・お嬢な妹がメイドに挑戦してみたら その7
・兄に料理を作ってあげたら色々欠点を指摘された挙句、兄に料理を習う羽目になったツンデレ(その4)

『きゃあっ!? ちょちょちょちょちょ、ちょっと!! なっ……何をなさいますのっ!?』
 突然の事に驚き戸惑って、私は身じろぎした。しかし兄は冷静に私の動きを押さえたまま、耳元で小さく言った。
「落ち着け。包丁持ったまま暴れると怪我するぞ」
 ハッとその事に気付いて私は体の動きを止めた。すると、兄は続けて言った。
「俺が口下手なのか、どうも理解してもらえないらしいからな。体で覚えてもらう事にした」
『かっ……かかかかか、体で……?』
 その言葉からすぐに卑猥な事を想像してしまう私はおかしいのだろうか? もっとも、これは料理の事なのだ、とすぐに自分に言い聞かせる。
「そう。まずは左手の形からな」
 兄は左手首を掴んだまま、私の体の前に誘導すると、右手で包み込むように形を作ってくれる。
――お……お兄様に、手を握られてしまいましたわ…… それも背後から抱き締められるようになんて……
 実際には抱き締められている訳ではなく、兄と私の体の間には僅かに隙間がある。しかし、全身を包み込まれるような感覚に襲われて私は頭がクラクラした。
 兄がしゃべるたびに耳に息が掛かり、私は背筋がゾクゾクした。
――ハア……お、お兄様の息が…… そ、それにこの体勢……ほんの僅かでも体を動かせば、お兄様と触れてしまいますわ……
「で、包丁はこう構えて……聞いてるか? 今から野菜を切るぞ」
『え……あ、はい……』
 力の抜けた声で答えると、兄は私の手を導いていき、それに合わせて私は野菜を切る。
ザクッ、ザクッとゆっくりとしかし丁寧に野菜が刻まれていく。
――熱いですわ、全身が……
 心臓はドクドクと激しく脈を打って熱い血液を全身に送り続ける。兄の息を、体温を感じ取って全身が痺れに似た感覚を覚え、体に力が入らなかった。そのせいで私は、ほぼ兄の為すがままになっていた。

――もう……ずっとこのままで……このままでいいですわ……
 だが、至福の時間はあっさりと終了を迎えてしまった。
「ほれ。簡単だろ? じゃあ今度は自分一人でやってみろよ」
 名残を惜しむ間もなく、兄はパッと体を離してしまった。
――そんな……たったこれだけで終わりなんて。もっと、ずっと……お兄様とくっ付いていたかったのに……
 その想いに負けて、私はつい、言ってしまった。
『ご、ご主人様。その……い、いまいち、まだ……コツが飲み込めませんわ……』
「まだ? これだけやれば十分だろ? つーか、今度はその動きを反芻して自分でやらないと、いつまでも補助付じゃあ上手くなれないぞ」
 その物言いが、いかにも出来の悪い生徒に教えているように聞こえたので、私はムッとして反論する。
『ご主人様の……その……教え方が悪いんですのよ。もっとキチンと教えてくださらないと……ですから、その……も、もう一回……』
 カアッと体の熱がその温度を増す。最後の方はもう恥ずかしくて言葉にならなかった。
しかし、私がこんなにも恥ずかしい思いをしていると言うのに、兄はといえばいかにも平然とした態度で、半ば呆れたように答えた。
「仕方ないなあ。全く、理奈がこんなに甘えん坊だとは思わなかったぞ」
『だっ……!! 誰が甘えたと言うのですっ!! 誰が!!』
 真っ赤になって怒鳴り返したが、兄は全く堪えない様子でむしろ面白そうに私を見ていた。
「だって、手取り足取り教えて欲しいんだろ? これが甘えてるって言うんじゃなくてどう言うんだ?」
『甘えているわけでも教えて欲しいわけではありませんわっ!! ただ、こんなちゅ、中途半端な教え方じゃあその……かっ、却って怪我してしまうかも知れないから……だっ、だから、その……責任持って最後までやるのが当然だからですわ……』
「中途半端って……むしろやり過ぎな感もあるくらいだけどな。普通ならここまでしなくても出来るぞ」
『それは、ご主人様の教え方が下手くそなせいですわ』
 すると、兄は急に酷く真面目な顔つきで私をジッと見つめた。

