あんな精神状態で、眠れるわけが無い。
そう思っていたが、俺の心というものは自分が思っていたよりもタフだったらしく、いつの間にか寝入ってしまったらしい。
目を開ける。カーテンの隙間から、容赦なく降り注ぐ朝日が目に沁みる。
学習机の椅子にもたれかかるようにして、俺は寝ていた。
変な姿勢で寝ていた所為か、体の節々が痛い。起き上がると、何かが体から滑り落ちた。
見ると、それは薄手のタオルケットだった。自分でそれを体にかけた覚えは無い。だとすると―
机を見る。そこには、昨日解いた問題集。昨日といたページが開かれた状態で、置かれていた。
そういえば、『明日までに答え合わせしておきますから』と凛が言っていたっけか。
勉強の成果か、ほとんど正解だった。外した問題には正しい答えと注釈が赤文字で書かれていた。
問題集をしまおうとすると、問題集の表紙にメモ用紙が貼り付けられていた。
そこには、『お疲れ様でした。まあこの程度の問題、解けて当たり前ですが』と書かれていた。凛が書いたのだろう。その下には、
『変なトコで何もかけないで寝ると、風邪引くよ。夏風邪はバカが引くんだから気をつけれっての』
『毛布かけといてやったから、大丈夫だとは思うけどさ。感謝するんだもんね』
と、違う人間の筆跡で書かれていた。この見覚えのある少し汚い文字、梨亜のものだ。
ってことは、毛布かけてくれたのは梨亜か。
2人の俺に対する、いじらしいまでの気遣いが、とても嬉しい。
メモ帳の少し棘のある文も、それは素直になれないからだという事が、今なら分かるし、それに籠められた俺に対する想いも、分かる。
そう、想い―
―その分、いつも私達のことを第一に考えてくれる、とっても優しいあの人が、好きなんです―
―私、金成梨亜は…傍に居る内に…当たり前の様に…ごく自然に…桐生隆が、好きになりました―
昨夜、図らずも聞いてしまった2人の想い。その想いは、純粋に嬉しい、だが―
ギチギチ、ギチギチと、音が聞こえてきそうな程の胸と心の軋みに、俺は顔を顰める。
その想いが純粋かつ大きいものであればあるほど、それは俺の心を締め付ける。
なぜなら、俺はその2つの想いのうち、1つを踏みにじらなければいけないのだから。

第16話「R or R?」

「桐生の様子がおかしい?」と、怪訝な顔で稲穂は言葉を返した。
時は昼休み。午前中の授業が終わり学食で食事を取る人間は食堂へ向かい、
弁当組は弁当を持ち寄り、友人あるいは彼氏彼女と一緒に外に出たり、机をくっつける等して和気藹々と談笑しつつ昼食を取っていた。
稲穂達もその例に漏れず、互いに机を寄せあい、弁当を広げていた。
「そうなんです。ずっと何か考え込んでる様子で…授業も上の空でした」と、不安げな顔で、凛。
「私もよく分からないわね…耕平、何か知らない?」と、隣にいた耕平に稲穂が聞いた。
「俺も知らねえよ。いくらダチだからって何でも話すわけじゃねえし。それに授業サボってた俺が分かるわけねえだろ」
「威張って言う事じゃないでしょ」稲穂は耕平にアイアンクローを喰らわせた。
「ぐぁ…なんかある種懐かしさすら感じるこの苦痛ー!」悶絶する耕平。その様子を見て満足したのか、稲穂は手を離した。
「痛ぅ…。稲穂〜苛めるならベッドの上だけでガフ」耕平が言い終わる前にその顔に稲穂の裏拳がめり込んだ。
「食事中に何言ってんのアンタは…!」
「…否定はしないんですね」と凛。
「い、いや、それはね…その…も、もう!アンタの所為だからね!?どうしてくれるのよぅ!」
「悪い悪い。凛ちゃんにカナリア。さっき言ったのは冗談だ」
「ベッドの上で苛めてるのは俺のほォウッ!?」
またも稲穂は耕平が言い終わるのを待たず、今度は鞄で耕平の頭を思い切り殴打した。吹き飛ぶ耕平。
「だからこんな所でそんな事を言うなこのバカぁっ!(//////)」顔を真っ赤にしてツッコむ稲穂。
「…それでも否定はしないんだねイナっち…なんだかんだ言ってまんざらでも無いって事?」と、半目で、梨亜。それを聞いた稲穂は、
「うぅ…わ、私の事はもういいじゃないのよぅ…」赤い顔のまま縮こまるのだった。
「…まあ、俺と稲穂の事はともかく。そんなに気になるなら本人に聞けばいいじゃねえか」という復活した耕平の言葉に、
「それがさ〜話しかけると『用事があるからまた後でな』とか言ってすぐ居なくなっちゃうんだよね」と梨亜が答え、顔を曇らせる。
「なんと言うんでしょうか…避けられてる、感じがするんです」
「朝も『今日は食欲が無い』とか言ってすぐ学校行ってしまいましたし」と、梨亜の言葉に続いて、凛。
「なるほど、そう言えばそうだな…と、そろそろ俺、行くわ。稲穂、弁当サンキュ」食事を終えた耕平は、おもむろに立ち上がった。
「べ、別に、多く作りすぎただけよ…それより耕平、何処に行くの?」
「ちと野暮用」とだけ言うと、耕平は教室を出て行った。

