第一話 - 弁当箱と日の香り

-1-

がばっっっ!

ばしゅん。

猛烈にイヤな気配を感じて、彼は飛び起きた。
直後に聞こえた破裂音。
先ほどまで自分の頭があった場所には、黒い焦げ痕が。
そして恐る恐る顔を横に向けると、メイド服を身にまとった少女が一人。
「…………」
「………おはようございます。ご主人サマ」
「………おはよう。…じゃなくて、お前は一体何をした」
彼、樋口和歩(ひぐちかずほ)をご主人サマ、と独特の口調で呼ぶメイドの少女。
彼女は今年に入って我が家で導入したメイドロボである。
問いかけに対して、彼女―――名前はナツメという―――は、表情をまったく変えずに答えた。
「ご主人サマを起こして差し上げようと」
「じゃあなんで枕が焼け焦げてるんだ」
「電気ショックによる起床補助機能デス」
さも当然であるかのように、しれっと言うナツメ。
「起きるどころか永眠する!頼むから普通に起こしてくれよ…」
「……ちっ」
仮にもメイドロボだというのに、舌打ちするナツメ。
「昨日は金槌で殴りかかってくるし、一昨日は口の中に金魚を入れるし…」
路地裏の怪しい店でメーカーも形式名もわからない大安売りの素体を買ってきたのがいけなかったのだろうか。
ナツメは主人を敬うとか、人体のことを考えるとか、そういった配慮をまったくしない。
だいたい、マニュアル(手書き)には『豊かな表情を実現!』とか書いてあるくせに、ナツメの表情はほとんど変化を見せないのだ。
「ご主人サマはねぼすけですからこうしなければ起きないでしょう」
「そんなことはないはずだが。まぁ目は醒めるけどさ…」
「では万事問題なしですネ。早く着替えてください」
「おう、たのむ」
「……………」
「……………」
沈黙。
お互いが微動だにせず、部屋の真ん中に突っ立っている。
「……………なにか?」
「え?着替えさせてくれるんじゃないの?」
「誰がそんなことを。子供でもないんですから、ご自分でどうぞ」
「ちぇ。けち」
「けちで結構デス。ご主人サマの体など視たら、レンズが歪みます」
「ひでえ言われよう…」
「ふん」
つい、とそっぽを向くナツメ。しかし、部屋から出ようとはしない。
「なんだ、実は着替えが見たいのか?」
「…そんなことはしたくないと言ったはずデス」
「じゃなんでずっとそこにいるんだ?」
「それは、ご主人サマが、着替える振りをして二度寝しないように、デス」
ナツメの頭でひゅいんと機械音が高くなった。
よく見るとナツメの向いている方向には鏡があって、その鏡にはナツメの顔が映っている。
つまりナツメから和歩の着替えがしかと見えていたというわけで。
見ていたのかは判らないが。
「ナツメのえっち」
「ご主人サマと同類にしないでください、汚らわしい。もう朝ごはんはできているのですから、とっとと着替えて降りてきてくださいネ」
心なしか足音荒く、ナツメは部屋を出て行く。
自慢のロングヘアが廊下に消えてから、和歩は軽くため息をついて苦笑するのだった。



体内時計が6時半を告げる。
ナツメは朝食の最後の仕上げを済ませてから2階へ向かう。
和歩がご両親から相続したこの家は既に築20年を経過しているため、あちこちにガタがきはじめている。
板張りの廊下や階段は1歩ごとにギシギシと鳴るし、襖やドアもやや開きにくい。
ナツメは和歩の知らない機能のひとつ"忍び足"を使って、ほぼ無音で階段を昇る。
2階の西側角。そこがナツメのご主人サマの部屋。
ドアの蝶番の音をたてないように細心の注意をはらいつつドアを開け(起床時間より前に起こしてしまっては申し訳ありませんからネ)部屋内へ侵入、もとい、進入する。
入ってすぐ、部屋の全体をスキャン。
前回のスキャン時からいくつか物が動いているが、和歩が使用したものと推察できるため、そのままにしておく。
そのうちのひとつ、枕元はベッドの枠組みの中にある物体に、"注目"する。
補助AIは、それを書籍であると判断している。

―こんな非実用的な場所に置かれるということは、やはりえっちな本ですネ。
―ご主人サマ、ワタシは複合センサ搭載。目で見えないところに置いても認識できるのデスよ。
―それに、若い男性でしたらこういった本を持っていて当然なのですから、隠さなくても構いませんのに。
―隠さなくてもよいものを隠すなんて、悪いご主人サマデス。罰として、この本は処分しますネ。

ごそごそと本をひっぱりだし、手に取ってみる。
表紙には、下着が半分脱げた美女(巨乳だった)が悩ましい微笑みを向けている。
ページをぱらぱらとめくってみると、中の女性達はみなはち切れんばかりの胸である。
どうやらこの本は巨乳好き向けらしい。
思わず自分の胸と比べてみる。
写真のモデルと比較するといささか貧相なような。

―まったく、男性は胸が大きなほうが好きなのですから、ワタシの胸だってもう少しあってもいいと思います。
―誰ですか、このパーツでオーダーしたのは。
―交換パーツをこっそり買ってみましょうか。家計簿はすべてワタシがつけてますから、うまいことロンダリングして…。
―胸が大きかったら、ご主人サマは喜ぶでしょうか。いえ、別にご主人サマのためというわけではないですけど。
―ご主人サマもご主人サマデス。こんな本など隠し持って。ワタシというものがありなが―――。

