・ お嬢様な妹がメイドに挑戦してみたら その22
・ 買い物編 その9

『疲れましたわ……』
 本屋から出て、兄の車の助手席に乗り込むと、私はポツリと呟いた。それを兄が聞き咎める。
「このくらいで疲れててどうする。まだ全然途中だって言うのに」
『まだあるんですの?』
 思わず私はうんざりした口調で叫んでしまった。
「何だ? お前、不満なのか?」
『当たり前ですわ。このように引きずり回されて。不満を覚えない方がおかしいというものです』
 私は、さも当然と言った風に口を尖らせた。すると、反論するかと思っていた兄は、意
外なことを言い出した。
「疲れたなら、もう戻ってもいいぞ。タクシー拾ってやるから――」
『ダッ……ダメですわっ!! それだけは絶対に!!』
 私は咄嗟に兄の言葉を遮って叫んだ。連れて行かれる場所が不服なだけで、兄と一緒の
ドライブデートは大歓迎である。しかし、今は慌てて違う言い訳を探さなければならなかった。
『その……メッ、メイドとしての勤めですもの…… 途中で放り出したりして、瑛子に笑
われるわけにはいきませんわ』
「俺は一人の方が気楽なんだけどなー」
 兄がブツブツと呟く声が聞こえたが、意味までは聞き取れなかった。
『は? 何て仰いましたの?』
 私が聞き返すと、兄はぶっきらぼうに答える。
「いや。別に」
『別に、では分かりませんわ。言いたいことがあるなら、はっきりと仰っていただいて結
構ですわよ』
 そう言って兄に詰め寄ったが、兄はチラリと私の顔を見ただけで、また前に向き直って
答える。
「何でもない。独り言だから気にするな」
 そう言って口を閉ざしてしまった。
――独り言だからこそ、余計に気になりますのに……
 だが、兄は頑固だから言わないとなったら絶対に言ってくれないだろう。だから私はこ
れ以上聞きだそうとするのは諦めざるを得なかった。
『で、これからどちらに向かいますの?』
 仕方なしに話題を変えて兄に聞くと、兄はちょっと考え込むように答える。
「んー……そうだな。とりあえず、靴屋に行って、それから……中古のCD屋に寄るかな。
もう新品じゃ売ってないので、探してる奴があるから……」
 まだそんなに寄るのか。兄の好みの店ばかりだと、ちっとも私のことを相手にしてくれ
ないから、一緒に出かけても面白くも何とも無い。せっかくの一緒のお出かけなのだから、
もう少しロマンチック感のある所に行きたいものだ。
 と、そこで私はある提案を思いついた。即、それを言葉に出す。
『ご主人様』
「ん? 何だ?」
 私は逸る心を抑えつつ、冷静さを装って言った。
『その……す、少し休憩になさいませんこと? ま……まだ、お昼も召し上がっておられ
ませんし、どこか、軽く食事出来るところに行った方がよろしいかと思いますけど』
 我ながら実にいい考えだと自画自賛する思いだった。これなら、実に自然にデートとし
ての雰囲気を味わえるし、ちょうど小腹が空いてきた事もあったので、一石二鳥である。
 しかし、その得意な気分は、兄の一言で物の見事に粉砕された。
「今日、朝が遅かったからなあ。別に昼飯食いたい気分じゃないんだよな」
 私はちょっとイラッと来た。この私がせっかく誘っているというのに、いかにも兄は気
が乗らない素振りである。だが、ここで引き下がる訳にはいかない。何としても、兄と食
事をする方向に持ってゆかねば。
『ご主人様。メイドとして忠告致しますけど、三食きちんと食事をお摂りにならないと、
体に良くありませんわよ』
 苛立ちを抑えつつ、自信を持ってそう言うと、兄は小さく舌打ちした。
「ちぇっ。理奈にしてはまともな事いうじゃねーか」
『どういう意味ですのご主人様っ!! わたくしはいつもまともな発言をしておりますわ。
失礼にも程があります!!』
