・お嬢な妹がメイドに挑戦してみたら その8
・ ツンデレ妹メイドが男の部屋を掃除したら

『さて。次は何をすれば宜しいのかしら?』
 兄の監視の下、食器洗いまでしっかり終えると私は瑛子を呼び付けて聞いた。彼女にあれこれと教えを請うのは癪であるが、普段兄の世話をしているのは彼女なのだから仕方がない。
『ええ〜とぉ。そうですねぇ…… 本当はお洗濯をして貰おうと思ったんですけれどぉ。お料理の方があまりにも遅いので、私が先にやっちゃいました』
『それは嫌味ですの?』
 料理に関しては、偉そうな口を叩いていた割には散々な結果だったりしたので、私はカチンと来て聞いた。すると、彼女は大慌てで首と手をブンブンと振って否定した。
『いいええ。貴志様とお二人で仲良くお料理してらしたんでしょう? それじゃあ時間も掛かりますよ。それにしても羨ましいですぅ。私なんて、6年もメイドやっているのに、一度もそんな栄誉に預かった事なんてないのに……』
『べ、別にこんなの、栄誉でも何でもありませんし、仲良くと言うのも間違いですわっ!! お兄様が教えると言い張るから仕方なしに教えてもらっただけで、別に一人でやろうと思えば出来ましたわ』
 あんな酷い失敗作を作ったなんて知られたら、メイド達に対する私の威厳が下がってしまう。そう思ってごまかそうとしたが、瑛子は疑わしそうな視線を向けて言った。
『そうですかぁ? 理奈ちゃんの失敗作、私たちで後片付けしたんですよ。スープの匂いとか、サラダの出来映えを見たら、とても人間の食するものとは思えなかったんですけどぉ……』
『やかましいですわっ!! 6年経っても料理の一つ覚えられない貴女に言われる筋合いはありませんわっ!!』
『はっ、はいいいいい…… ももも、申し訳ございませんですぅ……』
 一喝すると瑛子は急に畏まってペコペコと何度も頭を下げた。
――危ないところでしたわ。全く、瑛子が料理がど下手だったから、何とか威厳を保てましたけど……これが美衣だったら何とも言い様がありませんもの。まあ、彼女は瑛子と違って態度を弁えてますから、あんな風に主人を蔑むような言い方はしないでしょうけれど……
『全く……くだらない事を言っている暇がありましたら、とっとと次の仕事を指示なさい。今日という日は限られているのですから、時間がもったいないですわ』
『はぁ…… それではですねぇ……次は、貴志様のお部屋のお掃除をしましょうか』

 来た、と私は心の中でグッと拳を握り締めた。普段はなかなか入ることのない兄の部屋。兄がいる時に用事を作って入ることはあっても、兄のいない時に入った事は一度足りともない。というか、留守の時はキチンと鍵を掛けてあるので、妹とは言えども勝手に入ることは出来ない聖域。その中に、ついに足を踏み入れると思うと、私は胸の高鳴りを抑え切れなかった。
『理奈ちゃんはぁ…… 普段お掃除などされた事がないでしょうから、私が手取り足取り教えて――』
『必要ありませんわ』
 何故か楽しそうな瑛子に、私はピシャリと言った。
『え……でも、そんな事言って、お掃除の仕方なんてお分かりになるんですかぁ? またお料理の二の舞になっても知りませんよぉ』
『お黙りなさいっ!! コレくらいの事ならば一人でも十分に出来ますわ。むしろ貴女はいた方が邪魔です。いいから他の仕事をなさい』
『私の方が先輩なのに……』
『何かおっしゃいまして?』
『い……いいええ。何でもありませんよぉ……シクシク……』
 ジロリと睨みつけると、ビクッと体を竦ませて瑛子は怯えた様子で縮こまった。私などより遥かに年上だというのに情けない、と私は呆れた思いで彼女を見据えた。これなら、私付きの美衣や他のメイドたちの方が余程しっかりしている。
『とにかく、もう貴女はいいわ。掃除が終わったらお呼びしますから、お兄様のお部屋からとっとと退散なさい。いいですわね?』
『わかりましたよぉ……ううう……貴志様からは、しっかり理奈ちゃんの面倒を見るように仰せつかっていると言うのに……でも、ゴメンなさい。私、あの視線には耐えられないですぅ……』
『何かおっしゃいまして?』
『いっ!! いえ、その……何でもありません!! とりあえずその……困った時はすぐにインターフォンで私を呼んでくださいね。別室で待機してますから。あと、基本的な事は全部、私の作ったメイドさんガイドブックに書いておきましたから、よく読めばお掃除は簡単に出来るはずですから』

