―プロローグ―

その日は、卒業式だった。
既に式は終わり、面倒な事が終わったとばかりにさっさと帰る者、
親しい友人や恩師との別れを惜しみ互いに泣いたり、記念写真の撮影に精を出す者、
中にはもうすでに卒業旅行の予定を話し合っている者達も居た。
そんな中校内の一角にて、一組の男女が他の例に漏れず、目前に控えた別れを控え最後の会話をしていた。
「もう、行っちゃうんだね」男の方が悲しそうに言う。
少し気弱そうに見える、眼鏡をかけた男だった。
「そうね。引越しとかイロイロ在るから。…海外だからそういう準備は早めにしないといけないもの」
その言葉に、女が答える。気の強そうな、端正な顔立ちの少女だった。
「フランス…だっけ。そんなところに料理の修業のために留学なんて、すごいよね」ほう、と溜息をつく男。
「ま、まあね。日ごろっからのんべんだらりと過ごしてたブンと違って、私は才能があったし努力もしたから」
「私が居なくなった後、あんたがちゃんとやれるのか不安だわ」
「ひどいなぁ。僕、そんなに頼りないかな?」ブンと呼ばれた男は弱々しく反論したが、
「当たり前じゃない」女は即答した。その言葉には一片たりとも迷いは無かった。
「うう…ま、まあ五代の奴も居る事だし、大丈夫だと思う…よ」
「もう既に、人に頼るのが大前提になっている時点でダメダメじゃないの」
「反論できないなぁ。やっぱり、君には敵わないや」
「…はあ。もう、しっかりしなさいよね」
「そうだね…あ、もうそろそろ時間じゃないの?」
その言葉に女は時計を見る。
確かに、もう学校を出なくてはいけない時間が迫っていた。

「そうね…あ、あのさ…ブン…」
突然、彼女の声は小さくなり、モジモジとしながら歯切れの悪い話し方になる。
「?」男は怪訝な表情を浮かべる。いつもの自信満々で、強気な彼女らしくない、と思う。
実はそれは彼女の弱い心を守るための鎧でありカモフラージュである事など、知るわけも無く。
「あのね…わ、私ね…」頬がほんのりと赤くなっている。
その顔は憂いを帯び、儚げな雰囲気に満ちていた。
そんな彼女を見て男は綺麗だな、と思う。
「あ、私…あ、あんたと…」
「どうしたの?」
「あんたと…そ、そう!別れ別れになる前に、写真でも取らない?」言い終わった瞬間、彼女の表情ははいつものそれに戻っていた。
勇気が出ず、想いを伝えられなかった事による苦い後悔が彼女を襲っていたが、男がそれに気付くはずもなかった。
「アンタって、あんまりにも平凡すぎて印象に残らないから、すぐ忘れちゃいそうだし」
「つくづく君って奴は…オーケイ、そういう事なら喜んで」男は苦笑すると、女の隣に立つ。
「はい、チーズ!」カメラを自分たちの方に向けた女の言葉とともに、シャッターが押される。
パシャリ。その音とともに二人の写真が取られた。
「コレで…お別れなんだね…」寂しげに、男が言った。たちまち、男の目尻に涙が滲む。
「バカ…泣くんじゃないわよ…男でしょ?ホンット…ブンは私が居ないと…ダメ…なんだから…ッ」
「君だって…泣いてるじゃないか…」男が反論する。言葉の通り、彼女の目からは大粒の涙がぽろぽろと流れていた。
「う、うるさいっ…これは…あれよっ…心の汗って奴よ!」
「ずるいや」男は苦笑した。泣きながら、苦笑していた。
「それじゃ…また、会おうね」意を決し、男が別れの言葉を切り出す。
「うん…また…ね」男の言葉に女も別れの言葉で返した。
こうして2人は、それぞれの道を歩み始めた。
そして数年後、2人の道は再び交わることになる。

