・男が雨宿りをしたら、ちょうどそこがツンデレの家だった(中編その2)

『どうぞ』
 茶碗の正面を彼に向けて差し出す。彼は両手で押し抱くようにして茶碗を受け取った。
「確かさ。お茶碗ってこうやって回すんだよな」
 記憶を辿るようにお茶碗を回す彼の様子が何だかおかしくて、緊張した心が少し和んだ。
『お茶を飲む時は、正面を避けるように少し回すのが作法ね。別に回数とかは決まって
ないから適当でいいと思うわ。私もいつも見よう見まねだし』
「へえ。で、これって全部飲んでいいんだよな?」
 彼女は頷いた。
『もちろん。全部飲みきっちゃって』
 その言葉を聞き、彼は茶碗に口を付けるとグイッとお茶を飲んだ。そのままゴクリと
一息にお茶を飲み干す。
「プハアッ……」
『ど、どうだった? その……味は?』
 彼女はドキドキと胸を高鳴らせつつ聞いた。自分としては上手に点てる事が出来たと
思うけど、彼の口にはあったのだろうか?
「うん。美味かったよ」
 彼の言葉に彼女はそっと胸を撫で下ろした。
『そう。なら良かった。一応初めての人でも飲めるように点てたつもりだったから』
「もしかして、俺、毒味役に使われたとか?」
 彼の言葉に一瞬彼女はドキリとした。もしかして、練習相手になって貰った事は彼自
身は気に入らなかったのかと思ったからだった。しかし、彼は冗談っぽく笑って言った
だけで、不機嫌そうな様子は見せていない。
 ホッとした彼女は、その冗談に冗談で返してみせた。
『かもね。これで、次のお茶会には自信持ってお茶を点てられるもの』
「うわ。それちょっと酷くね? まあ、俺は音無さんにお茶を点てて貰えただけでもいいけどさ」
 ちょっと拗ねたような彼を見て、彼女はそっと心の中で呟いた。
――私も、本当は別府君に美味しく飲んで貰えたのなら、それだけで……嬉しいな……
「それにしても、音無さんがお茶やってるなんて、全然知らなかったな」

『意外だった?』
「うん。まあ……」
 彼は言葉を濁した。彼は一体、普段自分の事をどう思っていたのだろうと彼女は興味
を持ったが、それを口に出す事は出来なかった。
「でもさ。その……着物姿、似合ってるよ」
 ドキン、と彼女の胸が高鳴る。
『ありがとう』
 努めて冷静さを保ちながら彼女は答えた。あくまでこれは社交辞令なんだ。彼もきっ
とこの場の重い空気を気にして言ってくれているに決まっている。そう彼女が心の中で
言い聞かせていると、彼がためらいがちに付け加えた。
「い、いやその……お世辞とかじゃなくて、マジだから」
 その途端、彼女はビクンと体を動かし、そのまま硬直した。
――お世辞じゃないって……それって、本気で褒めてくれたって事? 信じられない。
どうしようどうしようどうしよう。何て答えれば……ダメだ。今口を開くと、絶対にみっ
ともない顔になってしまう。そんな顔別府君に見せられっこない。
 彼の褒め言葉にも無表情のまま完全に硬直した彼女を前に彼は戸惑った。もしかした
ら誰にでも可愛い可愛い言ってる軽い男だと思われて機嫌悪くされたかも知れない。
『ごめんなさい。ちょっと、これ片付けてくるわ』
 彼女は結局、彼の言葉は無視したまま、茶道具を片付け始めた。
『どうする? もし良かったら、普通のお茶を淹れ直すけど』
 彼の顔を見ながらそう問い掛ける彼女の表情からは、彼女の想いは読み取れなかった。
「い、いや。いいよ。十分美味しかったし」
 彼の言葉を聞くと、彼女は無言で片付けを再開し始めた。
――満足……して貰えたのかな? 少しでも……
 しかしそれを聞く勇気は彼女にはなかった。いや。仮に聞いたとしても、きっと彼は
笑顔で満足したと言ってくれるだろう。だから、そんな物は決まりきった答えを要求す
る様な物で、彼が心からそう言ってくれているのかどうか、自分に見極める事は出来な
いだろうと彼女は思った。
 その時だった。

