・ お嬢様な妹がメイドに挑戦してみたら その21
・ 買い物編 その8

『きゃあっ!!』
 そのまま、兄に抱き締められ、私は兄の温もりに包まれた。動揺して頭が何も考えられ
なくなる。
『ななななな、何を……』
 動揺してもがく私に構わず、兄は左手でしっかりと背中を抱くと、右手で私の後頭部を
擦りだした。
「いや。ガキの頃はさ。お前が泣いた時、よくこうやって慰めてやったじゃん。だから今
も効果あるかなーなんて思って」
『そ……そんな、あの頃と同じにしないで下さらない? わたくしだって、もう……その
……大人、なんですのよ……』
 そう言い返したものの、実際には私の動揺はかなり収まっていた。兄の優しい手付き。兄の温もり。兄の匂い。全てが私を包み込んで、穏やかな気持ちにしてくれるかのようだった。
「そうは言っても、効果あったみたいだけどなー」
 そういう兄の言葉に、私はまた、ちょっとだけ反発心が湧いた。
『違いますわ。その……いい加減、騒ぎ疲れただけです。別にご主人様に慰めて貰ったか
らではありません』
「そうか。なら、もう止めていいか?」
 そう言われて私は慌てた。まだ全然兄を堪能していない。今離れたら、次にいつこんな
事をしてくれるか分からないのに。
 無我夢中で私は兄にしがみ付いた。
『その……あ、あと少しだけなら……させてあげてもいいですわよ……』
「させてあげて……って、俺がしてやってるんだけど。特にしてやりたい訳じゃないから、
そう言うならもう止めるわ」
『ま、待って!!』
 兄が手を下ろそうとした気配を察して、私は慌てて兄を止めた。恥ずかしくて仕方がな
いが、私からねだる以外に続けて貰う方法はないようだった。
『その……も、もう少し…………』
「して欲しいのか?」
 自分ではどうしても出なかった言葉を、兄がフォローしてくれた。私は小さく頷いた。
本当は、私も兄を抱き締めたかったけど、さすがに抱き合うのは恥ずかし過ぎて勇気が出
なかった。
「全く……しょうがねーな。いつからこんな意地っ張りになっちまったのか……」
『そ……そんなのは、わたくしのせいではありませんわ。きっと……その……お兄様が悪
いんですのよ』
 今は、一瞬だけ妹に戻って目一杯甘えておきながら、私は強がりを言った。自分では本
当は良く分かっている。ある日、兄を初めて男性として意識してしまったあの日から……
私は、兄に対して素直になれなくなったのだと言う事を。だから、原因は兄にしかないのだ。
 しかし、そんな事を知らない兄は、当然不満を露にした声を出した。
「何で俺が悪いんだよ。別に何もしてないだろーが」
『いいえ。お兄様のせいです。とにかく、悪い事は全部お兄様のせいです』
「無茶苦茶言うな。アホ。何でもかんでも俺のせいだって言うのかよ。理屈も何もあった
もんじゃねーな」
『理屈なんて関係ありません。悪い事は全部お兄様のせいです』
 そう言いながらも、体はへにゃへにゃとして兄に甘えっ放しの私だったが。
「じゃあ何か? お前の料理がど下手くそなのも掃除すら満足に出来ないのも、ついでに
言えばその年でまだ付き合った男がいないのも、全部俺のせいなのか?」
『そうですわよっ!! あと、最後のは余計ですわ。どうせ、その……恋愛など、許され
る訳もありませんから、付き合わないだけですもの』
 ちょっと動揺しながら私は慌てて理由付けした。まさか、本当の理由が、兄に勝る男性
などいないからなどと悟られる訳には行かない。
「別にお前はそこまで不自由じゃないだろ? 単にえり好みが激しいだけじゃないのか?」
『よっ……余計なお世話ですわ。そんな事をお兄様に言われる筋合いはありません』
 ツンとした口調で言う事は出来たが、私の心は穏やかでは無かった。
――酷いですわ。いくらわたくしの想いを分からないとは言え、そんな言い方をしなくたっ
て宜しいのに……
 だが、不満を口にすれば、余計にマズイ方向に話が進むだけの気がして、これ以上否定
する訳には行かなかった。

「さて。もういいだろ? そろそろ離すぞ」
 兄の言葉に、私は小さく頷いた。本当はいつまでもこうしていたかったが、場所も場所
だし、これ以上甘え続ける訳には行かなかった。
 兄が手を離すと、私は覚悟を決めてパッと離れた。恥ずかしさのあまり、平静を保つ事
が出来ずに私は兄を睨み付けて言った。
『きょ……今日だけですからね!! このようなことをするのは……』
 私の言葉に、兄がキョトンとした顔で私を見た。それから不思議そうにこう言った。
「何つーか、意味分からん。普通、それって俺が言うもんじゃないか?」
『え……? あ……』
 私は思わず言葉が出て来ずに口をパクパクさせた。確かに、慰めて貰った方がいう言葉
ではない。しかし、意固地な私は言葉を撤回させようとはせずに、何とか意味の繋がる言
葉にしようと、咄嗟にこう言ってしまった。
『お……お兄様に慰めてもらうような真似は金輪際致しませんとそういう意味ですわっ!!
た……多少は意味不明でしたけど、それくらい読み取って欲しいものですわね』
 言ってから自分でクラッと来てしまった。わざわざ自分から甘えフラグをボキボキと折っ
てしまうなんて。瞬時にして心の中が後悔で満たされたが、もう後の祭りだった。
「まあ別にいいけどね、俺は」
 兄の言葉が何だか酷く遠く、冷たく聞こえる。呆然とその場に立ち尽くした私に、兄が
何かを差し出した。
「ほれ。これ、頼む」
『は……? 何ですのこれは……?』
 半ば無意識に紙を受け取る。
「こないだこの店で注文した本の引き取り用紙。これをレジで出せば、本を出してくれる
から。それと、大した金額じゃねーから、ここはカードじゃなくて現金でいいぞ」
『あ……はい。分かりました…………ご主人様』
 ここからは兄に甘える兄ではなく、一日メイドに戻らなくてはならない。心の中がショッ
クで満たされていても、何とかそれだけは保つ事が出来た。

