第10話「氷解〜虎、再び〜(前編)」

「「乾杯!!!!!」」
その声とともにグラスやジョッキ、コップが軽くぶつかり、ガラス独特の澄んだ音が鳴り響く。
9月某日。居酒屋、黒木屋の座敷部屋にて。
僕、山田 文を含めたレストラン『Bird Nest』の従業員+αで飲み会に来ていた。
とはいってもたった6名なのだけども。
忙しかった夏を乗り切ったという事と営業再開から3ヶ月。
という事で、打ち上げと慰労をかねたやや季節外れの納涼会に来ているというわけ。
「さて、ここの御代は今まで積み立てたお金から出すから、皆遠慮なく飲んで食べてくれ」微笑みながら言う僕の言葉に、
「そのお金は売り上げから出た利益の中から出てるんじゃない。偉そうにしてんじゃないわよ」
「そうッスよ。コレは言わば皆のお金ッス。自分の奢りみたいに言うなッス」と、六華と奈那が即座に釘を刺して来た。
「手厳しいなぁ、ホント」僕は苦笑する。
向かいに居る剛に目線を向けると『やれやれだ』と言わんばかりに彼も苦笑いを浮かべていた。
かたや凛は、乾杯を終えた後は我関せず、と言った風情で黙々と料理を口に運んでいた。
意外とよく食べる。見かけによらず健啖なのだなぁ、と妙に感心する僕だった。
「ところでさぁ…」僕はここに来てからずっと抱いていた疑問を口にした。
「なんで君たち2人は僕の隣に居るわけ?」
六華と奈那は何故か僕の両隣で挟み込むように座っていた。
しかも、妙に距離が近い。
僕も一応男なワケで、こうされるとやはり落ち着かない。
「なによ?私が何処に居ようと自由でしょ?」
「自分の場所は自分で決めるッス。てんちょにどうこう言われる筋合いはないッス」
2人の刺々しい言葉が両側からサラウンドで聞こえてくる。まいったなぁ…
「いや、別に意見とか指図とかそんなつもりは無いけどさ…」たじろぎながら弱々しく僕は言葉を返した。

「けっ。うらやましい奴だよなホント」
と、奈那の隣座っていたスポーツ刈りのやや日に焼けた少年が僕に軽く毒つく。
これで僕の居る側には4人、向かいには剛と凛の2人という、なんともバランスの悪い配置となっている。
「この状況のどこをどう見たらうらやましいって言葉が出てくるのかな」と、呆れ顔で言う僕を、
「私たちじゃ不満ってワケ?いい度胸してんじゃない」
「女をえり好みするほどいい男でもないくせによく言うッスよ」
剣呑な眼で睨んでくる2人。彼女達をなだめている僕を、呆れた眼で見つつさらに少年は言葉を続ける。
「何言ってやがる。両手に花じゃねえか」
「両手に花ねぇ…だけど花は花でもバラだよね」
そう。それも棘の特別鋭く尖ったイバラ。それを無理やり握り締めさせられ手から流血してると言った風情だ。
「それでも…花は花だろ」そう言い、少年―八郎太は憮然とした表情を僕に向けつつチラチラと奈那の方を見ている。
彼は奈那の事が好きなのだ。本人は隠しているつもりなのだろうが本人以外皆気付いている。
その事を剛は、『誰かさん達にそっくりだな』と言っていた。
誰かさんって?と聞いても剛は苦笑するばかりで教えてくれない。
一方六華と奈那は、
「バラねぇ…なんか違う気もするけど…ブンにしてはいい喩え方じゃない(/////)」
「てんちょらしからぬ気の利いた台詞ッスけど…悪くないッスね(/////)
僕の言葉に対して別の解釈をしたらしく僅かに赤い顔でブツブツとなにやら呟く2人。
まあ、機嫌が良くなったみたいなので僕としても有難く、口を挟む気など起きなかった。
ふと視線を感じた。こっそり、その先を見ると。
凛が、こちらを見ていた。
何処か懐かしそうな、それでいて物悲しげな瞳で。
僕は、それがとても気になったけれど。
彼女のあんな眼をみたら、そんな事を聞く気なんてどうしても起きなかった。
だけど、僕のそんな気遣いは無意味な結果に終わる。
この後、彼女の心に僕らが触れる事になるなんて、この時は考えもつかなかったんだ。

「にしてもよ…ここに俺が同席しても良かったのか?」と、怪訝そうに眉を顰め聞いてくる八郎太。
「良かったのか?っていうと?」聞き返す僕。
「だってよ…俺『Bird Nest』の従業員じゃないぜ?」その言葉に僕はほう、と感嘆の溜息を漏らす。
「君結構律儀なんだなぁ…礼儀は知らないのに」
「うるせぇなぁ。別にアンタを舐めてるとか下に見てるわけじゃねえよ」
「そうかい。でも先程も言ったろう?遠慮は要らないよ。君は僕たちになんだかんだ言って協力してくれてるし」
「君も僕たちの仲間だと思ってるからこそ、ここに来てもらったって事、覚えていて欲しいな」
「…どうせ体のいいパシリって意味だろ?」胡乱気な眼で、八郎太。
「うんそれもある」
「やっぱアンタムカツクな…それに、奈那がいたから協力しただけだっつの」照れたようにそっぽを向く八郎太。
「一応、孤児院飛び出した奈那の面倒見てもらう形になってるわけだしな。感謝はしてるよ」
「それはどうも」ぶっきらぼうに言葉を紡ぎつつ『一応』の辺りのアクセントを妙に強くする彼に苦笑する僕。
僕は奈那には大いに力になってやりたいと思うしいい子だと思う。性格もいいし好感も持てるとは、思う。
しかしながら彼女を女性として意識した事はないわけで。
今みたいに体の温かさが伝わってくるほど近くに来られれば男として反応もするが。
だからこういう風にあからさまに嫉妬丸出しの態度をされてもその、困る。
その若さ故のリアクションが大いに微笑ましくもあるので、僕はあえて何も言わないけれど。
奈那のほうを見る。すると、彼女は僕が飲み終え空にしたグラスに手を出していた。
彼女はときたまこういう行動に出る。
理由を聞けば『新しいグラスも出すのは勿体無い』とか『洗うの面倒だし』だのと言う。
彼女のそれまでの境遇を考えれば貧乏性になるのも仕方ないかな、とは思っていたので深く追求はしなかったのだけど。
ここは『Bird Nest』ではなく居酒屋だ。グラスの替えなど気にしないでいいし洗うのも僕たちじゃない。
その事で奈那に声をかけようとしたその時。
「おっと、何やってんだよ奈那」
「そんな人の使った後のグラス使わないで、コレ使えって」
八郎太が慌てたように僕の使ったグラスを取り新しいグラスを握らせた。