――Error No.1501――
 ―TIME JPN 2007 0619 Tue 0638am

―はっ。ワタシは何を。
 ―TIME JPN 2007 0619 Tue 0655am
―とにかく、この本は処分デス。廃棄デス。

ちょうど資源回収に出すために雑誌の束が縛ってあったので、その中へ強引にねじ込む。
妙な達成感を感じつつ、再び枕元へ。
 ―TIME JPN 2007 0619 Tue 0658am

あと2分ほどで、ご主人サマを起こさなければならない。

―今日はどうやって起こしましょうか。

和歩の事を考えるとき、ナツメは不思議な感覚をえる。
体温が上昇して排熱がうまくいかなかったり、AIの負荷が上がってシンクが遅くなったり。
だが、補助AIの自己診断は異常警告を出さないのだ。
ごくたまに細かいエラー警告がなされるから、故障しているわけではないようである。
また、和歩の事を考えるとき、ナツメはそれを『楽しい』だとか、『よくわからない妙な』ように感じる。

―楽しい、だなんて。
―自分でもその感覚は知らないというのに、言葉が出てくるなんて。
―ワタシはアンドロイドなのに。
ー不思議ですネ。ご主人サマ…。

寝顔を見る。
額に手を当ててみる。
触覚センサは体温を正確に検出する。

―温かい、デス。

寂れた電気屋で眠っていた中古品の自分を買ってくれた人。
守るべき最優先事項。人物。
ネットワークに登録されたユーザー以上のなにか。

―なんでしょう。胸のあたりに違和感が。
―体温と電圧が上昇しています。
―スタン・ネイルから放電………。

余剰熱が髪へ向かい放熱される。
余剰電力は指先に誘導され、額に当てた手の先、痴漢撃退用の電撃爪から一気に放出される。
危ない、と思った瞬間、和歩が跳ね起きるのが見えた。

ばしゅん。



-2-

「ふぁゎ…おあよ〜」
盛大な欠伸をかましつつ、リビングへ降りる。
食卓ではナツメが今まさに最後の皿を置くところだった。
「…おはようございマス。昨日は早寝したはずなのに、まだ眠いのですか」
「ん〜、ベッドに入ったのは早かったんだけど、いろいろ考え事してたら眠れなくて」
よたよたと食卓に辿りつき、のろのろと椅子を引く。
「んしょ…はぁ…ねみぃ…」
「一体何を考えていたんですか」
「ん……」
「人には決して言えないようなことを…」
「違う!そうじゃなくて…」
「ではなにを」
「………秘密」
「…秘密、ですか」
「…秘密、なのだ」
「……そうですか」
「…あ、いや、いまは、だ。今は、秘密」
「はぁ」
「ごめんな。そのうち話すから」
申し訳なさそうに頭を掻く和歩。
「別に、ご主人サマの秘密をわざわざ知りたくなどありません」
つい、と頭をよそに向けて、ナツメが言った。
「その割にはなんだか残念そうだったような…」
「なにか?」
「いやなんでもないよー」
白々しくそっぽを向いてごまかす。
「それよりもご主人サマ。食事のときはワイシャツは着ないようにと言ったはずデス」
「いちいち着替えるのめんどいじゃん」
「こぼれたものがシャツに付いたらもうその日は着られません。洗濯物が増えるだけデス」
「でもなぁ…」
「つべこべ言わずにとっとと脱いでください」
「わ、まて、なにをする」
和歩の脇に手を入れ、強引に立たせる。
正面で向き合って、ワイシャツのボタンに指をかけた。
「ちょ、自分でやる」
「ワタシがやります」
言うが早いか、ものの数秒で一気にすべてのボタンをはずしてしまう。
コツを掴めば、器用なメイドロイドには朝飯前(ちょうど朝食まえですしネ)なのだ。
「だれがうまいことをいえと」
「…はい?」
「いや、なんでもない…」
「いよいよおかしいご主人サマですネ。はい、代わりのTシャツデス」
「ありがとう。まさか上半身裸でメシを食えと言うのかと」
「ご主人サマと違って露出癖はありません」
「はいはい」
「はいは一度デス。そのTシャツは帰ったら着てくださいネ」
「はーい」
「伸ばさないでください。いつまでも子供なんですから…」
「そういうナツメは母親みたいだな」
「ワタシが、母親?」
「そ。今のは幼い子と親のやりとりそのものだったぞ」
「…………」
「…ナツメ?」
「バカなことを言っているとご飯が冷めてしまいます」
「む。そうだった。いただきます」
「めしあがれ」
今日の朝食は純和食。
発芽米のご飯に焼鮭、大根とわかめの味噌汁に白菜の浅漬けである。
人間は朝の栄養摂取こそが1日の要になる。
朝、しっかりと栄養を摂り、脳細胞を働かせるためのエネルギーにするのだ。
昼の量はは個人の好み、夜は少量でいい。
その点、彼は朝からでもしっかり食べられるタイプなので安心してメニューを組み立てられる。
「ごちそーさま」
「お粗末サマでした」
手早く朝食を始末して腰を上げる。
「出かける準備しなきゃな」
「少々お待ちを」
和歩がTシャツを脱ぐ合間に、ナツメは先ほどのワイシャツを用意する。
「どうぞ」
「ん。ありがと」
手渡す時の、上半身裸のご主人サマの体。
袖を通すのにまごついている間に、複合センサで健康状態をスキャンする。
―異常なし。
―ただし、寝不足のためか、肌の状態が僅かながらよくありません。
服に袖を通し終わる寸前に、ナツメは手を伸ばす。
先手を取るかのようにボタンを留め始めるナツメを見て、和歩は苦笑する。
「自分でやるのにー」
「そう言って以前――4月20日金曜日ですが――ボタンを掛け違えて出ようとしていました」
「う…そんなことよく覚えてるな…」
「フォトアーカイブに保存してありますから。ご自分の間抜けな姿、見ます?」
「いや、いい…」
「本当はこんな世話などすることなく最初からできてほしいものですが」
「やらせてくれればきちんとできるよ」
「信用できませんネ」
「…実はナツメ、やりたい?」
「そんなことはありえません」
「やれやれ。んじゃ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃいませ…ぁ」
「ん?どーした?」
「ネクタイが」
緩んで形がくずれていたネクタイを、きつすぎず緩すぎずの位置で止めなおす。
「――少しだけお待ちを」
「?」
パタパタとスリッパを鳴らして奥へ駆け込むナツメ。
和歩がその行動の意味を考えている間もなく、今度は近づいてくるスリッパの音。
「お待たせしました。これを」
胸元につけられたそれは、小さく彫刻の施された銀色のタイピンだった。
「しっかりした物ではないですけど、十分機能は果たせるはずデス」
言いながらタイピンをとめ、、もう一度ネクタイを直すナツメ。
「さっきは母親で、今度は奥さんみたいだ」
「何を言いますかこの変態さんは」
「ひどっ。俺はナツメが奥さんだったらいいなーと常々」
「またバカなことを…」
「バカなご主人サマで申し訳ない」
「嫌ではありませんけれど」
「え…?」
「母親の言葉で言うなら『手間のかかる子ほど可愛い』ものなのでしょう?」
「う、あ、そうなの、か、な」
意外なことをナツメに言われ、思わずどもってしまった。
「もうあまり時間がありませんよ。下らない話で遅刻する前に早く出発なさってください」
「あ、やば、もうこんな時間?じゃぁ行ってくるよ」
「行ってらっしゃいま――」
見送りの言葉は最後の一音を発せぬまま途切れてしまった。
ナツメが礼をしようと頭を下げる瞬間、和歩がその頬に軽く接吻けたからだ。
「行ってきまーす」
独特の明るい声だけ置いて、和歩は駆けていった。
一人残されたナツメは、その場に呆然と突っ立っている。
「―――――」
AIの思考が乱れている。
触覚センサが右頬の感覚をいつまでもスキャンし続ける。
補助脳がそのデータを細かく解析し、ファイルに記録しようとする。
「ご主人サマ――」
つぶやいたところで、意識が消える。
再起動されたときには、既にお昼をすぎていた。



