第8話「桜刻」

桜吹雪が晴れ、俺は周りを見渡す。
俺は、一直線に伸びる道に立っていた。
先の方を見ても、白く霞んで見えなくなるところまで道は伸びていた。
その道は無限に続いているのではないか…と、俺は根拠もなくそう思った。
道の外には桜並木が並んでいる。
だが、そこは先ほどまで俺がいた千鳥遊公園の一角ではなかった。
なぜなら、その桜の花びらの色が、雪の様な純白だったからだ。
桜の花びらがこの様な色になることはあるが、それは老木となった桜のつける花びらの色だ。
千鳥遊公園の桜は植樹されてから数年〜十数年程度しかたってないものばかりで、この様な色になる事は考えられない。
桜は、はらはら、はらはらと花びらを散らしていた。
だが、おかしい。
それだけ桜が散り続けているというのに、咲いている花びらは一向に減る様子を見せない。
また、それならば地面に夥しい量の花びらが落ちていなければならない。
なのに、地面には1つとして花びらが見当たらなかった。
(一体何処なんだここは…凛は…梨亜は何処に行ったんだ…?)
俺は呆然としながら心の中で1人ごちる。本当に、ワケが分からない。
俺が途方に暮れようとしていたその時、
「何を馬鹿みたいに呆けた顔をして突っ立っておる?」
後ろから、誰かが俺に話しかけてきた。

振り向くと、そこには1人の少女がいた。
少女は好奇の目線で俺を見据えながらカラカラと笑っていた。
桜の花びらと同じ、つやのある純白の髪が地面につくかつかないか、と言うところまで伸びている。
その幼さが強く残る顔からして12〜13歳位だろうか?
だが纏っている雰囲気は子供のそれではなく、寧ろ老獪な大人の女性、と言った感じだった。
「…誰?」俺は少女に問いかけた。
「いきなりか…不躾な男じゃの…」
「儂の名などあって無いようなものじゃが…」
「そうじゃな…桜、桜じゃ」
桜と名乗る少女は、そう名乗るとニコリ、と可愛らしく微笑む。
それは年相応の可愛らしいものだった。意味もなく、安堵する。
「失礼ついでにもう1つ聞いてもいいか?」
「いいじゃろう。今儂は機嫌がいい。ようやっと会えたからな」
言葉の意味が良く分からなかったが、まず聞いておかなければならない事がある。
「ここは、何処なんだろう…?さっきまで俺は千鳥遊公園で花見をしていたんだが…」
「そうじゃな…ここは、儂の庭のような場所、とでも言っておこうかの」
「は…?それは一体どういう…」だが、俺がさらに言葉を投げかける前に、
「折角来たのじゃ、儂と楽しんでゆかぬか?」桜はそう行ってきた。
その言葉の意味が、俺は一瞬分からなかった。

「は?…いやでも俺は…」
「何じゃ?何か不満でもあるのか?先ほどからアレコレと聞いてきたりと、難儀な奴じゃな」
「あ、ゴ、ゴメン。でも俺は多分人を待たせてると思うから」だが、彼女は俺の言葉など聞いておらず、
「そうか、お主は花より団子というタチなのじゃな?」
「まったく…浪漫に欠ける男(おのこ)じゃのう…まあ、お主の年頃では、無理もないかの」
「桜を愛でる事よりも優先する事があるなど儂には許せぬ事じゃが…よい、許してやろうではないか」
「先ほども言うたが…儂は今とても機嫌がいい…それに他ならぬお主の頼みじゃし」
「よかろう…ならお主が楽しめるようにしようではないか…それっ」
そう言って、桜がくいっ、と指先を上に上げると、道の脇にさまざまな露店や屋台がいきなり出現した。
だが屋台には人がおらず、出来上がった食べ物や商品だけが鎮座していた。
俺は突然起こった摩訶不思議な現象に絶句してしまった。
「先ほどからお主は何をぽかんとしておるか」
「折角多少はマシな顔をしているのじゃから、すました顔をしておればいいのじゃ」そう言うと、またも桜はカラカラと笑った。
「今の…お前がやったのか!?」
「そうじゃ。その位で驚くとは面白いのう。儂にとってはこのくらい造作もないわ」桜は不適な笑みを浮かべる。
(この子は一体何者なんだ…?)俺が考えを巡らせていると、
「ほら、もうよいではないか。何もかも忘れて、今を楽しもうぞ」
そういうと、桜は想像もつかないような強い力で俺を引っ張っていく。
「おわわ…わかった、わかった!付き合う、お前の遊びに付き合うから!」
「だけどその前に最後にもう1つ質問!」
「…なんじゃ?まだあるのか?」