『いちいち心配しなくても結構ですわっ!! いつまでも貴女にここにいられては時間の 無駄です。ほら、早く』
 私はグズグズとしていつまでも立ち去ろうとしない瑛子の背中を押して、入り口の方へ と追いやった。
『わ、分かりましたから、背中押さないでくださいってばぁ!! きゃあっ!!』
 最後にドンッ、っと強く押して彼女を部屋から追い出すと、私はドアに鍵を掛けた。
『ふう……やっと邪魔者は消え去りましたわね。誰もいないお兄様のお部屋……お兄様の 秘密が満載な……ゴクリ』
 思わず生唾を飲み込んでから、私はハッと我に返った。
『い……いけませんわ。わたくしとあろう者がはしたない…… お兄様に褒めて頂けるよ うにしっかりとお掃除しなければ……』
 手元のメモをパラパラとめくり、掃除の項を探し出す。
『えーっと、まずはベッドメイキングをしてお布団を干す。ちょっと時間が遅くなりまし たけど、お天気がいいですから大丈夫ですわよね。では、早速……』
 私は兄のベッドに前に立った。布団はさっき起きた時のまま、グシャグシャに乱れている。 『全くもう……お兄様ときたら…… メイドとはいえ、他人に扱わせるのですから、もう 少しキチンと整えて欲しいものですわ』
 掛け布団を持ち上げようとして、私は動きを止めた。
――お兄様の温もり……まだ残っているのかしら……?
 掛け布団から手を離し、そっと手を敷き布団の上に這わせてみる。残念な事に、起きて から既に時間が経っていて、布団の上に温もりは感じられなかった。
――で、でも……もしかしたら匂いなら……
 私は胸を高鳴らせて顔をシーツへと埋めようとして、ハッと我に返った。
『いっ……いけませんわ。わたくしともあろう者が、たかがお兄様程度の男の匂いを嗅ご うなどとはしたない事を……たとえ、誰も見ていなかったとしてもそんな事は……そんな ……事……』
 しかし、目の前のベッドに視線を戻し、乱れたままの布団やシーツに目をやると、再び 身体の内にムラムラとした感情が湧き上がって来るのを私は抑えられなかった。

