●第4話
 4月まであと数日となった日曜日の午前中、タカシは居間のソファーでゴロゴロしていた。
「ふぁあああああ……学校なんてあればあったで面倒だが、なければないで退屈なもんだな……」
 独り言のつもりだったが、無言で思い思いの時を過ごしていた三人が一斉に反応した。
「春休みだからって自堕落な生活送ってるのはタカシだけよ。宿題やったの? 学年変わるからってやらなくていいわけじゃないのよ?」
「だったらボクと遊べー! もうゲーム飽きちゃったよ、古いのしかないんだもん! 新しいの買ってきてよ!」
「私はタカシさんが一緒にいてくれるだけで嬉しいですけど、できれば散歩に連れて行ってくれるともっと嬉しいです」
 自分に向けられた期待混じりのまなざしに、タカシは少しひるんだ。三人も同様に暇をもてあましていたようだ。
「なんだお前ら……そんな目で見ても無駄だぞ、自慢じゃないが金も行動力もないからな。宿題に関しては密かにかなみのを写したから大丈夫だ」
「ちょっとあんた何勝手なことしてんのよ! 消しなさい、写した分を今すぐ消しなさい!」
「ぶ〜。タカシってホントに使えないね。貧乏人、甲斐性なしー」
「いいんです、言ってみただけですから。……外はこんなにいいお天気なのに……」
「落ち着けかなみ、まずは俺の首を絞めるのをやめろ。素子も外を見てため息とかつかない! ……そうだ、じゃあみんなで花見でも行くか! これならそんな金もかかんないし」
 三人の――とりわけかなみの――機嫌を取るため、タカシは思いついたことを提案してみた。
「日曜のこんな時間から行ったってどこも混んでるに決まってるでしょ。せっかく春休みなんだから平日に行けばいいじゃない」
「出かけるのはめんどくさいからやだ。お花なんか見たってつまんないし」
「すぐそこの森林公園に、結構空いてる穴場があるんだよ。明日は雨らしいし、行くなら今日しかないんだが……嫌なら仕方ない。素子、二人で行こう」
 ばっさり切り捨てられたタカシは幾分むっとして、一人反対しなかった素子に手をさしだした。
「はい。タカシさんと二人きりでお出かけなんて久しぶりですね。とても楽しみです」
 もしも尻尾があればちぎれんばかりに振っていただろう。素子は満面の笑みでタカシの手をぎゅっと握った。それを見たかなみが慌てて言い添える。
「す、空いてるとこを知ってるなら最初からそう言いなさいよ! だいたい、私がお弁当作らなきゃいけないんだから、タカシが行くなら私も行くわよ!」
「別に食い物くらいコンビニで……」
「そんなわびしい花見、私は認めないからね! ご馳走作ってあげるからちょっと待ってなさい!」
「ごちそう? かなみがおいしいもの作ってくれるの? じゃあボクも行く!」
 エプロンをつけると鬼神のような速さで料理を始めたかなみに、珠子がまとわりついてあれこれと注文を出した。顔を見合わせ、笑みを交わすタカシと素子。
「結局みんなで行くことになりましたね」
「まあ人数は多い方が楽しいさ」
「そこ、イチャイチャしてないで少しは手伝いなさい! 珠子ちゃんは邪魔しないで!」
「はいはい」
 タカシは肩をすくめて台所に向かうと、鶏肉に唐揚げ粉をつける作業に取り組んだ。

「わあ……きれい……」
「本当ですね。満開の桜を見るのは初めてですけど、とても素敵です」
 タカシの案内で森林公園の奥へと進んでいくと、周りを桜に囲まれた小さな広場に出た。視界をピンクに染める景色に圧倒され、かなみと素子は感嘆の声を漏らした。
「うん、ちょうど見頃だったみたいだな。思った通り人も少ないし。かなり奥の方だからあんまり知られてないんだよな」
「ねえねえ、桜はあとでゆっくり見ればいいじゃん! あそこ、あそこが空いてるから、早くシート敷いてお弁当にしよ!」
「分かったから引っ張るなって。まさに花より団子だな、珠子は」
「そんなこと言うとタカシの分も食べちゃうからね!」
 珠子はそう言うと素子が敷いたシートの上に飛び乗り、かなみがふたを開けた重箱にさっそく箸を突っ込んだ。
「あ、こら待て! ちゃんとみんなの分残しとけよ! 気持ちは分からなくもないが……かなみの飯は絶品だからな」
 途端にかなみの顔が、桜に負けないくらい朱に染まった。
「何よ、最初は『危なっかしくて食えない』とか言ってたくせに。ようやくタカシにも私のありがたみが分かったみたいね」
「いやいや、感謝してるよほんとに。ささ、ジュースで乾杯しましょうかなみ様」
 タカシはコンビニの袋から缶を取り出すと、大げさな台詞回しでそれをかなみにさしだした。
「まったく、馬鹿なんだから……これなに? オレンジジュース?」
「そうそう。素子はこれを牛乳で割って、と。はい、コーヒー牛乳。珠子には親父のコレクションから拝借してきたまたたび酒……げふげふ、グレープジュースをやろう」
 缶を開け、ふんふんと匂いを嗅いで不審そうな顔をするかなみに躊躇する間を与えず、タカシは次々に紙コップを渡して高らかに宣言した。
「はい、それじゃ素敵な桜とかなみのおいしい料理にかんぱーい!!」