「桜、お前はさっきから俺のことを知っているような口ぶりだったけど、俺は前にお前にあっているのか?」
「……そうか、覚えておらぬか…」
「まあ仕方ないのう…あの頃の儂は今と似ても似つかなんだから」桜の顔が憂いの色を帯びる。
「昔お主には助けられたことがあってな。傷の手当てもしてもらったのじゃ」
「嬉しかったぞ…あの時の感謝と歓喜の思い、忘れようとも忘れられるものではないわ」
「それ以来…お主に会いたかったのじゃ…ずっと…慕っておったぞ…」
「ええい、女子にこのようなことを言わすな、たわけが(//////)」顔を真っ赤にする桜。
その言葉は素直に嬉しいと思う。だが、そういわれても、俺には覚えがなかった。
苛められている子供を助けたこと、助けようとしたことなどこう言ってはなんだがいくつもある。
そういうのが放っておけない性質だから。
そもそも梨亜達と知り合ったきっかけも似たようなものだった。
首を傾げる俺の顔を見て、桜は苦笑しつつ、
「まあ、今すぐ思い出さなくてもよい。時間は幾らでもあるのじゃ。さあ、行くぞ」
そう言うと桜は、俺の手を取り引っ張りながら無人の露店の1つへと駆け出して行った。
(梨亜…凛…お前等は今頃、どうしているんだ…)
俺は引っ張られながらそう思った。



―幕間―

耕平と稲穂は、手を繋ぎながら公園内を歩いていた。
今だ気恥ずかしさが抜けないのか、二人とも頬をほんのりと桜色に染めていた。
目が合うたび、顔を真っ赤にして眼を逸らす。それを繰り返す様は、まったくもって初々しかった。
「耕平…あ、アンタケンカ強かったのね…ちょっと意外…」手持ち無沙汰になった稲穂は、耕平に問いかけた。
「え?あ、ああ…タカシの料理と一緒さ。この目と髪の色だろ?絡まれる事も多くてさ」
「必要に迫られた結果、ってワケさ。実践相手には事欠かなかったからな」
「そ、そうなんだ…でも、才能あるってことじゃない。格闘技のプロになるとか思わなかったの?」
「ねぇな。来る日も来る日もしんどいトレーニング。試合では汗臭い男共と殴り合いしたりくんずほぐれつ」
「想像しただけで吐き気がするぜ」
「そういうヘタレた事言ってるからダメ宮なんていう不名誉なあだ名がつくんじゃない、バカねぇ」
「でも、勿体無いと思うんだけどな…親とか家族とかそんな事言ってきたりしない?」
「まあ、普通はそうなんだろうけどな…でも」
「俺に家族なんていねぇよ」そう言う耕平は、とても寒々しい眼をしていた。
「え…?それはどういう…」稲穂が問いかける。だが、その言葉の返事を聞くことはできなかった。
前から見覚えのある女の子が2人、駆け寄ってきたからだ。凛と梨亜だった。
「あ、いや2人共、違うんだ」
「俺はコイツの買い物に貸しがあるから付き合う事になっただけで、コレはそのついでに寄っただけで…」
慌てて弁解しようとする耕平。だが2人は耕平の声など耳に入っていない様子だった。