「やっぱここに居たかよ」耕平がドアを開けると、そこには隆がいた。
隆は手すりに寄りかかるようにして、空をぼんやりと見ていた。
どことなく、心ここにあらず、と言った面持ちで。
そこは屋上だった。
遠い蝉時雨。夏の強い日差しが容赦なく照りつける。
隆の額にはうっすらと汗が浮かんでいた。
「…誰だ…って、なんだ、ダメ宮か」
耕平の声に隆は振り向き、気のない声で言った。
「なんだとはねえだろ。…にしても、お前の行動パターンは変わらねえな」
「悩み事があるといっつもここに来るよな、お前」
耕平は隆の隣まで来ると、手すりに背を向け、もたれかかる。
「カナリアと凛ちゃん、心配してたぜ?何があった?いいからこの俺に言ってみ?」
「別に…悩み事なんか、無えよ。…空が、見たくなっただけだ」
外に目を向けたまま、隆はぶっきらぼうに答えた。
「…はあ、そうかよ。ま、何かあったら遠慮なく言えよ?その為のダチだろ」
「ああ。そうする」
「…ま、用はそれだけだ。俺は稲穂のトコに戻るわ。授業に遅れんなよ?」
「サボリ魔のお前に言われたくねえよ」
「はは、そうだな。じゃ、またな」
とだけ言うと、耕平は踵を返し、校内に通じるドアへと向かった。
その時だった。
「…話せるかよ…」と、隆が呟いた。
耕平は、聞こえないフリをした。

放課後。
授業を終えた生徒たちは三々五々と教室から出て行く。梨亜と凛の2人は一緒に帰るために隆の席まで行くと、
「タカシ〜一緒に帰ろ〜ぜぇ。ついでにどっかで遊んでいくもんね♪」
「道草するのはいけない事ですし、夕食が遅れるのはいただけませんが、追試にも受かった事ですし、たまには許してあげますよ」
と、声をかけるが、
「…スマン。ちっと寄るトコあるから先帰っててくれ。じゃあな」
そう言い残すと、隆は足早に教室から出て行ってしまった。
「あっ、ちょっとタカシさん?…もう!今日のあの人はオカシイです、ワケが分かりません!」凛の苛立たしげな声。
「アタシの誘いを断るなんて、タカシのクセにナマイキなんだもんね!」頬を膨らませる梨亜。
「確かに、変よね…桐生になんかあったのかしら。ねえ耕平、どう思う…って、話聞いてる?」
「…ん?ああ、悪い。聞いてなかった。それより凛ちゃん、カナリア」
「「何(ですか)?」」
「昨日の夜何があったか、もっぺん聞いてもいいか?」
「別に、いいですけど…」
「どうしたのさ、ダメ宮?」凛と梨亜、二人の言葉に、
「良いから頼む」耕平は短くそう答えた。
「だからさ、昨日は―」と、梨亜が昨日の夜のことを話すと、
「…そうか、そういう事か。…っつーかそれしかねえだろ…何でその事に気づかねぇんだ、俺のアホ…」
と耕平は再び何事か意味の分からない事を呟いた。
「悪い、稲穂、凛ちゃん、カナリア。俺もちっと用事が『出来た』。今日は悪いけど3人で帰ってくれ」
それだけ言うと、耕平は3人の返事も聞かず、鞄を引っつかみ教室を出た。
「あの馬鹿野郎…ッ!!」
廊下を走りながら、耕平は、吼えた。

