・ お嬢様な妹がメイドに挑戦してみたら その20
・ 買い物編 その7

 確かに、これらの本と比べれば、兄の部屋にあった漫画雑誌など、ごくごく普通のあり
ふれた漫画だと言っても過言ではなかった。あれも水着のアイドルか何かが表紙だったが、
本物はもっとずっといやらしさが強調されている。
 ふと、私は目の端にずっとそれらの本を入れていることに気付き、慌てて視線を逸らした。
――わっ……わたくしとしたことが、何とはしたない…… あのような低俗な雑誌を、盗
み見するような事を……
 だが、その場から立ち去ろうと思っても、どういうわけか、私の足はそこに釘付けにな
ったまま、動こうとしなかった。このまま立っていたら怪しまれると思い、私は近くにあ
る無難な雑誌を適当に手に取って選んでいるフリをする。だが、無論、興味など全くない
本だ。自然と視線がエッチな本の方へと泳いでしまう。
――わ、わたくし……一体、何をしているのかしら…… お兄様ではあるまいし……あん
な本に興味などあるわけありませんわ。全く馬鹿馬鹿しい。
 しかし、無理矢理そう言い聞かせてみても、私の体は一歩もその場から動こうとはしな
かった。と、その時、先ほどの兄と瑛子とのやり取りが浮かんで来る。

 「ったく……こうも世間知らずだと、さすがに問題だぞ」
 『理奈ちゃんてば、ウブなんですからぁ』

――そ、そうですわ。お兄様の御付とはいえ、元々は、社会勉強を兼ねての事ですもの。
こういった低俗な事を知っておくのも、その一つに他なりませんわ。
 こう思うと、何故か自分が正しい事をやっているように思えてきた。そう。もともとは
兄から言い出した事だ。何も悪い事じゃない。
 しかし、そうは言ってもやはり、傍目から見ればおかしい人に見えてしまうだろう。ま
してや私のようなうら若き乙女が。ここは一つ、表紙的には無難そうなものを選んで、一
冊取ってから別のところで読むのがいいだろう。私は本を選んでいるフリをしつつ、目線
をチラチラとエッチな本の方に向けた。
――と、とりあえず下着を見せているのは避けるべきですわ。まあ、どの本もいかがわし
いものであることに変わりはありませんけど……
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 たかが一冊、雑誌を選んで手に取るだけの話なのに、胸はドキドキし、体が火照ってく
る。たえず周囲が気になってしまうため、ちょっと見ては周囲を窺い、また視線を落とし
て本を選ぶ。この繰り返しに、物凄い時間がかかってしまった。
――雑誌だと……どうしても目立ちますわね。もう少し、小さめの本の方が……
 そう思って、私はラックの下に立てて並んでいる本へと視線を移し……その表紙を見た
瞬間、慌てて目を逸らした。
――だっ……ダメダメダメ!! ダメですわ!! あんなの……
 思わず体ごと動かして、コーナーそのものから背を向ける。小さく、荒い息を私はついた。
 私が見たのは、縄で縛られたセーラー服の少女の表紙の本だった。下着が一部見えてい
る他はキチンと衣服で覆われている。しかし、それだけに、余計にその本のアブノーマル
さが表現されている。さすがに、このような本は手に取る事さえ出来なかった。
――おかしいですわっ!! 何故、あのような本が世の中に出回っているんですの。全く
……変態的にも程がありますわよ。
 嫌悪感で拒絶する一方で、私の頭には、別の妄想が湧き上がっていた。


 メイド服で拘束されたままの私。目の前には兄が立っている。

 「全く……素直に謝れば許してやるものを……」
 『わたくしのせいではありませんもの。絶対に謝罪など致しませんわ』

 呆れたように首を振る兄。そして、顔を上げて私を見る。その顔は優しかったが、目に
は何か違う光が宿っていた。

 「それじゃあ、仕方が無い――――おしおきを――――しないと、ね……」
 『おしおきって……何をなさるつもりですの? この……変態!!』

 言葉だけの抵抗。本当は、体も心も求めているのに。兄が、ゆっくりと私に近寄る。
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 「理奈が悪いんだろ? 素直に謝らないから……」