「…お洗濯が遅れてしまいました」
今日は晴れだし、気温はまさに最高に達しようという時間帯なので夕方には乾くであろうが。
乾燥機を使うという手もあったが、やはり太陽の力にはかなわない。
どんなに文明が進もうとも、それを凌駕する自然のパワーというものは常に存在するのだ。
洗濯物を干し終わった現在はすでに午後1時半。
朝方の『原因不明の』トラブルのせいで――と、云うのは建前である。

1時間半ほど前――

 ―TIME JPN 2007 0619 Tue 1211pm
「――はっ。またもやワタシは何をしていたのでしょう。…ああっ、いつの間にかこんな時刻」
既に日は天頂を過ぎ、昼下がり。
「急いでお洗濯をしなければ」
籠にたまっていた約1週間分の衣服を洗濯機に移す。
メニューからコースを選択し、スタート。
買い換えたばかりの最新型の洗濯機は、ボタンに触れなくてもナツメのネットワーク機能でローカルエリア接続して起動することが可能だ。
おかげで、ナツメのような多機能アンドロイドなら、籠を持ち上げて重量を測定→洗濯物を入れながら洗濯機をセットという流れが可能になった。
衣類という糧秣をたらふく体内に納めて震え始めた洗濯機の蓋を閉め、ナツメはリビングに向かう。
和歩が出かける前に脱いだTシャツを外に干すためだ。
ネットで調べたところ、晴れた日の屋外で干した洗濯物からは『お日様の匂い』なるものがするらしい。
それが人の精神をリラックスさせ、健康にもいいのだとか。
ナツメは外干しした洗濯物を取り入れるたびに匂いをチェックしてみるのだが、未だにそれらしい匂いを嗅いだことはない。
しかし、紫外線による殺菌効果があるのは確かなので、その清涼感でもって人は精神的安定を感じるのかもしれない。
リビングに入り、扉近くのハンガーにかけておいたシャツを手に取る。
と、嗅覚センサが和歩の体臭をキャッチした。
顔に近づけ、密着させた状態で鼻腔から空気を吸い込む。
それに乗って感じるご主人サマの匂い――。
それこそが、ナツメにとっては『お日様の匂い』のような気がする。
一呼吸したとき、ナツメは急に『はしたないこと』をしているように思われた。
何がどう『はしたない』のか判らないが――。
とにかく、自分がいけないことをしているのではないかという感覚に襲われたのだった。
きょろきょろと周りを見回す。
当然、自分以外の者がこの家にいるはずはないのだが。
外からも視線等がないことを確認してから、ナツメはあわてた様子でソファに向かった。
その窓を背にした側のソファに座り、再びシャツを抱く。
(これはご主人サマが不潔にしていないかチェックするためなのデス)
誰に言うでもなく、頭の中でそう言って。
 すう
あのひとの、やわらかな匂い。
嗅いだ瞬間に、胸部の人口筋がきゅう、と収縮するのを感じた。
かすかに痛い。
だがそれは決して不快ではなく、むしろ心地よい。
「あうん…ご主人サマぁ…」
意識しない言葉が口からもれ出て、ナツメは驚く。
そして、『いけないことをしている気持ち』はますます大きくなっていく。
けれど、やめられない――。
洗濯終了の信号が洗濯機からとっくに送られてきているというのに、ナツメは体を起こすことすらできない。
ただソファに寝転がって、『お日様の匂い』を吸い込み続けるのだった。