VIP百貨店。その一角にあるゲームセンターに、隆は居た。
だが、隆は何をするでもなく、ゲームセンター内のベンチで、ただ座っていた。
そんな彼に、声をかける者が居た。耕平だった。
「テメェ…こんなところにいやがったか。屋上の次はゲーセンかよ…」
「…よくここが分かったな」
「分かったわけねえだろ。お前を探すのに費やした、本来稲穂とイチャイチャする筈だった時間と、それに使うカロリーを返せ」
「…スマン、飯ならちゃんと作る、だから―」
「そうじゃねえ。お前に聞きたいことがある。だから探した」
「…聞きたいこと?」
「お前、聞いてたな?」
「…何の事だ」刹那。そう答えた隆の胸倉を、耕平が掴み上げた。
「とぼけんじゃねえよ。昨日の夜、カナリアと凛ちゃんが話してた事に決まってるだろうが」
「…だったら、どうだってんだよ」
「なんだと?お前、本気で言ってんじゃねえだろうな?」
「あの2人の気持ちが分かったんだろ?何とも思わねえのか!?」と、耕平が問うた次の瞬間、
「…何とも思わない?そんなわけねえだろうがッ!!!!」隆が、激昂した。
「ああそうだよ、聞いたよ!夢なんじゃねえかって思った」
「だけどな、ダメなんだよ。俺は…『あいつ』が好きなんだッ!」
「両想いだったって分かって、すげぇ嬉しかった。でも、『あいつ』を選んだら―」
「もう片方を傷つける、か…オイタカシ」
「なんだよ」
「歯ぁ食いしばれ」
「何を―」隆がそう言い終わる前に、
ゴッ!耕平は隆の顔面を、思い切り殴っていた。

「ぐ…あ…」頬を押さえ、立ち上がる隆。口の端からは、僅かだが血が流れていた。口を切ったらしい。歯が折れなかっただけ僥倖だが。
その胸倉を、もう一度耕平は強引に掴み上げ、触れ合うくらいに顔を寄せる。
「ふざけんなこの馬鹿野郎!お前1人が黙ってたところで、このままずっと今まで通りでいられるわけねえだろ!」
「何にだって、終わりは来るんだよ。俺たちの場合、それが他の奴等より、ちっと早かった。それだけなんだ!」
「そんな時出来る事なんて、自分にとって一番納得できるように、終わらせる事しか出来ないんだよ!」
「それにな、タカシ。自分が選んだら、もう片方が傷つくって、言ったよな?」隆は答えない。
「あの2人がその程度、覚悟して無いとでも思ってたのかよ!?お前、あの2人をナメ過ぎだ」
「臆病なお前と違ってな、あの2人はそんな覚悟、とっくに出来てるんだよ」
「傷ついてしまうかもしれない。でも、そんな事分かっていても諦められないくらい、お前の事が好きなんじゃねえか!」
「お前、自分勝手な都合で、そんな2人の思いを無視し続けるつもりか?もしそんな事したら、お前を一生軽蔑してやる」
「お前がどっちの方が好きなのかなんて、分からねえけど―」
「伝えろよ、お前の思いを。行けよ、馬鹿で最低な臆病者」
「行って、タダの馬鹿になってこい」その言葉に、しばらく隆は沈黙していたが、
「は、ははは…ダメ人間に馬鹿なんて言われちゃ…世話ねえな。ま、事実だからしょうがない、か」
自嘲気味な笑顔を浮かべ、隆はようやく口を開いた。
「ダメ宮、世話かけて、悪かったな。お陰で覚悟が決まった。全部に、ケリつけてくる」
「…何処に行くんだよ」
「俺は…凛に、言わなきゃいけないことがある」瞳に決意を漲らせ、隆は答えた。
「…それがお前の答えかよ」
「…ああ」
「そ、か。じゃあさっさと行け。コレで『やっぱダメでした』とか言ったらぶっ飛ばすぞ?」
「ああ。肝に銘じとく」苦笑しながらそう言うと、隆は走り出した。
もはや振り返る事無く、真直ぐに前を見て―