――お兄様……先程まで、お兄様の全身がこの上に……
 そっとシーツの上に手を這わせ、シーツ全体をなぞるように触る。顔を近づけ、静かに 私は匂いを嗅いだ。
――お兄様の……男の匂い……
 匂いそのものはほとんど感じる事は出来なかった。しかし、この空気を嗅いだというだ けでも私は十分に幸せを満喫することが出来た。そしてそのまま上半身をベッドへと預け る。頬にシーツの感触が伝わった。
――気持ちいいですわ……お兄様のベッド…… このままシーツを洗濯に出してしまうの は……惜しくてしょうがないですわ……このままにしておければ、わたくしの匂いも…… なんて……
 ふと、目を開けると、視線の先に兄の枕があった。私はごく自然に手を伸ばして枕を掴 むと、自分の方へと引き寄せる。
――毎日、お兄様が頭を乗せている枕ですわ……きっとこれにもお兄様の匂いが……
 ポフッ、と枕に顔を埋めてみる。
――万が一涎など垂らしていたとしたら……これはその……間接キスという事に……ハアア……
 一瞬、舌を出してみようかという情動は、さすがに理性が思い留まらせた。今は顔中で 兄の事を感じ取れる。それだけで満足だった。
 いつの間にか全身をベッドに預けて横たわり、たっぷり30分はゴロゴロしてからようや く私は、夢うつつから覚めるようにぼんやりと本来の役目を思い出し始めた。
――そうですわ……名残惜しいですけど……そろそろ、お部屋のお掃除を始めなければ……
 ゆっくりと目を開けると、ふと、ベッド脇に一冊の雑誌が落ちているのが目に留まった。 ――何ですの、これは……? 週刊誌?
 ベッドに寝転がりながら読んででもいたのだろうか? ほったらかしとはだらしのない。 まあ、そこがいい所でもあるんだけれど、と付け加えつつ、私はその雑誌を手に取って何 の気なしにパラパラとめくった。
『なっ……何ですのっ!! この雑誌は!!
 中身を見た私は、その内容に驚いて思わずガバッと体を起こした。パラパラとページを めくる。
『お兄様ときたら……こ、こんな破廉恥な雑誌を……』
 わなわなと手が震え、私は雑誌を床に取り落とした。

『こ、こうしてはおれませんわ。こんな雑誌をお部屋に放置したままにしておくと言う事 は、きっとまだまだもっと凄いモノがどこかに隠してあるはず。何としても探し出して処 分しなければ……』
 もはや私は、掃除の事とかそんなことは一切念頭から消去していた。
『お兄様!! このような不浄な雑誌は別府家の当主には相応しくありません。お兄様は 必ず、理奈の手で更生して差し上げますわっ!!』
 決意を胸に、私は兄の部屋のクローゼットの扉を開けた。

〜閑話休題〜

『いいんですか? 瑛子先輩。こんな時間にお茶なんてしてて』
 メイドさん専用の控え室で、仕事の合間に目薬を差しに来た美衣に指摘された瑛子は、 口に咥えたおせんべいを離してニッコリと笑って答えた。
『平気よぉ〜。だって、理奈お嬢様が一人で平気だっておっしゃったんだもん。それだっ たら、私、することないし〜』
『他にいっぱいやることありますってば!! 理奈様が貴志様のお世話をなさっているか らってさぼっている口実にはなりませんよ』
『さぼってるとは人聞きの悪い。ちょっと休憩してるだけだって』
 ほにゃ〜っとした笑顔を見せる瑛子に、美衣はため息をついた。
『ハア…… まあいいですけど。いくら今日はメイド長がいないからって、程々にしてく ださいよ』
『あ、今美衣ちゃん。あたしなんていたって邪魔になるだけだからいいやって思ったでしょ?』
 むーっとむくれっ面をする瑛子を前に、美衣は戸惑いがちに両手でそれを否定した。
『そんなことないですよ。先輩だって貴重な戦力ですから。でなければ最初からこんなこ といいませんって』
『うん。ならば宜しい。あ、おせんべ食べる?』
 瑛子はにっこりとした笑顔に戻っておせんべいを差し出した。美衣はそれをやんわりと 拒絶する。
『いえ。私はまだ仕事中ですから』
『そっかぁ……美味しいのにぃ〜』

