出すと、
兄はその中から2、3着を選んで取り出し、後は私に返した。それから何も言わずに試着室
へと入って行ってしまう。
『ハァ……疲れましたわ……』
 兄の姿が視界から消えて、初めて私は大きくため息をつく。ほんの10分かそこら店内を
回っただけなのに、何だかもう足が痛い気がして私は足首を回した。一瞬気が挫けそうに
なるが、私はハッと気付いて気を持ち直した。
――いいえ。今日はお兄様のお役に立つと決めたんですもの。頑張らなければ。
 と、その時試着室のカーテンがサッと開いた。股上の浅い濃紺のジーンズに黒のシャツ
を掛け合わせた格好の兄が、試着室から姿を現す。
「どうだ理奈。この格好は」
 思わず私は兄の言葉も聞こえず、ホケーッとした顔で見つめてしまった。
――かっ……カッコいい……ですわ……
 日頃あまり見ない兄の格好に、私は見惚れていた。仕事に行く時のスーツ姿やパーティー
での正装。家でのラフな格好は見慣れていたが、カジュアルでありながらキチンとオシャ
レでありワイルドさを醸し出すようなこういう格好は見た事が無い。

「おい。理奈」
 もう一度呼ばれてやっと私は兄に呼ばれていることに気が付いた。
『へっ!? え……と、な、何ですの?』
「いや。一応お前の意見も聞いておこうかと思ってな。あまり参考にはならんが」
 参考にならないと言われ、私はムッとした。その気持ちが、つい私に毒舌を吐かせてしまう。
『まあ服装は悪くありませんわね。でも素材が良くありませんから、多少格好付けたとこ
ろで所詮猫に小判みたいなものですわ』
「悪かったな。カッコ悪くて」
 兄のムッとした声が耳に響く。それはズキンと私の心に重く響いたが、今更訂正も出来
ないし、本心など言える訳もない。
 と、そこでさっきの店員がフォローに入る。
『え、そうですか? 大変良くお似合いだと思いますけど』
「そうか?」
 兄が店員に対しては明るい声で答えた。その態度に私はまた不機嫌になる。
『ご主人様。店員さんが客の事をけなす訳ないじゃありませんの。そのくらいしっかり自
覚なさいませ』
『いえいえ。別にお客さんだからって訳じゃないですよ。何気に別府さん、うちの店員の
女性陣では人気高いんですよ。お店の常連ですからみんな顔知ってますしね』
 笑顔で話す店員を私は不機嫌そうに見つめた。たかが服屋のアルバイトの店員風情が何
を言っているんだか。分不相応にも過ぎるではないか。もっともだからこそ、嫉妬等とい
う思いすら湧かなかったが。
『ご主人様が人気高いなんて、貴女達、何か間違ってますわ』
 そう言うと、店員は目をぱちくりとさせて驚いた顔をした。それから、兄に顔を寄せて
そっと耳打ちする。
『そういえば、いつものメイドさんとは違う方ですけど、ちょっと変わってますね』
「素行の悪いメイドでな。今訓練期間中なんだ」
 ボソボソと内緒話しているようだが、私の耳ははっきりとその言葉を捉えた。
『聞こえてますわよっ!!』
 ムッとして私は叫んだ。店員はビクッと反射的に体を硬直させたが、兄はジロリと私を
睨んで言った。

「聞こえたんなら別にそれでいい。というか、まあ実際そうだしな」
『わたくしのどこが変わってますの? このような安物ばかりを売る店で嬉々として買い
物をなさるご主人様よりよっぼどマトモですわ』
「失礼な事言うな。物はな。価格やブランドの問題じゃない。安くてもいい物はいいんだ
よ。俺はそういうのを漁るのが好きだしな」
 反論しようと言葉を探したが、言葉が見つからず私は押し黙った。ここで自分の意見を
押し通せば、何だか自分の方が小さい人間に思えてしまう。それに、店員も見ている前で
兄と喧嘩などしたくなかった。
 仕方が無いが、ここは自分が折れるしかない。
『……分かりましたわよ』
 ボソッと私は小さな声でそう言って顔を上げた。
『褒めれば宜しいのでしょう? 褒めれば』
 すると兄はちょっと困ったような顔をする。
「別に無理して褒めろとまでは言わないけどな。余計な悪口は言わないでくれ。というか、
主人を貶すメイドなど聞いた事がない」
『それはご主人様の資質の問題です。ですけど、まあその……そう仰るのでしたら、仕方
ありません。我慢致しますわ』
 私は渋々といった体で、躊躇いがちに頷いた。
 兄は一旦試着室に引っ込むと、元の服に戻って出てきた。それから今の服を私に渡す。
それからまた買い物を再開した。再び何着か選んで試着をする。
「どうだ? 理奈」
 てっきりもう私には聞かないだろうと思ったのに、また兄は私に感想を求めてきた。試
しているのだろうか? 私を。正直なところ、さっき言った言葉とは全く逆で、兄が着れ
ば何でもカッコ良く見えてしまう。しかし、それを素直に口に出す事だけはどうしても憚
られてしまい、私は困った挙句、こう言った。
『べ、別に似合ってない事は無いと思いますわ。ただその……ご主人様はもう少し、シッ
クな服になさった方が、わたくしは好みですが』
 言い終わると、私は小さく吐息をついた。ただこれだけの事を言うだけでも胸がドキド
キしてしまう。
「そうか? まあちょっと理奈の好みも試してみるか。お前、ちょっと選んでみ?」