隆が居なくなったのを確認すると、耕平は、
「もう出て来ていいぜ」と、言った。
すると、背後の大きなゲームの筐体から、
「…いつ、気づいたのさ」梨亜が、顔を出した。
「最初っからだ」振り向かず、耕平は即答した。
「お前、尾行下手糞過ぎ。あんなのに気づかないのなんて、タカシくらいだっつの」
「そっか…あ、あはは…」梨亜が乾いた笑い声を上げる。
「俺はお前に同情しねえぞ?…ちっとばかし、遅すぎたんだ。お前は」
「べ、別にそんな事、頼んでないもんね…」
「た、タカシがそう選んだんだもん。しょうがないじゃん」
「ま、でもな…」
「愚痴くらいは聞いてやる。お前の胸にたまってる全部、受け止めてやる」
「吐き出しちまえよ。そんで、明日また笑え」耕平がそう言った直後、
ぽふ。背中に柔らかい感触。耕平の背中に、梨亜が顔をうずめて来たのだ。
(まったく…稲穂といいコイツといい…俺の背中はタオルでもなきゃ枕でもねえのに)
口には出さず、心の中でボヤく耕平。
「う、うああああ…バカ、タカシのバカバカぁ…」
涙をぽろぽろと流しながら、嗚咽する梨亜。
「バカ…アタシの…バカぁ…」
耕平は、小さく溜息をついた。
しばらく、梨亜の涙は止まりそうに無かった。



自分の家に向かって走りながら、俺は思う。

―凛、ごめんな。俺、お前の気持ちにずっと、気がつかなかった。

―その上、その気持ちに気づいた後、自分の臆病さのせいで、お前達の気持ちを無視するところだった。

―でも、もう迷わない。

―お前に、俺の気持ちを伝えよう。

―今までの事全部に、ケリをつけよう。

―俺は、誰かを傷つけてしまう事から、もう逃げたりしない。

―自分の下した判断に、自分の出した結論に、

―俺は、『コレでよかったんだ』と、胸を張ってみせる。

―だから、コレから俺は、お前の所に行くぞ―

俺は、凛の居る自分の家に、辿り着いた。
見慣れた我が家なのに、見知らぬ場所に見えた。



―幕間―

場所は変わり、梨亜の家。彼女の部屋で、
「………………………………」
梨亜は、無言でポテトチップス(以下ポテチ)の袋に無造作に手を突っ込むと、つかんだ大量のポテチを頬張る。
「おい、梨亜、いい加減やめろよ、『レントン・サーストンごっこ』は」その様子を見かねた耕平が、半目になりつつ声をかけるが、
「………………………………」梨亜は何も言わず、ポテチを機械的に口に運ぶ。
ムシャムシャと、乾いた咀嚼音だけが、部屋に空しく響き渡る。
ポテチを飲み込み、再び袋に手を入れる。だが、もう既に空になっていた。
次の瞬間、迷わず次のポテチの袋に手を出したのを見て、稲穂もたまらず、
「あ、あのさ金成…幾らなんでも…それ以上は…太るよ?」おずおずと声をかける。
その言葉に、梨亜はピクリと反応する。やめてくれるかな、と稲穂は安堵の溜息をつくが、
「…別に、太ったっていいもん」
「もう、アタシがどうなったって…タカシがアタシに振り向いてくれるワケないんだもんね…」
悲しげで、かつ自暴自棄な声で、梨亜はそう答えた。その表情は、何処までも虚ろだ。
梨亜がポテチの袋を開けた、その時だった。
家のチャイムが鳴った。
「………………………………」ノーリアクションの梨亜。
耕平はそれを見るとはあ、と溜息をついて、
「…俺行って来るわ。どの道今のコイツ、人に見せられる状態じゃねえし。勿論精神的な意味でな」
「他のどんな意味があるのよ。それなら私も行くわ」稲穂も立ち上がった。
玄関に辿り着くと、扉を開ける。
「悪いけど、今―」そこまで言って、耕平は驚愕した。思わぬ人物がそこにいたからだ。
「なっ…タカシ…お前なんでこんな所に居るんだよ!?」
そこに居たのは、隆だった。