第1話「再会、そして再開」

夏の某月某日、居酒屋「黒木屋」にて。
「うあ〜…どうすりゃいいんだ…」僕は頭を抱え、途方にくれていた。
僕の名前は山田 文(やまだ ふみ)。25歳。
つい先日までは市役所勤務のしがない地方公務員をしていたのだが…
「仕方ないだろう。今更泣き言を言ってどうする」
ウィスキーの入ったグラスを傾けながら僕を諭すのは、僕の幼馴染にして同僚だった五代 剛(ごだい つよし)。
彼は、幼い頃両親に事故で先立たれた。そして親戚も居なかったため、身寄りの無い彼は僕の家に引き取られた。
それ以来、1人暮らしをするようになるまで剛と僕は同じ家で育ってきた。友人というよりは兄弟と言ったほうが近いだろう。
ストイックという言葉が服を着たような性格の彼は、僕のようなユルい性格とはまさに正反対のはずなのだが、
そこがかえってうまくかみ合うらしく、今日までこの友人関係は続いている。
190cmを超える身の丈は、周囲の注目をイヤでも集めていたが、当の本人は対して気にしていない様だった。
「だってさぁ…どだい無理なんだよ、僕がレストランの店長だなんて」
「俺も協力する。だから情けないことを言うな…とは言うものの、気持ちは分からないではないがな」
「だよなぁ」僕ら2人は溜息の二重奏を奏でた。
事の始まりは1ヶ月前。いつも通り仕事を終えて、住んでいたアパートの一室に帰った直後だった。
突然の電話。電話の内容を聞いて、俺は急いで家を飛び出した。
父が、倒れた。病院で危篤状態。脳卒中だった。
幸い、一命は取り留めたものの、体の一部に障害が残るらしく、リハビリ次第で日常生活は何とか遅れるようにはなるという話だったが―
そこからが、問題だった。
僕の両親は千鳥遊(たかなし)町という、十数年前に神楽市に作られた新興住宅地に在る、小さなファミリーレストランを経営していた。
僕たちは昔、よくそこに遊びに行って父に「仕方の無い奴だ」などと苦笑されつつも、手料理を作ってもらったものだった。
だが、今父は体もまともに動かせない状態。母はその世話に追われる事になる。
あのレストランは料理人である父とウェイトレス(というよりは店員だが)の母の2人で経営していた店だった。
現在、あのレストランは無人となり、無期限営業休止状態となってしまっている。
必然的に、レストランを潰させないために、僕は立ち上がらざるを得なかった。

居酒屋を後にし、僕と剛は駅に向かって歩いていた。終電、まだ在るだろうか。
「とりあえず料理を作る人が居ないと話にならない…明日から人集めか…」
「仕事のノウハウも覚えねばな…前途多難だ」剛も僕の言葉に続く。渋いバスボイスが、いつもよりさらに低くなっている様に聞こえた。
目の前に山積みとなった課題に、僕らの間に重い空気が立ち込めたが、幸い僕らはブラックホールにはならずにすんだ。
駅に、到着したからだ。改札を通り、ホームで待つ僕たち、だが―
「あれ?こっち反対だ…」こっちは僕たちが行くところとは反対側の路線だった。
「向こう側に行こう」僕は剛に呼びかける。彼は無言で頷いた。
その時だった。電車がホームに到着した。とは言っても僕等がこの電車に乗るわけではない。
気にせずホームの向こう側に移ろうとした、その時だった。電車のドアが開き、チラホラと乗客が顔を出す。
その中に、見知った顔があった。高校卒業以来、会ってない、でももう一度絶対に会いたいと思っていた顔だった。
「六華!六華じゃないか!?」僕は思わず声をかけていた。
「嘘…ブンじゃないの!?」六華は目を丸くしていた。
彼女の名前は六道 六華(りくどう りっか)。
卒業と同時に、フランスにシェフとしての修行に行った高校時代のクラスメイト。
ちなみになぜ彼女が僕の事を「ブン」と呼ぶのか。
それは初めて会った時に、僕の制服についていた名札を見て彼女が読み方を勘違いして読んだからだ。
その後、彼女は半ば意地で僕の事をそう呼ぶようになったのだ。
「あれ…ゴウも居るじゃないの…2人共久しぶり」六華の顔に笑みが浮かぶ。
「久しいな六華…だが俺の名前の読みは【ツヨシ】だ。ゴウじゃない」剛が言葉を返す。彼女は剛の名前も読み間違えていた。
「べ、別にいいじゃない今更…」ばつが悪そうな顔で、開き直りとも取れる反論を返す六華。
「良くない。と言いたい所だが…今それを言うのは確かに無粋だ。止めておこう」微苦笑を浮かべ剛が引き下がった。
「それにしても、いつ日本に戻って来たのさ?まったく連絡くらいくれてもいいじゃないか。水臭いなぁ」という僕の言葉に、
「今日戻ってきたばかり。ゴタゴタとしてたから連絡が少し遅れたのよ」
「男のくせに細かい事言わないでよね。相変わらず器のちっさい男なんだから」昔と変わらぬ容赦の無い言葉。
僕はその言葉に少し落ち込み、そして大いに懐かしさを感じたんだ。