-3-

洗濯物を干し終わり、主要な箇所の掃除をすませたあとの自由な時間。
自堕落な専業主婦あたりならスナックをかじりつつワイドショーを見てついうとうとと昼寝を決め込むような時間帯。
もちろんナツメはマジメなメイドさんなのでそんなことはしない。
今日は麦茶を煎れようと思いついたのだった。
もう夏の気配がすぐそこに感じられる。
夏至は目前、紫外線量も日増しに強くなっている。
外ではかすかにニイニイゼミが鳴いていて。
その慎ましやかな歌声は、間もなく訪れる灼熱の日々を人々に知らせているかのよう。
彼らは真夏の前の露払いなのだ。

時々、そういうことを考える自分をナツメは奇妙に思う。
自分はメイドロイド。仕事をするために作られた機械人形。
その自分が、思いにふけったり、情緒を感じたりする。
そもそも、自分、を認識することは機械にはないことなのではないのか。
感情『機能』をもつアンドロイドはすでに存在する。
人と接する機会の多い素体には必要なことだからだ。
だが、自我、と呼ぶには何か違うのではないか、と思う。
ナツメは他のアンドロイドに触れたことはない。
この町にはなぜだかアンドロイドは(少なくとも屋外に出るのは)ナツメしかいない。
スーパーなどで使われているアンドロイドはいるが、彼女らと言葉を交わしたり、通信してみたことはない。
彼女らはいつでも無機質に満ちている。
単純な受け答えに限定される言語機能。
常に笑顔でいるパターンに乏しい表情筋。
擬似感情は最初から搭載されていないようなので、ナツメの疑問――感情のあるアンドロイドは自分と違うのか――を確かめる対象ではないのだ。
けれど、たとえば、自分が他の素体と『違う』存在であったとして、だから何なのだろう、とも思う。
この世に同じものなど絶対に存在しない、とテレビで見たことがある。
つまり、同じ型のアンドロイドであっても、絶対に異なる点が存在するのだ。
小さなキズひとつであっても。
とすれば、他と異なるのは当然であって、あとはそれの大小なのだ。
まして、ナツメの同型機は―――存在しない。
主脳は大手メーカーのものだが、素体のあらゆるところはカスタムパーツの寄せ集め。
ナツメの最初のユーザーは、ほぼイチから自分を創りあげたらしい。
したがって、型番はないし、ネットにメイドロイドとして登録されているのは主脳の固有コードだけだ。
大手電気店などで販売されているアンドロイドは、大抵が大電機メーカーで組み立てられた(勿論細かいパーツは下請けだ)一環ものである。
ボディの目立たない部分にはJISマークとメーカーロゴ、固有番号やらコードがプリントされている。
ナツメにはそれがない。
パーツの一つひとつには刻印やらシリアルのプリントやらがあるだろうが、それを目で確認するには分解してみるしかない。
設備と時間とお金が必要なのだ。
だから、和歩はそれをしたことがない。
唯一確認できるのは、首のうしろ…うなじにある外部入出力ポートの刻印番号だけだったらしい。
ネットに接続すれば、自分に使われているパーツの詳細も検索できるはずだが、ナツメもまた、それをしたことはなかった。
知ったところでどういうものでもないし、大抵の機能は把握している。
大抵のメカニカルトラブルは自分で処理できる。
自分の手に負えないエラーが起きたところで、それは寿命だ、とも思う。
なにしろ、自分は不正規部品の寄せ集め。
いつ予期せぬエラーが起きてもおかしくはないし、そのときサポートしてくれるメーカーも存在しない。
主脳の製造元に持ち込んでも、それ以外の部品がばらばらでは、それがエラーの原因であり、サポート対象に含まれない、と突っ返されるのがオチだろう。
だから、自分はこのままでいい。
きっと、こういう妙なことを考えたり、感じたりするのも、イレギュラー集合体ゆえの副産物なのだ。
それは決して悪いことではない、そうであれ、とかすかに思う。

麦茶を冷やす邪魔になりそうな朝食の食器はどうしようか、それほど多くなかったから、晩御飯のあとにまとめて洗っても大丈夫だろうか、などと考えながら食卓前を過ぎる。
と、妙なものが視界に入った。
いや、別にモノとして妙ではないのだが、それが今ここにあるのはおかしい。
それはムー○ンの絵柄(原作版)のクロスで包まれていて、内容物の幅151mm、奥行き208mm、高さ58mmの直方体である。