―幕間 終―



『なっ…タカシ…お前なんでこんな所に居るんだよ!?』
耕平が、驚いた様子で、俺に聞いてくる。
はて?なんでこいつこんなに驚いてるんだ?
「…俺がここに来ちゃ悪いのか?」
「当たり前だろうが!お前今更カナリアに何の用だってんだ!?」
だから、何でコイツはこんな事を言うんだろう?
ってゆーかなんでそんなに怒ってるんだ?
「あのなあ、俺は―」わけが分からんが、仕方ない。俺が説明しようとしたその時、
「あ、桐生じゃない。なにそんな所で突っ立ってるのよ、早く上がれば?」
稲穂が玄関に顔を出した。こいつも居たのか。
「いや、ダメ宮の奴がな…まあいいや、それじゃ上がらせてもらうわ」
「梨亜は2階の部屋にいるんだよな?」
「ええ。…にしても、遅いわよ、このバカ」
そう言うと、稲穂は悪戯っぽい笑みを浮かべてみせる。
「スマン」俺は苦笑しながらそう答えた。コイツもこんな風に笑うんだな。妙に感慨深くなる。
「ちょっと待て!俺の話はまだ」耕平がそこまで言ったところで、
「アンタは私と一緒に帰るの!アンタ本気で野暮天になりたいの!?」
稲穂は耕平の耳を摘むと、外に向かって引っ張っていく。
「あ痛たたた!おい、それ一体どういう―」引っ張られながら、耕平はなおも稲穂に何か聞こうとしたが、その言葉は、
「良いから来る!」稲穂に遮られた。2人はそのまま家の外へと出て行った。
(サンキュ、稲葉)俺は心の中で稲穂に礼をすると、梨亜の部屋へと向かった。

(なんか、空気、重たくないか?)そんな事を考えつつ、俺が部屋に入った。
「…そんなにポテチばっか食いやがって…太るぞ?」その俺の言葉に、梨亜が僅かに顔を上げた。
俺を見て、梨亜は僅かに驚いたように見えたが、すぐにどんよりとした顔になり、
「…なんでタカシがここに居るのさ」と不機嫌そうにそう言った。よく見ると、何故か目元が微かに赤い。
耕平もコイツも、なんでこんな事を言うんだろう?ホント、ワケが分からん。
「ダメ宮にも言ったんだが…俺がここに来ちゃ悪いのか?」
「ダメに決まってんじゃん!タカシは…凛ちゃんのトコに居なくちゃダメなんだもんね」
「アタシが知らないとでも思ってんの?…好きなんでしょ?凛ちゃんの事」
「おい…なんでそういう話になる?」
「どぼけるなこのバカ!…だ、ダメ宮から聞いたんだもんね」
「タカシが『凛に、言わなきゃいけないことがある』って言った事」
「ああ…そういう事か。だからダメ宮もあんな…」
「だから、早く行っちゃってよ!タカシの顔なんて…見たくないもんね!」
「あのなぁカナリア…いやダメ宮もだが…お前等、大きな勘違いをしてるぞ?」
「うるさいうるさーい!いいからさっさと凛ちゃんのところに行けよバカー!」
「だから…なんで俺が凛のトコに行かなきゃ行けないんだよ?行けるわけ無いだろ」
「はあ?行けるわけ無い?なんでさ」
「何でって…はあ…何でって…お前…」今回の事で、俺は相当な鈍感野郎だって分かったが、こいつも相当じゃねえか。
まあ、似た者同士なんだろうな。俺は溜息をつきつつ、言った。
「俺が、凛をフッたからに決まってるだろうが」