 思わず顔を真っ赤にして怒ってしまった。ちなみに、さっきの言葉は美衣がよく私に言
う事をそのまま真似ただけである。だからこそ、普段の自分の言動が全てまともではない
と言われているようで、余計に腹が立った訳だが。
『とにかく。どこかで昼食を摂らない事には、このまま買い物を続けるわけにはまいりま
せん。いいですわね?』
 この件では折れるつもりなどない私は、キッパリとした口調で言った。兄はチラリと横
目で私を見て言った。
「なあ。お前は腹、減ってんのか?」
 兄の質問の意図が良く分からなかったが、私は言われるがままに答えた。
『べ、別に……それほどでもありませんけど、それが何か?』
「いや。お前も減ってないんだったら、別にもうちょっと後でも良くないか?」
 どうやら私は、うかうかと口車に乗ってしまったらしい。全く、私はただ、せっかくの
兄との外出に、少しでもデート気分を楽しみたいと思っているのに、兄はちっともわかっ
てくれてないようだ。口に出す訳にはいかないが、かなり悲しい。
『わたくしはわたくし。ご主人様はご主人様ですわ。わたくしもちゃんと食事は摂りますから』
「どうしてもか?」
 兄の言葉に、私は強く頷いた。
『どうしてもですわ。もしご主人様が言う事を聞かないというのなら、わたくしももう、
ご主人様の言う事は聞きません』
 兄は私をちらりと一瞥し、諦めたようにため息をついた。
「分かった。行くか。ま、場所は俺に任せろよ」
『かしこまりましたわ。ご主人様のエスコート、楽しみにしております』
 ようやく兄を屈服させた私は、浮き浮きした気分で答えたのだった。


 果たして、どんなお店に連れて行って貰えるのだろう。車の中で、私はその事ばかりを
考えていた。
――フレンチかしら? それとも……イタリアン? 中華料理なんてのも……宜しいです
わよね。フカヒレのスープだとか……高級食材をふんだんに使った炒飯なんてのもいいで
すわ。でも、やっぱり洋食の方がいいかしら……?
 いっそリクエストしようかと思って兄の方をチラリと見るが、運転に集中して前を見て
いるので、さすがに声をかけるのは憚られた。
――まあ、お兄様の事ですもの。社会に出ておられるのですから、きっと素敵なお店をた
くさんご存知のはず。わたくしがいちいち言って却って機嫌を損ねてもマズイですものね。
ああ……でも、楽しみですわ……
 そう考えると、不思議と空腹感を覚えてくるもので、私ははしたなくもお腹がなってし
まうことの無いよう、気をつけねばならないくらいだった。
 だが、その期待は物の見事に裏切られた。
「よし。あそこでいいか」
『えっ? もう着きましたの?』
 私は驚いてキョロキョロと周囲の景色を見回した。広い国道沿いには、郊外型の広い駐
車場のある店が並んでいるが、とてもこんな場所に高級なレストランなど見当たらない。
それどころか、一般的なファミリーレストランすらも無かった。
『一体、どこにお店などあると言いますの? わたくしには分かりませんわ』
 兄に問い質すと、ちょうど信号待ちで車を止めていた兄は、ハンドルから手を離して
指で指し示した。
「ほれ。あそこだ」
 私は、兄の指差す方向を視線で追った。何やら、テレビ等でよく見るデザインされた黄
色いmの看板が見える。
『ごっ……ご主人様。まさか……あそこに?』
「そうだけど。何か文句でもあるのか?」
 大ありである。
『冗談ではありませんわ。何でわたくしがあのような庶民くさい低価格のファーストフー
ドで食事などしなければなりませんの?』
 さっきまであれだけ期待していたというのに、この仕打ちに私は絶望した。せっかくの
お出かけにハンバーガーが昼食など、空気読めなさすぎもいい所だ。
「お互い、そんなに腹減ってないんなら軽い物でいいだろって思ったんだが。それともお
前、マック嫌いか?」