 弁当箱。

ご主人サマの昼食用に、朝方包んだものだ。
「…なぜ、これが今ここに」
いや、理由などわかりきっている。
和歩が持って行き忘れたのだ。
朝のドタバタにまぎれて、置き去りにされたらしい。
(下らない話に夢中になっているからデス)
下らない話。朝の会話をログから引っ張り出してみる。
『ひどっ。俺はナツメが奥さんだったらいいなーと常々』
「??????」
―なんですか、今のは。
 ―replay.
『俺はナツメが奥さんだったらいいなーと常々』
―なぜこれが抽出されるのでしょう。
 ―replay.
『俺はナツメが奥さんだったらいいなー』
―いつの間にか『重要』タグが…。
 ―replay.
『ナツメが奥さんだったらいいなー』
「なにをバカなことを言っているのですか、ご主人サマ」
思わず、口に出してしまっていた。
「…ご主人サマが変なことばかり言うから、エラーが蓄積してしまったようデス。迷惑なご主人サマデス」
とりあえず文句を虚空に放ってから、目の前の物体――弁当箱に視線を戻す。
もう暦の上では夏だし、たとえ今すぐ冷蔵庫にブチ込んでも食べられないだろうか。
せっかく作った唐揚げが…。
冷凍品ではなく、鶏肉を切り分けるところからやったのに。
せっかく作ったきゅうりともやしの中華和えが…。
食感のワンポイントに春雨まで使ったというのに。
せっかく作った卵焼きが…。
ご主人サマの好みに合わせて、ちょっぴり甘くしたというのに。
「………………」
ムーミ○柄(原作版)の包みを前に、微動だにしないナツメ。
心なしか、スノー○のお嬢さんが怯えているように見えるのは、隣にモラ○が描かれているせいではないだろう。
数分そうして固まったあと、ナツメは決心したかのように顔を上げる。
「食べ物を粗末にするひとには、天罰が下るのデス」
無表情なその美貌の目には、隠された内面を象徴するかのごとく荒々しく燃え上がる青い炎が見えた。気がした。多分。



-4-

「ただいまー。あ〜疲れったよ〜」
「お帰りなさいませ。お夕飯はもうすぐ出来上がりマス。お風呂の準備もできていますが、どちらになさいますか?」
「ん〜、それじゃぁナツメをいただこうかな、なん…て…」
冷たい目線で射抜くナツメ。
「じょ、冗談じゃないかぁ…」
「そんな古くてつまらない冗談で笑え、と」
「いやそうじゃなくて…。なんていうか、そこは『もぉ〜ご主人サマのばかぁ(はぁと)』とやるべきではないか」
「ご主人サマの大馬鹿者」
「はう!!」
―本気で言われたよ。
―冷酷に言われたよ。
―なのに少しキモチイイのはなぜ?
「本当に危なくなってますか」
「い、いや、なんともない。うん。いたって平常である!」
「心拍値が安静時より20ほど上回っt」
「ようし、まず先にお風呂に入るよ!はいるよ!」
「なぜ2回言うのですか」
「ははははナツメはツッコミ上手だなぁ!覗いちゃダメだぞ!じゃ!」
タオルを引っ掴んで脱兎のごとく尻尾まいて逃げ出すご主人サマ。実に哀れで―――。
「…はて、ワタシは何を言おうとしたのでしたっけ」
本当にエラーが蓄積しているかもしれない――。
そう思うナツメであった。
「…と、ご主人サマったら、着替えを忘れていますネ。おっちょこちょいさんですネ」
ぱたぱたと2階に上がり、和歩の箪笥からハーフパンツとトランクスを引っ張り出す。
1階に戻り、朝方のトラブルの原因であるTシャツを取って洗面所へ。
また無性に『清潔度チェック』をしたくなる衝動にかられたが、なんとかキャンセル。
風呂場の扉越しに声をかける。
「着替えを忘れていたようでしたので持ってきました。籠に入れておきマス」
「おー、忘れてた。悪い」
「余計な手間をかけさせないでくださいネ」
「ははは、ごめーん。ありがと」
「どういたしまして」
朝、自分が言った言葉がリフレインする。
『母親の言葉で言うなら『手間のかかる子ほど可愛い』ものなのでしょう?』
手間のかかる子。ご主人サマは確かに忘れっぽくていい加減で、とても手間がかかる。
『出来の悪い子ほど愛される』という言葉もあった。
ご主人サマは、出来の悪い子、だろうか。
そういうのとは違うような、と思いながら、ナツメはキッチンに戻った。
十分に冷めた麦茶を冷蔵庫に移そうとその扉を開ける。
そして、そこに置かれた一つの物体――弁当箱を再見し。
昼間の鬱蒼とした気分が甦るに至って、ナツメは確信した。