偶然にも、日本に戻った彼女が住む所は、僕の住むアパートの隣に在るマンションだった。
彼女が電車から降りたのは、乗り換えの為だったらしい。
僕らは一緒に電車に乗り、中で他愛も無い雑談に興じた。まるで学生時代に戻ったかのようだった。
「そういえば、アンタ達今何やってるわけ?」と、会話の途中で何気なく六華が聞いてきた。
その質問に、僕らは再び陰鬱な表情になる。嫌な事を思い出してしまった。いやまあ、いずれは考えなきゃいけない問題だけれど。
「市役所に勤めるごくごく普通の地方公務員だったさ…ついこの前までね」と未練がましく言う僕。
「それって、辞めたって事?なんで?」さらに聞いてくる六華。当たり前だよな。だが僕が答える前に、
「文の親父さんが倒れた。それで俺達が変わりにレストランを経営する事になった」剛が簡潔に事情を説明してくれた。
「それでついさっきまで、対策会議の名を借りた自棄酒を呑んでたのさ…はあ」僕は今日何度目になるか分からない溜息をついた。
「ふうん…まあ、せいぜい頑張れば?応援くらいはしててあげるわ」
「人事だと思って軽く言ってくれるよ…やらなきゃいけないことが沢山ありすぎて鬱になる」
「ああ…だが1つ問題は解決したとは思わんか?」と、剛が俺に向かって言ってきた。
「解決…ね。何がだい?」僕は彼が何が言いたいのか薄々感づいてはいたが、あえてその先を言わせた。
「六華の料理の腕なら問題ないだろう。これでシェフは確保できる。どうだ六華、受けてみないか?」
「頼む、新しいシェフが見つかるまででも構わん」
「お、おい剛…」頭を下げ、頼み込む剛を僕は制止しようと声をかける。
「文、確かにいきなり不躾な頼みをしているのだというのは承知だ。だがなりふり構っている状況では在るまい?」
「いや、そうじゃなくてな…」僕が剛を止めようとしたのはそれが理由ではない。
僕は彼女を見て『ある事』に気づいていた。そしてそれに基づく僕の予想が正しければ、彼女は剛の頼みを引き受けてはくれないはずだ。
だが、彼女から返って来た返事は、僕の予想に反するものだった。
「別にいいわよ。どうせ帰国したばかりで働くところも決まってなかったし」
「ま、まあ私の実力を考えれば私を雇ってくれる所なんて数え切れないくらいだけど」
「相変わらずあんた達、私が居ないとダメみたい。協力してあげるわ、感謝しなさいよね」
「…いいのかい?」という僕の問いに、
「いいからこの私に任せておきなさいって。ブンに心配される私じゃないわ」
彼女は昔の様な自信に満ち溢れた不敵な笑みを浮かべて、彼女はそう言った。

