第13話「ビター・スイート・ハートブレイク(後編)」

『だって…てんちょ、六華さんの事、好きなんでしょ?』
奈那の言葉を聞き、沈黙する文。
その顔からはいつもの微笑が消え去っていた。
だが、その沈黙こそ彼女の言葉が肯定である事を雄弁に物語っていた。
それを見た奈那はああ、やっぱり。と心の中で小さく溜息をつく。
七々名 奈那には、わかっていた。
これが、横恋慕だという事を。
叶わぬ恋だと、いう事を。
お互い、相手の気持ちには気付いていない。
でも、それだけ。
2人の関係は自分如きが入り込む余地なんて、何処にも無かった。
それでも、良かった。
遠くから眺めているだけで、良かった。
近くで話したり、笑いあったりできれば、最高だった。
最初は、どん底にいた自分を、そこから助けてくれた文が、ヒーローに見えたのかもしれない。
優しくて、ある意味とても不器用な彼を崇拝の目で見てたところもあったかもしれない。
でも、今は違う。そんな事などもうきっかけ程度に過ぎないと断言できる。
文を見ていると、彼と初めて会った日に繋いだ彼の手と、2人に降り注いだ夕日の温かさが、胸を満たすのが分かった。
そんな、言葉に出来ないような不確かな、でも心地よい感覚が。
ああ、私は。山田 文って男が好きなんだ―
そう、奈那に認識させるのだった。

彼に、この想いを伝える気は無かった。
胸の奥に隠して、2人が結ばれた時誰かにこっそり愚痴ろうか。
なんて自分でも言うのも何だが、いじらしくそう想っていた。それなのに―
2人とも、ちっとも相手に自分の想いを伝えようとしない。
この2人ときたら、何てもどかしいのだろうか。
これでは、ひっそりと誰にも気づかれないうちに身を引こう、と考えていた自分がバカみたいではないか。
六華は文に対してちっとも素直になろうとしない。
まったく、臆病なくせに意地っ張りで。
一線を越えると言うか、1歩前に踏み込む事がどうしても出来ないで居る。
そんな事では、今の文に想いが伝わる事など絶対に有り得ないというのに。
彼の六華の想いに対する鈍感さは並大抵ではない。
六華が自分を好きになるなんて事を思いつきもしない、そんな感じ。
その予想が合っているかどうかは分からない。
もしかしたら、何か別の理由があるのかもしれない。
でも、多分このままじゃダメだ、と思う。
(はぁ…どうしてこんな人に惚れちゃったんスかねぇ…)
奈那は再び心の中で今度はとても深く深く溜息をつき、
自分の想いに整理を付ける為に、
七々名 奈那は言葉を紡ぐ。

しばらく、文は押し黙っていたが、観念したと言わんばかりに苦笑し、口を開き、
「…うん。僕は六華の事が好きだよ」キッパリと、そう言った。
「これでいいかい?…って、奈那君?」怪訝そうな顔で声をかける文。
「………………………………」奈那は心ここにあらずと言った面持ちで宙をぼんやりと見ていた。
「…え?あ…何スか?」
「いや、ボーっとしてたみたいだったから。どうしたの?」
「う、うるせッスよ。何でも無いッス」ぶっきらぼうに答える奈那だったが、
(うう。分かってたとはいえ、思ったよりきついッス…コレ)内心で、地味にショックを受けていた。
はっきりと口にされるだけで、こうも精神的なダメージが増すとわ。
(まだまだ、自分はガキって事ッスか)心の中で、苦笑する。
「なら、いいけど。でも、どうして―」
わかったの、と聞く前に、奈那は先んじて答える。
「乙女のカン、ってヤツッスよ」ニヤリ、と奈那は笑う。
正確には『恋する』という言葉が頭につくのだが。
「…しかし参ったなァ。まさか君に気付かれるとは、思ってなかった」
「へへん、甘いッスよてんちょ」
「ザッハトルテに生クリームと練乳と粉砂糖と蜂蜜とメープルシロップと黒蜜かけたくらい甘いッス」
「うわぁ。そこまで甘いんだ」
「それはともかく。この気持ちに気付いたのは、つい最近のことだったりするのさ。情け無い話だけどね」
「はは…そうスか」乾いた笑みを浮かべつつ奈那は内心呆れていた。
鈍感ここに極まれり。自分の気持ちにも気付いていなかったとは。
とりあえず、そんな事は今現在大した問題ではない。重要なのは、
六道 六華は山田 文の事が好きであり、
山田 文は、六道 六華の事が好きだと言う事。
ならば、言う事は1つだった。