 パッ、と蛍光灯の明かりより激しい光が、部屋を照らしたように感じて彼女はピタッ
と動きを止めた。
『今……何か、光った?』
「みたいだね」
 そう彼が答えると同時に、ゴロゴロという音が、遠くで鳴った。
『……雷?』
「だね。結構遠いみたいだけど」
 気が付くと、外の雨の音がまた激しくなったように思えた。彼女は一旦持ち上げた茶
道具を畳の上に置き、心配そうに外を眺める。その様子を見て彼が聞いた。
「音無さん、もしかして雷が苦手とか?」
 すると彼女は、少し怖い顔をして彼を見つめて言った。
『当たり前でしょう? 雷が好きな人なんていると思う?』
「そ、それは確かにいないと思うけど、特に苦手なのかなって思って聞いてみただけで……
その、気に障ったならゴメン」
 彼は、彼女の気を悪くさせたのかと思い素直に謝った。その様子を見て、彼女は自分
の余裕の無さに気付き、少し後悔した。
『べ、別にそんな気に障るほどじゃ…… それに、苦手って言っても、人と比べて特にっ
て程じゃ――きゃっ!!』
 話の途中でまた雷光が部屋を照らし、彼女は小さく悲鳴を上げた。ゴロゴロとなる雷
鳴との時間差はさっきよりも短い。
「何か……大分近づいてきたな」
『ちょっと。冗談言わないでくれる?』
 半ば信じたくない気持ちで、彼女は彼に文句を言った。正直な所、彼女は平静さを保
つのがいっぱいいっぱいで、強気な態度でも取らない事には崩れてしまいそうだった。
「冗談じゃないよ。実際、光と音の間隔が随分と狭まって来てるし」
 彼の論理は的確で、どこにも言い返す隙などなかったが、それでも彼女はその言葉を
信じたくなかった。
『嘘。私を怖がらせようと思って、わざとそんな事言ってない?』
「まさか。何で俺が音無さんをわざわざ怖がらせなくちゃならないんだよ」
 すると彼女は、彼の顔をジッと見つめて言い返した。

『だって、別府君、ニヤニヤ笑ってるもの』
 え?と、彼はそこであらためて自分の表情に気付いた。確かに、自分の顔はニヤつい
ている。けれど違う。彼女の仕草を面白がってニヤニヤしているんじゃない。彼は彼女
の誤解を解かなければ、と思った。
「違うよ。別に音無さんの事を面白がって笑ってるんじゃないよ」
『じゃあ何で、顔に笑いを貼り付けているの?』
 彼女の問いに、彼は覚悟を決めた。正直に言う以外、誤解を解く方法は無いと。
「いやその……正直、いつも冷静で、寡黙で、容易に近づきがたい雰囲気を持ってる音
無さんがさ。こんな風に、雷を怖がるのを見てさ」
『ほら。やっぱり面白がってるじゃない』
 彼女は不満気に追及した。みっともない所を見られた恥ずかしさと、普段、自分がど
のように見られていたかを知った驚きとを内心に隠しつつ。
 しかし彼は、断固としてそれを否定した。
「違う。雷を怖がる音無さんの姿にニヤニヤしたことは認めるけど、決して面白がった
りバカにした訳じゃなくて、その……音無さんの女の子っぽい仕草が、あまりにも可愛
かったものだから……つい……」
――可愛い? 私が?
 彼女は一瞬、自分が聞き間違えたのではないかとすら思った。大人からはともかく、
同年代から可愛いなどとは、一度だって言われた事はない。だから彼女は、彼の言葉を
否定した。
『嘘よ、そんなの。私……可愛くなんて、ないもの』
「いーや。そんな事無い。絶対に可愛い」
 彼の自信に満ちた態度に、彼女は疑いの眼差しを向けた。もしかしたら、他の女の子
にも、平気で可愛いとか言っているのだろうかと思ったからだ。
『何を根拠に、そんな事言えるの? 正直、別府君がそんなに軽い人だとは思わなかった』
 しかし、彼は真面目な顔で答えた。
「別に、いい加減にこんな事を言ってるんじゃないって。根拠なら、ちゃんとあるさ」
『何? 言ってみて』
 彼女の問いに、彼はちょっと言いにくそうな顔をした。それから彼は彼女からちょっ
と目線を逸らして照れ臭そうに答える。

「俺が、その……無意識のうちにニヤニヤしちまったって事。男ってのはさ。女の子の
可愛らしい姿を見ても、ニヤニヤしちゃうもんなんだよ」
 うっ、と彼女は絶句する。彼の言葉にも態度にも、不真面目なところは微塵も感じら
れず、彼女の心は折れそうになった。
――本気で、私の事を、可愛いって…… ううん。ダメだダメだ。こんな事認めちゃっ
たら私……耐えられそうに、ない……
 彼女は首を振って、最後の抵抗を試みた。
『そんなの、信じられない。私の追及をかわす為に、適当な事を言ったとしか――』
 その瞬間、雷光と轟音が同時に、部屋を襲った。
『きゃあああああっ!!』
 悲鳴を上げながら、彼女は目の前の彼にしがみ付くと、これでもかと言わんばかりに
力強く、彼の胸に頭を押し付けたのだった。


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