第12話「ビター・スイート・ハートブレイク(前編)」

秋も深まったある日の夕方。
レストラン『Bird Nest』の店長、山田 文と、
同店のウェイトレス、七々名 奈那は街中を歩いていた。
「悪いね、つき合わせちゃって」と、奈那に向かって、文。
「別にいーッスよ。どうせヒマだったし」
文に向かって手をひらひらと振りながら言う奈那。
「それに…」そこで、奈那の笑みが苦笑に変わる。
「あの状況で店に居られるわけないじゃないッスか」奈那の言葉に、
「そうだね」文は彼女同様苦笑で返す。
『Bird Nest』はディナータイム前に一時閉店する。
2人はそれによって空いた時間を使って2人は買い物に来ていた。
とは言うものの個人的な買い物ではなく、調味料や店に必要な消耗品や事務用品等を買う為だ。
最も、それはこんな時間帯に買いに行くほど、直ぐに買い出さなくてはならない物ではなかったのだが―
(奈那ちゃんの言うとおり、アレ以上あそこに居られなかったしなぁ。お邪魔虫になるだけだ)
文は再び常に顔に張り付いている微笑を苦笑に変えつつ、思い出す。
それは、少しだけ時間を遡った時のこと…

「―何やってんの?」文は、奈那を見て疑問の声を投げかけた。
時計は午後四時を指し、現在一時閉店状態にある店内。
少し休憩でもしようかと、更衣室件休憩室の前にきた文。
すると、そこにはその扉の前で不自然に張り付いている奈那がいた。
「しーっ!少し黙れッス!」
文の言葉に口の前に人差し指を立て小声だが強い調子で彼に言う奈那。
「…文です。部下であるウェイトレスに『黙れ』言われたとです…」
「僕には人の上に立つ資格なんて無いんでしょうか…」
背中をすすけさせ、厨房の隅で床にのの字を書く文。
「あああああブツブツ呟くないじけるな卑屈になるなッスー!別にそう言うんじゃないッス!」
小声で絶叫しツッコむという器用な芸当をして見せる奈那。
「そりゃあちょっとウザい時はあるし」
「人をおちょくるのが好きな人でなしだし」
「六華さんの尻に敷かれてるヘタレッスけど…」
「だからって言って理由も無くてんちょに『黙れ』なんて言わないっすよ」
「…とりあえず君が僕に対してどう思っているか良く分かったぞコンチクショウ…で、どうしたんだい?」
額に青筋を1つ立てつつも何とか堪え文は続きを促す。
「ああ、それなんスけど…まあ、中をこっそり覗いて欲しいッス」
「ふぅん…どれどれ」
奈那に言われるがまま文は、少しだけ開いていたドアの隙間から中を覗いた。

更衣室の中には、2人の人影。
長身の男とやや背が高めの女。
一足先に休憩に入っていた副店長の五代 剛と、チーフウェイトレスの草薙 凛だ。
凛はここに来たばかりなのか制服姿だった。
「…ごめん。中に入らずに覗いてる理由がサッパリ分からないんだけど」
「はあ?てんちょ空気嫁ッス」
「ほら、明らかに2人の雰囲気おかしいじゃないッスか」
「ん?ああ…そういう事」納得する文。
パッと見2人はいつもと変わらぬ様子。
なのだが、よく見ると2人とも何処と無く落ち着きが無いと言うか、
「浮ついてるなぁ…まあ、あんな事があったしな…」
先日起こった事件を思い出し、文は生暖かい笑顔を浮かべた。
「てんちょ、その笑い方キモいっす。…あんな事?」顔を顰めつつ聞く奈那。
「キモいは無いだろ。それよりも、あんな事ってのは、この前の納涼会のアレさ…」
「って、そう言えば奈那君は聞いてるわけないか」
「そーッスよ。トイレでぶっ倒れてたのにどうやって聞けって言うんスか。その位分かれッス」不満げに口を尖らせる奈那。
無理もない。あの時凛に酒を大量に飲まされた彼女は、トイレに直行しその場で倒れたのだから。
酔いつぶれた人間がトイレでする事など限られているので、彼女の名誉の為此処で詳しく描写する事は控えるが。
「手厳しいね。でまあ、あの時何があったかって言うと…」
文はこの間の飲み会(第11話参照)の事を掻い摘んで奈那に話した。