「い、いないんです…桜吹雪が…吹き付けて…掴んでたはずなのに…いつの間にかいなくて…」
「私…私…!」顔を青ざめさせ震える凛。
慌てるを通り越し恐慌状態になっているようだ。いったいどうしたというのか。
「落ち着いて凛ちゃん!どうしたの!?」
ただ事ではない様子に、稲穂も血相を変えて凛に聞く。だが凛は、
「どうしよう…どうしよう…なんでいないの…?また離れ離れになっちゃうの…?」とうわ言の様に呟くばかりだ。
「オイ梨亜!一体なにがあったんだ!?」その言葉に梨亜は、
「いないんだ…いなくなっちゃったんだよ…」涙目でそう言った。
凛よりは落ち着いているようだったが、それでも追い詰められた人間が見せる、今にも泣き出しそうな悲壮感に満ちた顔をしていた。
「いないって…何が、誰が…」そこまで言って耕平は1つのことに気づく。
あいつがいない。2人と公園へ出向いたはずのあいつが。
認めたくないが、それなら2人の様子にも納得がいく。
耕平は自分の顔から血の気が引いて行く音を確かに聞いた気がした。
「おい…まさか…タカシに何かあったのか!?」梨亜の肩を揺さぶりながら耕平は問いただす。
「わかんない…わかんないよ…でも、桜吹雪が収まった瞬間…」
「タカシが…いなくなっちゃったんだよ…!」梨亜の慟哭の声が公園内に響き渡る。
突如、一陣の風。風に吹かれ桜がカサカサと音を立てる。
まるで耕平たちを嘲笑うかのように。



「ほれ、何をしておる?さっさと来ぬか!」
言葉とは裏腹に満面の笑みを浮かべ少し離れたところから桜の声が響く。
あれから、俺は店主の居ない露店巡りに延々とつき合わされていた。
焼きそばやわたあめを始めとする食べ物から、射的やカタ抜き、くじ引きなどと言った娯楽ものまで。
およそ全ての店を制覇すると言わんばかりの桜の勢いに俺は流石に疲れてしまった。
「なにを浮かぬ顔をしておる?楽しくないのかの?」
自分を慕っているらしい謎の少女は、俺の顔を不安な顔で覗き込む。
「いや、そんなことはない。ちょっと疲れただけだ」
まあ、弾が当たってないのに勝手に倒れる的しかない射的とか、
『当たり』しかでないクジ引きをやってて楽しかったか、と言われると少々答えにくいけどな。
「そうか。なら良いのじゃが…」
「要らぬ心配をさせるでない。馬鹿者が」子供の様に頬をぷぅ、と軽く膨らませる桜。
(顔に出てたか…)心配させたくは無かったんだけどな。
勿論、俺の顔を曇らせているのは、疲れだけではなかった。
時計を見る。やはり止まっていた。先月電池を入れ替えたばかりだと言うのに。
携帯電話の時計も同様だった。かてて加えて圏外になっていた。
相当時間がたっている事は事実だったが、時間の感覚が無くなり、どれだけここに居るのかもう分からなくなっていた。
(あいつら…心配してるだろうな…)俺と一緒に来た2人を思い、心の中で1人ごちる。
「なあ、桜。今何時か分かるか?俺の時計、壊れたらしくてさ」さりげなく聞いてみるが、桜は怪訝そうな顔で、
「何故そのような事を聞く?」
「ここは時間の概念など無いようなものじゃ。それに…」直後、桜はとんでもない事を口にした。
「儂とお主はずーっとここで楽しく遊ぶのじゃ、時間など気にする理由などあるまい?」

「ちょっと待ってくれ」気づけば、俺はそう口にしていた。
「どうしたのじゃ?」
「俺は、ずっとここに居るわけにはいかない」
「何故じゃ?儂と一緒に居るのが嫌になったのか?」
「それとも何か足りない物でもあるのかの?すぐにでも用意するぞ?」
「違う」俺は首を横に振った。
「俺は一人で花見に来たわけじゃない。他に一緒に来た奴がいる」
「多分、大分待たせてしまったと思う。だから、戻らなきゃいけない。帰らなきゃ、いけない」
「だから、桜、お前は悪くない。お前が嫌いになったわけでもない」
「うう…何故そのような分からぬことを言うのじゃ…」
「ここに居れば、ここには居ない誰かかがおぬしの事をどう思おうと、関係ないじゃろう?」
「確かに、関係ないかもな」
「じゃろう?なら…」
「でも、俺が気にする。あいつらは、俺にとって大切な人達だから。俺があいつ等のことを思うことを止める事は出来ない」
「だから、あいつ等が待っているのに、のうのうとここで何も考えずに遊び暮らすなんて、俺が許さない」
俺の言葉を黙って聞いていた桜だったが、
「…馬鹿者、ばかものばかものばかもの!」突然、まくし立てるように言ってきた。
「何故じゃ…なぜ儂とずっとここに居てくれぬのじゃ…」
「儂は大いに気分を害したぞ。だがお主だからこそ特別に許してやる。じゃから…」
「じゃから、ここに来る事なぞ一切合財忘れて、儂といつまでもここに居ようぞ」
「儂は、馬鹿なお主でも好きなのじゃ…いや、馬鹿なお主だからこそ、好きなのじゃ…」
「一緒に、居てはくらぬかの…?」桜は濡れた瞳で懇願、いや哀願するようにそう言うと、俺の方に手を回し、俺に顔を近づけてくる。