電車が到着し、僕と六華は剛と別れ2人で歩いていた。
しばらく先程の話とはまったく関係ない話をしていたが(というよりは彼女が一方的に喋っていたのだが)、
「でさあ、それでね…」楽しそうな彼女の話を、
「六華」僕は遮り、
「…本当に、いいのかい?」意を決して、彼女に聞いた。
「何よ、またさっきの話?ブンあんた妙にしつこいわね」
「それとも何?私と一緒に働きたくないの?なら素直にそう言えばいいじゃない」
「わ、私は別にあんたのところで働きたいとかそう言うんじゃないんだからっ…」
「違うよ、そう言う事じゃない。料理を作るって事を仕事にする事に、君が平気なのかな、と思ったから」
「…なんでそんな風に思うわけ?」
「だって、君もうしばらく料理なんかしてないだろう?」
「い、いきなり何を言い出すのよ、だって私はフランスで…!」
「ずっと料理の修業をしてた、か。…でもさ、おかしいんだよ。それにしては君の手は、あまりにも綺麗過ぎる」
「…!」僕の言葉に六華が息を呑む。
自他共に認める弱気な僕は、人の顔色を伺いながらコレまで生きてきた所為か、観察力や洞察力が人より多少優れているらしかった。
だがなぜか友人や六華には『そのくせ肝心な事には全然気づいちゃいない』と言われたけれど。どういう意味だろう?
でも、だからこそ分かった。料理の修行なんてしてたら、手は水仕事で荒れるし鍋を振れば手に豆も出来るだろう。
包丁を扱えば手を傷つける事だって在るかもしれない。
なのに、彼女の手にはそんなモノ、何処にも見当たらなかった。彼女の手はとても綺麗だった。
だからこそ、そう考えたんだ。
そして、彼女の動揺している様子を見るところ、その予想は当たっていたようだった。

「多少のブランクがあっても、君の腕なら大丈夫だろうと思う」事実、彼女の料理の腕前は天才と呼ぶに相応しい。
「だけど、君がアレだけ熱心に打ち込んでいた料理を止めたんだ。そうさせるだけの何かが君にあったんだろう?」
「今はその理由は聞かない。言わなかったって事は、言いたくない事なんだと思うから」
「でも、僕は君に無理をさせたくない。僕たちに協力する事で君が傷ついたり辛い思いをするなんて、イヤだ」
「もう一度、聞くよ。…本当にいいのかい?」
「今なら考え直す事も出来る。…まあ、剛には悪い事しちゃうけど」
しばらく沈黙していた彼女だったが、
「ていっ!」ガッ!彼女は急に僕の脛を蹴り上げた。
「痛い!?急に何をするんだ六華!?」僕は抗議するが―
「やかましい!ブンごときが私に気を使うなんて100年早いのよ!」
「あんたは黙って私に任せとけばいいの!それに、私は…」
「私は…ブン…あんたが…」顔を赤らめ、言いにくそうに言葉を少しずつ紡いでいく六華。
こんな事が、前にもあった気がする。そうだ、卒業式の日だ。
でも、今日は彼女と会ったばかりだ。別れるわけじゃない。それに写真を撮るわけでもない。なら、何故―
「あんたが…そ、そうよ、あんたの事がほっとけないからよ!あんた達ってば、私が居ないとホントダメダメなんだから」
「だから協力してあげるって言ってんのよ!悪い!?」まくし立てる彼女。言い終わる頃にはいつもの彼女に戻っていた。
だけど、今の僕には分かる。彼女の言いたいことはそんな事ではなかったんだと。
卒業式の時も、多分他に僕に言いたいことがあったんだと思う。
別れる前に、どうしても伝えたかった何かが。
でも、それ以上僕は追求しない事にした。彼女をこれ以上追い詰めたくなかったから。
「分かった。…なら、これからよろしくお願いします。シェフ」僕は微苦笑を浮かべ、彼女にそう告げた。
「分かればいいのよ、ばか。それじゃ、これから頑張りましょう」彼女は破顔一笑し、そう答えたのだった。

これが、小さな町の小さなレストランで織り成す、騒がしい日々の始まりだった。


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