『わ、わたくしがですの?』
 急な指示に私はびっくりして慌てた。
――わたくしが……お兄様の着る物の、コーディネイトを……
 しかし、最初の驚きから立ち直ると、今度は俄然やる気が出てきた。高級そうな服は無
いが、種類だけは豊富なお店だけに、私はさっきまでとは違い、熱心に店内の物を物色し
始めた。しかし、今までの兄のイメージとは違うカジュアルな服の店だけに、選ぶのには
時間が掛かった。
 ようやく私が選び出したのは、濃紺のジーンズに、襟裏だけ黒の白いシャツ。それに
コートに薄いグレーのニット帽といったいでたちだった。
「フーン。まあ、ちょっと着てみるわ」
 そう言って試着室に消えた兄をドキドキしながら待ちわびる。正直、自信を持って選ん
だつもりだが、いざとなってみると不安になる。
――もし、お兄様に気に入られなかったとしたらどうしましょう……
 その時、自分は平静でいられるだろうか。無様に取り乱し、怒ったりしないようにしなければ。
 そわそわしながら、ただひたすらにジッと待ち続ける。最早私は兄の事で頭が一杯で、
既に周りからの好奇の視線すら、全く気にならなくなっていた。
「ねぇねぇ、君。君ってば」
 トントンと肩を叩かれ、やっと私はその、不快な馴れ馴れしい声に気付いた。
『何ですの?』
 振り向いた視線の先を見た私には、嫌悪と言う以外何物でもない感情で満たされた。茶
髪と金髪の二人組の男。どちらも耳にピアスをしていて、さっきの兄と比べても比較にな
らないくらいだらしない格好をしている。私の方を物珍しそうに見つめつつ、薄ら笑いを
貼り付けているのも気に入らない。
「あのさぁ。君、何でメイド服なんて着てんの? それってコスプレかなんか?」
 コスプレという言葉は意味不明だったが、彼らの言いたい事は大体分かった。しかし、
こんな下品な男達と会話する気など毛頭なれない私は、彼らの方を見もせずに答えた。
『わたくしは仕事中ですの。邪魔しないで頂けません?』
「仕事中って……ここの店員じゃないよね?」
 男の一人が私の前に立ったので、私は視線を逸らそうと横を向いた。
「そんなつれない顔しないでさ。話してんだから、ちゃんと相手の顔見ろよな」

『わたくしは貴方達と会話する気などありませんわ。それが分かったのなら、さっさと立
ち去りなさい。いいですわね?』
 しかし、私がいくら威厳に満ちた声を出しても、男達は一向に引く素振りすら見せなかった。
むしろ面白がっているような雰囲気すら感じる。
 その時、異変に気付いた店員の女性がこっちに素っ飛んで来た。
『お客様困ります!! 店内でそんな事されては。ましてやこの人、別府家の……』
「ああ? うるせーよ」
 止めに入った店員を、男の一人がドン、と軽く突き飛ばす。もう一人の男が面白そうに
ニヤリと笑う。
「へぇ。別府家って事は……モノホンのメイドかよ」
 どうやら、頭に知恵は無くとも別府家の名前は知っているらしい。もっとも、この辺に
住んでいたら、小さい子供でもない限りは知っている事だから驚くには当たらないが。
「俺らさー。一度メイドさんとデートしてみたかったんだよなー」
 馴れ親しげに近づこうとする男を、私は一歩下がりつつキッと睨み付けた。
『お下がりなさい。別府家のメイドと知って、まだ絡むおつもりですの?』
 しかし、男達は一向に下がる気配を見せなかった。
「お前が偉い訳じゃねーだろ? メイドならメイドらしい態度で接してくれよ」
「そうそう。俺達もご主人様って呼んで欲しーよな」
 男達は下卑た笑いを浮かべた。
 私は口惜しさでギリッと奥歯を噛んだ。本当は私はメイドなどではなく、別府家の令嬢
そのものであるのに。だが、ここでそれを言ったとして、事態はなお悪くなるだけだとい
うのは分かっていた。だからここはメイドとしての立場で押し通すしかあるまい。
『間抜け面で冗談を言わないで貰えます。貴方達をそのように呼ぶことなど、汚らわしく
て口に出すのもおぞましいですわ』
 それまではイヤらしいニヤついた笑いだった男達の顔に怒りの色が走るのが分かった。
はっきり言った方が伝わりやすいだろうと、男達に相応しい言葉で拒絶したつもりだった
のだが、それがいけなかったのだろうか。
「言ったろ? メイド風情が偉そうな口を利くなって」

 さっきまでとは違う、凄味を利かせた低い声で男が言った。すると、もう一人の男がい
きなり私の手首を掴む。
『何をするの? お放しなさい!!』
 驚いて振りほどこうとするが、男は痛いほどに強く手首を掴んだ為振り解けなかった。
「店内じゃあ迷惑だって店員が言ってたろ? だから店の外で話ししようぜ」
「そうそう。俺たちがきっちりとメイドらしい仕草を仕込んでやるよ」
『ふざけないで。貴方達と話すことなど何もありませんわ。さっさとこの手を離しなさい』
 抵抗しようと試みたが、猿くらいの知能しかなさそうな男なだけに力は強かった。簡単
に私は引っ張られてしまう。
「お前には無くても俺たちにはあるんだよ。付き合うくらいいいだろ? ほら。行くぞ」
 そのまま強引に外に連れ出されようとしたその時だった。
「理奈。何をしている?」
 私も、男二人も、一斉に声のした方に振り返った。そこには、試着室から出てきた兄の
姿があった。


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