「なあ」
『な……何ですの?』
 兄の態度の変わり方に、急に不安が取って代わった。
「それって……人に物を頼む時の態度かな?」
『え? あ…………』
 言い過ぎてしまった。本当は、兄の言う通り、ただ甘えたいだけだったのに、それを隠そうとして酷い事を言ってしまった。後悔の念が心に満ちる。
「きちんとした態度でお願い出来ないなら、俺はもうお前に教えるの止めるぞ」
『ちょ……!! 待って!!』
 兄がエプロンを外そうとしたので、私は慌てて兄を止めた。このままでは料理だけではない。せっかく兄の為にいろいろと尽くそうと思ってメイドの格好までしたのに、その全てが台無しになってしまう。
「どうした? 俺の教え方が悪いんだろ? だったらコック長とかにお願いしたほうが余程上手に教えてもらえるぞ。まあ、彼は気難しいからな。お前の態度で教えて貰えるかどうかは分からんが」
『その……き、きちんとお願いすれば宜しいのでしょう? し……仕方ありませんわ。こんな中途半端で……あ、いえ。ご主人様の教え方の事ではなくて、わたくしの覚え方のことですけど……な、投げ出されたら困りますから……』
 モジモジと恥ずかしそうに言い訳をする私を、兄はジッと見据えたまま聞いてきた。
「で? まだ俺に教えて欲しいのか?」
『はい。お……お願いします…… わたくしの体に……ちゃんと教え込んで……ください……』
 口に出した後で、急にまた、恥ずかしさが全身を襲う。真っ赤になって小さくなる私を見て、兄はクスリと小さく笑った。
「何か、今の言葉、ちょっとエッチっぽくね?」
『え――!?』
 兄は何を言っているんだろう? そう思って自分の言葉を反芻してみる。
――私の体に……教え込んで……
『あ……』
 それに気付いた時、既に熱くなっていた体がさらに熱を帯びた。

『いっ……いやあああああっっっっ!!!! な、何を言い出しますの、ご主人様のバカッ!! 痴漢、変態っ!! な、何もそんな変な意味で言ったのではありませんわっ!!』
「分かってるよ。ちょっとした冗談だって。ただ、何となくそういう意味にも取れるよなあって思ったからさ」
『冗談では済まされませんわ!! セクハラです、そんなの!! それに大体、そんな事をすぐに思いつくこと自体が、スケベだっていう証拠ですわ』
「男はみんなそういう物なんだよ」
 さも当然、といった感じで兄は頷いた。
『そんなの、ごっ……ご主人様だけが特別なだけですわ。全く、我が別府家の次期当主ともあろう方がそんな事ばかりお考えでは、将来が思いやられますわよ』
 真っ赤な顔で怒る私を見て、兄はクスクスと笑った。
『何がおかしいんですの? わたくしは真面目に話をしている訳であって……』
「いや。ようやく普段の理奈っぽくなったかな、って思って。さっきはちょっと空気を重くし過ぎちゃったからな」
 その言葉で私は、兄が場の空気をほぐす為に、わざわざあんなエッチな冗談を言ったのだと気付いた。
『だっ……だからといって、その……わたくしの言葉をわざわざあんな風に考える事はないでしょう? いくらなんでも、し、失礼ですわ』
 散々文句を言っておいて今更兄の意図に気付いたからといってそれを翻すわけにもいかず、私は更に不満を述べたが、もはや声に力は無かった。
「まあ、スマンスマン。でも、理奈も元気が出たようだしな。で? こんな俺でもまだ手取り足取り教えて欲しいのか?」
 意地悪にもそう聞かれて、私はうう〜、と唸ってから顔を俯かせて答えた。
『し……仕方ないじゃありませんの。ご主人様に、お、教えて頂くしかないんですから。 その代わり、へ、変な事したら容赦なく包丁で突き刺しますからね!!』
「安心しろよ。刃物持ってる時は絶対におかしなことはしないから。そんな事よりお前こそボーッとすんなよ? さっきも結構危なっかしかったからな」
『わ、分かってますわよ!! ほら。さっさと始めますわよ!!』
 もう一度、キッチンの前に立つと、兄がすぐ背後に立つのが気配で感じられた。再び、さっきと同じように心臓がトクトクと鼓動を打ち始める。

『こ、こうで宜しいんですわよね』
 包丁を構える。敢えて左手を違う形にしてみた。
「違うって。さっきも言ったろ?」
 そう注意しながら、予想通り兄は私の手を握って形を作ってくれる。背筋にゾクゾクした感覚が走るが、さっきのような驚きが無い分、嬉しさ半分、恥ずかしさ半分の気持ちである。
『わ……分かってますわよ、そんな事くらい』
「分かってないじゃん。ったく……意外と物覚えが悪いんだからな」
『そんなことありませんわよっ!!』
 そんな会話を繰り返しながら、結局私は、包丁を扱っている間中後ろから兄に支えてもらってしまったのだった。

 その後は特に記すべき事もなく、私は兄の言うがままにあれをやりこれをやりと目まぐるしく動いているうちに、いつの間にか立派な朝食が出来上がっていた。
「ほれ。これでようやく完成だな」
 食卓に全て並べ終えて、ようやく兄がやれやれと言った感じで呟く。
『まあ、その……わたくしが本気になればこのくらい、造作も無い事ですわ』
 胸を張って私が言うと、兄はジロリと疑わしげな目線を向ける。
「よく言うぜ。俺が手取り足取りいろいろと教えてやったからこそだろうが」
『そ、それはその……初めてでしたし、知識そのものが無かったのだから仕方ないでしょう? このくらい、覚えさえすればなんてことありませんわ』
 悔し紛れの強がりに兄は無言で肩を竦めると、椅子を手で叩いて私を促した。
「とにかく食おうぜ。朝っつーか、もう半分以上昼飯だけどな」
 私と兄は向かい合って食卓についた。兄とこうやって二人だけで食事をすること自体は珍しい事ではない。が、目の前に並んでいるのが自分で作った料理だと思うと、感慨もまたひとしおだった。
――今度こそ……おいしいって、言ってくださるかしら……
 ドキドキしながら兄が料理を口に運ぶのを見守っていたが、兄は一向にその気配を見せなかった。
『どうなさいましたの? 早くお食べになられたらいかがですの?』
「ああ。それよりお前は食わんのか?」