「あーちょうちょがとんでるー、ひらひら〜、にゃははははは!!」
「すぅ……すぅ……んん〜、タカシー……」
「うむむ……二人はともかく、かなみも簡単に引っかかったな。将来悪い男に騙されないか、パパちょっと心配ですよ」
 膝枕で眠るかなみの髪を撫で、はしゃぎ回る珠子を目で追いながら、タカシは一人呟いた。かなみが残したスクリュードライバーの缶を取り、ちびちびと飲む。
「珠子は笑い上戸、かなみは寝上戸、そして素子は……」
 おそるおそる後ろを見ると、素子はカルーアコーヒーを原液でラッパ飲みしながら、桜の木に向かってぶつぶつと呟いていた。
「愚痴上戸か。忠犬でもストレスは溜まるってことか。これからはあんまり無理言わないようにしよう……」
 時折聞こえる“御主人様を独占……”“二人で永遠の時を……”“邪魔者は皆排除……”といった不穏当な声を、タカシは努めて無視した。
「よっこいしょ……っと」
 そっとかなみの頭を膝から下ろし、タカシは立ち上がった。
「タカシ、どこいくの? 私も行く」
「起こしちゃったか。ちょっとトイレに行って来るだけだよ。すぐ戻るから待ってろ」
「うん。待ってる」
 ぺたんと女の子座りをして素直に言うことを聞くかなみに、タカシはこみ上げてくる笑みを押さえられなかった。
「いつもこうなら随分楽なんだがなあ。ま、素直じゃないのは俺も同じか……おっと、すみません」
 かなみに手を振り、振り返った拍子に、タカシは通りすがりの男にぶつかってしまった。
「ああ? なんだこらぁ!」
 泥酔していた男はタカシを突き飛ばした。たいした力ではなかったが、タカシも多少酔っていたため足がもつれ、残っていた弁当の上に派手に転んでしまう。
「痛てて……」
「おう兄ちゃんどこに目ぇつけて……ひ、ひぃっ!」
「? げっ!」
 何かに怯えたように後じさる男の視線を追い、振り返ったタカシが見たのは三人の修羅だった。獣の目に戻った素子の口には牙が生え、珠子の爪は鋭く伸びている。そしてかなみの表情たるや、まさに鬼と呼ぶにふさわしい形相だった。
「私のタカシに……」
「私の御主人様に……」
「ボクの召使いに……」
「「「何をするーーーー!!!」」」
 酔漢の悲鳴が桜の園に響き渡った。

「ぜえ、ぜえ……なんか最近走ったり怒鳴ったり、体力使い果たすようなことばっかりしてるな……」
 タカシは玄関で靴を脱ぐと、そのまま廊下に大の字になった。酔っぱらいに容赦のない攻撃を加える三人を引きはがし、荷物をまとめて全力で逃げ帰ってきたのだ。
「「「ごめんなさい……」」」
 酔いが抜けたのか、小さくなって詫びを入れる三人。素子の牙も珠子の爪も(もちろんかなみの形相も)元に戻っている。
「ちょっとやり過ぎだったけど、俺のためにしてくれたことだし、怒っちゃいないよ。ありがとな」
「そういうわけじゃないけど……そう、あれはタカシがお料理の上に倒れてダメにしちゃったから、それで頭に来たのよ!」
「そうそう! ボクまだ食べるつもりだったのにさ! 別にタカシのためなんかじゃないもんね!」
 かなみと珠子はそっくりな仕草でタカシの言葉を否定した。
「私はタカシさんのためにやりましたけど。ところであの飲み物を飲んでからどうも記憶が曖昧なのですが、あれは何ですか?」
「そうだ、ボクに飲ませたのって、パパさんが大事にしてたマタタビ酒でしょ! なんてもの飲ませるんだよ!」
「お酒……? あ! あんた私に飲ませたのもお酒なのね? そうなのね!?」
「頼むから……今日はもう静かに眠らせてくれ……」
 もう二度と酒を飲ませたりはするまいと、タカシは心に誓いながら意識を失った。


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