「へ〜そんな事があったんスか」
「アルコール入ってたとはいえ感情的になったセンパイ…見たかったッスねぇ…」しみじみと呟く奈那。
「確かに滅多に見られないだろうね。っていうか見たく無いな…」
「僕はもう2度と彼女にアルコールの類を口にさせないぞ」
「そうッスね。それが懸命ッス」
険しい顔で言う2人は、凛のあの酒乱ぶりが演技であった事を知らない。
事実、凛は非常に酒癖が悪いので彼らの認識がさほど間違っているわけでもないのだが。
「にしても、あの五代さんがそんな事を…ちっと意外ッス」
「表に出さず静かに燃えるってだけで、剛は元々熱血入ってる所があるから」
「へぇ〜。…ゆる〜いてんちょは爪の垢でも煎じて飲んだ方が良いんじゃないッスか?」
意地悪げな笑みを浮かべる奈那。
「耳が痛いね。でもさ、熱血漢な僕ってどうよ?」
「うわキッツ」
文の言葉に、瞳を輝かせ少年漫画の主人公の様な熱い台詞を吐く彼を想像し、苦虫を噛み潰した様な顔になる奈那。
「だろ?そう言うのは僕のキャラじゃない。…お、なんか話してる」
「えっ!?マジッスか!?」再び中を覗きこむ奈那。
(うっわ…近い…ッスねぇ…(//////))
結果的に文に寄り添う形になり、奈那の顔が微かに赤く染まる。
幸か不幸か2人の話を聞くのに夢中になっていた文は、その事に気付く事は無かった。

耳を澄ませ、2人は傾聴する。
そうする事で会話の内容が耳に入ってくる。
『今日は早いのだな…いや、今日も、か』
『別に良いじゃないですか。何か不都合でもあるんですか?』
『むぅ…そういうわけではないぞ?ただそう思っただけだ』
確かに、余りにも早すぎるのだ。
それこそ、放課後になり次第こちらに直行しなくては間に合わない位。
それに、現在の午後4時を少し過ぎた所である。だが彼女が働くのは午後6時から。
それまで2時間近くある計算になる。剛の反応も当然の事と言えるだろう。
『ならいいじゃないですか。つまらない事を言わないで下さい』
『す、すまん…だが、その、なんだ…君に少しでも早く会える事は嬉しい…ぞ』照れくさそうに言う剛。
『今更…遅いですよ。言わないよりはマシですけど』
『折角剛さんに会う為に急いで来たと言うのに。ガッカリです』何処と無く拗ねたようにそっぽを向く凛。
『悪かった。この通りだ、赦してくれ、凛』
身長190を越す偉丈夫が10代の少女に深々と頭を下げているのは滑稽を通り越してシュールですらあった。
だが剛がそこまでしてもなお、凛の機嫌は直っていなかった。
『…まだなにか君を傷つけるような事をしたのだろうか、俺は』額に汗を一筋浮かべながら聞く剛。
『何もしないのが、問題なんじゃないですか…気の利かないというか、朴念仁というか』
『む?』
『もう…それを、私に言わせるんですか?』
『済まない。出来れば教えてくれると有難いのだが…』
『だから、勤務時間外にこうして2人っきりになったって言うのに…』
『抱きしめてくれるとか、キスとか…してくれないんですか?』頬を赤くする凛。
確かに、晴れて彼氏彼女の間柄になったというのに、剛はそれらしい事を何もしていなかった。
(それじゃ、草薙君が不機嫌になるのも当然だよな…)と、文は胸の内で1人呟いた。