『嫌いも何も、食べた事すらありませんわ。そもそもわたくしがあのような貧乏くさい物
を食する理由がありませんもの』
 それを聞くと、兄はニヤリと笑った。
「はーん」
『な……何ですの?』
「なら、決まりな。一度くらいお前も、ファーストフードの味を経験しとくのも悪くないぞ」
 どうやら、私の言葉は薮蛇になってしまったらしい。
『ちょっとご主人様!! ほ、本気ですの?』
 私が詰め寄らんばかりに聞くと、兄は深く頷いた。
「ああ。どのみち社会勉強を兼ねての外出だったはずだし、ちょうどいいだろ」
 兄は、駐車場に入るためのウインカーを出した。
『冗談ではありませんわ。そもそもこんな所では社会勉強にも何もなりません。大体、こ
んなメイド服で入っては目立って仕方ありませんわ。今からでもお考え直し下さい』
 しかし、兄は全く聞く耳を持ってはくれなかった。
「お前の言う庶民の暮らしってのを知るのが勉強だ。それに、服屋でも本屋でもさんざん
騒いで目立ってたお前が言うな。まあ、もう昼時は過ぎたし、この駐車場の車を見ても、
そんなには客はいないだろうから安心しろ」
 そういう事ではないのに。せっかくの二人っきりでのお茶とお食事を楽しめるかと思っ
たのに。だが、それを口に出す事は出来ない。これ以上、反対する理由を見つけることが
出来ず、私はうーっ、と小さく唸る事しか出来なかった。兄は私を無視してさっさと車を
止めてしまう。
「さ、降りた降りた。まあ、そう不満そうな顔をするなって。俺は結構好きだし、お前も
食ってみたら口に合うかもしれないだろ。何事も経験だって」
『こんな経験などする必要ないですわっ!! ご主人様の勧めですから仕方なくここで我
慢致しますけど、わたくしは絶対、納得などしませんからねっ!!』
 私は吐き捨てるように言うと、憤然と車から降りたのだった。


『いらっしゃいませー』
 店に入ると、店員の元気の良い声が出迎えた。私は店内をキョロキョロと見回す。カラ
フルでおしゃれにデザインされてはいるが、作りは粗末極まりないテーブルと椅子が並ぶ
店内にため息が出る。
「理奈」
 入り口で立ったままの私を兄が突いた。
『何ですの? 今、せめてご主人様の格に相応しい席を探している最中だというのに、邪
魔しないで頂けます?』
「そんなのどうでもいい。つか、多分初めてで知らないだろうから言うけど、こういう店
では正面のカウンターで先にメニューを注文するんだ」
 得意げに説明する兄に、私は酷く腹が立った。
『それくらい、わたくしでも知っておりますわ。バカにしないで頂けます?』
 いくら私が世間知らずとはいえ、そんな事まで知らないと思われていたとは。兄は私を
どれだけバカだと思っているのか。
「そうか? お前の事だからてっきり知らないとばかり思っていたがな」
 兄の意外そうな口ぶりが、私の苛立ちに拍車を掛けた。
『わたくしだって、お友達付き合いとかありますもの。スタバくらいには行った事があり
ますわ。ご主人様が思われるほど世間知らずではありません。バカにしないでいただけま
せんこと?』
 そう言って私は胸を張った。何となく、兄を少しでもやり込めたような気分でちょっと
得意になっていた。まあ、実際は全然大したことではないのだが。
「そっか。なら、安心して任せられるな。俺はナゲットのセットでドリンクはホットで。
お前は好きに注文していいぞ」
 兄はそう言うと、さっさと自分から適当な席へと向かってしまった。
『あ、ちょっと!! ご主人様!!』
 こういう時、恋人同士とかなら二人仲良く注文を取ったりしないのだろうか? いや。
私は確かに使用人なのだが、ただの使用人ではないのだから、そういう気配りくらいして
くれたっていいのにと思う。それとも、メニューの取り方とかも知らないフリをした方が
良かったのだろうか?