『わ……わたくしなんかより、ご主人様こそ、先にお食べになってください』
 そう勧めたが、兄は食事を始める気配を見せなかった。
「せっかく自分が作った料理なんだし、まずは自分から味見してみろって」
『ご主人様……もしかして、わたくしの料理の味が、信頼出来ないとでも?』
 不安になって聞いてみたが、兄は首を小さく横に振ってそれを否定した。
「いや。お前が作ったって言っても、完全に俺の言う通りに作っただけだから、味の方は心配していないよ」
『なら、どうしてお食べになりませんの?』
「まずはお前の感想を聞きたいと思ってさ。お前が一人で作ったのと、俺が教えて作ったので、どのくらい変わったのか」
 どうやら兄は兄で、私の感想を聞きたかったらしい。そう言われるとそれ以上兄に先に勧める訳にも行かず、私はスープを一口、啜った。
「どうだ?」
『…………美味しい……ですわ……』
 私は素直に感想を口にした。いや。味自体は美味しいものを食べ慣れた舌には特別なものには感じられないはずである。しかし、兄と私の共同作業で作った料理だと意識したせいか、とても新鮮なものに感じられた。
「だろ? どうだ。俺が教えれば随分と美味しくなるだろ?」
 それはその通りだが、そう言われてしまうと、捻くれた私の性格では反発したくなってしまう。
『こ、これくらいの料理で鼻を高くされても困りますわ。実際、やり方さえ分かれば、大したことなかったではありませんの』
「その、これくらいの料理、すらキチンと作れなかったのはどこの誰だっけ」
 あっさりと反撃されてしまい、私は苦い顔で兄を睨んだ。
『フン。今後はもう、二度とあんな失敗は致しませんわよ』
 すると、兄はニヤニヤと笑って私に言った。
「ほう。さっきの料理は失敗だったと認めるんだな?」
『それはその……こうやって比較されてしまえば、し、仕方ありませんわ。知らずに作ったとはいえ、食べるには値しないものでしたから……』
 さすがに強気な私でも、さっきのあれが失敗作であったことは認めざるを得なかった。

「なら、さっきの約束。ちゃんと果たしてもらおうか」
『約束? 何のことですの?』
「とぼけるなよ。自分が悪いって認めたら、素直に謝るって言っただろ?」
『あ……』
 兄に言われるまで、私はその事をすっかり忘れていた。兄に料理を教わり、且つ上手に料理が出来た喜びで頭が一杯で、記憶のどこかに仕舞い込んでしまっていたらしい。
「まあ土下座しろとは言わんから。両手を前で組んで、しっかり頭を下げて謝罪してくれればな」
『分かっておりますわよ、そんな事くらい。約束してしまったものは仕方ありませんもの。きちんと謝罪させていただきますわ』
 私は席を立つと、兄の前に立った。悔しさはあったが、ここで謝罪しなければ兄に嫌われてしまうかもしれない。その想いが私の屈辱感を上回った。
『も……申し訳ありませんでした、ご主人様…… 次回からは、キチンとしたお料理をお出し致しますから……お、お許しくださいませ……』
 精一杯の謝罪の言葉を口に出すと、頭を深々と下げた。恥ずかしさで頭を上げることが出来なかった。
 と、私の頭に兄がポン、と手を置いた。
「よしよし。ちゃんと謝ったな。偉いぞ、理奈」
 子供を諭すような口調で褒めながら、私の頭をくしゃくしゃと撫で回した。
『ちょ……ちょっと!! お止めください!!』
 身をよじって兄の手から頭をどかすと、私は頭を上げて髪を手で梳いた。
「何だ。理奈は頭撫でられるの、嫌いか?」
『当たり前ですわっ!!』
 それだけ叫ぶと、私はクルリと後ろを向いた。
『わたくしを幾つだと思ってますの? こっ……子供じゃあるまいし、そんな事で喜ぶはずないでしょう。全く……ふざけるのもいい加減にして下さい』
「そうか。悪い悪い。何かお前が頭下げてるのを目の前にしたら、ついやりたくなっちゃって。今度から自粛するわ」
『勘弁してください……もう……』
――そんなことされたら、う、嬉しすぎて、みっともない顔になってしまうじゃありませんの……
 そう思いながら、私は兄に背を向けたまま懸命に、緩む頬を抑えようと努力するのだった。


前へ  / トップへ  / 次へ inserted by FC2 system