「なら…さっさと告白しちゃえばいいじゃないッスか」
「簡単に言ってくれるなァ…人に『そういう』想いを伝えるのって、なかなかできないもんだよ?」
困ったように頭をポリポリと人差し指で掻く文。
「そんなの分かってるッスよ…自分だってそうッスから」ボソボソと小さな声で毒つく奈那。
「ん?何か言った?」
「だからウルセーッス。いちいちオトメの独り言に聞き耳立てるんじゃねーッス」
「ゴメンゴメン。でも、告白しても、うまくいかなそうでさ」
「…んなわけねーじゃねッスか」またも小声で呟く奈那。
「ええっと、さっきからたまに声が聞き取れない時があるんだけど?」
「悪かったッスね〜声小さくて〜」拗ねたように唇を軽く尖らせ皮肉気に言う。
「それより、なんでうまくいかない、何て決め付けてるんスか?」
2人が互いに想い合っている事を知っている奈那にとって、彼の今の言葉はギャグでしかない。
「僕はさ…昔、彼女が居ないとてんでダメな情けない奴でさ」
「まあ、今は1人でも何とかやっていけるようになったけれど」
「でも、それだけ。強くなったわけじゃないんだ」
「泣きたい時に泣けない、怒りたい時に怒れない欠陥だらけの人間が1人出来ただけ」
「情けない所は変わってないかな。君にもヘタレ言われたばかりだし」自嘲の笑みを浮かべる文。
「そんな僕を、六華が好きになるなんて、有り得ないじゃないか」
「現在の『良いお友達』が、僕と彼女の間柄の最高到達点さ」
「僕が告白したって、迷惑にしかならないんじゃないかな、きっと」
「だから、僕は―」
「はいはいはいはい、もーいいッスよ」
「てんちょがどうしようもないダメ野郎って事はよーく分かったッス」
「でも、それが何だって言うんスか?」
「何だって、それは」
「てんちょが六華さんを好きな事にも、六華さんがてんちょをどう思ってるかって事にも、全く関係ないじゃないッスか」
う、と小さな呻き声を上げる文。何も言えない様だった。

「確かにてんちょはヘタレだし、性格歪んでるし、他にもダメな所を上げたらキリが無いかもしれないッス」
「だからって、何で六華さんがてんちょの事を好きにならないって事になるんスか?」
「…君の言った言葉の中に恋愛感情を抱かないであろう要素が山程あったような気がするんだけど」
「シャーラーップ!とにかくっ!勝手で独りよがりな考えで他人の想いを決め付けるなッス」
「てんちょは何様ッスか?神にでもなったつもりッスか?ああん?」
「そんなつもりは…」
「ウジウジウジウジ、気持ち悪いったらありゃしないんスよ」
「てんちょはもっと自分に自身を持てッス。卑下しすぎッスよ」
「少なくとも、てんちょは人を1人、救ってるんスよ?」
「てんちょは自分の事を欠陥だらけって言うッス。でも…」
「その『欠陥だらけの人間』とやらは、少なからず誰かの助けになってるんスよ?」
「誰かの、支えになってるんスよ?」
そう、例えば最低な生活をしていた自分をどん底から引っ張り上げてくれた様に。
彼が居るからこそ、ここまで頑張れている六華の様に。
山田 文と言う男の存在は『Bird Nest』において彼が思っているよりも、とても大きい。
この店に、皆を繋ぎとめているのは、彼なのだから。
「だから、だからてんちょ―」思わず、訴えかけるような口調になる奈那の言葉を遮るようにして、
「もういいよ。もう、わかったから」微笑み、言う文。
その微笑みは、いつもよりも温かく、何処までも優しい。
「君のお陰で、自信が湧いてきた」
「うん。…決めた。僕は、六華に想いを告げてみせる」
「今日いきなり、ってのはまあ、無理かもしれないけど、さ」
「てんちょぉ〜」情け無い事を言う文に落胆の色を隠しきれない奈那。
「そ、そんな顔しないでくれよ。必ず言うよ。約束する」
「僕は、六道 六華の事が好きなんだ、って」
「…そッスか」奈那はほう、と小さく溜息をついた。