―幕間―

「あつつつ…おい稲穂!いい加減その手を離してくれよ、痛ぇよ!」
その言葉に稲穂はパッと、手を離した。勢いあまって、尻餅をつく耕平。
「急に離すなよ!」
「何よ、離してって言ったり、離すなって言ったり…どっちなのよ」
「やかましい!でも一体どういうことだよ!?説明してくれよ!」
「…あのさ、耕平…ほんっとーに、気づいてないわけ?」
「何にだよ!?ワケ分かんねぇぞ!?」
「…はあ。アンタ桐生のことしょっちゅう鈍感呼ばわりしてるけど、人のこと言えないじゃない」
「いい?それじゃ説明してあげる」
「っていうか桐生と一緒に居れば大体分かりそうなもんだと思うんだけどね」
「もったいぶらずに早く言えよ」苛立たしげに耕平は話の続きを促す。
「分かったわよ。…もう、せめてがっつくのはベッドの上だけにしてよね」
「こんな時に冗談言ってる場合かよ。だから早く―」
「桐生は…まあ、最初は無意識のうちにそうしてたんだろうけど」
「ここ最近は、自覚してたみたいね」
「…何を?」
「今から言うから焦らないの。桐生は、アイツは―」

―幕間 終―



「…へ?」梨亜が、間の抜けた声を漏らす。
「だから、俺は今凛の所に行けません。以上」
「ちょ、ちょっと待ってよ、何で凛ちゃんをフるのさ!?」
「何でってそりゃお前…凛とは付き合えないからに決まってるだろ?」
「で、でも…『言わなきゃいけないことがある』って…」
「ああ。言って来たぞ?『お前の事は、大切な存在だけど、それは妹のような存在としてだ』って」
「『恋人として、1人の女として、見る事は出来ない』ともな。スゲェ泣かれたぞ。俺もう天国には逝けそうに無い」
「そ、そんな…で、でも勿体無い事したねタカシ。あんな綺麗な子フるなんてさ」
「しょうがねえだろ、他に好きな奴が居るんだから」
「え…」俺の言葉に、梨亜が凍りついた。
「な、なんだ、そういうことだったんだ…そ、それならしょうがないよね…」
「そうだな、しょうがないな」
「そ、それなら言っちゃいなよ、誰が好きなのかさ。アタシの知ってる奴?」梨亜の口元は、僅かに引きつっていた。
「ああ、そうだな。知りすぎるくらいによく知ってると思うぞ。ぶっちゃけ俺より」
「そ、そうなんだ…もう、早く言えって」今にも泣き出す寸前のような顔で、梨亜が俺に問うた。
その様子に、俺は不謹慎ながら笑いを堪えるのに必死だった。まだ気づかんのかこいつは。
「分かったよ…俺が、好きなのはな―」
「(ゴクリ)」生唾を飲み込む梨亜。
「お前」
「…へ?」再び間の抜けた声を漏らす梨亜を見た俺は、たまらず爆笑した。
ちなみに、後で聞いた話なんだが、
「…へ?」その時、耕平の奴も、なんとも間の抜けた顔で、間の抜けた声を出していたらしい。ああ、超見たかった。
「そりゃ、どういう事だ?もっかい言ってくれ」という耕平の言葉に、
「だから、桐生の奴はずっと金成の事を見ていたって言ったの」と、稲穂が答えたんだとか。それを聞いた耕平は、
「…マジかよ…」それだけ言って、呆然と立ち尽くしたらしい。
後に稲穂は今日の事を、『今まで生きてきた中でもトップクラスに愉快な出来事があった日』と言っている。