「やっぱりご主人サマは、出来の悪い子デス」



「ふぃ〜、さっぱりさっぱり。ハァ〜サッパリサッパリ!!」
「…………」
風呂から上がった清涼感を表現するために、例のやつを踊る。
したら、ナツメがものすごい白けた目でこちらを見るのだ。
「ああっ!そんな冷たい目で見ないで!」
「4年前のネタなんて微妙すぎます」
コメントが的確すぎて泣ける。
ていうか知っているのか雷電。
「馬鹿やってないで早くご飯を食べてください」
「わかったよ…って、あれ?肝心のご飯は?」
「あるじゃないですか」
「いや…俺の目の前には小皿に乗った煮干が4匹しかありませんが」
「あるじゃないですか」
あくまでもそのままの口調で、ナツメは言う。
「…これが晩ご飯?」
「Exactly(その通りでございマス)」
「…………」
「…………」
「ちょっとまてぇ!なんで夕飯が煮干4匹なんだ!」
さすがに立ち上がって叫んでしまう。
―家の主(仮みたいなもんだけど)の晩飯が煮干のみってのはおかしいだろ。
「…我が家の家計はそれほどまでに困窮しているのデス」
「嘘だッ!!!」
「…嘘ですけどネ」
―平然と嘘をつかれました。
―何なんでしょうこのメイドロボは。
「人権侵害だ!虐待だ!ご主人サマ迫害だ!」
「自業自得デス」
「児童相談所に駆け込んでやる!!…って、え、自業自得?」
「はい」
「…俺、なんかしたの?」
「ご自分の胸に聞いてください」
「わかった。むにゅ。ふむ」
「誰がワタシの胸に聞けと言いましたか。セクハラデス」
「いてぇっ!」
実験:自分の胸に聞けといわれたので、ナツメのちょっと小さい胸に耳を当てた。
結果:ぱかーんとお玉で頭を殴られた。
結論:今時漫画でもやらないぞちくしょう。
「冗談はさておき、ホントに俺がなにをした?」
「……お昼ご飯…」
「ん?」
下を向いてボソッとつぶやいた後、顔を上げてナツメが言った。
「今日のお昼ご飯はどうしたんですか?」
「今日の…?あぁ、知ってると思うけど、持ってくの忘れちゃったんだよ。だから、購買でパンとサラダ」
「…それで」
「いやぁ、いつも殆ど金なんて持ち歩かないからさ、あるか不安だったけど、なんとか足りたよ」
「…………」
「という感じだったんだけど、それがどうかした?」
「本当に、判ってらっしゃらないのですネ」
「いや、今のことで何か問題が」
「大有りデス。いいですか。我が家は旦那様と奥様の御仕送りがあるとは云え、そう裕福ではありません」
「まぁ、そうだな」
「ワタシ自身が言うのもなんですが、ワタシの電力もそう馬鹿にできるものではないのデス」
「う、うん」
「現在の日本の手作り弁当は1食あたり200〜300円デス。それだけのお金が今日、天に召されました」
「むぅ…」
「加えて、ご主人サマの昼食代、パンとサラダ、飲み物も加えたら500円前後かかったでしょう」
「うん、そのくらいかな…」
「合計700円程度が無駄になる、これはとても大きな問題デス」
「そ、そんなに?」
「もちろんデス。我が家の家計が、というのではありません。心がけの問題デス」
「う…そ、それにしても、なんでそんなに力説するんだ」
「…ご主人サマにお金の大切さを判らせるためデス」
言葉を発する直前のほんの少しの間。
そして、ひゅぅんとわずかに高くなった機械音。
「…今一瞬考えただろ」
「…そんなことはありません」
「……ほんとかなぁ」
「本当デス」
「…………」
「…………」
沈黙。
ナツメは相変わらずの無表情で、ただじっと和歩を見る。
「…あー、結果的に家計に無駄を出してしまったのは悪かった。謝るよ。ごめん」
頭を掻きながら、ばつが悪そうに謝る和歩。
「判ればよろしい、デス」
「でもさ、本当の理由、教えてくれないか?」
「デスから、先ほどの説明が」
「違うよ」
「!?」
一瞬、ナツメのAIの思考が停止した。
和歩が自分の手を握っている。
なぜシンクが停まったのだろう、いや、それよりも、なぜ手を繋ぐことが――。
「ナツメ」
「ハイ」
思考は、今度は和歩の言葉によって遮られる。
「別に、さっきのが嘘だとは言わない。けど、隠してる――ちがう、言わない、何かがあるだろ?」
優しく、ゆっくりと言うご主人サマ。
触覚センサが伝える微弱な電気信号が、脳の奥を刺激する。
「……ワタシは、別に」
「…お説教はいくらでもしていいけど…隠し事はしてほしくないな…」
「…………」
「な?」
にっこりと、微笑まれる。
たったそれだけで、ナツメはもう、抵抗できなくなってしまった。
「…手作り、なのデス」
「ん?」
「最近はバイトが忙しいようですから栄養が足りなくならないよう、食材から工夫して作ったのデス」
顔は無表情のまま。
しかし、ナツメの手はぎゅっと握りこまれている。
「せっかく作ったのですから、食べていただかないと…その、食材に申し訳ないのデス」
ゆっくりと紡ぎ出された真摯な言葉の、最後だけは言い訳のようだった。
「そっか…」
「栄養が偏ってご主人サマがバイト中に倒れでもしたら、それも家計に響きますからネ。それだけの理由デス」
「…そっか」
「…そうデス」
「ありがとな」
言って、ナツメの手を強く握る。
そうすることで軽率な自分を恥じると同時に、ナツメに感謝と謝罪をする。
「また、セクハラですか」
「…違うよ」
「では、こんな意味のない行為など」
「意味はあるよ」
「………なんの意味が」
「愛情、かな」
「…………」
「俺、変なこと言ったか?」
「メイド…アンドロイドにそのようなものを向けるなんて、やっぱりご主人サマは変態ですネ」
そう言って、体を離すナツメ。
「お、おい…」
「でも」
「…?」
ナツメは振り返り、背中を見せる。
服の埃を払う仕草をしながら、彼女は言った。

「…ありがとう、ございます…」



「ところで、俺の晩御飯は?」
「もちろん、煮干デス」
「…マジで?」
「嘘ですけどネ」
「…………」
主人に平気で嘘をつくメイドロボット。
「もちろんちゃんと用意してあります」
「よし!さすがはナツメ!」
「さ、召し上がれ」
差し出されたのは、ム○ミン柄のランチクロスに包まれた、『よく冷えた』弁当箱だった。
「…マジで?」
「…マジデス」
…今度は、嘘ではなかったみたい。



