・ 男が雨宿りをしたら、ちょうどそこがツンデレの家だった(中編その1)

「へえ……」
 店に入ると、彼は思わず声を上げた。店内は古びた感じではあったが綺麗に掃除され
ていて、陳列されている和菓子やお煎餅にもよく合っている気がした。
『古いお店で驚いたでしょう? お店を綺麗に改装しようって話は何度か出たんだけど、
うちの祖母が大反対して、結局このままなの。だけど、お客さんの中には確かにこのお
店の雰囲気が気に入っていて、遠方から来て下さる人もいるんだけどね』
 感心したように店を眺めていた彼は、彼女の言葉を聞いて顔を向け直した。
「いや。俺もいいと思うよ。何か、綺麗にショーケースが並べられてて、制服来た売り
子さんがいる店より、雰囲気としても合ってると思う」
 どうやら彼は、本心から褒めてくれているようだ。自分も店の雰囲気自体は気に入っ
ているので、彼と同じ気持ちになれたことが、何だか気恥ずかしく思う。
『私としては、新しくしてお店を大きくしてくれれば、それはそれで楽なんだけどね。
私が店番しなくてもいいから』
 彼と話を合わせる事を躊躇って、つい彼女は思いと反対の事を言ってしまった。本当
は素直に自分の気持ちを伝えられたらとは思う。けれど、彼と仲良くなる事に臆病な自
分が、つい深みに入っていくことを拒否してしまうのだ。つくづく、自分は弱い人間だ
と彼女は思わざるを得なかった。
 彼は、そんな彼女の想いには微塵も気付かず、ちょっと戸惑うように笑顔を浮かべて言った。
「音無さんの立場からするとそうかもね。店番って結構大変?」
 彼の問いに、彼女は首を振った。
『普段はそうでもないけど、休みの日とかはちょくちょくお客さんが来るから、時間を
拘束されちゃうし。ずーっと一日、同じ場所に座って外を眺めているのも辛いから』
 これも実は言い訳である。本当は、彼女はただ一日外を眺めているだけでも結構退屈
しない性格だった。確かにこの場に拘束されるのは少々大変だが、この古びたお店を取
り壊してしまう事を考えればそれくらいは何ともない。
「確かにそりゃ辛いわ。俺だったら退屈しすぎて死ぬかもしれないな」
 彼の冗談に、彼女は僅かに口元を綻ばせた。彼が気付かないくらいにほんの微かに。
それからクルリ、と身を翻して言った。
『上がって。今……お茶の用意をするから』

 彼を茶の間に通すと、彼女は台所でお茶の準備をしようとしてお湯を沸かした。そこ
で彼女はふと、ある思い付きをした。
『そうだ。せっかくだから……別府君に、お茶を点ててあげよう』
 我ながら、いいアイデアだと彼女は思った。彼女は茶道教室に通っていて、実は今日
もお稽古の日だったのだが、店番があるので今日はお休みさせて貰ったのだ。考えよう
によっては、店番がなければ今頃はいつも通りに教室に行っていたのでそうすれば別府
君にも会えなかった。母親様様である。
 彼女は早速支度に取り掛かった。確か祖母の茶器がどこかに仕舞ってあったはず。湯
は省略して、やかんで沸かしたものを釜に入れさせて貰おう。教室は別にすれば、彼は
彼女の最初の客人であって……そして、もしかしたら、個人で持て成す最後の客かも知れない。
――私が茶道を習っている事は、学校でも誰も知らないことだもの。別府君はどう思うかな……
 そんな事を思いつつ、ドキドキしながら彼女はお茶の準備をするのだった。

――何だか……落ち着かないな。
 彼は居心地悪そうに周りをキョロキョロと見回した。古びた感じの茶の間には大きめ
の木目のテーブルが置かれ、こんな和室には似合わない大型のテレビが置かれている。
今は何も映っていないので、部屋はシンと静まり返り、奥の方で彼女がお湯を沸かしつ
つ、ガチャガチャと何かを出している音がする。それとあとは雨の音。未だに激しく
ザーザーと降り続いている。これらの音がやけに大きく彼には聞こえた。
 緊張するのは無理もない。今こうして、彼女の家に上がってお茶の準備をして貰って
いる事がクラスの連中に知れたら、ちょっとした騒ぎになるだろう。ましてや彼は高校
に入ってからは初めての女の子の家だったから余計だ。
――とにかく話題だ。音無さんは無口だからあれこれ聞くのはマズイだろう。彼女が黙っ
て聞いていて退屈しないような話を。俺の事……もいいけど、あんまりしつこく話し過
ぎるとマズイよな。趣味とかの話題って押し付けすぎるとウザくなるし。テストの事と
か……んなこと話して何になるんだよ。憂鬱になるだけじゃん。あ、まあ音無さんは成
績優秀だからさほど気にはしていないかも知れないけど、それでも楽しい話題じゃない
し、こんな時に話す話題じゃないよな……