「ははははは…おいおい、何だよ、まだ分からないのか?」
「なら、もっと分かりやすく言ってやる」俺は、梨亜の瞳をを真直ぐ見つめると、
「俺…桐生隆は…傍に居る内に…当たり前の様に…ごく自然に…金成梨亜の事が…好きになりました」
「なっ…た、タカシ…聞いてたの!?」
「ん〜?何の事かわっからねえなぁ」俺はわざとらしくとぼけてみせる。
そして、極めて真剣な顔と声で、
「俺は、俺の思ったままを、言っただけだ。この気持ちに嘘は無い」
「お前を…お前だけを、ずっと見てた。好きだ。梨亜、大好きだ」
俺の言葉を聞いた梨亜の体が震える。そして、嗚咽し始めた。
「ぐすっ…ひっく…タカシ、タカシィ…ふええええええぇ…」
「…泣くほど、イヤなのか?」もしそうならちょっと、いやかなりショックだ。
「バ、バカぁ…嫌なわけ…ないだろぉ…嬉し涙とそうでない涙の見分けくらい…つけよぉ…」
「アタシが…どれだけの間…タカシの事…考えてたと…思ってるんだよぉ…」
「えっと…2、3年位か?お前だって、他に初恋の相手くらいいるだろうし」
正直、これでも長めに言ったつもりだったが、次の梨亜の言葉は、俺の想像を遥かに超えていたわけで。
「…もっとだよ…タカシ以外の人間に、こんな気持ちになった事なんて、無いよぉ…」
なんと。確かに、それなら俺の言った程度の年月じゃ到底足りまい。
というか、初恋の相手―つまりは俺―を、ずっと、想い続けて来たと?
何年もの間、俺を…俺だけを想い続けてくれたのか?
ヤバイ、嬉しすぎる。俺の心の琴線に、思い切り触れてきやがるよコイツ。
次の瞬間。俺は思わず梨亜を抱きしめていた。

「いきなり…ゴメンな…でも俺、俺…」
「ううん…いいよタカシ…もっと、もっと強く…抱きしめて…」
「ああ」俺は、梨亜を抱く手に力を込める。意外と華奢だったんだな、コイツ。
「タカシ…コレ…夢じゃ、ないよね…?」
「バカだな…夢なわけ、ないだろ…」当たり前だ。俺は女1人、泣かせてきてるんだぞ?
俺のこの溢れそうな、いや、とっくに溢れちまってるこの気持ちを、夢なんて言葉で片付けられてたまるか。
「バカでいいもんね…バカで…」
「タカシが一緒に言ってくれるなら…好きって…言ってくれるなら…なんだっていいよぉ…」
「ずっと傍にいてやるし、何度だって言ってやる…好きだ。梨亜」
「もう、離さない」
「〜〜〜〜〜〜っ!」俺の言葉に感極まったのか、嬉しそうに身震いする梨亜。
「さてと、それで、だ」
「…なぁに?タカシ」
「俺、返事を聞いてないんだが?」
「…え?」
「だからぁ、俺はお前の事が好きだって、言ったよな?」
「…うん(///////)」
「対する俺は、お前からまだ何も聞いてないんだが」
「お前から直接、はっきりと俺の事どう思ってるか、聞いてないんだがなぁ?」俺は邪悪な笑みを浮かべ、梨亜に問うた。
「そ、そんなの…もう言わなくたってわかるじゃんかぁ〜…」梨亜が、泣き笑いのような表情を浮かべる。
「さあ?わかるってなんの事だろうなぁ〜?」
「うわ…最低だよコイツ、このドSが…」何を今更。

「ううう…ばか、ばかばか!タカシのバカぁ〜!」
抱きしめていた俺の手から逃れると、梨亜が俺の体をポカポカと叩き始める。
ノロケだとは分かってはいるが、そんな仕草もまた、愛らしい。
「お、おい、やめろって…」苦笑しながら、俺。
「うるさいうるさいうるさーい!」
「タカシがっ!泣くまでっ!叩くのをっ!やめないっ!」
なおも俺を叩き続ける梨亜。
「お前な…いい加減…」
そこまで言った、その時、
今まで叩いていた梨亜の両手が、俺の頬に優しく触れ、
「ちゅっ…」
梨亜の唇が、俺の唇と触れ合った。
要は、キスをしてきたのだ。
「…!!!」やられた。完璧な、不意打ちだった。
「ん…はむ…んんっ…ちゅ…」
「ど、どう…?こ、コレが…返事…だもんね」梨亜は耳まで真っ赤になっていた。
「大好きだよ…ばか」そう言うと、梨亜は満面の笑みを浮かべた。
コレが、桐生隆の、ファーストキスだった。
ファーストキスの味は、ポテトの味がした。
うすしお味だった。
一生、忘れられそうに無い。
というか、忘れてたまるか。