-5-

「うえ…やっと食い終わった…」
昼食になるはずだった弁当の残りを冷えたまま食べさせられ(加熱は認められなかった)胸の辺りを押さえながら嘆息する。
ナツメ曰く、罰だそうだ。
昼に食べられなかった弁当を今食べるのはいいが、冷えたままというのはさすがに堪える。
卵焼きや野菜の中華和えなど、冷えていても食べられるおかずが多かったのは不幸中の幸いか。
しかし、さすがに白米は辛い。
なにせ、冷蔵庫の中に長時間置かれていたのだ。
当然、米粒はがちがちに固まっていた。
それをふりかけや漬物などもなしに(これも却下された)食べさせるのは、十分に罰の役を果たしたといえる。
「味気ない…。というか冷たい食べ物ばっかりでよくわからんかった…」
天井を仰いで呟く。
ぐったりと四肢を投げ出し、びっくりしている胃を少しでも落ち着けようとする。
ごん、と、テーブルに何かが置かれる音がした。
下目で食卓を見ると、そこには筒型の湯のみがあった。
かすかな湯気を上げているのは、緑茶だろうか。
「これは?」
「食後のお茶デス。どうぞ」
「…………」
「なにか?」
「え、ああ、いや、なんでもない。いただきます」
さっきまでの仕打ちから一転、普通にお茶など出されたので、思わず呆けてしまった。
怪しい薬とか入れられてないだろうか、と勘繰ってしまう。
いらない心配をよそに、もうひとつの湯のみに茶を注いだナツメが言った。
「今日は昼間暑かったですから、縁側で飲んではいかがですか」
確かに今日の昼間は、6月末にしてはかなり高い気温だった。
学校ではシャツのボタンを2つ以上開け、裾もズボンから出していなければ耐えられないほどだった。
「そうだな。そうしようかな」
湯飲みを掴んで立ち上がる。
こぼさないように気をつけながら、リビングの網戸を開け、外へ。
リビングの区画から庭に面した窓の外に、小さな板張りの縁側がある。
人が3人も座れば満員になってしまうそのスペースが、夏の食後の定位置である。
もっとも、ナツメは今年に入ってからこの家に来たので、その事は知らないはずだったが。
湯飲みを置いてから、ゆっくりと腰を下ろす。
日中の日差しが嘘だったかのように、今は空気が涼しい。
「となり、失礼します」
「どー…ぞ…」
ナツメの声がしたので返事をしながら振り返った和歩は、そのまま固まってしまった。
部屋の電灯を背に受けて佇むナツメ。
仕事が終わったためか、今はエプロンを着けていない。
濃紺のワンピースと長い黒髪が、明かりとのコントラストを描く。
その姿は、とても美しかった。
「?…どうかしました?」
「い、いや…綺麗だな、と」
「お月様ですか。今日の月齢は4.2。上弦ですネ」
座りながら、空を見上げて解説するナツメ。
その方向には、空の低い位置に細い月が浮かんでいる。
「………あ、いや」
「17時前から18時頃にかけて、土星食がありました。動画をご覧になりますか?」
「…はは、そういうんじゃないんだけどな」
急に機械のようになったナツメに、苦笑してしまう。
いや、ナツメは機械の体だが、普段がとても人間くさい。
こういったアンドロイドにしかできないことを目の当たりにしたとき、少し戸惑ってしまう。
「ナツメがさ、綺麗だった」
「はい?」
「部屋の明かりとさ、ナツメの黒とが対照的で、綺麗で」
「…今度はアンドロイドを口説くつもりですか」
「そうじゃないよー。風情ってやつだよ」
「風情、ですか」
「アンドロイドだからとかじゃなくて、目の前にあるそれがとてもよかった、ってだけだよ」
「…よくわかりません」
「ナツメには日本人の心が足りないな」
「そういうものは必要ないとおもいます」
「そうか?日本に生きるには大切だと思うな」
「アンドロイドにもですか」
「アンドロイドだから、とも言えるかな」
「?」
「人間と一緒に生活するものだからさ、その土地の習慣、伝統、文化なんかは持ち合わせてるほうがいいんじゃないかな」
「…一理ありますネ」 「だろ?」
「ご主人サマにしては珍しく、筋が通っていますネ」
「珍しくなんかないぞー。俺はいつだって一本筋の通ったいい男だ」
「そういうところが駄目なのデス」
「うっ…」
ほめられたと思ったら、すぐにダメ出しを食らってしまった。
「先ほども、人形性愛に目覚めたのかと思いました」
「俺は違うよ。そういう性癖の人もいるけど」
「ご主人サマの周りにはいるのですか?」
「危ないやつが一人身近にいるな。何度か話題にしたと思うけど、同じクラスの神野ってやつがメイドロイドマニアなんだ」
「アンドロイド、ではなく、メイドロイド?」
「そうなんだ。アンドロイド全体も趣味ではあるけど、特に家庭用アンドロイドがいいらしい」
「やっぱり変態の周りには変態が集まるものなのですネ」
「うおい!そりゃ誰のことだ!」
「ご主人サマと級友の方以外に誰かいらっしゃいましたか?」
「うぐぐ…口の減らないやつめ」
「どういたしまして」
さらりと礼など言いつつ、お茶をすするナツメ。
背筋をぴんと伸ばして両手で湯のみを傾けるしぐさは、その美しい黒髪とあいまって日本の女性そのものにも見える。
そこで、ナツメの手にしている湯のみが、彼のものと色違いの同柄であることに気づいた。
「あれ、この湯のみ、夫婦(めおと)なんだ」
「はい。ご主人サマが使っているのが旦那様の、ワタシが使っているのが奥様のものデス」
「いいのか?勝手に使って」
「許可は得ています。ぜひ使ってやってくれと奥様に言われました」
「そうなのか。しかし、夫婦で使っていたやつを俺たちが使うのってなんか恥ずかしくないか?」
「なぜデス?」
「俺たちも夫婦みたいだなって」
「確かに恥ずかしいデス」
「だろ?」
「そんなことを考えるご主人サマをもったことがですけど」
「そういうこと言うかい…」
本当にこのメイドさんは、口が悪い。
美しい花にはトゲがあると言うかなんと言うか…。
黙っていれば相当な美人さんだ。
耳の送受信デバイスを外せば人間と区別はつかない。
これで明るかったり、もうちょっと親しみやすい正確だったらそうとうモテるだろうな。
そんなことを考えながら、優雅にお茶を飲むナツメを眺めていると、その頭に載っているあるものに気がついた。
「そのカチューシャ、取らないのか?」
「?」
それは、ヘッドドレス。
いわゆるメイドカチューシャである。
「エプロンは取ったのに、カチューシャは取らないんだなと思って」
「これはですネ、なんと言えばいいのか…」
言葉を捜しているのか、しばらく黙るナツメ。
「一番近い言葉で表すと、お気に入り、であると思います」
「お気に入り?」
「アンドロイドにはそのような感情は表せないので、比喩になりますが」
「お気に入りね…」
「優先度が高い、と言うと、機械的には適切デス」
「なるほど。……それさ、俺が買ってあげたんだよね」
「…そうでしたか?」
「ナツメが来たその日に、メイドロボなんだからメイドカチューシャがなきゃいけない!と思って買ってきたんだ」
「また変態チックな言葉が出てきましたネ」
「失礼な。先の言葉で言うなら、それも風情だよ」
「カチューシャが風情ですか?」
「様式美というか…なきゃいけないもの。ナツメにはそれが似合ってると思うし」
「なければならないもの…」
「嬉しいね。俺が最初にあげたものが、お気に入りに分類されるなんてさ」
「AIの判断ミスのようデス。こんなものの優先度が高くなるなんて」
「仮にも人がプレゼントしたものを…」
「外せるわけないデス…」
「…え?」
「なにか言いましたか?」
「え、いや、なんも」
とても小さな声でナツメが何か言ったように聞こえた。
しかし、問いかけに問いかけで答えたナツメは、いつもの無表情のままだった。
「相変わらず変なご主人サマですネ」
「うるせーやい。お、なんだあれ」
庭に面する家の基礎部分に何かを見つけ、立ち上がる。
駆け寄り、しゃがみこんだ先には何かの動物がいた。
「ほらほら、ナツメ、ヤモリがいた」
差し出した手の上には、10cmほどの小さな爬虫類。
「kultainenですネ」
「クータイネン?なに?そういう種類なの?」
「違います。種類で言うなら、その子はニホンヤモリデス」
「え、じゃぁくーたい…ってのは?」
「種の中の一つの固体につける名前デス。kultainenとは、フィンランド語で『金色』を表します」
「こいつに名前付けたの?」
「正確には、6月9日付けで決定しました」
「お、お前、ヤモリに名前つけてるのか」
「はい。この家の周囲100mに生息する13頭のニホンヤモリにはすべて固有名をつけています」
「いつの間に…」
「いらっしゃいませ。kulta」
そう言ってナツメが手を伸ばすと、ヤモリは和歩の手をすり抜けて彼女の指に移る。
「人間の言葉がわかるのか、そいつ」
「ご主人サマよりもずっと賢いですよ」
「…………」
―馬鹿にされた。俺はトカゲよりも下か。
「しかし、ナツメが爬虫類好きとは」
「いけませんか」
「いやいや、いけなくなんてないよ。面白いというか、珍しいというか」
「そうですか」
「普通女の子ってこういうの苦手なんじゃないのかな」
「…よくわかりません。ワタシも生態に興味があるだけなので」
「…そうだったの?」
「そうですけど…他に何か?」
「ヤモリを手に乗せてるときのナツメは、なんか幸せそうだった」
「ワタシにそういう感情はありません」
「そうかな」
「そうデス」
確かに、いつもと変わらない無表情ではあったが。
彼女の周りの空気は、いつもより暖かく見えたのだ。
「可愛らしいとは、思います」
不意に、ためらいがちにそう言ったナツメ。
無表情で、爬虫類が好きな奇妙なメイドロボ――。
そんな愛らしい彼女を見て、思わず笑みがこぼれる和歩だった。