――せめて……言う事だけでも聞いて……お兄様の役に立たないと……
 兄の慰めを意味も無く突っ撥ねてしまった挽回は、メイドとしての仕事で取り返すしか
ない。私は頭を振った。落ち込んでばかりいても仕方が無い。
 私は、紙をギュッとしっかり握ってレジへと向かおうとした。と、その時背後から兄の
声が掛かった。
「理奈。忘れ物だぞ」
 何か忘れ物などあったかしら? そう疑問に思いつつ振り向くと、兄から一冊の雑誌を
差し出された。さっきまで私が抱えていたエロ雑誌だ。
『なっ……何ですのこれは!! どうしてこれが忘れ物になりますの!!』
 思わず怒鳴り散らすと、兄はイタズラっぽく笑って答えた。
「あれ? お前、これ買うから手に取ったんじゃないのか?」
 カーッと恥ずかしさでつま先から頭の先までが熱くなる。
『買うわけ無いでしょう!! このような下劣な本……失礼な事仰らないで下さい!!』
 猛然と怒鳴り散らしたが、兄は一向に答える気配が無く、差し出した本を引っ込める事
もせずに、逆にこう切り返してきた。
「買う買わないはお前の自由だけどさ。買わないならちゃんと元の場所に戻しておけよな」
 グッ、と私は言葉に詰まる。兄とすればからかっているだけなのは一目瞭然だが、私に
すれば、公衆の面前で恥を晒せと言われているに等しかった。しかし、兄の言っている事
は間違ってはいない。
『分かりましたわ。戻しておけばいいのでしょう。戻しておけば!!』
 半ば自棄気味に、私はエロ雑誌を兄の手から引っ手繰った。もう、周囲の目などどうで
もよく、私は雑誌を元の場所に戻した。
――酷過ぎますわ。こんな公共の場で、わたくしにこのような辱めを受けさせるなんて。
いくら、その……わたくしが手に取った本とはいえ、こっそりと戻しておいてくれてもよ
さそうなものですわ。なのに、わざわざ呼び止めてまで……
 そこで私はある可能性に思い当たる。
――もしかして……お兄様は……俗にいう、エエエ、Sという性格なのでは……
 そんなことはない、とは言い切れなかった。さっきからどうも、私は兄に嬲られている
ような気もする。

――もし……お兄様がそのような性癖なのだとしたら……む、無理ですわ。いくらわたく
しがお兄様の事をいかほどに愛していようとも……
 だが、さっきのSM本を見た時に思い描いた妄想がもう一度蘇って来る。
――もしかして……あれが……現実になったとしたら……
 体の内のどこかがゾクリとするような感覚を覚える。
――もし……お兄様が、本気でお望みになられたら……わたくし……
「理奈」
『ふぇっ!? なっ、何ですの!!』
 兄の声が私の考えを打ち破り、私は正気に返って兄の方に向き直った。
「何ですの?じゃねえ。何ボーッとしてんだ?」
 私は自分の淫らな妄想を見破られたのかと思い、慌てて必死になって否定する。
『違いますわよっ!! 誰もエッチなことなど、考えてはおりませんわっ!!』
 私の抗弁に、兄はキョトンとした顔をした。
「いや。誰もそんな事は一言も言ってないが」
『あ……』
 またしてもやってしまった。これでは逆に自分がエッチな妄想をしていましたと言わん
ばかりではないか。案の定、兄はそこを突いてくる。
「いきなりそんな事を言うなんて、もしかしてお前――」
『違いますわよっ!!』
 もはや、泣きそうな気分で私は必死に反論した。
『そういう雑誌の前でついボーッとしてしまったから、先に勘違いを正そうと思っただけ
ですわ!! 断じてわたくしは……そのような事…………』
「分かった分かった。もういいから」
 最後の方で声が震えてしまったのを、兄はまた私が泣くのと勘違いしたのか、必死で宥
めに掛かった。
「とにかく、レジ行って来い。俺もそんな風には思ってないから。な?」
『本当ですのね?』
 私が念を押すと、兄ははっきりと頷いてくれた。
「本当だ。だから安心しろ」
 真面目な顔で言う兄を、私は信用せざるを得ず、コクンと頷いた。

『か……かしこまりましたわ。ご主人様……』
 私は兄に小さくお辞儀をして、フラフラとする足取りでレジへと向かった。
――やっぱり、お兄様は優しいですわ。多少イタズラが過ぎるだけで……ええ。変な性癖
など持ち合わせているはずがありませんわ。
 そうやって、自分の考えを諌めつつも、しかしやはり、心のどこかではSな兄を求めて
いるらしく、私は時折妄想に陥りそうになってはそれを必死で振り払うのだった。
 無論、レジでの私の対応はグダグダだったのは言うまでも無かったのだが。


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