―エピローグ―

数週間後。
俺と梨亜は、夏祭りの会場に来ていた。
人いきれ、甘い匂い。
祭りの喧騒と、俺の隣にいる恋人が、夏の1ページを彩っていく。
「タカシ、次は何処に行く?」
可愛らしい浴衣を着た梨亜が、楽しそうに俺に笑いかける。
その手には、綿菓子や串焼き、チョコバナナやリンゴ飴など、露店で買った沢山の食べ物が握られている。
その大半は、俺が奢ったモノです。
「その手のものを全部片付けてからにしろよ。俺の財布が持たないだろうが」近くのベンチに腰掛けながら、俺は梨亜に言う。
「財布忘れてゴメンね」ばつが悪そうに、梨亜が苦笑した。
「別にいいけどよ…うお、もう全部食ったのか」
「まあね。私に不可能はないんだよ」
「そんな事で不可能は無いって言われてもな…その勢いで、大学も受かる気か?」
「もっちろん」
そう、コイツは自分の脳みその出来も考えず、俺と同じ大学を志望してきやがったのだ。
俺は元々卒業したら、何処かのレストランあたりで修行しつつ、働こうと思っていたのだが、
親に『大学出てからでも、遅くはないだろう』と進められ、進学を決意したのだ。
それを梨亜に伝えると、『アタシもそこ行くもんね!』と高らかに宣言したのだ。身の程も弁えず。
事実、進路相談でその事を聞いたジョージ先生が『Oh my god!』とムンクの『叫び』のような表情を浮かべ、絶叫したらしい。
その気持ち、痛いほど分かりますよ先生。
まあ、高校の時と同じと言えば、それまでなのだが、大学受験となるとその難しさは段違いだ。
「不安だ…そりゃ俺もお前と同じ大学行けりゃ最高だけどさぁ…」
「あ〜まさか疑ってる?大丈夫だよ。本当に、今のアタシには不可能な事なんてないもんね」

「まあ、1つだけ条件があるけどね…その条件はね…タカシが一緒にいてくれる事」
「今…アタシはとっても充実してる。体に力が漲ってさ、どんなに無理したって、何とも無いんだ」
「朝どんなに早く起きたって、スッキリしてるし、どんなに遅くまで起きたって、ぜんぜん疲れなんて感じないんだもんね」
「まあ、タカシが『好き』って言ってくれたら、さらに元気百倍、って感じだけどさ」昔っからコイツはこうだ。
普通の奴だったら恥ずかしくて言えない事や、何の根拠もない事を、
臆面もなく、自信満々に言ってのけて、何にでもチャレンジしてみせる。
俺は時々、そんなこいつの事が、とても眩しく思える時がある。
いや、俺は、コイツのそんな所が、好きになったのかもしれないな。
そんな、戯言めいた事を考えていると、
「ほらタカシ立て!花火、始まるみたいだよ!」と、梨亜が俺の手を強引に掴み、立ち上がらせる。
次の瞬間、轟音とともに、花火が夏の夜空を明るく染め上げた。
「綺麗だね…」花火に見とれた梨亜が、感嘆の溜息を漏らす。
「お、お前の方が…その…綺麗だけど、な」俺は梨亜から目を逸らして、言った。
うわ、すっげ照れくさいなコレ。こんな事をさらりと言ってのける耕平の脳みそはどんな構造をしてるんだ?
稲穂に聞いてみようか。いや、「バカなだけよ」って言うに決まってる。
「な、慣れないこと言ってんじゃねーよ…バカ」梨亜の頬が赤くなる。
「ね、タカシ…」
「ん?」
「しやわせに、なろうね」
「…ああ」俺は梨亜に笑いかける。梨亜も、笑っていた。
…俺は思う。コイツとなら、幸せな明日を信じて、歩いていく事が出来る。
この先、辛い事や悲しい事が、いっぱいあるかもしれない。
それでも次の日には、互いに笑い会って生きていけると、信じている。
「ずっと…一緒に居ような」俺は、梨亜の手を、強く握り締めた。俺の言葉に梨亜は、
「うん!」とても、とても嬉しそうに梨亜は返事をして、
俺の手を、強く握り返した。


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