和歩が就寝したあとの、薄暗いリビング。
スリープモードでの充電に入る準備をしながら、ナツメは先ほどの会話を思い出していた。
 ―replay.
『ナツメがさ、綺麗だった』
その意味が、いまだによくわからない。
人間の女性と比べて美しいというなら、それはある意味当然だ。
彼女はアンドロイドであり、商品価値を上げるために、買い手を多くつけるために、よい骨格を与えられるからだ。
しかし、和歩が言う言葉には、それとは少し違ったニュアンスが含まれていると感じられた。
 ―replay.
『普通女の子ってこういうの苦手なんじゃないのかな』
ご主人サマは、自分のことを女の子、として見ているのだろうか。確かにナツメは若い女性タイプのアンドロイドではあるが。
自分はご主人サマに、女性として見てもらいたいのだろうか。
それは違うと思う。
あくまで、自分はメイドロイドだ。
機械であり、道具である。
国の定めた法律でも、そうなっている。
でも。
なんらかのかたちで『対等』でありたいと思う自分が、どこかに存在するのもまた事実だった。
―ご主人サマと対等になる――。
そのことを思うと、また、先ほどの言葉をリプレイすると、ナツメの胸の人工筋がきゅっと収縮するのだった。
それは昼間、和歩のシャツの匂いを嗅いだときと同じで―――。
ナツメはその感覚が、とても心地よい、と感じていた。


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