その可愛く、可憐な顔と仕草に、俺は熱に浮かされたような気分で、俺に近づいてくる桜の顔を見ている事しか出来なかった。
彼女の唇が、俺の唇に触れそうになったその時だった。
『あいつ』の、顔が浮かんだ。
一緒に居る事が当たり前になっている『あいつ』の。
なぜこの瞬間に『あいつ』の顔が浮かんでくるのか。
わからない。まったくわからない。
だけど、このまま桜とキスをしてしまう事は、『あいつ』に対する重大な裏切り行為のような気がして。
気づいたら、俺は桜を突き飛ばしていた。
突き飛ばされた桜は、信じられないといった顔をしていた。
当然だ。キッパリと、俺は彼女の好意を拒絶してしまったんだから。
「す、スマン!でも、俺は…」
「うるさい!もう何も言うな!元の場所に戻してやるから何処へでも好きに行くがよいわ!」
「お主のことなどもう知らぬ!勝手にするが良い!」
「お主など…お主など…」俺はその後に続くであろう罵倒の言葉を覚悟した。それくらいは当然だろう。だが、彼女は、
「くそ…大好きじゃ…馬鹿者ぉ…」搾り出すようにそういうと、彼女は見も世もなく泣き崩れた。
俺は彼女にかける言葉が見つからなかった。
自分が、とてもちっぽけな存在になったような気がした。

しばらくして、桜が起き上がる。
泣き止んだというよりは泣きつかれて泣くのを止めるしかなかった、という感じだった。
「…大丈夫か?」俺はそんな桜にそう言った。
そんな事言う資格がないとわかっていても、言わずにはおれなかった。
「…優しい言葉をかけるでない。そんな風にされたら儂は…」
「…いや、儂の事は良い。じゃが、最後に忠告しておいてやるわ」
「お主の優しさはお主の美点じゃ。誇ってよいことだと思うぞ」
「じゃが心せよ。優しさというものは時に人の心を抉るぞ」
「それにお主は鈍感じゃからな。尚更に傷を大きくする」
俺はなぜそんな事を言われるのか分からなかった。
だが、コレは忘れてはいけない重要な事だという事くらいは、理解できた。
「…分かった。よく、覚えておく」
「そうか。ならもう言う事は無い。元の場所へ、帰るが良い…」
刹那、桜吹雪が吹き荒れ、何も見えなくなる。
視界が白く染まる中、強烈な眠気が俺を襲う。
再び、『あいつ』の顔が頭に浮かぶ。
なぜだろう。
『あいつ』を待たせてるからとか、そんなんじゃなくて、
今は、ただ無性に、『あいつ』に、会いたい。
会って、その顔を見たい。声を聞きたい。
俺は、うわ言の様に『あいつ』の名前を口にしながら、深い眠りに落ちて言った―



―幕間―

桜吹雪に包まれ、元の世界に戻っていく少年を、桜は見ていた。
少年は、眠りにつこうとしていた。
この世界から出ることによって、今までここでしていた事で感じるはずだった疲れを今更に感じているのだろう。
ここに居る限り、疲れなど感じないように、この世界を作り上げたのだから。
慕っていた、いや今でも慕っている少年を見やりながら、一人ごちる。
「ふ、は。…振られてしもうたの」
「ここまで、心が痛むものとはな…」
いや、はっきりと拒絶される前から、分かっていた。分かっていたのだ。ただ、好きだったから、認めたくなかった。
彼は、自分など見ていなかった。ここには居ない誰かを、見ていた。
おそらくは、一緒に来ていた。あの2人の少女を。
うらやましいと思う。なぜ自分に対してそんな感情を持ってくれないのかと。その時だった。
「………」彼が誰かの名前を口にしていた。
その名前は、彼と一緒に来ていた2人の少女のうちの1人の名前だった。
「…なんじゃ、女の方の片思いとばかり思っていたが…」
「両思いだったのか…最初から、結果は決まりきっていたわけじゃな」
「…ふん、せいぜい頑張るが良い」
その言葉は、自分の気持ちに気づいていない彼に向けられた言葉なのか、彼に好意を寄せる2人の少女に向けられたものなのか。
その答えは、誰にも分からない。
言った桜自身も、分かっていないのかもしれなかった。