――いいえ。ダメですわ。確かにお兄様が傍に付いていて下さるかも知れませんけど、そ
れでは小学生に付き添う親のような関係でしかありませんもの。
『お客様。宜しければこちらへどうぞ』
 ボーッと立ち尽くしている私に、店員が声を掛けた。
『今まいりますわよ。急かさないで頂けません?』
 私の鋭い視線に、店員は困ったような顔で頭を下げた。
『あ、も、申し訳ありません』
『全くもう……』
 ブツブツ言いながら、私はカウンターの上のメニューを見た。見た目はいかにも美味し
そうに写してあるが、現物は大したことないのだろう。ならば、せめて一番豪華な物を注
文しよう。
『いいですわ。この店で一番高い物をお出しなさい』
『えっ!? た……高い物、ですか?』
 店員が戸惑った声を出した。ちょっと困ったようにメニューを見る。
『そうですわ。一番高くて豪華なものが良いですわ。わたくしは良く分かりませんから、
貴女がお選びなさい』
『わっ……私がですかぁ?』
 ますます困ったような顔になる店員に、私は厳しい視線を送った。
『ええ。さっさとなさい』
『ええと……それじゃあ、これなんかは……』
 店員が指差したのは、段重ねになったハンバーガーだった。確かに他の物と比べると、
具も豊富に詰め込んである。いかにもチープな店が形だけ豪華にしてみました感が満載だ
が、確かに自分の目にもこれ以上に豪華そうな物は見当たらない。
『それが一番、この店で高級な物ですの?』
 私が聞くと、店員は少しだけ笑顔を浮かべて答える。
『は、はい……多分。それに、今週新発売したばかりで、期間限定ですし、そういった意
味でも、私としては、これが一番お勧めかと思いますけどぉ……』
『分かりましたわ。ではそれを一つ。あとは、このサラダディッシュとフライドポテトと、
ドリンクは……そうですわね。アップルティーで。デザートにミックスベリーヨーグルト
を付けて貰えます?』
『あ、はい……かしこまりました』
『ああ。それと、あと、このナゲットのセットを一つお願いできます?』
『あ、はい。かしこまりました』
 ようやく店員に笑顔が戻り、今度は私も順調に会計を済ませる事が出来た。しかし、こ
ういうアメリカ式と言うのだろうか。カウンターでメニューを注文し、出来上がるまで待
つスタイルは私にはどうしても馴染めなかった。やはり、キチンと店員が席まで案内し、
メニューを聞いて、きちんと席まで料理を運んでこそのサービスではないだろうか。今日
は、兄の選択ゆえ、渋々この店に入ったが、自分では絶対に寄りたくない類の店である。
『お待たせ致しました』
 目の前に出されたハンバーガーを見て、私は一瞬凍りついた。何とゴテゴテとした、ボ
リューム感だけはたっぷりなハンバーガーなのだろうか。正直、こんなものを全部食べた
ら、間違いなくカロリーオーバーになるに決まっている。
 だが、今更注文キャンセルという訳にも行かなかった。私はトレイを両手で持つと、仕
方無しに兄の待つ席へと向かった。
――そうですわ。お兄様の食べて貰えば宜しいではありませんの。きっとお兄様は空腹感
を感じてらっしゃらないだけで、食べようと思えば食べられない事はありませんわ。それ
に、わたくしの食べたものを食べるって事は……か、間接キスって事に……
 何だか想像すると、その光景は結構良いものに思えてくる。サラダにしても仲良く二人
で分け合うのは、何か恋人同士みたいで良さ気である。
 だが、現実はそう上手く行くものではなかった。


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