 彼はため息をついた。自分がいかに女の子と話す話題を持っていないかあらためて思
い知った気分だった。
 まあ、なるようになれ、だ。彼は腹を決めた。最初は天気とか当たり障りのない話か
ら始めて、会話が途切れるようなら仕方がない。今更どんなにあがいたって所詮付け焼
刃みたいなもんだし、それでつまらない奴だと思われたら仕方ないじゃないか、と。
「……それにしても、音無さん……遅いな」
 彼はそっと台所の方を窺ったが、座ったままだと何も見る事が出来なかった。お茶の
準備をするだけなら5分もあれば出来るはずだが、もう10分近くが経っている気がす
る。自分の気のせいかと思って時計を見たが、そもそも彼女が台所に立った時間を確認
していないのだから、分かりようがなかった。
――どうしたんだろう? 何かトラブルとかかな?
 もし、お湯が跳ねて火傷とかしたのなら、何となく自分が悪い気になってしまう。ちょっ
と様子を見てこようかと彼は思った。人の家を無断でうろつくのは失礼だが、台所を見
るくらいならいいだろう。
 そう思って彼が腰を浮かしかけたちょうどその時だった。
『お待たせ』
 彼女の無機質な声がした。そして、入ってきた彼女を見て、彼はその場で固まった。
 何故なら、部屋に入ってきた彼女は、爽やかな薄緑の着物姿だったからだ。

 部屋に入った時の彼の驚いた顔を見て、彼女は着物に着替えた事を後悔した。
――やっぱり……変だったかな? 別府君は大切なお客様だし、だったら普段着などで
は失礼に当たるからキチンとした正装で応対した方がいいと思ったんだけど……
 しかし、今更悔やんだところでもう手遅れだ。彼女は気をしっかりと持ち直し、堂々
としようと決めた。
『どうしたの?』
 彼女の声に、彼はハッとして身体をビクンと動かした。
「ああ。ゴメン。えっと、その……音無さんの格好がさ。さっきと全然違うから、ちょっ
とビックリしただけ」
『おかしい?』
 彼女の問いに、彼は慌てて首を振った。

「いやいや。そんな事ないよ。良く似合ってると思うけど……けど、どうして着替えて
きたの?」
『ついでだから、ちょっと別府君に付き合って貰おうかと思って』
「付き合う? 何を?」
『茶道のお稽古』
 そう言って、彼女は茶釜を置いた。
『本当は、今日、お稽古の日だったの。だけど、今日はお店の留守番しなくちゃならな
くてお休みしたんだけど、週に一日しか通っていないからお休みすると忘れちゃうのよ。
けれど一人でお稽古するのも馬鹿らしいし……そう思っていたら、ちょうど、別府君が
来てくれたから』
 彼女は出来る限り冷静に、感情を表に出さないように淡々と話した。今話しをした事
は半分は本当で半分は嘘である。けれど、別府君の為にこんな大仰な事をしたと分かれ
ば、却って引かれてしまうかも知れないし、何よりもそんな事、恥ずかしくて口に出せ
る訳もなかった。
 彼は、彼女の言葉が途切れるのを待って、少し頭の中でその言葉を噛み締めるように
考えてから答えた。
「もしかして……最初っから、それ目的で誘ったとか?」
『まさか。お湯を沸かしてる最中に思いついただけよ。どうせお茶を出すならって…… 
もしかして、迷惑?』
「ああ、いや。そんな事はないけど」
 彼は慌てて否定したが、彼女は聞かれないよう微かにため息をついた。
――思いついた時は……いいアイデアだったと思ったんだけどな……
 どうも、自分の考えは彼の気に入らなかったらしいと思い、彼女は落胆した。
――そりゃそうよね。茶席なんて堅っ苦しいイメージしかないもの。もっと気楽におしゃ
べり出来る方がいいに決まってるわ。
 けれど、今更やり直しはきかない。
『悪いけど、付き合ってくれる?』
 彼女がそう聞くと、彼は頷いた。