 それ以上は勧めることはせず、瑛子はテレビの方に向き直った。そんな先輩を半ば呆れ、 半ば面白く思いながら美衣は見つめていたが、ふと背後に視線を感じて振り返った。
『せ、先輩。それじゃあ私、仕事に戻りますから……あと宜しくお願いします』
 慌てたように挨拶をして、美衣はパタパタと早足で休憩室から立ち去っていった。
『ん〜? 何だろ? まあいいや』
 彼女の態度に若干違和感を覚えつつも、特に振り返ることもせずに瑛子は、テレビの情 報番組の方に意識を戻した。
 と、その時
「コラーーーーーーーッッッッッ!!!!!」
 耳元で怒声が響き渡り、瑛子の右の鼓膜から左の鼓膜へと一気に貫いた。
『う……クラッと来た…… 耳がジンジンするよぉ……』
「何やってんだお前は? 理奈についてちゃんとあいつの仕事ぶりを見てやらんとダメだろうが」
 しかめっ面の貴志に対して、瑛子はペコペコと頭を下げた。
『申し訳ありませんですぅ……で、でもぉ……お嬢様が一人っきりでやるから邪魔しない でくれっておっしゃられたのでぇ……』
「理奈がか? また変な意地張りやがって…… またアイツ、変な事仕出かしてたりしな いだろうな」
『大丈夫ですよぉ。私が作ったバカでも分かるメイドさん入門ガイドに、貴志様のお部屋 のお掃除からお片付けの方法を事細かに記しておきましたから。手順から、ポイントまで ばっちり解説してありますしぃ』
 ヘラヘラとした笑顔を見せる瑛子に対して、貴志は難しい顔付きで呟いた。 「ちゃんと素直に言う事を聞く奴だったら、心配はしないんだけどな…… よし。ちょっ と様子を見に行くぞ」
『えええええっっっっっ!!!!! ででで、でも、お嬢様は誰も部屋に入れたくない雰 囲気でいっぱいだったんですけど……ドアにしっかり鍵も掛けてらっしゃいましたし……』
「何だと? ますます怪しいじゃねーか。妹とはいえ、信用ならんところがすげえあるか らな。アイツには…… まあ、今日は俺が主人なんだし、主人がメイドの監督をするのは ごく自然な事だろ?」
『はあ……まあ、それはそうですけどぉ……』

「もしアイツがちゃんと掃除出来てなかったら、お前の監督不行き届きっつーことで、メイド長にしっかり報告しておくからな」
『ぎゃあっ!! たたた、貴志様っ!! それだけは勘弁してください。ていうか、今日の事は秘密なんですよぉ。いくらお嬢様の頼みとはいえ、お嬢様にメイドの仕事をさせたなんて知れたら、私、首が飛んじゃいますよ。それもお仕事の方じゃなくて、文字通りの意味で』
「知るか。大体、他の仕事してるならまだしも、せんべい食いながらテレビ見てるメイドに掛ける情けなどねえぞ」
『空いた時間を有効活用させていただいただけですよぉ〜 何年も貴志様にお仕えしてきたのに、そんな冷たいこと言わないで下さいってばぁ。お願いします。私……貴志様の為でしたら身も心も捧げるつもりですから!! あ、もちろん性的な意味も含めてですよぉ』
 貴志に縋り付いて必死でお願いする瑛子に、貴志は苦虫を噛み潰したような顔で頭を掻いた。
「あ〜分かった分かった。メイド長への報告は止めにしとく」
『ホントですかぁ〜!! ありがとうございますぅ!! やっぱり貴志様はお優しいです』
「その代わり、お前、今の言葉しっかりメモリーしとけよ。脳内ハードディスク飛んだとか言ったら、俺が廃棄処分にしてやっからな」
『お任せ下さい!! その……優しくして……くださいね? あ……でも、乱暴に扱われるのも……』
「何の話だ!! てか、お前、最初っから理奈がまともに掃除してる訳ねえって諦めてるだろ?」
『ふぇ? あああ、そ、そんなことありませんよぉ。そ、それじゃあ行きましょうか。お嬢様……キチンとお掃除していて下さると良いんですけど……』
――ったく……俺の周りにはどうしてこう……ロクな女がいないかね……?
 痛む頭を片手で押さえつつ、貴志は瑛子を後ろに従えて、理奈の部屋へと向かった。

〜閑話休題・終〜


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