―幕間 終―



俺が目を開いた時、最初に飛び込んできたのは、親友の顔だった。
「…目ェ覚めたかよ?」俺の顔を覗き込みながら、耕平。なんか前にも似たような事を言われたような気がする。
「あれ…ダメ宮なんでここに…」
「ちと稲葉の買い物に付き合うついでに寄っただけだ」よく見れば、後ろのほうに稲穂が居た。
2人で買い物なんて、珍しいこともあるもんだ。
「そしたらカナリアと凛ちゃんが血相変えてお前が居ないって言うもんだからな。何かと思ったぞ」
「ああ、ちと一人でぶらぶらと歩きたくなってな…そしたら転んで気を失ってたらしい」
本当のことを言っても信じてもらえるわけもなく、俺は適当にウソをついた。
「…まあ、そういうことにしといてやるよ」なにやら不満げな顔をしていた耕平だったが、そのまま引き下がってくれた。
「それより今2人にケータイで連絡したからな。覚悟しとけ?」意地悪げに耕平が笑う。野郎、道理で聞き分けがいいと思ったら。
「心配させたからな…俺、死ぬかもれん」
「逝ってらっしゃいって感じだな。死に水は取ってやるよ」
「不吉な事を言うなよ」俺は苦笑し耕平に言葉を返しながら周りを見渡す。
既に日はくれ、公園の桜はライトアップされ、そこここで花見の名を借りた酒盛りが開かれている。
俺が倒れているのも、酔いつぶれて倒れている風にしか見えなかったのだろう。ラッキーというべきなのだろうか。
誰かに見られているような気がして、後ろを振り向く。すると、桜の大木があった。
その木だけは昔からここにあった桜で、ここいらの土地を守護してくれるご神木として崇められていたらしい。
すっかりと色を失った純白の花びらをはらはら、はらはらと散らしていた。
ふと、その枝の一本に、何かが巻きついている。

「これは…」それは、古びて色あせたハンカチだった。
そういえば、あれは去年の春だったか、枝を折って持ち帰ろうとした子供を注意した事があった。
注意された子供は素直に言う事を聞き、どこかに行ってしまったが、枝は既に折れかけていた。
俺はとっさに持っていたハンカチを巻きつけ、枝を固定したのだった。
桜は繊細な植物だからあれで治るのか自信がなかったが、枝の先に花を咲かせているところを見ると、ちゃんと治ったらしい。
『昔お主には助けられたことがあってな。傷の手当てもしてもらったのじゃ』ふと、桜と名乗った少女の言葉を思い出す。
彼女の言葉、そしてこの木に対して俺がした事。まさか―
風も無いのに、木がカサカサと小さい音を立てる。『やっと気づいたか』と言わんばかりに、どこか嬉しそうに。
「気づかないで、ゴメンな」
「―また、来る」俺の言葉に、またも僅かに木が音を立てた気がした。なんとなく、嬉しくなった。
直後、俺を呼ぶ声がする。聞きなれた2人の声。
声のした方を振り返ると、凛と梨亜がこちらに駆け寄ってくる。
コレから俺に降りかかるであろうことを考えると、背筋に寒いモノが走るが、でも、嬉しかった。
また、2人の顔が見れて。
そして、何より『あいつ』の顔が見れて。喜び、安堵している自分が居る事に気づいた。
疑問に思う。なぜ俺は『あいつ』に会いたくなったのだろう?
桜が俺に迫ってきた時、『あいつ』の顔が浮かんだんだろう?
そんな考えは、梨亜の放つドロップキックと凛のハイキックで中断された。
その想いが、恋だと言う事に、俺は気づくのは大分先のことになるのだった。


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