「ああ。もちろんだよ」
 その言葉を聞くと、彼女は無言でクルリと背を向け、道具を取りに再び台所へと向か
うのだった。

『お待たせしました』
 道具と茶菓を全て揃えてから、彼女は彼に声を掛けた。
「ああ、いやその……お構いなく」
 戸惑いがちに彼は答える。座布団の上に正座して彼女を見上げるその様子はどことな
く緊張しているように思えた。
『別府君は楽にしてていいわ。正式なお茶の席じゃないんだし、作法なんて気にしなくても』
 すると彼は、ちょっとホッとしたように顔を綻ばせた。
「良かった。俺、作法なんて知らないしさ。もし失礼があったらどうしようかと思ってた」
『付き合ってもらってるだけだもの。そこまで別府君には要求しないわ』
「そ、そっか。済まないな。それじゃあ失礼して」
 そう言って彼は足を崩し、胡坐をかく。足を気にしているように見えたので、痺れた
のかな、と彼女は邪推した。茶席で正座になれている彼女はともかく、今はほとんど正
座する機会など無い。却って気を使わせてしまったと知り、彼女はまた自分の選択を悔やんだ。
『準備している間、お菓子でも食べてて』
 彼女はそう勧めたが、彼は躊躇した。
「え? でも……まだ準備してるのに……」
 しかし、彼女は首を振ってそれを否定した。
『普通、茶席ではお菓子は先に全部食べちゃうのよ。だから遠慮しないでいいわ』
「へえ。そうなんだ」
 彼は感心したようにそう言うと、出された干菓子を手にとってしげしげと眺めた。
「綺麗な形してるな。食べるのがもったいないくらいだ」
『それ、うちの商品なのよ。お茶の先生の所にも同じ物を卸しているの』
「へえ」
 彼は感心したように言って菓子を口に運んだ。しかし、彼女は返事をしつつもそれに
気を配っている余裕は全く無かった。

――えーと、お茶の量はこんなものかな。別府君、薄茶なんて初めてだろうし、分量間
違えて濃くし過ぎちゃうと苦く感じちゃうだろうから……
 まだ、正式に主人として茶を点てたのは一度しかない。その時はぎこちなくて、先生
から笑われてしまった。その事を思い出し、彼女は出来る限りリラックスしようと努め
るのだが、意識すればするほど緊張してしまう。
――よし。それじゃあ、茶筅を持って……と……
「お? 本格的じゃん」
 突然、彼から声を掛けられ、彼女は驚いて体をビクッ、と震わせた。
『い、いきなり声掛けないでくれる? ビックリするじゃない』
 咄嗟にそんな言葉が口を突いて出てしまった。
「わ、悪い。集中してるとこ……気をつけるよ」
 彼の謝罪の言葉に、彼女は気落ちした。余裕が無いのは自分のせいなのに、彼のせい
にしてしまった自己嫌悪が襲う。ハア、ともう一度ため息をついてから、慎重に、彼女
は茶筅を振った。
――もっと、楽しくお茶を飲める雰囲気を作らなきゃならないのに……先生にもその事
は注意されたのに……私って、ダメだなぁ……
 何か、会話でも振ろうと思っても普段から話などしない彼女には、話題などてんで思
いつかなかった。ましてや、憧れの人が目の前にいるとあっては、意識すると今度は手
が震えて上手く茶が点てられなくなりそうで怖かったし。
 一方で、彼も珍しく無言で彼女の事を見つめていた。普段からおしゃべりで、クラス
の女子とも分け隔てなく話す彼には珍しい事だと彼女は思う。やはり、さっき注意した
事で、雰囲気を悪くしてしまったのだろう。
 仕方なく、彼女は会話は諦めて茶を点てる事に専念することにした。せめてお茶だけ
でも美味しく飲んで貰わなければ、お持て成しの意味すらなくなってしまう。しかし、
そうなると今度は彼の視線が気になって仕方なかった。
――う……み、見られてる……
 恥ずかしさのあまり手元が狂いそうになり、彼女は我慢出来なくなって彼に言った。
『悪いけど、そんなにジロジロ見ないでくれる? 集中出来ないから』
「え?」
 彼はハッとしたような表情をして、それから慌てて顔を横に背けた。

「わ、悪い。邪魔したんなら、その……謝る」
 彼の態度に、彼女は自分が思いの外厳しい口調だったという事を悟った。慌てて彼女
はフォローの言葉を言う。
『別に、謝るほどの事じゃないけど……』
 いつだってこうだった。ささいな注意や要望も、言い方一つで相手を傷つけてしまう
とよく怒られていたのに。親しい友達からですら、物言いがキツ過ぎると言われる事があるのに。
 どことなく気まずい雰囲気が続く中で、彼女はようやくお茶を点て終わった。


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