 ゆっくりと、兄の手が、私の胸へと伸びる。

 『だっ……ダメですわご主人様!! そんな……あっ……』


 そこで、私の自制心が働いた。正気に戻ろうと、頭をブンブンと振る。
――全く……何を考えているんですの。わたくしとした事が…… そもそも、お兄様はあ
のような変態では無いはずです。わたくしだって、あのようなこと、望んでも……
 もう一度、妄想がフラッシュバックし、私は小さく頭を振る。
『そもそも、あのような不道徳な本がこんな書店に置いてあるのが間違っているのです。
家に戻ったら、抗議のメールを送ってあげますわ』
 小さくブツブツと呟く。
――さて、と……気を取り直さなくてはいけませんわね。せめて、もう少しまともな本を
選ばなくては……
 不思議なもので、一度極端に淫靡な本を見てしまうと、手前に平積みにされている雑誌
など、どれも大した事ないように思えてしまう。その中でも、一番マシと思える雑誌を見
つけた。可愛らしい女子高生が座ってポーズを取っているだけの雑誌。低俗さは表紙だけ
でも十分に明らかだが、女子高生の写真さえなければ、一般雑誌のコーナーに置いてある
三流ゴシップ雑誌とそう違いはないだろうと思える。
 しかし、問題は、あった。
――ここからだと……手は、届きませんわね……
 その雑誌は、コーナーの一番反対側に置かれていて、しかもその向こうは通路になって
いるために、この場からさり気なく取る事は出来ない。かといって、その雑誌より手前に、
妥協できるような本は無かった。
――仕方ありませんわね。通り過ぎるフリをしつつ、さりげなくピックアップするしかあ
りませんわ。
 だが、いよいよとなると、勇気がいる事だった。私は一旦、手に取っていた詠みたくも
無い本を棚に戻す。そして、店内を反対方向へと歩き出した。
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――一度ぐるっと回って……それから、もう一度ここを通った方が、自然ですものね。
 ブラブラと店内を回るが、頭の中は雑誌を手に取る瞬間ばかりにイメージが行って、全
く他の本に注意を払う事など出来なかった。そのまま本棚を一周してから、再び成人コー
ナーへと戻って来る。
――さりげなく……さりげなく、ですわ。人目に付かないように取らなければ……
 緊張の余り、手の平に汗をかいてしまう。私はスカートの裾でゴシゴシと手を擦った。
背中も汗でヒヤリとする。
――落ち着かないと……落ち着いて……
 近付くにつれて、心臓の鼓動が激しくなる。残り、2メートル……1メートル…… 視線
はもう、目標の雑誌に固定されている。ゆっくりと歩きながら、私は手を伸ばし……そし
て、雑誌を掴むと、急いで胸に抱きかかえた。そして慌ててその場を立ち去ろうとしたそ
の時。
「おい」
『ひゃっ!!!!』
 突然、真正面から声を掛けられて私は悲鳴を上げそうになった。右手で口を押さえ、辛
うじてそれを押し殺す。そして、正面に現れた人物を見て、私は驚きで目を丸くした。
『おっ……おおおおお……お兄様!?』
 突然目の前に姿を現した兄の姿に、私は心臓が止まる思いだった。
「そうだよ。つか、別に同じ店んなかにいるんだから、そんなに驚く事でもないだろ?」
 あっさりとした口調でそう言い放つ兄に、私は強気な態度を取り戻して、キッと睨み付けた。
『人が驚くような声の掛け方をなさるお兄さ――ご主人様が悪いんですわっ!!』
 何だかもう、動揺して頭の中がごちゃごちゃしてしまい、兄の事をどう呼べばいいのか
すらも混乱してよく分からなくなっていた。
「別に普通に声掛けただけだぞ? 理奈がエロ本を手に取るのに夢中になってて気付かな
かっただけだろが」
『エッ……エロ……!!!!!!!!』
 兄の言葉に、今度こそ本当に、私の心臓は飛び上がった。
『ババッ……バ……バカな事を仰らないで下さい!!!! だだ、誰がその……エエエエ
エエ、エロ本など手に取ったというのですか!!!!!』
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 大声で叫び出したいのを必死で抑えるだけの理性だけは辛うじて残しつつ、私は兄に詰
め寄った。
「誰がって……お前。その胸に抱えてる雑誌って、そうだろが」
『――――!!!!!!』
 その一言で、私は全身が火のように燃え上がり、頭がクラクラするのを感じた。両手で
ギュウッと胸の雑誌を抱きかかえ、羞恥心の余り、小さく縮こまりながら、私は上目遣い
に兄を睨み付けた。
『み……見ていたのですね。遠くからこっそりと……卑劣ですわ!! 最低ですわ!! 