「あっ…」小さく声を漏らす奈那。
やっぱり奈那に関してだと彼はよく気が利くな、と感心する。
「ま、べつに例なんかいらねえよ。それより飲め飲め」と、微笑みながら言う八郎太。一方の奈那は、
「…………………………………」俯き、沈黙する奈那。
「お、おい奈那?」心配そうに八郎太が彼女の顔を覗き込もうとした刹那、
「何て事してくれるッスかぁーーーーーーー!!!!!」怒りの声と共にボディーブローを八郎太に叩き込む奈那。
「おぶえぁ!!!!!?」奇声じみた呻き声を上げ地面に崩れ落ちる八郎太。あの位置は肝臓イッたな…痛そう。
「余計なお世話ッス!この機会をどれだけ待ってたかっ!」
「このっこのっこのっ!死んで反省するッスー!!!!!」ドスッドスッドスッ!八郎太にストンピングの雨が降り注ぐ。
「ちょっ…奈那…待て…ゲフ」ピクピクと四肢を痙攣させる八郎太。哀れな。
「…程々にね」僕は半目で呟き、ビールの入ったグラスを手にもつ。(ちなみに僕が先程飲んでいたのはいいちこ)
「…あれ?」だがグラスを傾けようとした瞬間ある事に気付く。
「…こんなに減ってたっけ?」まだ少ししか飲んで居なかったはずなのに。
「ん?どうしたの?」手にビールの入ったグラスをもった六華が聞いてくる。
グラスの中のビールは少ししか減っていない。
【丁度僕がそれまで飲んでいた量と同じ】くらい。
「…ねえ六華?それ僕のグラスと間違えてない?」
「そ、そう?気のせいでしょ」
「いやでも量が明らかに」
「気のせいよ」
「いやあの」
「気のせい」大した根拠も無いはずなのに、強固かつ即座に否定してくる六華。
「そうかなぁ…だけどさ」
「しつこいわね。気のせいって言ってるでしょ?いい加減怒るわよ?」
「…了解」釈然としなかったものの、声を荒げてきた六華の様子を見て、僕は引き下がる事にした。
まあ、ビールは瓶で注文してるわけだし、また注げば良いんだけどさ。
僕はビールを一口のんだ。
その時六華の顔はもう酔いが回ったのか、少し赤くなっていた。

剛たちの方を見る。するとなにやら凛と2人で話していた。
「どうだ草薙君。少しは楽しんでいるか?」
「ええ。向こうの方を見ていると飽きないのは確かですね」嘲笑のつもりなのか口の端を僅かに歪め言う凛。
「そうか…ならいいのだが」
「含みの在る物言いですが…何か言いたい事でも?」
「いや…君がとても寂しそうなと言うか悲しそうと言うか…そんな目をしているように見えたのでつい、な」
やはり剛も気付いていたか。僕よりも凛の事をよく見ているだろうから当たり前だけど。
「そんな事ありません。私感情を表に出しませんから」
「お酒でハイになってる皆との温度差の所為でそう感じるのでは?」
「むぅ…」そんな事はないとわかっていつつも、いい反論が浮かばないのか唸るばかりの剛。
「話はそれだけですか?では」そう言うとまた料理を口に運び始める。
まるでそうする事で間を持たせようとするかのように。
「ふう…」凛は一息つくとウーロン茶の入ったジョッキに手を伸ばす。
…ん?ジョッキ?なんでウーロン茶がジョッキに入って出てくるんだ?
「あれぇ〜?このウーロンハイ幾ら飲んでも酔えないッスね」怪訝そうな顔をする奈那。
というか未成年なのに何酒呑んでやがる。まあ、それは後で言うとして。
「ちょっとそれ一口飲ませて」奈那のグラスを半ば強引に奪い一口飲む。
「えっ…あ、それ間接キス…(//////)」奈那が何事か言っていたが僕は気にせずに、
「コレただのウーロン茶だ…ちょっと草薙君!それお酒だよ、ウーロンハイだ!」
僕が言うも既に遅し。凛は一口飲んだところだった。そして次の瞬間。
ガターン!凛がテーブルに勢いよく倒れこみ、そのまま起き上がらない。
「大変だ…急性アルコール中毒かもしれない!」僕が慌てて立ち上がろうとしたその時。
ゆらりっ、と凛が顔を上げる。妙に座った目つき。真っ赤な顔。
(なにやら嫌な予感がしてきたぞ…)僕がそう思った刹那、
凛が、いや虎が、吼えた。


前へ  / トップへ  / 次へ
inserted by FC2 system