コレで、いい。
自分の想いが伝わる事は無いけれど。
恋愛感情云々を除いても、彼が大切な人であることには変わりない。
だから、彼には幸せになってほしい。
(でも…コレくらいは、良いッスよね?)
奈那は、彼が手の届かない『ところ』に行く、その前に。
少し、甘えてみる事にした。
「…手、繋いでいいッスか?」
「いいけど、両手塞がってるよ?荷物で」
「片方持つッスよ。あ、勿論軽い方ッスけど」
「了解」
文は奈那に袋の1つを渡すと、奈那の手をきゅ、と優しく握った。
心地よい温かさが奈那の手に広がった。
黄昏時、夕日に包まれたポカポカとした空気の中2人は歩く。
初めて会った、あの日の様に。
奈那は思う。
いつか、いつの日か自分に大切な人が出来るまで、この温かさを忘れないようにしよう。
この気持ちを、忘れないようにしよう。
だって、私は確かに今、とても幸せなんだから―
2人は手を繋いだまま歩き続け、そして。
『Bird Nest』に到着した。

「それじゃ、2人がラブラブになるのを、期待してまってるっすよ」
店内に入り、手を離し親指を立てて見せる奈那。
「まったく、君ってやつは」
「…ふう、奈那君にこんな事で後押しされるとは思ってなかったな」
「ふふん、これからはキューピット奈那と呼んでも良いっすよ?」
「それは丁重にお断りさせてもらうよ。でも、ありがとう」
「べ、別に礼なんて…ただ言いたい事言っただけッス」
「そうじゃないよ」
「?」
「七々名 奈那君」
「フルネームで呼ぶなッス」顔を顰める奈那。
「ゴメン、でもちゃんと呼ばないといけないと思ったんだよ」
「そッスか。で、なんスか?」
「僕を好きになってくれて、有難う」
奈那は、その台詞の意味がしばらく分からず、しばし硬直した。
「て、てん…ちょ…なん…で…」硬直から解放された彼女はようやくそれだけを口にした。
「勘ってヤツだよ。恋する乙女のそれ程、鋭くは無いけれどね」
「…てんちょにだけは分からないようにしてたんスけどね…」
「甘いよ、奈那君。ザッハトルテ(ry」
文はニヤリ、と笑うと先ほど言われた事をそっくりそのまま奈那に返した。
「…そんな事言うなんて、最低ッスよ、てんちょ」言葉とは裏腹に、奈那の顔には笑みが浮かんでいた。
「うん。僕は最低だね。何を今更?」
「…ホント、最低ッス」温かいものの混じった溜息をつきながら、奈那は呟いた。
こうして、七々名 奈那の苦くて甘い初恋は、終わりを告げたのだった。

「あーもう!スッキリしたッスよコンチクショウ!それじゃ、一旦二階に行ってるッス」
そう言いながら階段へと消えて言った奈那を見送った後、事務所へと行こうとした文に、
「おい」声がかけられた。
「…ハチ君か。なんだい?」スポーツ刈りの少年を見やり、文。
「変な呼び方すんな。俺は犬か」
「だって六華がそう呼ぼうって言うから」
「くそ…それは逆らえねえ…」
「だろ?まあそれはともかく、どうしたの?」
「院長(孤児院の)から差し入れだ」ほら、と袋を差し出す。その中にはお菓子だのアイスだのが詰め込まれていた。
「届けてくれて有難う。ところで、ハチ君。僕と奈那君の会話を、聞いてたね?」
「…まあな」
「…君には、僕を殴る権利があるよ?」
「俺にはテメェを殴る理由なんかねぇよ」
「そう。…奈那君を、よろしくね?」
「言われるまでもねえ」
「はは。君が居れば、奈那君は幸せになれるだろうね」
「幸せってのは与えるもんじゃねえだろ…2人で、そうなるモンだろ」
「知った風な口聞いちゃって」
「うるせぇ。ま、でも…正面からアイツの気持ちに向きあってくれたのには礼を言っとく」
「それはどうも」
「…それだけだ。じゃあな」
「奈那君のそばに居てあげたら?」
「…さ、最初からそのつもりだっての」決まり悪げな顔で踵を返し、階段へと向かう八郎太。
それを文は苦笑しながら見送る。
奈那に、新たな恋の足音が、直ぐそこまで迫っていた。
彼女は、その事をまだ知らない。


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