この覗き魔!!』
 だが、いくら兄を悪者に仕立て上げようとしたところで、自分が圧倒的に不利な状況に
変わりはない。それが証拠に、兄は私の罵りにも不快な様子一つ見せず、余裕な雰囲気を
漂わせていた。
「覗き魔って…… まあ、確かに遠目から見てたから、そう言われりゃあそうだろうけど、
でも、傍から見ればお前の方がよっぽど挙動不審に見えるぜ。店員に万引き犯と疑われて
もおかしくないくらいに」
『誰が犯罪者ですのっ!! 私はただ……本を取ろうとしていただけですわ』
 うかつに口走ってから私はしまったとばかりに口に手を当てた。だが、発した言葉は取
り消すわけには行かない。兄の顔をまともに見ることが出来ずに私は俯いたが、恐らくニ
ヤニヤと笑っているに違いない。
「ふうん。エロ本をねえ。お前、そういうのに興味あったのか?」
 ストレートにそう聞かれ、私はますます身体を火照らせながら、顔をぶんぶんと横に振った。
『興味など……ありませんわ!! あるはずもないでしょう!!』
「でも、お前が手に取っているのは紛れも無く、エロ本だよな?」
 兄の追及に、私は何と言い訳しようか必死で考えていた。このような本に興味を持つス
ケベな妹だと思われたら、兄にも両親にも顔向け出来ない。だが、この場を乗り切るのは、
私にとって、非常に困難な状況だった。
『…………ま、間違えただけですわ。その……取る本を……』
「思いっきり成人コーナーの周りをうろうろして、あれだけ物色してんのに、取る本間違
えるとかあるか」
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 必死で考えた言い訳は秒殺で否定された。動揺した私が、次の言い訳を考える前に、兄
が恐れていた一言を言ってしまった。
「しかし、まあ、何だ。さっきはたかが青年誌の性描写一つで散々文句言ってたくせに、
しっかりお前の方が興味あるんじゃねーか」
『違いますわっ!!』
 兄の言葉が私の理性を弾き飛ばした。私は恥も外聞も無く大声を出した。涙を溜めた目
で兄を睨みつけると、続けて一気にまくし立てる。
『違う……違いますわよっ!! お兄様と瑛子が悪いんじゃありませんの。人の事を散々
馬鹿にして……世間知らずだのなんだの…… だから……だからわたくし……少しでも勉
強しようと……』
「わかった。分かったから泣くなっての。人目に付くだろうが」
 そう言って兄に窘められたが、私にはもはやどうでも良かった。兄にスケベな女だはし
たない女だと思われれ、白い目で見られるような事になれば、もう死ぬ事しか考えられない。
『ですからわたくしっ!! 決して興味などは……』
「分かってるよ。ちょっとからかっただけだって。そもそも、お前の態度見てれば、理奈
が密かにエッチな事に興味があったなんて思える訳ないしな」
 私は熱くなった目頭をグイッと擦った。兄を見つめても、窘めようと半ば困ったような
笑顔を見せているだけで、果たして本当に疑いが晴れたのかどうか、確信が持てなかった。
だから、私はもう一度念を押すように問い掛けた。
『本当にそう思ってますの? この場を収めようと嘘を付いているのではなくて?』
 それに対して、兄は、はっきりと頷いた。
「思ってるよ。そもそも俺がけしかけた事だし。まさか理奈が生真面目に本当にやろうと
するなんて思ってなくて、それでちょっと面白かったから遊んでみたくなっただけだって。
だから、本気でそうだなんて最初から思ってないから。な?」
 兄の言葉に、ようやく私は多少安堵を覚えた。そして、同時にしゃれにならない冗談を
言った兄に対する怒りがこみ上げてきた。
『バカッ!!』
 そのまま、勢いで私は、兄の胸に縋り付くと拳でドンドンと叩いた。胸に抱えていた雑
誌がバサリと床に落ちたが、私は気にも留めず、兄を叩き続ける。
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「ちょ、ちょっと待て。痛いってば。止めろ」
 兄が、両肩を抑えて私を止めようとした。それで私は、兄を叩くのを止め、顔を上げて
兄を見つめた。
『本気で心配したんですのよっ!! お兄様に、エッチな女だと思われたらどうしようか
と……わたくし……』
「分かったから。俺が悪かったよ。だから、もういいだろ?」
 優しく兄に諭されて、私はようやく首を縦に振る事が出来た。まだ涙が零れて来そうで、
私は手の甲でそれを拭う。
 と、その時、まだ私の肩を掴んでいた兄が、そのまま私をグイッと自分の体に引き寄せた。


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