『剛さんって、釣った魚には餌を上げないタイプだったんですね…はぁ』
凛がわざとらしく溜息をついてみせると、面白いように剛は狼狽した。
『そ、そんな事はないぞ!?ただ、女性と付き合うなどなにぶん初めてでな。どうしたら良いか、分からんのだ…』
『…いや、言い訳だな。スマン』うなだれる剛。
『…謝罪の意は言葉よりも行動で示して欲しいです』
『そ、そうか。…で、どうすればいい?』
『…ん』剛の目の前で、凛は目を閉じまるで餌をねだる小鳥の様に軽く唇を突き出した。
コレを見てなお彼女の要望が分からぬヤツは死んだ方が良い。
『…何してるんですか。早くしないと、誰か来ちゃいます』
『…まったく。優しいと言うか…甘いのだな、凛』苦笑する剛。
『…仕方ないじゃないですか。惚れた弱み、です』心なしか頬に刺す赤みが濃くなる。
『それは寧ろ俺の台詞なのだがな。…はは。俺は幸せ者だ』
噛みしめるように剛は呟くと、可愛らしくおねだりをする凛の肩を優しく抱き寄せ…
唇を、重ねた。
「う、うわーうわーうわぁー…」一部始終を見ていた奈那は、トマトもかくやと言う具合に顔が真っ赤になっている。
「キ、キキ、キ…」
「キ?」
「キスしてるっすよあの2人!?こんなトコで!」
「そりゃあ恋人同士なんだし。2人っきりになればそういうこともするでしょ」
「てんちょなんでそんなに冷静なんスか!?」
「この程度ではうろたえない位には色々経験してるって事」不敵な笑みを浮かべる文。
「てんちょのその『ケイケン』とやらが何なのか小1時間ほど問い詰めたい気分ッス」
「フム、それは拒否する」
「…にしても、草薙君から迫るとはねぇ。キス好きなのかな?彼女」
「まぁ、キスを迫る剛なんて想像も出来ないけど」肩を竦め、文は誰に言うでもなく呟いた。
2人の唇が離れたのは、優に数10秒は経ってからだった。

「しっかし…こんな状態だと中に入れないッスねぇ…」
「そうだね…困ったな…」腕を組み唸る文だったが、
「そうだ。六華に買い物頼まれてたんだっけか。他に買いたい物もあるし、丁度良いかな」
「奈那君、どうせここに居られないなら一緒に来る?」という文の問いに、
「そうッスね。下でいちゃつかれてると分かってて部屋でリラックスできる程神経太くねーッス」肩を竦め同意する奈那。
「それじゃ早速…ってあれ?そういえば六華は?」
「自分の部屋で仮眠とってるッスよ。忙しいっすからねぇ、今日も」
「成る程。それじゃ、2人で行こうか」
「そ、そうッスね」彼の言葉に2人っきりで出かける事を殊更意識してしまい、軽く緊張する奈那だった。
こうして、話は再び現在に戻る。
歩く事10分弱。2人は目的地にたどり着いた。そこは小鳥遊町に新しく出来たショッピングセンターだった。
規模はそれなりでスーパーや100円ショップ、ファーストフード店や喫茶店などもあった。
1年前までは只のベッドタウンだった小鳥遊も、日々発展し人の出入りが少しずつ多くなろうとしていた。
「よし、コレで買うのは全部かな」手に買い物袋の重たい感触を感じながら、文は1人ごちた。
「思ったよりも早く終わったッスね」文に笑いかけながら、奈那。
「でもいいんスか?1人で全部持っちゃって。結構重たいと思うんスけどそれ」
「来なくても良い用事につきあわせてるのは僕だしね。それに…」
「それに?」
「僕は君の上司でありそして1人の男であるわけで。少しはカッコつけさせてよ」
「へっ、言うッスねてんちょ。ヘタレのくせに」
「ついさっき『僕は君の上司』って言った筈だけど。上司を鼻で笑うのはどうだろう?」
「敬って欲しいならまずそれに足る人間になるッス。他人は自分を映す鏡ッスよ?」
「君普段はアレなのにたまに難しい事知ってるね…でも…反論できない…かな」苦笑する文。
「でしょ。そんなんじゃ、いつか六華さんに愛想尽かされちゃうッスよ?」その言葉に、文の笑みが歪み、崩れた。
「えっ…あ…な、何でそこで六華の名前が出てくるんだい?」
「だって…てんちょ、六華さんの事、好きなんでしょ?」
そう問いかけた奈那の顔は、笑っていた。


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