第17話「TELEPHONE(中編)」

『あの人』。
凛が好きだったと言う男。
そんな彼からの、電話。
気にならないと言えば、嘘になる。
「…なぜ、出ない?」
「今更、出られるわけ無いじゃないですか」
「逃げたから、か?」
「…解かっているんなら、聞かないで下さい」
「もう、話したくないのか?」
「そう言うわけじゃ、ないです。けど…」
歯切れの悪い凛の言葉。そんな答えになるだろうという事は大体想像はついていたが。
もう、憎みたくないから。
そして、もう傷つきたくないから。
逃げ出してしまえば『彼』やその仲間達との間にある溝を見ないで済むから。
だからこそ。
逃げてしまった相手と、目をそらしたモノと向き合うのは、苦痛だ。
『彼』は、彼女にとって未だにとても大切な人であることには違いないのだ。
だが、話せない。
それが温かいから、それが眩しいから。
人間が太陽を直視することが出来ないように、彼女は彼を真直ぐ見る事が出来ない。
(きっと、そいつはとても良い奴なのだろうな)俺は思う。
凛にこんな顔を、こんな思いをさせるのだから。

だが、このままではいけない、と思う。
人は、完全に過去から逃げる事は出来ない。自分から切り離すことなど出来はしないのだ。
過去とは、文字通り人が歩み、通ることで過ぎ去った路なのだから。
仮に『彼』からのコンタクトが無くなったとしても。
かつての居場所の痕跡が跡形も無くなったとしても。
彼女が独りだったと言う事。
そして『彼ら』から逃げたと言う事実はどこまでも、どこまでも彼女の中で残り続け彼女を苛むのだから。
「凛」俺は凛を抱く手に少しばかり力を篭め、言葉を紡ぐ。
「……………………?」
「いい加減、前を見ろ。自分が征くその先を、未来を見つめろ」
「急に、何を―」問う凛。それに構わず俺は語り続ける。
「当たり前の事だが、人は後ろを見ながら前へ歩いて行くことなど出来ないと言う事だ」
「解かりやすく言うと、だ。お前は過去に引きずられている。囚われていると言っても良い」
「何、を…言うんですか。私は過去になんて…」
「『あの人』の事は…もういいんです。もう…忘れる事にします」
「貴方さえ傍に居てくれればいいんです。私には、貴方が居てくれるだけで…」
「無理だ。人間は愛するものさえ居ればそれでいい等と言える程、都合のいいモノではないぞ」
「決め付けないで…下さい」
「事実だ。それにお前は目を逸らしているだけだ」
「ずっと後ろを、過ぎ去ったモノの方を向き続けている」
「目を逸らすくらいなら、見るのを止めろ。忘れなければ、それでいい」
「だから、そろそろ前に向かってもいいのではないか?」
「つまらない事で悩んで迷って落ち込んで―」
「立ち止まり続けることはもう、止めにしないか?凛」

「…そんなの、無理です。出来っこないです」
「ふむ。何故だ?」
「…なんでそんな事、聞くんですか」
「だって、また傷つくかもしれないんですよ?」
「今更どの面下げて話せって言うんですか。会えって、言うんですか」
「もう、辛いのは、寂しいのは、イヤなんです。あんな思いは2度と、味わいたくないんです」
「そうだな。辛いだろう、苦しいだろう。痛みを伴うだろう」
「トラウマと向き合うと言うのはそう言う事だからな。だが、それでも…」
「お前が向き合うべき大切な人は、手の届くところにいるだろう?」
「その気になれば、大切だったモノがいた、温かかった居場所に戻る事が出来るだろう?」
「それが出来ない者に比べれば…マシではないか」
「知り合いにそんな人でも居たんですか?」
「ああ、言っていなかったか。俺の両親はな、俺が幼い頃―7〜8歳位の頃に、死んだんだ」
「……………………!」息を呑む凛。
「その後文の家に引き取られてな。以来兄弟の様に付き合ってきた」
「それはともかくとしてだ。俺の両親の死因は事故死でな」
「事故が合った日、俺は親と理由は覚えていない―まあ些細な理由だったんだろう―が、大喧嘩をしてな」
「勢いで家を飛び出した。まあ、餓鬼だった俺に行く場所などそう無くてな。文の親が経営していたレストランに、駆け込んだんだ」
「それって―」
「ああ。今の『Bird Nest』だ。で、その後文の親父さんに説得され、謝ろうと決めたその矢先だった」
「両親が乗っていた車がな、右折しようとしていたトラックと衝突した、と連絡が来た」

「既に文の母に連絡を受けていた両親が、こちらに向かっている最中だったらしい」
「病院に行った俺が見たのは、死を待つばかりのボロボロになった両親だった」
「俺を見た2人は責めるでも怒るでも無く「よかった」とだけ言い残してあっけなく、逝った」
「余程俺の事が心配だったのか、今となっては確認する術も無いが、安心しきった安らかな死に顔だった」
「俺はついに、2人に謝る事が出来なかった。俺は、その日から2つの後悔を一生背負う事になった」
「謝れなかった事。そして間接的に両親を死に追いやった事、だ」
「でも、それは―」
「ああそうだな。考えすぎなのだろう。トラックの運転手にも非はあったらしいし、な」自嘲気味に笑いつつ、俺は続ける。
「だが、もしあの時俺が喧嘩をしなかったら。もしくは自分の非を認めて、素直に親に謝っていたら」
「もし…家を飛び出さなかったら。2人は今でも昔俺が済んでいた家で俺を迎えてくれていたのではないか―」
「…そんな考えが、今でも頭からこびり付いて離れないんだ。凛」
「結局の所、俺も過去を引きずっていると言う事だ。だから、お前には俺のようになって欲しくない」
「お前は未だ、取り戻せるだろう?」
「お前がもし、本当の意味で幸せになれたのなら…俺もまた、過去から解放されそうな、そんな気がする」
俺が長々と語り終えた後。凛は暫く押し黙っていたが…やがてゆっくりと口を開いた。
「ずるいですよ…そんな事言われたら、何も言えないじゃないですか」
「私が、とても我侭な人間みたいじゃ、ないですか」
「そう言う所、剛さんって以外と店長に似てますね…ずっと似てないと思ってましたが」
「まあ、義兄弟(きょうだい)だからな。…だが何故だ。とても屈辱的な事を言われた気がするのは」
「屈辱的な事を言ったつもりですから」
「むう…」

「…貴方の言っている事は間違い無く、正しいのだと思います。でも…」
「それでも、出来ないんですよ。携帯をかけようとすればボタンを押す手が震えます」
「会おうと思っても、怖くて怖くて。気がどうにかなりそうで」
「私には何も出来ないんです。今更私1人じゃ、どうにも、ならないんですよ…」
「…はぁ。お前は何を言っているのだ」そんな事を言う凛に、俺は溜息をついた。
「…ふぇ?」
「何故、俺が居ると思っている?」
「辛かったら、支えてやる。心細かったら、お前の手を握って居てやろう」
「もし寂しい思いをする事になっても、俺は…俺だけはお前の傍に居る」
「お前に再び悲しい思いをさせるような奴だったら。俺が、懲らしめてやる」
「剛さん…っ!」凛の目の端に光るものが浮かぶ。
「言っただろう?俺はお前が望む限りずっとお前の傍に居ると」
「何があろうとどうあろうと俺は、ずっとお前の味方だ」
「お前の居場所であり続けると誓おう」
「コレも前に言ったが…それが俺の望みでもあるからだ」
「お前を1人で行かせはしないさ」
「一緒に前に行こう。いや…一緒に、行ってはくれないか?」
「……………………はい」凛は小さな、しかし確かな声で答え、頷いた。

「しかしまあ、そうは言っても―」
「今は、また電話が来るのを待つしかないんですけどね」
と苦笑する凛に俺は言い放つ。
「む?何故待たなければいけない?こちらからかけてやればいい話ではないか」
「……………………あの。私ついさっき電話に出るのを拒否したばっかりなんですけど」
「そうだな」
「その相手に…今すぐかけろと?」
「うむ。そうだ」
「…鬼ですか。ひどいです、最低です」
「俺は文の義兄弟であり六華の友人だぞ?」
「うわぁものすごく説得力のある最低な開き直りどうも」
「自分でも言ってて少し嫌な気分になったな…そうだ、凛」
「『彼』にまず、俺から話させてもらえないだろうか?」
「いいですけど…何故?」
「なに、俺はお前の恋人だからな。お前がこうなった原因の一つである『彼』に言いたい事の一つや二つある、と言う事だ」
「構わない、だろうか?」
「…どうぞ」凛は自分の携帯を差し出す。
俺はそれを受け取ると着信履歴を開き。
一番新しいのにカーソルを合わせる。
名前の欄を見る。そこには、
『桐生 隆』とあった。
それが、『あの人』とやらの名前か。
(そろそろ、決着をつけてもいい頃だろう)
俺は、そんな思いを篭め、携帯のボタンを押した。


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